鰯の大群は何故動く(2)
【鰯の大群はどう動く】
鰯の大群はどう動くか、例えばある日突然に、アナタをマスコミが血祭りに上げるとする。そうだな、埴輪事件とでもしよう。埴輪?何だそりゃ?などと思うなかれ、それは正常な状態での疑問なのだ。要は何だって良い、何かの事件の犯人であるとアナタがでっち上げられたとしよう。
当然アナタは、何が埴輪事件だ、バカバカシイと主張するだろう。ところが連日「遂に埴輪事件の黒幕が明らかに!○○」(○○にはアナタの名が入る)の記事が出、そのうちには「驚くべき○○の正体、連日歌舞伎町で豪遊」「○○は女好き、私も口説かれたと証言続出」「連日派手なスポーツカーを乗り回し・・・」などと報道されると、もうアウト、アナタはもう立派な犯罪人だ。
「歌舞伎町には2次会で行ったことある程度デス、そりゃボクだって男ですから女の子ぐらい口説いたことありますよ、確かにスポーツカー持ってますが中古の軽です」なんて言ったって、マスコミは取り上げないだろう。「それ見ろ事実じゃないか、言い訳をするなんて見苦しい」と逆襲されるのがオチ。
終いには、同級生とやらがTVで顔と音声を変え、「いつかこういう事件を起こすと思ってました~」とか言出だし、こうしてアナタは埴輪事件の主犯か黒幕として血祭りに上げられる。埴輪事件が何であるかなんて実はどうでもよくて、要は人々のやっかみ・妬みの材料になればよいのである。
ンなアホなと思う無かれ。日本社会では事実を事実として伝え、認識する習慣が無いのだ。実際、日常生活やマスコミの報道では、客観的に事実が伝えられる事は少なく、その表現に必ず主観的判断が入っている。
例えば、同じ会社の同僚2人に関して、①「Aさんは、郊外の戸建住宅に住んで、スポーツカーとベンツを1台ずつ、2台も持っているが、Bさんはアパート暮らしで、車すら持っていない」②「Aさんは土地の安い田舎にしか家を建てられなくて、なんとか軽自動車2台で暮らしてはいる。それなのに、Bさんは都心に暮らし、便利なので車も不要だ」と証言があったとしよう。
①と②の受ける印象はだいぶ違っていて、Aさんの車は中古の軽スポーツとスマートなのだが①ではAさんが派手で、Bさんが地味、②はその逆の印象を受ける。しかし言っている事実は同じで、話し手の主観が事実を修飾しているだけ、話し手がどう思おうと勝手だからウソではない。
Aさんが悪なら①の言い方、Bさんが悪なら②の言い方になり、こうして極悪人はつくり上げられていく。最初は事実の解釈から始まるが、そのうちに極悪人の評価が定着すると、「そう言えば・・・・」から始まり、ある事ないこと悪口のオンパレード、よほどの力がないと、あなたは社会から抹殺されてしまうだろう。
もっと恐ろしいことは、実はよほどの力があっても防げないことだ。最近の実例を挙げれば、コクドの堤会長がその例だろう。一連のコクド関連の事件では、彼が極悪非道のように取り上げられ、クサイ飯を食った挙句、組織解体の危機にまで追い込まれた。
連日の報道を見ても、今ひとつ釈然とせず、立小便をしたら逮捕されたような違和感がつきまとう。確かに証券取引法違反だが、インサイダー取引のように一般に認識された犯罪だろうか。日本はそこまで法に厳格で正義を通す国だったのだろうか?だったら何故談合が日常化しているのだろうか?談合摘発なんて、相変わらずヘソが茶を沸かすような猿芝居ではないか。
はたして具体的にどのような被害があり、何がいけなかったのだろうか。この事件では(も)、そこを具体的に言える人には出会ったことが無い。肝心の事件の内容よりも「堤会長=オイシイ思いをした人=極悪人」のイメージばかりが先行し、人々は怒りの理由をよく認識しないまま、「オイシイ思いをした」個人に「違法行為だ」と怒りをぶつけているのだ。
【鰯の大群を動かすキーワード】
こう考えてくると、ニホンジンを動かすキーワードの一つは、「やっかみ」だろう。また、これと対を成すのがカリスマ性で、この二つをセットで使うと日本を支配できるようだ。カリスマは、自分達とは最初から別格なのでやっかみの対象にはならず、求心性が生まれるからだ。
カリスマの最たるものは「神」だ。だから日本を統治できるのは神=天皇という図式が生まれた、というか創られた。物凄いメソッドだ。実際、この国で人々のやっかみの対象にならないのは天皇陛下だけではないだろうか。
「やっかみ」をチョイト刺激すると、鰯の大群のように一斉に向きを変える。だから日本を混乱させるのにミサイルは不要だ。荒唐無稽な話だが、カリスマ性の高い小泉首相が反米色を強めたなら、ワケの分からないスキャンダルが続出し政権はたちまち転覆するだろう。私がCIAなら、いとも簡単にやってのける自信がある。実際、アメリカはいつでも日本をひっくり返す自信があるのではないだろうか。
これも荒唐無稽な話だが、実際にそのような「社会実験」が少なからず行われデータとノウハウが蓄積されているのではないかとさえ思えるのだ。アナタの周りの安保闘争が青春だったとのたまう中年オヤジに、安保条約って何、何がいけなかったのと聞いて見るが良い。命賭けの闘争だったはずなのに、答えられないという驚愕すべき事実に愕然とするだろう。正に鰯の大群よろしく全体の意思はあるものの、個には意思がないのだ。
この他、ロッキード事件や豊田商事、オウム事件など、一定の周期で社会を動転させるような、それでいて完全転覆するまでは行かない事件が起こっている。その特徴は、①一斉に誰かをバッシングし、ソレが事実になる、②何らかの形で中心人物が死に、③事件追求の根拠や真相は闇に包まれ民族ヒステリー状態のまま、である。
そう考えると、日本人(社会)のコントロールを研究する者(組織)がいて、70年までは研究データを蓄積し、以後定期的に社会実験で日本を集団ヒステリーに落としいれているなどと思えないこともない。もしそうなら、次のターゲットは憲法改正だろう。
とは言うものの、闇の力が憲法改正を是とするか否とするかは、実はどうでもよい。どっちに転ぼうと、制度としては民主主義だから日本が暴走しそうになれば、鰯の大群はどうにでもコントロールできるからだ。この場合のコントロールとは「求心性」を破壊することであり、いとも簡単な事は既に皆さん自身、感じていることだろう。
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コメント
せーじ様、コメントありがとうございます。
>「空気を読む」といったことは、日本人を思考停止にしているとしか思えません。もちろん、親しい人との人間(友人)関係を築く際には効果的であるとは思いますが、それを社会にまで浸透させている日本は少し異常な気がします。
おっしゃる通りだと思います。「空気を読む」のは外国でも同じですが、日本のそれは読む目的や動機が違うように思います。日本人は自己保身であり、外国では相手への気遣い所謂TPOではないかと。
どちらが良いかは、個人の価値観の問題なので一概には言えませんが、それを社会にまで浸透させてしまうと、国の方向性まで危うくしてしまうのは、先の大戦でも明らかですね。
ところで、拙ブログは耐震偽装事件で弾け、一時はランキング1位にもなりましたが、最近は忙しくて更新もままなりません。この記事は、3年も前のもので、私自身書いた事を忘れていたのですが、こんな古い記事を読んでいただけるとはと、驚いています。これからもよろしくお願いいたします。
投稿: ベンダソン | 2009/01/17 10:06
興味ある話題が多く、楽しく読ませて頂いています。
日本人が鰯の大群であることと、昔に良かったことは現在でも相変わらず良いとみなす日本社会の伝統主義に関係があるのでしょうか。私には日本社会で(伝統的に)良しとされている「空気を読む」といったことは、日本人を思考停止にしているとしか思えません。もちろん、親しい人との人間(友人)関係を築く際には効果的であるとは思いますが、それを社会にまで浸透させている日本は少し異常な気がします。
最近ではありますが日本の社会について不信感を抱きはじめ、自分の言葉で日本社会についてのメッセージを出されているベンダソンさんのブログに興味を持ちました。まだまだ自分の言葉でうまく表現できるには至っていませんが、メッセージを発信できるように世の中に溢れている情報を自分自信で消化していきたいと考えています。
投稿: せーじ | 2009/01/16 22:33
匿名さま、コメントありがとうございます。
松本サリン事件の河野さんは、未だ警察からは正式の謝罪を受けていないのではないでしょうか。(ただし未確認)
少なくとも、当時の警部は冤罪発覚後も一切謝罪していなかったのが印象的でした。
この国の正義とは非常に危ういものがあり、北のドクサイ国家を笑ってばかりもいられませんね。
投稿: ベンダソン | 2006/01/18 16:36
なんとなく、そんな感じだなーとは思っているのですが、鰯の大群は何故動くの話しのように、具体的に書かれると自分の国が恐いです。でも日本ではそれが当たり前なので、この話しを読んでも、「ああ確かにそうだ、改めよう」と思う人は少ないだろうと思います。それともう一つ、日本人は免罪になった人が弱すぎると思います。以前、松本サリン事件で犯人扱いされた人の書いた本を読んだ事がありますが、家に石を投げられたり、いたずら電話とか嫌がらせが凄かったそうです。私なら、石が投げ込まれたら、すぐに出て行って倍の石を投げ付けてやるなど、自分に正義があると確信するなら、不等な嫌がらせには徹底的にやり返します。後でこの方が犯人ではないと解ったとたんに、マスコミは平謝り。嫌がらせをした住民は誤ってないと思います。そういう奴らが今も生きていると思うとかなり腹が立ちます。外国でもこんな感じなのでしょうか?よく日本人の事を話すと「何処いっても一緒」と言われるのですが、日本以外でこういう事が起こった場合はどんな感じになるのでしょうか?
投稿: 匿名希望 | 2006/01/17 11:36
なんとなく、そんな感じだなーとは思っているのですが、鰯の大群は何故動くの話しのように、具体的に書かれると自分の国が恐いです。でも日本ではそれが当たり前なので、この話しを読んでも、「ああ確かにそうだ、改めよう」と思う人は少ないだろうと思います。それともう一つ、日本人は免罪になった人が弱すぎると思います。以前、松本サリン事件で犯人扱いされた人の書いた本を読んだ事がありますが、家に石を投げられたり、いたずら電話とか嫌がらせが凄かったそうです。私なら、石が投げ込まれたら、すぐに出て行って倍の石を投げ付けてやるなど、自分に正義があると確信するなら、不等な嫌がらせには徹底的にやり返します。後でこの方が犯人ではないと解ったとたんに、マスコミは平謝り。嫌がらせをした住民は誤ってないと思います。そういう奴らが今も生きていると思うとかなり腹が立ちます。外国でもこんな感じなのでしょうか?よく日本人の事を話すと「何処いっても一緒」と言われるのですが、日本以外でこういう事が起こった場合はどんな感じになるのでしょうか?
投稿: 匿名希望 | 2006/01/17 11:36