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2005/04/26

■人種が違う日本人(その2)

2.歌謡曲派

大多数の日本人は歌謡曲派であり、その特徴は画一的で全くのノンポリであることだ。だから表題と中身は全く関係なく全てが同じである。日本の音楽シーンでは、ロックとかポップと言っても、中身は基本的には歌謡曲だ、逆に言えば全ての曲はテンポとキーを変えるだけでどんなジャンルの曲にでもなる。

我々ガイジンに分かり難いのは、では何故最初から歌謡曲と言わないのだろうという点だ。ロックといわずにロック風歌謡曲といえば、ああそうかと納得するのだが、こういった例は日本には非常に多い。例えば自動車。日本では足の良い車という宣伝文句をよく耳にするが、ほとんどの日本車は欧州車のレベルに達してはいない。これは技術的な問題ではなく、ユーザーの要求に合わせたためなんだそうだ。事実一部の車は欧州車並なので、本当だろう。だったら、何故そのことを宣伝文句にしないのだろう、ユーザーが求めているモノを造り、求めていないモノを造りましたと宣伝する?ウーム、分かりません。

政治の世界でも同じことが言えます。日本では政治家の公約はまず実行されません。それどころか、反対の政策を実行することの方が多いのです。分からないのはそういった公約違反する政治家が次の選挙で落選するかと言えば、実際には再び当選してしまうことです。

これは地方でも国でも基本的には変わりありません。唯一例外的な政治家が、小泉首相でしょうか。歴代総理の中では珍しく公約を実行しているので、批判されています。面白いのはその批判のされ方です。就任1・2年目では、構造改革始め何もやっていないと批判され、今は公団や郵政民営化を進めることに党の内外から批判されています。小泉首相は、どうすればよかったのでしょうか?

このように、日本の国民の大多数は歌謡曲派と呼ばれるノンポリであり、物事の本質や中身には全く関心も理解力もなく、このため文脈を理解できずに単語にだけ反応します。「T社は足回りの良い車を販売している」も「T社は足回りが良いと主張しているだけの車を販売している」も彼らには「足回りの良い」という単語しか理解できないので区別が付かないのです。

このため、TVの討論やコメンテーターの発言を聞いていると、同一人物の発言内容を繋げた場合、その時々の受けの良い言葉だけを並べているので何を言っているのか支離滅裂な場合がほとんどです。大多数の国民は単語にしか反応しないので、問題にはなりませんが、私は何年日本で暮らしても奇異に思います。郵政民営化が進まないと批判していた人が、代案も出さずに郵政民営化を批判するなど、私の国では失笑を買うだけです。

このように国民の大多数を占めるこの歌謡曲派は、数の上では主流のはずですが、以上の理由で被支配階級となっています。支配を受ける内容は権力に限らず、風習、価値観、思想など多岐に渡ります。このことに自分では気が付かず、むしろ自ら一億総中流化などと言って喜んでいたようですが、最近ではオカシイと気付く人も出始め、「茹で蛙」状態であると警鐘を鳴らす人もいます。しかし、「茹で蛙」は自ら「茹で蛙」であると気付かないから「茹で蛙」なのであって、誰も自分のこととは思ってないようです。

では、誰がこの国を支配しているのでしょうか。それは先に述べた演歌派なのです。暴力・金・権力を握る彼らが、いづれか若しくは複数の力で狼の如く、迷える羊である歌謡曲派を支配しているのです。そして、先に述べたように、心情的には歌謡曲派の大多数が演歌派なのでこのも事を助長し、この構造を強固にしています。

・・・つづく

【今日の悪口】

     日本人は物事の本質や中身には全く関心も理解力もなく、内容よりも単語にだけ反応する。

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2005/04/25

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■人種が違う日本人(その1)

日本人は単一民族だが、実は中身は全く異民族と言っても良いほど異なる人々が、同じ国土に同じ姿かたちで生活している。区別の仕方はいくつかあるが、音楽を例に取って以下に示そう。

1.     演歌派

ヤクザ、暴走族に多く見られる人種であるが、日本の社会に広く分布、生息しており、このため少数派ではあるが、日本社会を支配している。演歌を歌わないが、心情的には演歌派という人が多く、これが彼らの日本支配を後押ししている。彼らはほとんどパターン化した思考の持ち主で、喜怒哀楽まで完全にパターン化しており、理屈が全く通らないので注意が必要である。

彼らの価値観は「義理と人情」をベースに「命」「根性」「情」「酒」「涙」といったキーワードの組み合わせで成り立っており、相互の論理的繋がりや必然性は全く関係ない。表向き「金」を忌み嫌うが、その実全てを金で解決しようとするので、非常に理解し難い。日本の友人も分からないとのことなので外人にはなおさらだ。

例えば、最近ではホリエモンという若きカリスマ経営者が放送局のM&Aを行ったとき、当事者達は盛んに「情」の大切さを説き、「金が全てではない」と言ってはホリエモン氏を非難していたが、結果はそう言っていた本人たちが金で解決した。

日本人がこれらのキーワードを口にし始めたら、前提条件も理屈も約束も全く無視してくるので、力で抑えるしかない。力とは「暴力」「金」「権力」である。もっとも演歌派であろうと無かろうと、この3つに逆らえる日本人はほとんどいないので、日本人を押さえる場合コレに勝るモノはない。間違っても論破してはいけない、論理的に負けると日本人はパニックに陥り「理屈はいい」とヒステリーを起こすからである。論理のやり取り即ち議論の場においてさえ、彼らは当然のようにこのような主張をし始めるので要注意だ。

日本で「暴力」「金」「権力」を持っていれば、殺人以外のありとあらゆる事を思いのままに出来る。実際には人の命まで自由に出来るので結果的に殺人も可能となるが、詳しくは後日別稿にて述べたい。

・・ ・つづく

【今日の悪口】

     日本人は喜怒哀楽までパターン化している

     「暴力」「金」「権力」に逆らえる日本人はほとんどいない

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2005/04/23

■中国の抗日デモと日本の戦後処理について

ここのところ、中国の抗日デモがエスカレートしていて、これに呼応するように日本でも中国への悪感情が高まり、ネット上では中国を罵倒する書き込みが盛んだ。これを報道するTVの報道番組では識者達が、あれは中国の愛国教育による国内不満のガス抜きなどどとしたり顔で解説しているが、だから何なのだろう。

そんな分かりきったこと言われなくたって、デモの中心は戦争を知らない若い労働者なんだから、見りゃ分かる。少なくともオピニオンリーダーならその先を言って欲しいものだ。世界に散らばった華僑を見るまでもなく、彼の国はしたたかじゃないか。大きな視野での長期的国家戦略が日本には決定的に欠けていて、国内不満の矛先を愛国教育で日本に向け、その結果の抗日デモと分かっているなら、その先に尖閣の占領があることは目に見えているではないか。叩かれた棒に怒るのではなく、誰が棒を持っているか考えて欲しい。

中国の軍隊ではなく、抗日デモの延長で、今度は武装市民が尖閣に上陸したら日本はどうするのだろう。先の市民が乗り込んだ時とは違って武装しているから、簡単には逮捕・強制送還とはいくまい。相手が武装しているからといってギャングではないのだ、愛国心に燃える中国国民に日本政府が発砲できるだろうか。もしも流血の惨事となったら、自国民救出に中国の軍隊が乗り込んでくるだろう、なにしろ愛国無罪なんだから。

そして次は八重山辺りの無人島が狙われ、そのうちには沖縄や対馬が狙われるかもしれない、これらを急にやればさすがの日本人もブチ切れるだろうが、何しろ日本人は物事の本質よりも既成事実の積み上げといった対処療法に弱いから、ジワジワと既成事実化していくと、国民もマスコミもそれほど騒がないだろうし、騒いでもそれだけのこと。何もしないから時間と共に既成事実化してしまうだろう。韓国の竹島実効支配はその典型だ。

例えば、日本は竹島が日本の領土だと主張しているようだが、韓国の軍隊が駐留し韓国の観光客がパスポートも無しに行き来している。日本の領土なら自衛隊若しくは警察が彼らを逮捕すればよい。こういうと、自衛隊には憲法9条の縛りがあって交戦権がないとか、国際紛争解決に武力行使出来ないとかいうが、それじゃ張子のトラそのものだ。

中国や韓国・朝鮮は自衛隊が張子のトラとは気付いているから、日本なんて屁とも思っていないが、ODAなんかで日本に期待してる国が多いので国際世論が気になるし、実際彼らもその恩恵に与っていたので、日本とことを構えなかっただけ。でも、或る程度の国力も身についてくると、別に日本に気兼ねはいらないから、何らかの理由があれば日本をやっつけようと虎視眈々と狙っているのだ。北朝鮮も同じで、日本は単なる金ヅルでしかなく、埒問題で日本がどんなに怒った所で屁でもない。

ネット上では、彼らを知性の欠片もないバカ・アホ・破廉恥と罵っているが、だったら日本が武力を誇示するしかないことは明らかだろう。持っている武器を使えもしないくせに、東シナ海を挟んで田舎ヤクザのへっぽこ喧嘩よろしくがなり合ったところで、もし相手が本気になったら、オニーチャーンとアメリカに泣きつくしかないのだから、集団ヒステリー以外の何物でもない。

だったら、かの国と同じレベルに降りてワイワイ騒いだりするよりも、憲法改正を叫んだ方がよほど効果的だ。本気で日本が再軍備したり軍事大国にはなって欲しくはないが、一連の抗日運動が日本における憲法改正の気運を盛り上げているとの構図は、相当なインパクトがあるはず。加えて、これはあくまで日本の内政問題でありしかも先の大戦とは論理的に何の関係もなく世界標準の話だから、文句を言われる筋合いもない。

しかし内政問題と言えば、よく教科書問題とか首相の靖国参拝・A級戦犯合祀を内政干渉と言い切る人がいるが、それはムリがある。日本は国家としてサンフランシスコ平和条約でA級戦犯を認め、国家神道を否定し、思想信条や宗教の自由を憲法に謳い、靖国神社を宗教法人としていながらでは、日本人がいくら国内で強弁を繰り返しても、論理矛盾はどうしようもない。が、この論理矛盾に全く無頓着に議論する日本人の精神構造は、全く驚愕すべきものだ。

戦後処理の解釈にしても同じで、日本人はよく7兆円のODAを行ったとか、何回謝罪すればよいのかとか、いつまで戦争責任を言うのかとか言うが、それが何なのだろう。ODAはODAだし、謝罪はこちらがいくら言ったところで相手が納得しなければ謝罪ではない。何も明確に決着を定義しないでおいて、時間が経てば、過去は水に流そうなんて都合の良い考えは世界には通用しない。

何故、日本は明確に戦後処理をしないのだろうか。例えば賠償金を7兆円と双方で合意して払っていたなら何の問題もないのに、賠償金と言わずにODAとしてたまたま援助した額が7兆円になったからと言って、それを後になって賠償してると言っても、これはズルイ。交通事故を起こした相手に金品を貸したり与えたりして、示談交渉をヌラリクラリ引き伸ばし、そのうちそれで良いだろうでは誰も納得しないばかりか、バカにするなと言いたくもなるだろう。

本当に日本人は物事を曖昧にするのが好きだ。あとで言い逃れしたりする場合日本人はこれを便利と思っているようだが、世界から見たなら卑怯な行為だ。第一、曖昧にして自分が助かっても、逆の立場では損するからトータルでは得なことはないのだが、この辺が日本人特有の足の引っ張り合いからくる減点主義への、言い訳主体の文化なんだろう。

【実験・実証予告】
本ブログでは靖国問題に関して、①サンフランシスコ平和条約との矛盾、②憲法(信教の自由)との矛盾を指摘します。SF条約を受け入れ一度は戦犯や戦争責任を認めておきながら、キチンとした総括をしないで後になって、アムネスティ条項で罪は償ったなどといってA級戦犯が合祀された靖国に国家元首が参拝するのは何とも卑怯だ。一度謝っておいて後からこれを否定すれば怒るのは当然。このことをこのブログ上で実証しようと思う。

靖国派の日本人は、靖国問題を少しでも批判するとたちまちヒステリーを起こし、ヒステリー故にこちらの論点や論旨は全く理解も出来ず、単語にだけ反応し、全く見当違いの反論をしてくる。見当違い故に簡単に論破でき、その結果、理屈でかなわないから、さらにヒステリーが高まりタダの感情論で、言い方が悪い謝れとなるのがオチだ。

こうなると靖国派は靖国問題を擁護すると言う本来の目的はどうでもよくて、ただこちらを謝らせる事が目的となっていて、典型的なサル棒ニッポンジンを演じてくれるだろう。で、とりあえず謝ってあげると、それで満足する。つまり議論が出来ないのだ。議論して相手を論破し納得させ説得することは端から眼中に無く、ただただ形だけ相手を屈服させればそれで満足なのだ。傍から見れば、バカを相手にしてもしょうがないから謝っておけば満足なんだろうということなので、これほど人をバカにしたことは無いのだが本人は気付かない。

で、一旦はこうして謝っておいて、しばらくしてから、それはそうと(靖国派の)彼の言っていることはこれこれ・こういう点がおかしいと指摘しよう。すると間違いなく、再びヒステリーを起こし、謝っておいてその態度は何だと歯を剥き出し噛み付いてくるだろう。

そこで、あなたが怒るように、だから中国も怒るのですと教えてあげるのだ(が理解は出来ない)。・・・・さて、ここまで完全に人を操れるだろうか。私は出来ると思う。人はなかなか思うようには操れないが、サルなら操れる。これだけ予告されバカにされても見事に私の挑発に乗り、この予告通りの反応をするイエローモンキーを半年以内にお見せすることをお約束しよう。

ところで、ここまで見事に術中にはまっても、彼にはこちらの指摘は理解できないだろう。何しろ理解することは敗北と思っているから。これでは進歩は無い。こうしてバカに付ける薬は無いことを実証することもお約束しよう。

ヘイ・カマン・イエロー・モンキー!!!

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