« 2005年5月 | トップページ | 2005年8月 »

2005/06/29

■談合摘発の目的は何か

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050629-00000002-yom-soci

日本道路公団発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事をめぐる談合事件で、公正取引委員会は29日午前、3社を独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで検事総長に刑事告発した。これを受けて東京高検は、千代田区の公団本社などの捜索に乗り出した。

さて、いつものことだが、一罰百戎のつもりなんだろうか。それともタダのパフォーマンス?一罰百戎のつもりならば、元を断たなきゃ、つまり発注者を取り締まらなくては何の意味も無い。

発注者は、平然と不正があったとは思わないと放言している。おそらく証拠が無いからとタカを括っているのだろうが、一方では物的証拠も無く動機も不明のまま状況証拠だけで、和歌山市毒物カレー事件では有罪判決が出ているのだ。官憲がその気になれば立証できるはず。

談合に応じない業者が指名に入れば、確実に落札価格は7割以下に下がる。この現象は今のところ、100パーセントの確率で常に起こっている。この仮説は反証可能だから科学的だといえよう。そして、反証できないであろう事も予想できる。つまり反証できるまでは真と言え、且つ反証できそうも無い。

何より、談合に応じない業者は、官により締め出されてしまうのだ。では、パフォーマンスだとしたら、どうだろう。しょっ引かれる当事者はたまったものではないだろう。どちらにしても、摘発された業者は已むに已まれず談合しているのだ、闇米を食わなければ餓死するのに取り締まるようなもの、戦後60年経っても本質は変わっていない。

なんともはや、この国の後進性はあきれたもので、賄賂がまかり通る某国を笑うことはできまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/06/16

■ひめゆり騒ぎに見る、単語に反応する日本人

拙稿http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3866740 では文意を理解せず単語にだけ反応する日本人を書いたが、格好の例があるので紹介しよう。こちらをご覧いただきたい。

http://www.topics.or.jp/Old_news/m050615.html

http://www.asahi.com/life/update/0609/007.html?t

 青山学院高等部の英語の入試問題に、沖縄戦に動員されたひめゆり学徒による戦争体験の証言が「退屈で飽きてしまった」とする文章が出題されたという。ひどいことをするものだ。元学徒たちの気持ちを思うと胸が痛む

と言うことなんだそうだ。ひめゆり体験証言を退屈であると言うのなら、確かに酷い。だが本当にそうなんだろうか。こちらをご覧いただきたい。

http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf 4ページ目にいくと問題の長文があって読むことができる。で、念のため、その日本語訳がこちら。

http://blog.goo.ne.jp/bambamtang/

どうです、皆さん。いったい何が問題なんでしょうかね?

問題文は「ひめゆり証言」の内容ではなく表現方法について述べているだけである。さらにはご丁寧にも、「彼女の話がまったく意味のないものであったとはいうべきではない。真実や戦争の経験を次の世代に渡すことは大切な仕事である。」とさえ明確に述べているのだ。

大切なことであるが故に、正確に伝えることの大切さを述べているのだが、記者には伝わらなかったらしい。と言うより、記者は本当にこの問題文を読んだのだろうか?と言う疑問すら沸く。なにしろ明確に「ひめゆり証言」が大切であると述べているのに、逆に受け取っているのだから首を傾げざるを得ない。

例えば、厳粛な葬儀で、不謹慎とは知りつつ、あるいはその故人への思いは決して軽くないにも関わらず、あまりに冗長な挨拶に退屈を感じてしまったことが、あなたにはないだろうか?つまり、そもそも話方の退屈さと、話の対象となる故人や過去への思いや評価とは別の問題なのだ。

ここに単語にだけ反応し、文章を理解できない日本人の典型を見ることが出来る。恐ろしいのは、文章を理解できないこういった人々が、ジャーナリストと称し公器に文章を書いている点だ。当然その文章は内容の無いものになってしまうだろう。

さらに言えば、そもそも私学の試験問題の、単なる題材に対して、マスコミがクレームを付けること自体、おかしくないか?これでは検閲であり内政干渉だろう。検閲を最も忌み嫌うマスコミがこういうことをやっていては、どうにも話にならない。

それにしても、ちょっと批判記事が出るとホイホイ謝る青学も青学だ。と、言いたいところだが、うっかり反論しようものなら青学バッシングが起こったことだろう。何しろ当事者が怒ってしまったのだから、これでは何も言えない。

http://www.otv.co.jp/newstxt/news.cgi?mode=detail&code=20050610191963&pline=&keyword=&andor=&input_yms=&input_yme=&type=君子危うきに近寄らずとは言え、何が危うきか分からないから難しい。疲れるなあ・・・・この国は。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/06/08

■勝った!

日本の皆さん、おめでとうございます。宿敵(?)北朝鮮に勝ちましたね。

柳沢の先制ゴールも見事だったけど、大黒の大活躍には鳥肌が立ちましたね。それにしては、試合後の大黒選手のインタビューがほとんど無いのが、ワタシとしては不満だな。

妙ーに、彼が控えめなのも気になるなあ、まあでも彼の実力はどうやっても押さえようが無いな。とりあえずサポーターの皆さん、ごくろうさまでした。ニッポン、バンザイ!!!

でも、北がこれでミサイルぶっ飛ばさなければ良いが。何たってサッカーで戦争が起きるんだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/06/06

■首相の靖国参拝は外交カードになるか

小泉首相は希代の名宰相だと思う。内政における構造改革にしても、外交におけるイラク派兵(?)にしても歴代総理では成しえなかったと思う。そんな中どうしても理解できないのが靖国参拝だ。

曰く、「内政干渉だ」、「罪を憎んで人を憎まず」等々、首を傾げる小泉首相の発言が相次いでいる。何故小泉首相はこれほどまでに靖国参拝に拘るのだろうか。そこまで拘るのなら何故、「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」など立ち上げたのか、単なる思い付きだったのだろうか。また過去いくつかの外交舞台では反省と謝罪を述べているが、これも単なる思いつきなのだろうか。

小泉首相の他の政策に比べ、靖国参拝は余りにも雑に見える。そこで考えられるのが、北朝鮮式外交戦術。つまり相手の嫌がることをやって、要求を聞くなら止めるというものだ。あくまで荒唐無稽の想像だが、確かに靖国参拝は中国が騒げば騒ぐほど、対中戦略の外交カードとして高く売れそうだ。

中国に対し、そんなに言うのなら靖国参拝を止めるから、日本の国連常任理事国入りを認めろ、とか尖閣を荒らすなとか要求するという手だ。もし、そこまで考えて小泉首相がやっているとしたらたいしたものだが・・・・。

ま、しかしこれは笑い話だろう。もし首相の靖国参拝が対中外交戦略のカードになるなら、その時点で日本のやり方は北と同じで、傍若無人ぶりが世界にアピールされたことを意味するから、どちらにしても中国の勝ちとなるからだ。

でもないかな?!うーむよく分からない。分かるのは小泉首相がどこまで本気なのかが分からないということ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2005/06/02

■山口判事・餓死事件

その昔、終戦間もない昭和22年頃、山口判事と言う方がいた。時の政府は「食糧統制法」の下、殆どの食糧の徹底的な管理をしていたが、食糧難で国民全体が餓えていて、国からの配給では満足に食べられず、都会の人達は東京近郊や郊外の農家に食糧を買出しに押しかけていた。

この法律、一体何のためだったのだろうか、飢えた国民が折角、農家から米(ヤミ米)を入手しても、列車や道路で警察官に発見されると没収されるのだった。そのような時代にあって、山口判事は「自らヤミ食糧を取り締まる立場であり、自分がヤミ食糧を購入し食することは許されることではない」と一切のヤミ食糧を拒否したのだ。

昭和22年10月11日東京地方裁判所の経済統制担当・山口良忠判事(当時34歳)が、ヤミ食糧を拒絶して餓死したことは、死後20日余りたった11月4日、朝日新聞が「食糧不足が生んだ英雄」とスクープ記事を掲載した。「今こそ、判検事は法の威信に徹しなければならぬと、ギリギリの薄給から、一切のヤミ(食糧)を拒否して配給生活を守った」という。

山口判事は妻の矩子さんに「経済犯を裁くには、その人達が罪に落ちる直前の苦しみ、立場に立たないと正しい裁きはできない・・・これから僕の食事は必ず配給だけで賄ってくれ」と話したそうだ。

以降、同僚判事達が密かにヤミ食糧を食していることも無視して、ひたすら配給生活を続けた。この頃の配給米は1日・二合五勺であったが、遅配も10日前後は当たり前であった。この間、妻の実家から食糧の差し入れも一切拒否し裁判所での勤務を続けた。

だがこの当時、ヤミ食糧買いの検挙者は増える一方で、山口判事は1日で100件を超える審理と処理に追われていた。山口判事の栄養失調は危険な状態となり同年8月27日東京地裁の階段で倒れた。その後、病状を回復させるだけの体力は無く、10月11日息を引き取った。判事の立場であれば、いかようにも食糧を買えたはずだが、山口判事は自らの職業的倫理観に従って餓死を選んだのだ。

男の中の男とはこういう人を言うのだろう、正に英雄だ。さもしたり顔で死んでは元も子もないなどと言う無かれ。誰からも強制も責められてもいないのに、自らの倫理観に照らして、自らを律する、しかも自決などと言う派手さでも一過性の苦しみでもなく、死ぬまでじわじわと苦しみながら職務をまっとうするのである。繰り返すがそれを自らの職業倫理観で律するのだ。

さて、昨今の談合取締りはどうだ、談合を容認と言う形で仕組んだ真犯人は役所の中で天下り先に更なる権勢を振るい、これを本来取り締まるべき公取りは見て見ぬふりだ。結局この国の節操の無さは一向に変わっていない。だが、少なくとも60年前には堂々たる職業倫理観を持ち、死をもって国家に抗議した漢が一人はいた。

山口判事の前には、どんなたいそうな理屈も霞んでしまう。彼の銅像がどこかに立っているのだろうか。最高裁とか検察庁や警視庁の入り口にでもデンと置いて欲しいものだが、恥ずかしくて出来まい。少なくとも日本国民は山口判事を誇りに思って欲しいものだ。

私は彼こそ、近代日本が世界に誇れる人物だと思う。それにしても日本はこういう正義に対してホントに冷淡だ。ほとんどの日本人が山口判事を知らない。余りに潔癖過ぎて自分と比較するのが恥ずかしいからだろうか、うーむニホンジンよく分からない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/06/01

■その3:靖国は日本人の心?

靖国を他の宗教施設と一緒にするとはなにごとか、と怒る人々がいる。そりゃ、自分が信じるものが一番だろう、否定はしない。どうぞご自由にだ。何を信じようとその人の勝手だからだ、だから信じないのも勝手なのだ。

大事なことは、他人の考えを尊重し、決して自分の考えを押し付けないこと。非常に滑稽な事に、こういうオレが靖国を信じるからお前も信じて当たり前と考える人間に限って、他人への思いやりが大切と言う。

そして、靖国参拝を拒否する者に、この「他人への思いやりの心」が無いと非難するのだ。これでは完全な思考停止状態であり、論理的な話など出来ない。靖国派は「前も信じろ」と言うが、反靖国派は「あなたが信じるように、私も他を信じる」と言っているだけで、他人の心の領域には干渉していないのだ。

ここが重要だ。今一度整理しよう。

     靖国派=他人干渉・支配派。その理由は①戦没者全てを靖国に祀れ、②靖国は一宗教法人、③思想信条・信教の自由、つまり①の主張に対し②③前提条件から、靖国派は他人に自己の考えを強制しているから。

     反靖国派=他人不干渉・自由派。その理由は靖国を否定しないが、強制はされたくないから。

つまり反靖国派は靖国派を許容するが、靖国派は他を許容しない。だから、靖国は靖国として、これとは別に無宗派の追悼施設を設けようと言っても、靖国派は全くこれを認めないのだ。

彼らは、靖国は日本人の心だと信じて、全ての発想をここからスタートさせているから、他人に干渉したり強制しているとの認識が無い。天皇に関しても同じだ、天皇陛下=神なのだ。だから靖国や天皇のことを少しでも非難しようものなら、完全にプッツンし、アラブのジハードよろしく、命さえ危なくなる。

今世界各地で起こっている宗教戦争を見るまでも無く、身近なところにその同じ原理が働いている点に気をつけなければならない。かくも宗教とは恐ろしいものなのだ。だからこそ他人の考えを尊重するルールが必要であり、故には憲法に思想信条・集会結社・信教の自由、平等が謳われ保証されているのだ。

別稿に日本人は自分に都合の悪い約束やルールを守らない民族だと書いたが、正に靖国問題を議論する時にそれが現れている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2005年5月 | トップページ | 2005年8月 »