デスノートに学ぶ論理学(3限目)
以前は漫画が大好きでしたが、ここ15年ほど、絵がジャマで読むスピードが遅くなるのと、所謂書物に比べコンテンツが限られているので、遠ざかっていましたが、このデスノート、漫画は単なる挿絵で情報のメインは文字なんですね。それもすべて理屈っぽい。というわけで嵌りました。
物語は全編に渡って論理的に推論され矛盾の無い推理が真理だろうと論理展開されていくのです。では論理的とはどういうことを言うのでしょうか。これから論理学(より正確に言えば形式論理学)のお話をしていきますが、既にギリシャ時代に原型が完成した論理の構造のことです。
仮定や条件が正しく論理の構造が正しければ、そこから導き出される結論もまた正しいのです。最も初歩的な論理形式は既に1限目、2限目でお話しました3段論法です。AならばB、BならばC、故にAならばCである、って論法ですね。
今回は少し、前回習った用語等についての練習問題で論理のトレーニングをしましょう。
■ ウソと偽
前回、本講座ではメンドクサイのでウソと偽を区別しないと申し上げましたが、ウソと偽をきちんと理解しておいた方が良いと思いますので、少しお付き合いください。タヌキとムジナの話の延長です。
【練習問題1】
ウソツキをキラと信じている人が、ウソツキをキラだと言いました。この人はウソをついた?
(答え)タヌキとムジナの話と同じですね、自分が認識している内容を正直に言っただけなのでウソではありません。但し真実でもありません。真実の反対はウソではなく偽です。
【練習問題2】
アナタは誰と聞かれた矢神ライトは、矢神ライトですと答えました。この発言は真実?
→勿論真実です。そこで、友人はライトが持っているデスノートを指して、これは何?と聞きました。すると、私は矢神ライトですと答えました。ライトの発言は真実?
(答え)真実です。答えにはなっていませんが、発言内容は真実だからです。但し論点が違うので論理的とは言えませんね。
【練習問題3】
細木数子が、藤原紀香は1ヶ月以内に離婚するだろうと言いましたが、離婚しませんでした。細木数子はウソをついた?
(答え)ウソじゃありません、予測が外れただけ。
【練習問題4】
Lはライトがキラなので、ライトを監禁しておけば、犠牲者が出ないと言い、ライトを監禁したが犠牲者が出た。Lはウソをついた?
(答え)ウソじゃありません、推測が外れただけ。
さて、この辺で止めておきましょう。「真実ではない発言」と「ウソ」は大抵の場合、置き換えが可能ですが、全く同じではありません。発言者の意志が絡んでくるから、真実か否かで割り切れないのです。但し、現実にはココまで厳密には日常解釈しませんね。
それと、この講義では、考え方のトレーニングが目的なので、ウソが何であるかを理解した上で、便宜的にというか一般的な感覚に置き換え、真実ではないことをウソとします。それでは、どんな論理学の本にも必ず出てくる「ウソツキ悪魔」と「正直天使」と「いいかげんなピエロ」の話にまいります。
■天使と悪魔とピエロの話
天使=常に真実のことを言う
悪魔=常にウソを言う
ピエロ=真実もウソも言い、意味不明なことも言う
と言う風に、これ以降モデル化して考えます。
【練習問題1】
「私は天使」と誰が言える?→(答え)天使、悪魔、ピエロ全員言える。
【練習問題2】
「私は悪魔」と誰が言える?→(答え)ピエロのみ。天使ならウソ、悪魔なら真実なので。
【練習問題3】
「私はピエロ」と誰が言える?→(答え)悪魔とピエロです。さて次は少し難しい問題です。答えを聞いて怒らないで下さいね。
【練習問題4】
天使は「ほにゃらら」と言えるか?(注:「ほにゃらら」は意味不明の意味です)
→(答え)言えない。天使は常に真実を言いますが、「ほにゃらら」は意味不明の言葉なので、天使は発言できません。ちなみにウソでもないので悪魔も発言できません。ピエロだけが発言できます。
■論理的な考え方の練習
次、今度は応用編です。これまで、3段論法や命題と対偶、についてお話しましたね。AならばB、BならばC故に、AならばCということでした。命題が真ならその対偶も真ですが、「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である事に注意が必要です。少し練習しましょう。
デスノートを拾った矢神ライトは持ち主となり、そこに名前を書くと人が殺せることを知り、悪人を次々殺しました。デスノートの持ち主には死に神が常に一緒ですが、本人とデスノートに触れた人間にしか見得ません。
場面は、LとキラがTVを通じて対決するシーンです。画面に映っているテイラーを見て、キラはLと勘違いし、名前をデスノートに書き心臓麻痺で殺します。キラ即ち矢神ライトは顔がわかっている相手の名前をデデスノートに書くと殺せることが分っていますが、Lが誰かは知りません。
また、Lはキラが誰でどうやって人を殺せるのか知りません。そこで、試しに関東地区だけにオンエアしたTVで死刑囚のテイラーにキラに挑戦的発言をさせ、殺させることで、キラが関東地域にいることと、顔と名前がわかると殺せることを突き止めます。以上のことは観客のアナタは全て知っています。特に断り無ければ質問はあなたに対してです。では問題、
【練習問題1】
キラには常に死に神がついている。キラと名乗った男には死に神がついていない。故にこの男はキラではない。
この結論は論理的に正しいか?
(答え)正しい。前提の対偶は「死に神がついていないならキラではない」から。
【練習問題2】
ライトが悪人を殺すとき、いつも悪人がTVに映っている。今、悪人がTVに映っている。したがってライトは今悪人を殺す。
この結論は論理的に正しいか?
(答え)正しくない。最初の前提から、「悪人がTVに映っているからライトは悪人を殺す。」は導き出せません。AならB、BであるからAとするのは論理的に誤りです。ちなみに「悪人がTVに映ってないなら、ライトは悪人を殺さない」ならばこれは対偶「BでないならAでない」ですから、正しい結論です。
【練習問題3】
もしキラが関東にいないなら、キラはテイラーを殺していない。
キラは関東にいる。ゆえに、テイラーを殺している。
この結論は論理的に正しいか?
(答え)正しくない。前提からは「関東にいるならテイラーを殺している。」は導き出せません。「Aでないならば、Bでない。AであるならばBである」は対偶ではなく論理的に間違い。正しい対偶はBであるならばAである。よって「キラがテイラーを殺したなら、キラは関東にいる。」ガ正しい結論。で、Lはキラが関東にいることを突き止めました。
【練習問題4】
矢神ライトがデスノートに名前を書くとその人は必ず死ぬ。
Lは生きている。
ここから導き出される結論はどちら?
① たがって、矢神ライトはLの名前をデスノートに書いてない。
② したがって、たぶん矢神ライトはLの名前をデスノートに書いてないだろう。
(答え)①。「AならばBである。Bではない」から、「Aではない」が導き出されます。Aである可能性はないので「たぶん」と「Aである可能性」を残す②は誤り。
■ 間違えやすい論理、インチキ論理(パラドックス)
前段からの続きですが、今度は少し高度な、間違えやすい問題です。基本形は同じですが、条件設定や論点を間違えると、正しい結論や反論にならない例です。
【練習問題5】
矢神ライトがキラである時ふつう、デスノートを持っている。
今、矢神ライトはデスノートを持っていない。
ここから導き出される結論はどちら?
① したがって、キラではない。
② したがって、たぶんキラではないだろう
(答え)②。「AならふつうB」は「AであってもBでない可能性」を表わします。なので、「Bでない」から「Aでない」は導けず、おそらく「Aでない」だろうが「Aである可能性もある」が正しい。
この誤りは、「ふつー」とか「みんな」という言葉が好きな日本人に非常に多いようです。物語デスノートの場合、矢神ライトがデスノートの切れ端を使って、デスノートを持ち歩かなくても人を殺すことで、Lの推理をかく乱しますね。
ただ、論理的には「ふつー」は範囲が広がり結論を出しにくい言葉ですが、日本人を説得するには便利な言葉なようです。しかし、これは錯誤であって説得ではありません。ここで小噺を一つ。
溺れている人を助けるように説得する仕方。イタリア人には「美人が溺れているよ」、アメリカ人に「英雄になれるよ」と言い、日本人には「みんな飛び込んでるよ」と言えばよいとか。これにフツーをつけたら、日本人は間違いなく飛び込むかもしれませんが、自発的かどうか、つまり説得できたかどうかは怪しい。
【練習問題6】
次も間違えやすい問題です。日本人には難問かもしれません。
読者1「矢神ライトは東大生だから頭が良いな」
読者2「違うな、東大生が頭イイとは限らんよ」
頭の悪い東大生がいるとすると、これは反論になっている?
(答え)ぶっぶー、反論になっていない。読者1の発言は頭の悪い東大生がいることを否定してはいません。「矢神ライトは東大生だから頭が良いな、だが東大生が頭良いとは限らない」と言っても矛盾しません。ですから、読者2の発言は、読者1の発言を否定するものになり得ず、読者1への反論とはなりません。
これには皆さんから反論がきそうですね。でも、反論は相手の主張を否定するものでなければ反論ではありません。「違うな、東大生が頭イイとは限らんよ」といわれても、うんキミの言う通りだ、でオワリ。「東大生が頭イイとは限らない」から「頭が良い可能性を否定」しないので「矢神ライトは頭が良い」事を否定しません。
だんだん、屁理屈っぽくなって来ましたね。次の問題で、本日はオワリにしましょう。ケッコウ有名な問題で、難問です。
或るクレタ人が言った、「クレタ人のいう事は全てウソだ。なぜそれが言えるか?私自身クレタ人だからさ。」
ココから導かれる結論は?
(答え)
これは古典として知られる自己言及のパラドックスと言われるものです。
このパラドックスの出典は、新約聖書中の「テトスへの手紙」から来ています。
さて、ここではクレタ人自身がクレタ人は嘘つきと言及していますが、クレタ人が嘘つきならばクレタ人は嘘つきということも嘘になってしまいます。発言自体が嘘ならばクレタ人は正直者ということになり、今度は嘘をついたクレタ人と自己矛盾してしまうのです。
では結論は?「クレタ人のいう事は全てウソだ。」は偽つまり「クレタ人の中には嘘つきもいれば正直者もいる。」となります。ですから、
「嘘つきのクレタ人は嘘つきである」と正直者のクレタ人が言った。
あるいは、
「正直者のクレタ人は嘘つきである」と嘘つきのクレタ人が言った。
となります。
いづれにしても、かなりな屁理屈ですね。パラドックスは論理的ではありませんが、パラドックスを知っておくことで、インチキ論理に騙されなくなります。ま、今日のところはほんのサワリです。では、今日はココまで。
あ、忘れずにこちらをクリックしたまえ。
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コメント
疑問詞様、コメント、ありがとうございます。
とても良い質問をいただきましたので、記事にアップしました。
そちらをご覧下さい。
とり急ぎ
よろしくお願いいたします。
投稿: イザヨ・ベンダソン | 2007/01/15 00:32
一般人(99.999%)は{ピエロ=真実もウソも言い、意味不明なことも言う}ですよね。
例えば、黄泉瓜新聞にクレタ出身の資格のない構造設計屋(ピエロ)が「冨士汰は嘘つきだ。」との記事が載った場合、
その記事が黄泉瓜新聞に載ったこと=真。
記事の内容が真である=嘘。
で、いいのでしょうか?
それとも後者は偽なのでしょうか?
投稿: 疑問詞 | 2007/01/14 11:09