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2005/10/06

環境運動

tubaru ←(ツバルのある島の様子。この島には9本の椰子の木しか残されていない。椰子などの根は、波から砂の流失を防ぎ島を守っているが、これだけ小さくなってしまうと守りきれず、水没してしまう島だと言われている。)

今年2月に京都議定書が発行しました。これは、2008年~2012年の間に、温室効果ガスの排出量を、1990年のレベルより全体で5%以上削減すると言うもので、日本は6%の削減約束をしています。

一方、この間に大気中の温室効果ガス濃度は8%増加(2003年速報値)してしまいましたので、実際は全体で14%削減する必要があります。議長国であるニッポンの対応はまさに待ったなしの状況です。

ところが、我々市民生活では、なかなかこれが実感できませんし、会社においても同じでしょう。ISO14000Sの認証取得組織でも、実態は審査の事務手続きに追われ、形式だけの対応と言うのが実際のところと思われます。

では国の対応はどうかと言うと、これが珍しくキッチリやってるんですね。かなり早い段階から環境基本法始め個別具体にはリサイクル関係等様々な法体系が整備されています。最近では、今春の国会で成立した物流効率化新法などのように、環境を錦の御旗に既得権益や土地規制から治外法権化する動きさえ見られます。

例えば、この物流効率化新法制定の趣旨には、ボランティアに頼っていてはCO2削減が追いつかないと言う点が掲げられています。このことに象徴されるように、我が国の温暖化防止活動は非情に実態が伴わないと言うのが私の感想です。環境問題の取り組みに関する限り、国民よりも国が一番真面目に考えているなあということです。

実際の市民活動を見ると、環境問題を掲げる市民活動団体やNPOはゴマンといますが、実際に実効的な活動をしている組織は殆どありませんし、その各個人も同じです。何よりも、彼らの知識不足にはあきれてしまうことが少なくありません。

極一握りの学者がリーダーシップを取っているだけで、活動家と称する人々は驚く程知識レベルが狭くて低いのです。だからかどうか分かりませんが、何か目立つ事業の環境アセスメントに猛反対したり、ビオトープを造ったりといった比較的象徴的で目立つ活動には熱心です。

勿論それが悪いと言うわけではありません、やらないよりは良いのですから。そのことだけ見ればそのとおりですが、そういった活動をしている個々人を見たとき、一人一人の行動の一端にその人となりが垣間見え、そこから個人の活動をトータルで推測した時、果たしてどれほどの効果があるのか疑問を感じてしまうのです。

ある街に元一流新聞の記者と言う方が、環境運動のリーダーとして君臨し、グループを形成しています。彼らは沼地にいもしない蛍を養殖し、そのことを強くアピールしています。しかしこれが生態系に本当に良いのかは検証されていません。蛍というだけで全てOKなのでしょう。

同じ沼にコツコツとソーラー発電で水質浄化のための噴水装置をつけたグループは、何故か彼らに目の敵にされています。しかしこの両者の活動はトレードオフの関係ではありません。少なくとも水質浄化が環境に悪いとは思えないので、同じ環境活動をしていながら、水質浄化グループを排除する理由が分かりません。件の元記者さん達は本当に環境問題に取り組もうとしているのか、はなはだ疑問で、知的さを装ってはいるものの、本質は単語に反応する日本人そのものなのです。

そんな訳で、環境問題、特に地球温暖化に関しては、単なる自己満足や自己PR或いはフラストレーション発散の道具にして欲しくないなあと思う次第。となると、先ずは環境教育や正しい知識の重要性に気付いて欲しいのです。

何のための環境保全か、何が原因でどう環境がおかしくなっているのか分からなければ、活動できるはずがありませんよね。ちなみに、全国地球温暖化防止センターでは、「青い地球の物語」始め様々な環境教育用パンフや資料をを配っていてこちらからもダウンロードできますので、皆様こんなところから始めてみてはいかがでしょうか。

http://www.jccca.org/

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