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2006/02/25

頼むよ,民主党!

前原代表は口座名を明かすと握り潰されてしまうと主張しているが、疑惑が事実であったとすれば、自民党関係者は知っている事になるので、彼の理屈で言えば、握り潰されてしまう事になる。

だから口座名を明かさないメリットなど無いので、ブラフですと言ってるようなもの。所謂自己矛盾なんだが、まさかこれに気付かないことはあるまい。ただ国民は気付かないと思っているのだろう。まあイイヤ。実際そうなんだから。

だから、アレだけ自信たっぷりなんだから確証はあるのだろうと思っていたら、そうでもなさそうだ。叩けば埃が出るに違いないとは確信していたのだろう。自民の対応からすると、それも無理ないとも思う。とすれば、イチャモンつける手順が違ってるゾ。

先のエントリーでも書いたが、メールのプリントには何の意味も無いから、これを疑惑の発意とか物証とするのは余りにもお間抜け過ぎる。あえてそれでも疑惑をでっち上げるなら、無責任なマスコミを利用してワイドショーや週刊誌ネタにしてから、それに対して質問すべきだったろう。

そうすれば、例え民主が仕組んだとしても、真偽の説明責任は週刊誌と当人に移行するからだが、仮にバレても小泉内閣打倒の民族ヒステリーなってしまえば、咎められることは無いだろう。だからと言って、今からそれを仕組んでも後の祭り、余計墓穴を掘ることになる。今なら、偽メール単体で済むが、もしそこに民主が関与となれば、今後民主の言うことは全て信憑性がなくなるだろう。

それでも、もし来週あたりの週刊誌に書かれるとするならば、くれぐれもネタ元に民主が関与していたなんてことにはならぬよう、老婆心ながら心配してしまう。私は、何だかんだ言ってもここまで改革を断行した小泉政権を高く評価しているが、かといって民主が潰れて自民独裁となるのは決して好ましいことではないと思うからだ。

今回ばかりは、普段放言し放題のTVのコメンテーターも内心、前原執行部を心配しているようで、単なる批判と言うより、心配して諭しているように思える。

頼むよ、民主党、国民はバカばっかりじゃないことを理解してくださいな。

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2006/02/23

そこまでバカだったとは

news 民主党の永田議員が辞意・「送金メール」証拠示せず

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060223NTE2INK0223022006.html

う~ん。そこまでバカだったとは。絶句!!!

何処の馬の骨かもわからない輩が、選挙に当選して議員になったのではない。曲がりなりにも最高学府を出た元大蔵官僚だ、好き嫌いや様々な評価はあろうが、一応オツムのレベルを図るフィルターを通った紛れも無いエリートなんですよ。それがねえ・・・。

しかし、前原代表始め党幹部の自信たっぷりな疑惑ありとの主張は、また別の話。自民も本当に自信あるなら受けて立てば良いのにとも思う。ただ、疑惑の根拠の端緒が無いとなれば、その先の疑惑も論理的には存在しない訳で、自民が言うのも筋が通っている。

このままでは、平行線のノーコンテストを双方狙っているのだろうが、だったらダメ元で民主は証拠を出すべきだろう。もし、それもブラフなら、ずっと国政調査権と引き換えと叫び続けるしかあるまい。そのうちには検察側から真相が明らかになるだろう。

ただそれでは、どっち転んでも「民主はアホ」のそしりは免れないか。

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2006/02/21

武部幹事長、息子の行状で政治責任?

20060217-04262525-jijp-pol-view-001 永田議員、やってくれましたね。しかし息子の行状で政治責任とはねえ、いかにも日本的というか、オマケにメールのプリントと来た。フツーならアフォなんだろうが・・・

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060217ig91.htm

例のメールとやら、文面からして荒唐無稽、おまけに単なるプリントだから、送信のプロパティも分からない。普通ならこんなモノ信じるほうがどうかしてる。が、いくらなんでも永田議員は東大出の元キャリアだ、そんなことに気が付かないアホではあるまい。

で、検察側の「わしゃ知らん」とのコメント。これらから情報出所を推理すると、検察側となる。だって、民主側は情報提供者保護を謳いながら、フリージャーナリストから入手した内部メールだと言うのだから、ジャーナリストやライブドア関係者ではないと言っているようなものだ。そして情報に信憑性があるとなれば、残るは検察内部しかあるまい。

念のため言えば、メールのプリントは書き手が特定できないから何の意味もない。何処を黒く塗ろうが、何が書いてあろうが、何の意味も無い単なる画像や記号としての文字の印刷に過ぎない。ここが書き手を特定できる手紙との違いで、文字が書いてあることだけが共通するが、両者は書き手の特定に関しては、全くもって似て非なるもの。

もともと何の意味も無い証拠で永田議員は何をしたかったかといえば、書いてある内容を問題にしたかったのは明白だ。くどいようだが、もしメール自体を問題にしているならアフォを通り越して気が触れている。

ではその内容をどうやって知ったかだ。もし、あの内容のメールが本当にあったとして、ライブドア側の内部告発だとすれば、これは何処を黒く塗りつぶそうがすぐに告発者が特定されてしまうから、情報提供者の身が危ないなんてことは正に噴飯モノ、笑いすぎて息が出来ない。

だから書いてある内容を伝えるためのツールとしてメールを偽装したと考えられる。ではその内容はどうやって知ったかと言えば、これはもう証拠を保全し、復元できる検察内部しかあるまい。

で、ここから先は全くの推理だが、検察上部と現場の方針が合わないのかもしれない。上層部は、そこまでやるのはなあと思ってストップをかけたが、現場は納得がいかないからリークした。ところがマスコミは裏が取れないから報道しない。で、だったら民主にとなったかもしれない。

当然、内部告発と分かれば検事生命が絶たれるから、比例で必ず議員の席を用意するからとか何とかあったかも知れない。そうすれば、相当信憑性のある情報が手に入るか、ありかが分かろうと言うもの。だからこそ民主党は国政調査権の発動と情報提供者保護にこだわるのだろう。その時もしヤバイかもしれないとの不安が自民党に有れば、絶対にこれを受け入れまい。そして自民が嫌がる様子で民主は益々自信を深めるのだ。

結論を言えば、こんな不確実な疑惑で国政調査権の発動はオカシイ、そこまで民主が言うのなら信憑性を立証する為具体的な口座なり、情報提供者の身の安全を保障した上で誰かを明らかにすべきだろう。しかしながら本当に潔白なら、自民はこれに応じて潔白を証明すれば、民主は潰れるから絶好のチャンス。ゆえに国政調査権の発動に応じるべきだろう。

その一方で、そもそもの話の大前提がおかしいことにも疑問がある。つまり、ここで言われていることは武部幹事長の息子とホリエモンのやり取りであって、武部幹事長のことではない。例によって道義的とか何とか訳の分からん責任追及なんだろうが、秘書ならともかく別の職業に就いた息子の行状で親の責任を公的に追及するのは、日本人の性とはいえ、根本的なところが違っているのではないか。と、思うが。

さて、ここまで考えてくると、実は武部幹事長は当て馬かも知れず、民主の狙いは他に在ると見てよいだろう。そしてそれは自民党がぶっ潰れるような大問題で、本気で国政調査権を発動すれば、様々な問題が明るみに出てくると民主は確信しているが、実際のところ明確な物証は掴んでいない(掴んでいればとっくに発表している)。一方自民だってバカじゃないから、政権与党として致命傷にはならないよう安全策を打っていると考えられる。

そこで落しどころとしては、もし告発が検察内部だとすれば、公の場には法的に出られないだろうから、民主が国政調査権の発動にこだわり、自民はその根拠に足りる証拠がないと拒否し、お互いにらみ合いで終わり。民主は自民が怪しいと勝利宣言し、自民は根も葉もないことと一蹴してお互いうやむやだろう。マチガイナイ!

さて明日の国会が楽しみだワイ。

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2006/02/17

「格差社会」で何が悪い

「勝ち組・負け組み」即ち「格差社会」の是非について考えてみたい。格差とは努力なり勝負した結果だから、私は格差はあってしかるべきだと思う。競争や努力すれば結果に差がつくのは当たり前、格差の付かない社会なんてジョーダンじゃない。

オリンピックだって参加に意義があるだけじゃ面白くない。幼稚園の運動会じゃあるまいし、メダルがあってこそ面白いのだ。だから自由競争を否定されてしまうと、話がかみ合わない。そして、どうも世の中、「格差」と「差別」が混同されているようだ。無論「差別」はイケナイ。 

で、終わりでは面白くないから、暇人向けにちょいと屁理屈を・・・

最近よく「勝ち組・負け組み」「格差社会」なる言葉が目立つ。格差が開いた社会は好ましくないと言うのが大方の意見のようだ。ここで、前提となる「格差」の定義を設定しておこう。ここで言う格差とは「結果」のことだ。勉強なり仕事なり人は何か目的を持って生きている。その目的に対する行動(努力)の結果を、社会が評価し格差が生じる事を言う。だから行動(努力)する機会の「格差」ではない。

余談だが、目的無く生きる人もいると言われるかもしれないが、それはアナタの勝手な主観であって、本人はそう思っていないかもしれないし、単に気付いてないだけかもしれない。メシを食いクソをするだけの人生でも、生きる目的なのだ。問題は他人が、それをどう評価するか、なのです。

次に論点は、この前提で、「格差社会」をどう評価するかだ。前提を御理解いただけるなら、いうまでも無く結果の「格差」は当たり前と気付くだろう。イチローや松井が稼ぐのは、努力した結果であって、生まれつきではないのだ。

それを格差はイカンと言い出したら、国民のモチベーションがガタンと下がるだろう。ところが、日本の世論はこの結果の格差をケシカランと言っているのだ。だから(たぶん)イチローも松井も外国に逃げ出してしまうのだ。

彼らは世界に通用するから、努力が国内で認められなければ、海外へ脱出できる。しかし、我々庶民はそうは行かない。がんばっても報われないなら、待ち組みを決め込むことになる。結果として日本人全体の活力が失われるだろう。

だから、競争せよ!! 挑戦せよ!!と言いたい。

競争してこその進歩であり、挑戦してこその成功ではないか。少なくとも今の日本では失敗しても生きていける。路頭に迷っても生活保護があるし、最悪レゲエのヲジサンになったところで凍死したりはしないし、住民登録だって出来ちゃうのだから。

これが、極寒のロシアや北朝鮮なら、あなたタイヘンですよ。命が死んでしまう可能性大ですからね。そこへいくとニッポンはいくらでもチャレンジできるのだから、待ち組みで他人の足を引っ張るより、思いっきりチャレンジした方が人生楽しかろうというものです。

棺おけに片足突っ込んで、自分の人生振り返って見たとき、一生待ち組みで平穏無事だったなら、単に死ななかっただけ。そんな人生なら、植物人間で一生夢を見ていたのと変わらない。というか、むしろ植物人間の方が楽しいンじゃなかろうか。なーんて思うが皆さんは、いかがか?

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2006/02/14

年寄りの言うことは聞くべきかもしれない

27389 ナベツネさんはとんでもないガンコジジイだと思っていたが、いい事を言っている。年寄りの言うことは、聞くべきかもしれない。なんと言っても、実体験の重みが違う。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=72646&servcode=200&sectcode=200

<引用開始>

第2次大戦で徴集された経験のある同会長はまた「日本が暴悪だった戦争時代を認める必要がある」とし最近、日本での民族主義復活を警戒した。
 
会長は「(第2次大戦時の日本の自殺特攻隊である)神風隊員たちが『天王陛下万歳』と喜び勇んで突進したというのは皆うそだ」とし「(怖気づいて)立ち上がることもできない隊員を強制的に飛行機に押し込むこともあった」と述べた。

<引用終わり>

全くその通り、実に重み有る発言だ。

自爆攻撃と言う点では昨今の自爆テロと似ているが、自爆テロは彼ら流のジハードであり、ゲリラである。つまり行為は自発的なのだ。赤紙一枚で召集された日本兵の神風とは似て非なるものだ。

一体全体何処の国で、徴用した兵士に「死ね」と命じる正規軍隊があっただろうか。そりゃ戦略上は少を殺して大を生かすために、泣く泣く兵を見殺しにすることはあるだろう。しかし、生身の兵士に爆弾抱えて特攻せよなどという命令を下す正規軍隊など考えられない。

しかも、自発的に『天王陛下万歳』と志願して兵になったのならまだしも、徴兵されてなのに『天王陛下万歳』と叫んでの特攻は無いだろう。兵士は天皇個人のために死んだわけではあるまい。せめて「大日本帝国万歳」なら分かるが、まあ、この辺は言葉のあやかも知れない。

ナベツネ氏はまた、「論座」2月号で、次のように述べている。

<引用開始>

中国や韓国が首相参拝に反対しているからやめるというのはよくないと思う。日本人が外国人を殺したのは悪いけれども、日本国民自身も何百万人も殺されている。今、靖国神社に祀られている多くの人は被害者です。やはり殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。それから加害者の方の責任の軽重をきちんと問うべきだ。歴史的にそれをはっきり検証して「われわれはこう考える」と言ってから。中国や韓国にもどういう迷惑をかけていたのかという問題がでてくるのだ。やっぱり彼らが納得するような我々の反省というものが絶対必要だ。

<引用終わり>

これまた、全くその通り。声高に自虐史観を叫び、民族主義を煽るのは、無責任と言うもの。売られた喧嘩を買うようなノリで、反中・反韓を展開したところで、天下国家を隠れ蓑にした単なる鬱憤晴らしに過ぎない。自虐であろうと無かろうと、事実を事実として認識し、反省すべきは反省し同じ過ちを繰り返さないようにするのが、知恵と言うものだろう。

神風特攻隊といい、氏が言うように最大の被害者は日本国民だと思う。また、自ら考えることこそ重要であり、全く氏の言うとおりだ。中・韓諸国に言われて史観を変えるのはどうかしている。例えばA級戦犯合祀や首相の靖国参拝問題など、他国がどうのこうのではなく、自らどう考えるかが先だろう。

何がいけないかをキチンと把握しないで、ただ謝ったり、開き直ったりでは、タダ単に同じ地域に同じ民族が住んでいるに過ぎず、国家のアイデンティティーのかけらも無い。永久に他人(他国)に振り回されることだろう。

ところで、高齢化社会というが、ナベツネさんに限らず、案外年寄りは娑婆っ気が抜けて、公正な事を言うように思う。中には、いつまでたってもドロドロ・ズブズブの人も少なくないが、概して晩年は世の為人の為と思うものだろう。ただ、ザンネンなことにオツムも弱くなる可能性が大。だから体も大事だけれどもアタマも鍛えなければと思う。(思うだけ?)

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2006/02/08

皇室典範改正?

syotoku ニッポンでは望むべくも無いが、議論においてはできるだけ論点を1文1件とし、前提条件を明らかにし、確認したいものだ。皇室典範改正論議も正にこの典型。それぞれが全く違う論点と前提条件のもと、単語だけ皇室典範改正を掲げ、かみ合わない議論をしている。

実に奇妙だ。一応皆さん、皇室の伝統を守るとか皇室への敬意とかをと前振りしているが、岡目八目で聞いているとチャンチャラおかしい。もし前提として、皇室への敬意を払うのなら、大きなお世話だ。女系だろうが男系だろうが、誰が次ぎの天皇になるかなんて天皇に任せておけばよい。総理大臣だろうが、偉い学者だろうが、国民の象徴に下々が指示をするなんて、それこそ不敬と言うものだろう。

或いは伝統を守る為の論議が前提なら、やはり伝統の主体である天皇及び皇族の問題であり、下々の他人がとやかく言う問題ではないだろう。少なくとも国政に関する権能を有しない(憲法4条)国民の象徴に過ぎないのだから、誰にもほとんど何の影響ももたらさず、利害とかで結びつかない。よって、党利党略の対象にならないから、永久に意見の一致など起こりようが無い。

憲法1条には「この地位は主権の存する国民の総意に基づく」とあり、第2条に「世襲と皇室典範による」とあるから、言い切ってしまう以外「総意」などまとまるはずも無く、よって「総意」の結果を方法論として規定する「皇室典範」など、強権発動以外改正できっこないだろう。

どの道、本当はどうでもよいことを、さもタイヘンなこと、天皇の為、伝統の為と言いながら、その実、自己PRの道具としている心根が見え隠れしてしまい、アホくさくなる。こう言うと文を理解せず、単語に反応するニホンジンは、不敬だと、歯をむき出しにするだろうが、単に皇室の権威を利用して鬱憤晴らしをしてるに過ぎず、なんともさもしい根性だと言っておこう。事あるごとに不敬を叫ぶものこそ不敬なのだ。

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2006/02/07

放置国家の談合容認論

チョットしつこいが今日の記事は、「談合の是非」が論点。そして違法だから「悪」、そうでないなら「適法」とすべきが結論。これで納得いただければ、時間の無駄、以下は読み飛ばしてください。

ニホンジンの会話や議論では論点が分からない場合が非常に多い。例えば「あなたは昨日新宿に行って、ホテルで食事をしたあと、歌舞伎町のクラブで遊んだか」と言うような例だ。この質問例で1文中に3つの論点があり、全く整理されていない。

論点を整理するとは、文章にすれば、1文1件ということだ。つまり上記の質問は

     あなたは昨日新宿に行ったか

     ホテルで食事をしたか

     歌舞伎町のクラブで遊んだか

の3つの論点に分けられる。これを一つ一つ明らかにしていけば、聞かれる方も何を聞かれているか或いは議論しているか分かりやすい。ところが実際には最初の例のように1文として聞かれることが多く、さらにはその表現に感情的ニュアンスが加わると、何が言いたいのか分かりにくくなる。

例えば「あなたは昨日という日でさえも新宿に行って、しかもホテルで食事をしたあと、さらには歌舞伎町のクラブで遊んでしまいましたね」と言われると、言っている事実は最初の文と何ら変わりないのに、あたかも昨日がドンデモネー日なのか、新宿に行ったり、ホテルで食事したり、クラブにいくことが悪いような感じになる。

そして、悪いのは昨日なのか、新宿に行った事か、ホテルで食事した事か、クラブに行った事か、或いは全てか分からないから、聞かれた(追及された)方は何がいけないのか、或いは問題なのか分からなくなってしまうのだ。

歌舞伎町のクラブで遊んだかどうかが論点ならば、③だけを言えばよいし、もしその日時や直前の行動がこの論点に関わるなら、①②を順に確認し、結論として③を問えばよい。簡単なことなのに、日本人にはこれが出来ない。談合問題を論じるときは、正にこれだ。

談合は法で禁じているから不正である。これでオワリのはずなのだが、そこにダンピングや仲間意識や業界秩序やら、なんやらかんやら一緒くたにしてしまい、平然と犯罪を正当化してしまう人が実に多い。

     ダンピングが起こるというなら、その理由は

     談合しないと過当競争になるというなら、どうすれば過当競争にならないか。

     業界秩序というなら、何をもって秩序というのかその正当性は

     業界秩序が崩れ、業界が弱体化するというなら、何が弱体化か或いは弱体化しないための方策はなにか

を1つ1つ議論し解明すればよい。ところがこれら4つ或いはそれ以上の論点を一緒くたにして論ずるから訳が分からなくなる。

     については、ダンピングのメリットを無くせばよい。つまり永久に談合が出来ないとわかれば、ダンピングする意味が無くなる、横須賀市がその例だ。

     については、単純に過当競争を無くせば良い、つまり評価基準を明確にして業者選定すればよい。これが出来ないなら、さらに何故出来ないかを議論すべきであって談合が必要との理由にはならない。

     については、そもそもそんなものは違法シンジケートなので、堂々と議論も出来ないはず。

     については、既得権益と業界を履き違えた論理だ、競争が無ければ既得権益は安泰だろうが、業界は進歩せず弱体化する。

以上は私の考えなので絶対正しいかどうかは他の意見も聴かなくては判らないが、このように一つ一つ、論点を明確にして考えていけば分かりやすいはずだ。そして再び結論。

談合は「違法行為」だから徹底的に取り締まれ!

そうしないなら合法化せよ!

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2006/02/02

談合は摘発されただけ?

官製談合なんてその気になれば恣意的にいくらでもほっくりかえせると思うのは誤解であると考える人がいるようだが、あまりにも事実を知らなさ過ぎると言わざるを得ない。ひょっとしたら「官製」という言葉の定義にこだわっているのかもしれないが、発注側が談合を容認する限り「官製」の談合と私は認識する。

少なくとも談合が行われていないなどと思うのはとんでもない間違い、事実を調べれば分かるはずなのだが・・・。ある真実を探るとき、Aという条件ではBの結果となると仮定するとき、Aの条件でこの現象が例外なく起こるとすれば、仮定は限りなく真実となる。

例えば、万有引力の法則通りに、りんごは落ちる。正確に言えば、“今のところ例外なく”万有引力の法則通りに、りんごは落ちる。だからこの地球上の私達の生活においては、今のところ万有引力の法則は真実なのだ。

さて、これを「談合」に当てはめてみよう。インターネットによる一般競争入札を取り入れ、談合をシステムとして排除した横須賀市を見ると良い。他都市では予定価格の9割以上で入札している業者が、ここでは6~7割で入札している、特に人件費比率が高いコンサル業務では5割以下が普通だ。横須賀市だけ物価が安いと言うのだろうか。

システムとして談合排除を行っていないほとんどの他都市においても、何かの間違いで談合拒否業者が指名に入る場合がある。この場合も同じく値崩れが起こる。興味深いのはその後談合拒否業者が指名に入っていると分かると、ダンピングがおき、談合拒否業者は業者間で締め出される。やがてこの業者が指名競争入札から排除され官からも締め出されたらしいことが分かると、以後急に落札額が9割以上に復活するのだ。

このように落札額が、システムとして談合できない場合や談合しない業者が指名された入札では例外なく下がり、それ以外では上がるなら、予定価格の8割以上での落札は談合との仮定は限りなく真実にといえるだろう。そしてこれが今の日本の現実なのだ。ウソだと思う方は、皆さんが住んでいる自治体のホームページと横須賀市のそれで確かめられたい。もし皆さんの住む自治体で一般競争入札を行った例があれば、それだけが突出して横須賀市と同じような低価格となっていることに気が付くはずである。

今、表向きは横須賀市を真似て各自治体ではインターネット入札に切り替えているが、肝心の一般競争をほとんど取り入れず、指名若しくは条件設定による事実上の指名を行っている。談合排除はインターネット入札ではなく一般競争入札による効果なのだが、単語にしか反応しないニホンジンの心理をついた実に姑息なやり方と言えよう。談合を何とかして維持させたいのは、天下りを維持させたい官なのだ。

また、談合を拒否した業者の末路を良く調べて欲しい。ほぼ例外なく入札から排除され、官業双方から目を付けられ悲惨な状態のはずだ。談合で摘発されると指名停止3ヶ月とか長くても10ヶ月だが、談合をしないと永久指名停止なのだ。ただし指名停止という公的な「処分」ではなく、単に指名に入れてもらえないだけだから文句も言えない。実にムゴイ仕打ちがまっているのだ。これを官製談合と言わずして何と言うのだろうか。

談合は、一見業者が得をするように見えるが、実は談合自体に経費が掛かりあまり儲からない。例えば入札指名されるためには、天下りを受け入れなければならないが、この天下りの給料分の利益を出すほどには、仕事を取れるものでもないし、指名されても営業担当者は、談合する為に様々な駆け引きや接待をしなければならない。金と時間が掛かる上に、接待されるほうも疲れる。なんとも不毛な努力を強いられるのだ。

世の中で最初に談合した人は儲かったかもしれないが、システムとして定着してしまった現代では、天下りを存続させるためのシステムであり、実態として業者にとってあまりメリットがなく、ゆえに官製談合なのだ。

それでも、天下りや談合を拒否したりするなら、もっと過酷な仕打ちが官からも業界からも加えられる。せめてマスコミが味方をすれば救われるが、ちょっとつまみ食い的に扱っても、結局見殺しにするから、真面目に戦った者はバカを見るだけなのだ。

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