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2006/09/04

戦犯について

Yokosuka_d4y3 靖国問題に続いて、戦犯について言っておきたい。A級戦犯が本当に戦犯かどうかではない、事後法によって裁かれたものが無効であるのなら、では戦争責任は誰が取るのか。あの当時は誰も戦争突入を避けられなかったと「空気」のせいにする向きがある。それはそれでもっともなところもあり、そうだろうなと思わせるところもあるが、それは開戦のいきさつのことだろう。

それとて誰にも責任が無いなどということはあるまい。もしもそんな理屈が通るなら、国家の舵取りに対して誰も責任を取らない全くの放置国家となるからだ。こんなことは言うまでも無いことだけれど、「空気」のせいにして真顔でこんな理屈を言う人々がいるのも事実。まあいいや、先行こう。最も問題にしたいのは負けると分かっている戦争に多くの国民を駆り出し、死地に追いやった責任だ。こういうとんでもないことが行われた事を皆さん忘れてはいませんか。

戦争遂行において、神風特攻隊を考え、生きて虜囚の辱めを受けずと命じた責任は無いのか、兵站無くして死地に兵士を送り込み、戦って死ぬならまだしも餓死させた責任はどうか、古今東西の歴史の中で、こんな惨い戦争の仕方をした軍隊が有っただろうかと言いたい。

戦争とは勝つことを目的としたクールなものだ。勝つためには損害の見積もりをし、より少ない損害を選び、戦略目的に見合うか検討し実施する。だから時には兵士が捨て駒として見殺しにされることもある。しかし、戦う武器や食料も与えられず、捕虜になるなら死ねと命令される軍隊では、いったい何が目的なのか、兵士を死なせる以外に目的が見出せないではないか。

だからだろう、日本の戦争体験者による戦記小説には戦闘シーンがほとんどない。例外なく軍隊組織内部の理不尽さ、悲惨さ、戦略の無謀さを恨む記述ばかりで、肝心の戦いの記述がほとんど無い。いったいどうやって戦ったのかサッパリ分からないのだ。

例外は戦闘機乗りの戦記ものくらいだろう、どういうわけか、空中戦だけは具体的だ。例えば、空中戦は命のやり取りをするから負けたら即、死であり後がないから常に全力で戦う、ここが体力を温存して逆転KOを狙えるボクシングスポーツとは決定的に違う、といった記述がある。聞けばその通りだが、命のやり取りを経験したものでなければ書けないだろう。機体をバンクさせ、横滑りで機銃攻撃をかわしたり、海面スレスレの低空飛行で敵の追撃をかわすというのも、読むまでその合理性に気づかなかった。

話がそれたが、こういった戦闘機もの以外はとにかく戦いに関する記述が全くといってよいほど無い。ただひたすら、軍隊組織の理不尽な虐めや、非人間性、飢餓地獄が延々と綴られている。いくら負けたからといって、これはオカシイ。戦闘の仕方を書くことがタブーなのかとも考えたが、昨今の逆説・仮想戦記小説ブームを見るとこれも当てはまらない。

横道ついでに言うと、日本で実戦体験を正面から捉え記述している作家は柘植久義氏ぐらいだろう。ただし同氏は旧日本軍軍人ではない、インドシナでの仏軍傭兵や米軍グリーンベレーにおける体験がベースだ。

いづれにせよ、実戦の話が小説にしろ、身近な体験談にしろほとんど聞こえてこないということは、それほど先の戦争における日本軍の軍隊生活が惨いものだった証だろう。何しろ赤紙一枚で召集され死を前提の神風を命令されるのだ。

いくら国のためとは言え、勝つ見込みがないのだから、全く無実の若者に死刑宣告するようなもの。こういう戦法を考え、命令した責任が無いはずが無い。たとえ考案者が自ら志願したとしても、本人の大義名分に他人を巻き込んで自殺に人を道連れにするようなもの、罪は免れまい。

何年か前に東条英機を扱ったプライドなる映画を見たとき、東条英機に対する見方が変わり評価も変わった。確かに東条英機は国家を憂い重責を担っていただろう。しかし、彼は自ら「生きて虜囚の辱めを受けず」と戦陣訓を公布しておきながら、それを守らなかった。言い分はあるだろうが、戦陣訓のもと多くの兵士を死地に追いやったことを考えれば責任なしとは言えない。

極論すれば、世界平和を唱え、同胞をポアした教祖との違いは何だというのか。東条英機を始めとするA級戦犯が本当に戦犯かどうか、あるいは人格者であろうとなかろうと、多くの同胞を無意味に死なせた責任においては当たらずとも遠からずだろう。

極東軍事裁判の是非と戦争責任は全く関係なく存在する問題だ。犯罪者がいて、それを偽裁判官が裁こうが本物が裁こうが、犯罪であることにはなんら関係なく、裁き方の基準が問題なだけなのだ。裁き方の基準が問題ならばそのことを議論すればよいのであって、決して戦争犯罪人を忘れてはならない。

繰り返すが、敵国に殺されたのではない、

     戦うことすらさせず、飢餓地獄で同胞を大量殺戮した罪

     民衆を洗脳し、バンザイクリフから飛び降りるよう仕向けた罪

     終戦となれば、軍人が守るべき国民を置いてきぼりにして我先に脱出し、なぶり殺しさせた罪

     戦争とはいえ、国際法に違反した731部隊を創設し命令した罪

等々、挙げれば限がないくらい自国民や占領地国民を死に追いやった罪がある。当然にそれを発意し命令した犯人がいるはずなのだ。私に言わせれば犯人はキチガイである。

先の戦争死者の分類をしていったならば、おそらく敵と戦って死んだ人よりも、国策によって死んだ人の方が多いのではないだろうか。侵略戦争と言われ中・韓の犠牲が取りざたされるが、キチガイの最大の犠牲者は日本人だろう。

なのに、日本人自らこのキチガイ犯人を裁こうともしない。まるで1億総羊の沈黙だ。以前「生まれて~、働いて~、食べられて~」とコマーシャルが流されたTVゲームがあったが、日本人の自虐ネタなんだろうか。日本人は殺されても文句言わない民族に見える。

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