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2005/05/10

■JR西日本事故報道に見る日本人の気質

1.ムードだけで論点不明の報道と評論

この事故は100名を越える死者を出し、未曾有の列車事故となったが、当初の事故報道以来、一貫して不可解な点がある。それは報道や評論における論点が全く不明で恣意的なことだ。

事故現場においては、①先ず人命救助が最優先であり、②次に原因究明し③事故再発防止に努めると共に、④公共利便性の確保すべきであろう。ならば、報道の使命は第1に、公器としてこれらの客観的事実を知らしめる事にあり、第2にそれら事実の解説や評価、第3に対応策の提案となろう。

しかし、一連の報道を見る限り、事実を客観的に報道しているとは到底思えず、ヒステリックで情緒的報道が目に付いた。例えば、最初からJR西日本の幹部を悪者と決め付け、何を言ってもやっても悪く言うのはいかがなものか。

スピードや線路置石説はじめとする原因の報道では、各社が専門家と称する人々とともに無責任な推測をしておきながら、当初JR西日本からの粉砕があったとの報告を、責任逃れでケシカランと言うが、その時点で粉砕痕があり置石の可能性を示唆しただけであり、幹部社員の会見でも断定はしていなかった。

また問題のカーブは時速133kmまでは脱線しないし電車の最高速は120kmまでしか出ないとの説明も、そういう設計であるということである。

どれをとっても至極当然でそれ以上でもそれ以下でもない、客観的事実と設計内容を述べているだけであり、その事実や設計が事実と違っているならば、その間違いを正せばよいことであるはずなのだが、そういう本質的な議論にはならず、JR幹部を吊るし上げようとする姿勢が目立った。冷静に見ればJR西日本側の発表の方が、ヒステリックにわめき散らす報道よりも事実を正確に伝えている。報道や評論の論点は一体何なのだろう。事実を正確に伝え、警鐘を鳴らすと言うよりも、誰かを血祭にしてやろうと血眼になっているようにしか見えない。

2.無責任な原因説

例えば、当初JR西の粉砕痕による置石の可能性ありとの発表に対し、後になってスピード超過による転覆説が有力になると、そら見たことかと非難するが別にJR西日本は置石が原因とは断定していないし、あくまでそれぞれの時点での情報を正確に述べただけである。それに対してニュース番組では鉄道アナリストだの学者、貨物の運転手などが、全く無責任な推理を展開している。

自分達の興味本位で無責任な推測を棚に上げて、重箱の隅をつつくような或いは揚げ足を取るような報道は、見ていて情けなくなる。別にJR西を擁護するわけではなく、マスコミには事実を責任持って客観的に報道してほしいのだ。

曰く、事故の原因は過密ダイヤ、過酷な労働条件、厳格な定時制確保、利益優先の企業体質等々。はたまた最近では車両故障説とか。過密ダイヤというなら首都圏の電車は?過酷な労働条件とは具体的に何だろう、JR西が悪いのは分かりきったこと、事故を起こしているのだから。そんな感情論よりも頼むから具体的に他の鉄道会社の労働条件との違いを報道して欲しい。

問題の区間の手前の区間で、停車駅が増えたにも関わらず到着時間が変わらないことを挙げ、ムリがたたったとする報道にも首を傾げる。事故区間での時短なら分かるが、手前の区間である。いったい何の関係があるというのだろう。

3.ウップン晴らしが目的で、本質はどうでもよい日本人

また、厳格な定時制確保の余り社員にプレッシャーが掛かったと言うが、それがJRの使命であり社員の職務ではないのか、まして人命をあづかる公共交通機関だ、ミスを犯すことにプレッシャーが無いならそっちの方が問題ではないか。受験生にハッパを掛けたり、遅刻生徒を廊下にたたせたらプレッシャーを与えたけしからんと言われるのだろうか。

プレッシャーの与え方が問題とするならそれはJR西日本の労使間の問題であろうし、安全確保に重大な影響があるとすればそれを放置した労組にも重大な責任があるはず。TVでも労組幹部の発言は全く他人事で、自分達がその構成要素となっている組織という認識が全く無い。

にも関わらず、これに何の疑問も呈しない報道を見ると、報道に限らずヒステリックなネット上の議論においても、日本人のほとんどが、原因究明や再発防止に名を借りて、誰かを血祭りに挙げることに夢中であることがわかる。

彼ら日本人には100名を越す犠牲者の事故の教訓など実はどうでも良くて、人命尊重や責任追及に名を借りてうっぷん晴らしをしたいだけなのだ。国土交通省は問題の区間に新型ATSを設置しなければ運転再開を認めないと言うが、そうであるなら他の区間も日本全国すべて新型ATSの無い区間は運行中止すべきである。当該区間だけそのような措置を取るならば、人命尊重よりも懲らしめを優先していることになり、日勤教育批判に矛盾する。何より利用者が不便極まりないだろう。

私には、この一連の本末転倒した報道を見るにつけ、この報道に日本人が何も疑問を抱かないとしたら、彼らの価値判断基準・優先順位がいったい何なのか、全く分からない。おそらく彼ら日本人にとっては天下国家や大事故・災害の教訓や再発防止などよりも最も大事なことは、誰かを血祭にあげての鬱憤晴らしなのだろう。

4.鰯の大群のような日本人

かつて日本には日米安保闘争があったという。あるときその闘争を青春の思い出として語る人がいた。彼に、青春を犠牲にしてまで何故安保条約に反対したのか聞いたところ、その理由はおろか、安保条約そのものを知らなかった。

驚くべきことに彼はムードだけで、自分の青春や人生を掛けた反政府活動を行っていたのである。ムードだけで論点が無いのだ。論点不明のまま彼らは議論をし、目的や到達点が不明のまま集団で行動する鰯の大群、これが日本人の体質なのである。

今回の電車事故に対する日本人の対応にもそれがよく現れている。

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コメント

イザヨ・ベンダソンです。
tsujita様、ご訪問ありがとうございます。
このサイトで私の日本語表記を手伝ってくれているF氏も感謝しております。

F氏曰く、未だ試験運用中なのでオハズカシイそうです。I think so.

投稿: イザヨ・ベンダソン | 2005/05/11 23:52

祝 ブログ開設!
これからちょくちょく寄らせてもらいます。

投稿: tsujita | 2005/05/11 22:43

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