分からない差別用語
差別用語というのがありますね。メクラとかチンバとは言ってはならない、差別用語だと言うアレです。確かに差別というか蔑視はいけません。ただ、どこからが差別かが難しいし、そもそも、差別自体悪いことのような言いかたも疑問です。
だって言葉自体が物事を区別するものであり、区別と差別の違いはそこに優劣判定が入っているか否かなんです。でも実際は何に対して優劣をつけているのか分からなくて、単なる区別に過ぎない差別用語も多いから、だったら差別などと言うより蔑視といったほうが分かりやすい。
例えば百姓、キチガイ、ツンボの類。百姓は職業を表しているだけ、キチガイ・ツンボも身体機能の一部に障害があることを表しているだけで、いづれも蔑称ではありません。ただ、言われた方はいい気持ちがしないというのも分かります。でも、それはその言葉自体ではなく、意味に不快感を持っているのではないでしょうか。
百姓を農家といっても、キチガイ、ツンボを精神障害、聴覚障害といっても言い方をかえただけで意味は何一つ変わりません。言い方を変えた当初は馴染んだ言い方ではないから、直ぐに意味が理解できず頭の中で翻訳作業がワンクッション入り、ソフトな印象を受けるかもしれませんが、馴染んでくれば同じです。
やがて、後何十年かして、意味が定着すると、「障害者」が差別用語になることは明らかです。そのときはなんと言うのでしょうか。朝鮮をチョンといったり、先生を先コウと言うような蔑称と、キチガイ、ツンボのような区分用語を一緒くたに論ずること自体がオカシイのです。
ずいぶん前のことですが、タクシーに乗った時「この辺は朝鮮人が多く朝鮮学校がある」といったところ、運転手が朝鮮人という言葉に反応して怒り出しました。朝鮮人を朝鮮人と言っていけないなら何と言えばよいのか分からず聞いた所、ますます怒り出す始末で途方にくれました。
おそらく件の運転手は朝鮮人で、かつてそのことで散々バカにされたのでしょう。彼の頭では朝鮮人=チョンとなり、蔑称に聞こえたことは想像に難くないのですが、こうなってしまうと、もうどうにもなりません。区別自体がいけないことになるので、日本人を日本人と言うだけで怒られるようなものです。どういう言い方をしようと解決しないでしょう。
メクラを盲目と言ってもやがては怒られるし、そうなると「眼球若しくは視覚神経に障害を持った方」となり、それでも「障害」とはナンだケシカランとなって、「正常な機能を発揮できない」というと、正常ではないとはケシカラン・・・と延々とつづくのです。
少数派を異常と決め付け、差別する気持ちを変えない限り同じなんであって、小手先の言葉でオブラートに包んでもお互いがメンドクサイだけで何の解決にもなっていないことをお分かりいただければと思うのです。
また、我愚息が小さい頃、我母に対しバサマと言うので、バカモンと怒ったところ、キョトンとして、お婆ちゃんに様を付けて丁寧に言ったのがいけないのと聞かれ、思わず絶句したことがありました。人それぞれ、自分自身の受け取り方にも問題があると言えましょう。
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コメント
>表現方法を変えることより、症状自体の理解を求めるようにする方が大事だと思います
そのとおりです。いっそ痴呆を秀才と言えばよいかもしれません。10年後には「あの人ものすごい秀才なんですって」と顔をしかめるでしょう。
投稿: イザヨ・ベンダソン | 2005/10/01 22:15
痴呆を最近では認知症と言うそうです。これもまた、痴呆というとバカにしたような言い方だからマズイということであるお医者さんが考えたそうです。意味が同じだから変えても意味がないと思います。言葉や表現方法を変えることより、症状自体の理解を求めるようにする方が大事だと思います 。
投稿: 匿名希望 | 2005/10/01 21:45