« ■JR西日本事故報道に見る日本人の気質 | トップページ | ■ 靖国問題に見る日本人の非論理性 »

2005/05/11

■100人の命より大事な事

再び、脱線自己の話をしたい。未だ原因が特定できていないので断定は出来ないが、スピードの出し過ぎが原因或いは原因の1つであることは間違いなさそうだ。もしそうであるなら、これは運転ミスという人災だ。

ところが、当初から犠牲者遺族やマスコミは運転手に同情的で、あたかも彼も被害者で有るかのような報道が目に付く。曰く、直前の駅でオーバーランし、遅れを取り戻そうと焦っていたとか、日勤教育がプレッシャーになっていたとか。あたかもそういう状態に追い込んだ会社が悪くて、運転手はその被害者であるということらしい。

しかし、これは大変な論理矛盾ではないか。この論理は人命尊重・安全確保を論点としており、会社は最も大事な人命・安全より利益を優先していると言いたいのだろうが、人命尊重・安全確保を論点とするなら、運転手は、オーバーランの責任追及から逃れたいという、個人の利益を人命より優先したのだから。

会社が運転手に与えたプレッシャーは、定時制確保の為であり乱暴な運転をさせるための日勤教育ではない。日勤教育の草むしりが安全確保に役立つとは思えず、見せしめにしか見えないが、少なくとも危険には結びつくまい。草むしりと安全確保はトレードオフではないのだ。もし草むしりが直接危険に結びつくのならその理由と根拠を明確にして、報道するべきだろう。

例えば草むしりや反省文を書かされる事は、日勤教育に名をかりた人権侵害・苛めの可能性大だが、あくまで懲罰即ち叱り方の問題である。懲罰が怖くてオーバーランを過少申告したり、挙句にスピードオーバーしたりするのは懲罰が悪いとするなら、その結果100人の命が失われたのも懲罰のせいだとするなら、交通違反で切符を切られるのを逃れるために、人をひき殺しても、道路交通法という懲罰が悪いとなる。盗んだところを見つかったので殺した、だから窃盗罪が悪い。と、こういうことだ。運転業務から外されるのが怖くてムリをしたことが原因で、それが正当化されるなら、運転業務と言う仕事は100人の命より大事なことなんだろう。

だが、よく考えて欲しい。罰とは元々見せしめでありプレッシャーが無ければ意味が無い。その究極が死刑だろう。一人殺すも二人殺すもどうせ死刑だ、と犯人が犯行を繰り返したからと言って、死刑制度がなくならないのは見せしめによる抑止力のためだろう。

と、ここまで書いてきてハタと困った。日本では交通違反した犯人を、警官が追跡していて、犯人が逃げる途中に事故を起こすと、警察が悪いとなることを思い出したからだ。警察が職務を忠実に実行しても、その過程で犯人がさらに事件や事故を起こすと、その怒りの矛策は犯人ではなく警察に行くのだ。

同様に、今回の事故でも事故車両に乗り合わせて、それでもその後職務に忠実に従った2人の乗務員の処分が検討されていると言う。人命の安全確保という職務より、自己保身優先で100人の命を犠牲にしても非難されず、職務を忠実に実行すると糾弾される。この国の正義とは一体何なのだろう。

※この記事をアップした後、どうやら事故原因がほぼスピード超過と発表されたらしいことに気付いた。本稿が主張する運転手のミスのよる人災が明らかになったようだが、しかし仮にそうではなく置石等他に原因があったとしても、本稿の論旨には何の影響も無い。脱線しようとしまいと、直接の原因であろうと無かろうと、自己保身のために乗客を危険にさらした未必の故意に変わりが無く、その結果100名の人命が奪れたのだから

|

« ■JR西日本事故報道に見る日本人の気質 | トップページ | ■ 靖国問題に見る日本人の非論理性 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101905/4087612

この記事へのトラックバック一覧です: ■100人の命より大事な事:

« ■JR西日本事故報道に見る日本人の気質 | トップページ | ■ 靖国問題に見る日本人の非論理性 »