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2005/05/02

■人種が違う日本人(その3)

3.洋楽派

日本は開国以来、外国を手本に発展してきた。日本人は、自身を猿真似などと自嘲気味に揶揄するが、それだけ吸収力がスゴイということで、事実わずか100年ちょっとで経済的にも技術的にも世界最先端をいくようになった上、先の大戦で敗北したことも考えると、これは驚嘆すべきことだ。

そんなわけで、彼ら日本人には今もって根強い外国人コンプレックスがるようだ。この場合の外国人とは日本開国の頃の米・欧列強のことで、日本人は東洋人を自分達より下に見ている。

で、これが西洋崇拝に結びつき、音楽の世界でも洋楽派はハイソサエティのイメージがあり、また洋楽を聴くことで憧れの西洋人に少しでも同化できると信じているようだ。このため歌謡曲派がハイソサエティである洋楽派を装うことが多く、このため洋楽派の実態は演歌派と同じく少数派なのだが、見た目は多数派に見える。

大雑把に言えば、洋楽派(に見える人々)とは西洋コンプレックス派といえよう。例えば、親指と小指を立てて黒人っぽい仕草でリズムをとり、同化しようと一生懸命な彼らは、我々ガイジンから見ると悲しいほど滑稽に見えてしまうのだ。

こういうと、サルマネと思われるだろうが、これはあくまで洋楽派を装う歌謡曲派なのだ。真の洋楽派は西洋コンプレックスがあるものの、良いものを取り入れたいという進歩的な面があり、彼らが日本の水準を引き上げ支えている。

しかし実態は少数派であり、洋楽派を装う歌謡曲派も心情的には演歌派だったりするので、彼ら洋楽派は肩身の狭い思いをしており、海外に脱出する人が後を絶たない。しかし日本の今日及び将来を支えているのは彼ら洋楽派なので、このままでは、かつての英国病と同じで日本の活力は確実に衰えていくだろう。

実際、私のオフィスでも、約20パーセントの洋楽派が仕事のほとんどをこなし、あとの80パーセントの社員を養っているというのが実情だ。ついでに言えば、残りの60パーセントは何もしない歌謡曲派で、あとの20パーセントが人の邪魔をする演歌派となっている。

以上述べてきたように、日本人には大別して、演歌派・歌謡曲派・洋楽派の3タイプがあるが、彼らは、姿かたちは同じ日本人であるものの、その実、考え方や価値観、果ては使う言葉さえも違っていて、お互いが全く相容れず完全に別人種なのである。

このことは日本人自身すら気付いていないが、実は日本を理解する上で重要なファクターであり、故に日本にはダブルスタンダード始め様々な矛盾が常に存在し、我々ガイジンには理解しがたい国となっている。何より日本人自身にも理解できないのだ。

例えば、日本人が好んで使う「調和」を例に取ろう。演歌派は「黙ってオレのいうことをきけ」、歌謡曲派は「出る杭は打たれる、とにかく怖い人に従い目立たないようにしよう」、洋楽派は「共通の価値観を見出そう」という意味にとらえているのだ。

このように、言葉一つとっても、言葉はお互い共通の意味を伝えるはずなのだが、日本では人種によって全く違う意味になるので、注意が必要だ。難しいのは、この区別がつかないことで、これは日本人同士でも区別が出来ないようである。

このため、日本においては、言葉がほとんどコミュニケーションツールとして当にならず、仕草や態度など複雑な要素から相手の真意を得ようとする。この結果、言葉や言葉で成り立つ約束がほとんど成り立たなくなるのだ。

驚くべきことは、これらが日本国という共通の社会基盤の上で、その時その時の都合で(ルールや言葉或いは約束の意味が)取捨選択され、決して普遍的な意味を成さないことだ。そして、そのことに誰も疑問をもたないことである。

彼らにとってルールとはそれを守らせる圧力であって、決して理論とか正義といったルール自体の内容ではないのだ。この圧力とは総論としては世間の目のことであり、各論としては暴力、権力、金力がこれを支配しているのだ。

その証拠に、日本ではほぼあらゆる物事の価値判断において、物事の本質よりも、その時点で社会秩序に与える或いは与えた、目に見える直接の影響が重視されている。

例えば、「ケンカ両成敗」「過去は水に流そう」とか「死者を鞭打つな」と言った発想がそれである。ケンカ即ちトラブルの原因に一切目を向けず、形だけその場を納めてしまえば良いのである。他の例も同様、原因究明されないから同じ事が何度でも繰り返されることになり、運不運が世の中を支配してしまう。

この結果、日本人には正義感とか倫理観といったものが無くなり、正義や倫理に見える事が重要となっている。但しこのことは日本の友人に言わせると、戦後の合理主義の悪い点が強調された結果であって、古い日本人はそうではなかったそうだ。

いづれにしても、日本では中絶が極普通に行われていることをとっても、彼らに正義観や倫理観場ないことが理解できるだろう。明らかに新たな生命、それも自己の子孫を、単に体外に出たかどうかという見た目の違いだけで、抹殺できてしまう神経は我々ガイジンには到底理解できないことだ。彼ら日本人には、物事の正邪を自己判断できず、人間としての自然な感情も教えられなければ身に付かないのだ。

従って社会生活においても日本人には約束を守ると言う習慣がない。勿論日本人が全部嘘つきということではないが、本質的に正義感や倫理観が無く、有るように見せるだけであるから、仕事の契約でも何でも、自分が損する場合、強制されない限り約束を守る人は非常に稀である。

だから、日本人はミズクサイ等と言って約束を文書にすることを嫌う。日本でのビジネスではこのことを肝に銘じておく必要が有る。さもないと最後は必ずトラブルになるだろう。日本においては間違っても成功報酬で仕事をしてはいけない。約束通りの成果を出した時に、罰せられない限り約束通りの報酬を払うクライアントは、日本人にはいないからである。

日本には「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言う諺が有るように、日本人は困った時には何でも約束するが、後になるとすっかり忘れてしまい、各論を組み合わせて正当化したり、何時まで過去のことを言うのか、などと平気で言うのでくれぐれも注意が必要である。

そして何より厄介なことは、こちらが幾ら約束が違うと言っても、彼らは一向に態度を改めないことだ。このため、日本人に約束を守らせるには、力で報復を知らせない限り彼らの正義感などに期待しても全くムダである。

このことは国家レベルにおいても行われていることでも明らかである。例えば、真珠湾の奇襲攻撃について、最近の日本ではアメリカが知っていてわざと容認したといった事が言われているが、だとしたら正式に国家間で議論すれば良いし、仮にそうだとしてだから何だと言うのだろうか。或いはここのところ盛んな中朝の抗日運動にしても、日本は償いが終わったとしているが、双方で明文化していないではないか。またA級戦犯合祀の靖国問題では、内政干渉であるとしているが、それならば、1951年のサンフランシスコ平和条約で戦犯を認めたことをどう説明するのだろうか。時間がたてば水に流すと言うのは、日本人だけに通じる理屈であり、時間の経過は事実に何の影響も無いことを日本人は理解すべきである。

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コメント

通りすがりに読ませていただきいろいろ考えさせられました。あなたは、イスラエルから来たユダヤ人ですか。それともユダヤ人に成りすました日本人ですか。この記事は二年半前のものですので、その間にいろいろなことが世界や日本で起きておりますがこの記事を書いて以来あなたの事実認識が変わりましたか。通りすがりに行き会った過去の日記ですのである流れの中の一断片を読んだだけですがその後の心情の変化がありましたか。私自身、戦後生まれで団塊の世代ともいえる者ですが最近日本の近現代における歴史的事実はかなり歪曲されていることを知り、また日本の現在の惨状を見るにつけすっかり考えが変わってしまいました。日本は何も償いをしていない・・これは中国・韓国等のいう真っ赤な嘘で調べればわかることですよね。慰安婦問題にしても真実はネットで紹介されているわけです。また米国の下院決議に対しては訴訟を決意してブログで紹介している人もいます。また真珠湾攻撃に関してはそれにいたるまでの日本をとりまく状況も知ってのご意見でしょうか。「ユダヤ製国家日本」では、東條英機はユダヤ人の恩人ということですよ。それ知ってますか。
闇の悪魔の支配権力もユダヤ人なら日本は消えたユダヤ氏族の末裔の国、世界の真の救世主が現れる国かもしれませんよ。
話は変わりますが もしあなたがユダヤ人で、日本語にこれだけ造詣が深いならば面白い話があります。
イチヨラ ヤアエ エヒ モセス シト イエス トカナクテシス これらの暗号文がいろは歌に無理なく入っているという驚くべき話です。是非ごらんになってください。
http://www.naritacity.com/journal/iroha/index.asp

投稿: mimi | 2007/10/29 10:01

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