今こそ藤田東吾擁立(その2)
■藤田支持者に内在する問題
藤田東吾の安全、耐震偽装解明の両面から見て擁立は妥当な事だから、藤田東吾擁立OK万々歳となるのだろうか、事は理屈だけでは無い様々な判断基準があるようで、そう簡単に出馬要請とはならない。それは藤田支持者に内在する問題と思う。
■藤田支持は好き嫌い?
耐震偽装は国土全体に広がる国民の生命財産に関る普遍的問題である事は先に述べた、にも拘らず問題の捉え方は卑近で矮小化された私事レベルで語られている面が強い。つまり好き嫌いのレベルかもしれないということ。
■行動支持派とかわいそう派
特に反藤田派はほとんど親の敵のように藤田東吾を目の敵にしている。では藤田擁護派はというと、事実を客観的にとらえて支持してはいるが、心情的に支えようとの思いも見え隠れする、つまり藤田擁護派には2派あって、藤田東吾の「告発と行動」の支持者と「かわいそう」な藤田東吾の支援者だ。以後便宜的に夫々行動支援派、かわいそう派と言おう。
■外見では区別が付かない藤田擁護派
行動支援派は藤田東吾を尊敬し、かわいそう派は下に見ているが、藤田擁護というアウトプットは同じで区別が付かない。だから今回の偽装発表のように藤田告発の正当性が証明され追い風が吹くと、前者は歓喜するが、後者は複雑な思いかもしれない。
■藤田人気を好まぬかわいそう派
かわいそう派にしてみれば、彼がメジャーになれば、「かわいそう」ではなくなるからだ。まして藤田東吾擁立ともなれば、なにより桧舞台に上がるから、かわいそうではなくなって、自分達の手の届かないところに行ってしまうと考えるかもしれない。
■敵の敵は味方派の存在
実は、言うべきかどうか逡巡したのだが、この2分類に属さない藤田支援派もいる。それは、敵の敵は味方とする存在だ。つまり一見熱烈な藤田擁護派だが、行動支援でもかわいそうでもない、政府与党をぶっ潰すためのツールとして藤田東吾を利用しているのだ。いや利用という言い方は反感を買うだろう、故に敵の敵は味方と言ったのだ。
権力の弾圧を受けた藤田東吾が、総理官邸や国交省に押しかけ、孤軍奮闘し国の無策を叫んでいるのは、政府与党を敵とする人々にとっては正に敵の敵は味方そのもの。しかも内容が内容だけに政府与党に致命傷を与えられるのだ。
■関心事は耐震偽装ではなく内閣打倒
だから冷静に観察すると、アパについて、耐震偽装もさることながら、むしろ政府与党との繋がりを暴くことの方が関心事である事が見え隠れする。例えば同じ耐震偽装告発でも内閣打倒に繋がらない川崎市の例には関心が無いのだ。だからといって、それはそれで信念に基づいた行動だろうから何ら批判すべき事でもない。
ただ一見藤田擁護派に見えて実は藤田東吾の行動自体は支援しない点がチョイとややこしいのだ。そして支援しないだけなら良いが、もっとややこしいのは、敵の敵派がかわいそう派でもあるときだ。この場合、なんだかんだ理由を付け、藤田東吾立候補となれば、それまでと一変して人格攻撃をも厭わず反対し、獅子身中の虫と化すだろう。
■藤田東吾は偽装以外言及していない
要は、アパ物件の耐震偽装について(他の物件でもそうだが)藤田東吾自身は、偽装にしか言及しておらず、その背景に誰々がいるとは明言していない事を言いたいのだ。ただ、いづれにしてもこれらの分類は、藤田支持者の行動パターンから類推した私の主観である。
他にも違う理由で藤田支持という人もいるかも知れないが、いづれにしてもアウトプットでは藤田擁護・支持という点において区別が付かないものの、藤田東吾擁立となると、そこに本音が出て、その行動は大きな差となってしまうのだ。
■答えが先の擁立反対
実際、行動支援派以外は、どんなに説明したところで恐らく、擁立反対と言う答えが先にあるように思う。また、行動支援派にも思想信条が与党派という方は当然にいて、政府与党との対立構図では、擁立に消極的な方もいるだろう。
■政治家はロクでもない者?ならば加点法で評価しては?
ところで、行動支援派もかわいそう派も、つまり世間一般では政治家はろくな者ではないとも思っているのではあるまいか。だったら最初からたいした期待も持たず、加点法で評価してはどうだろうかと、提案したい。
■耐震偽装を告発したことで有名な人
どうも、藤田東吾を擁護しておきながら、擁立に消極的な人々は、彼個人に対する関心が高すぎて、評価基準が他の議員に対するそれよりかなり高いようだ。藤田東吾は元々組織を背負っていない無党派層だろう、言ってみれば有名人だが、何で有名かと言えば、耐震偽装を告発したことで有名なのだ、タダの有名人ではない。是で十分ではないだろうか。
減点法で考えようとするから、スタートを高く設定してしまうように思う。彼は、耐震偽装を権力に屈せず告発した。フツーはもう少し損得を考えリコーになるもんだが、今どきこんなバカはいない。だから国民の期待に応えて、存分に暴れてもらおう。それで良いではないか。暴れるのは国会とは限らない、評論家だってある。要するに藤田擁立とは、選挙応援や活動ではなく、彼に耐震偽装解決の具体的活躍の場を与えられるよう議論し支援することだ。
■損得考えたら出来ない偽装告発
損得のことを少しだけ補足しよう、彼は一生懸命国土交通省やアパ、川崎市等々にケンカを売ってきた、そして自分の名誉回復のため、イーホームズの処分取り消しを訴えるといっている。事実が明るみに出れば、巷間いわれる名誉は回復されるかもしれない。だが処分取り消しから半年を過ぎてしまったから、今更法的に処分取り消しを求めても実際不可能だろう。
そんな事は裁判をやってたんだから弁護士から聞いているはず。彼は利を捨ててまでも指定確認検査機関の責任者として告発活動を続けた、そしてそれがやっと事実と人々に分ったが、分った時にはタイムアウト、処分取り消し不可能、嗚呼無情!なのだ。損得考えたらこんなバカなこと出来るわけが無い。
私なら逆の手順を踏む、先ずは裁判で偽装に関係無しと認められたのだから、処分取り消しを勝ち取る。一応はアパや、川崎市への警告は発しておくが、言うだけ。後は無視したマスコミと行政の責任だ、先ずは会社を建て直し、それから告発やら本を書くな。
ただそうしていたら、アパのマンションは建ってしまい、今頃は入居者がいてヒュザー事件の2の舞だが、そこまでは知らんよ、と考える。だから藤田東吾はバカが付くお人好しかもしれない。そして情熱家と言えよう。
■大きな差
そういう人間だから、少々の勇み足はしかたあるまい、耐震偽装に関して最も一生懸命に国会で働いてくれるだろう。話題になった時だけのパフォーマンスを国会でまくし立てる腰の引けた議員達より遥かに頼りになる。
彼ら国会議員は、マスコミが取り上げないから関心が無いという。藤田東吾はそのマスコミに関心を持たせようとしている。この差は大きい。
■国会議員には手を出さない?
さて、ここまで延々と藤田東吾を国会に送る、いや贈るべきことを述べてきた。理由は先に述べた通り、彼自身の身の安全確保と耐震偽装解明のためだ。身の安全で補足すると、推理小説まがいの危険が在るとすれば、まず国会議員には手を出さないだろうから、これほど安全な事は無いと思う。
で、仮に国会に贈るにあたっては、何党に贈るか衆参どちらかかの問題がある。元国交省事務次官が自民党から参議院出馬するとの報道を考えると、民主党から参議院選出馬という対立構図が最も分り易いかもしれない。
■目的は耐震偽装解明
しかしこの対立構図は面白いが、目的ではない、目的は彼に偽装問題解決の場を与えることだ。だから今後の情勢次第では、衆議院と言う手もあると思うし、そうなれば無党派だって在り得る。或いは学者や大臣と言う手もある。いづれにしても、藤田東吾擁立は具体な耐震偽装解明が目的なのでイデオロギーとは関係ないのだ。
■藤田東吾擁立の意義
藤田東吾擁立運動には、その目的もさることながら、我が国議会制民主主義の歴史上初の試みと言う意義がある。それは今までの国政選挙では、例え勝手連といえども、先ず一部の支持者が候補者を擁立し、それを大衆が支持していたが、今回の試みは、例えば先に大衆の要望があって候補者を大衆が擁立することを議論し検討するのだ。似てるけれども大衆の支持や要望の順序が決定的に違う。この話の最初の頃(1/24?)どなたかの質問に答えたように、検討の結果ヤメルのもアリだ。
従来型:一部の支持者-(出馬要請)→候補者擁立→大衆の支持→当選
今 回:大衆の支持-(出馬要請)→候補者擁立→当選?
■情報化時代の民主主義
このように大衆からの出馬要請があっての候補者擁立だから、立った時は勝算ありとして既に当選切符を手中にしているかもしれない。情報化社会においては、これが本当の民主主義では有るまいか。今までのように自分が良く知らない立候補者メニューから選ぶのではなく、藤田東吾である必要は無く、自分で直接これはと思う人物を選び当選させるのだ。くだらん連呼も不要だ。
■任せられるのは藤田東吾だけ
もしも(今のところ可能性は薄いようだが)彼が立候補するとなれば、選挙目あてだったかと言う者も出てこよう、だが、人の足を引っ張るのも程ほどが良い。何しろ何千何万と言う建築に関わる人々がいる中で、耐震偽装を告発したのは、後にも先にも藤田東吾ただ一人である。まして見破るべき地位にいた人間で、偽装を発見し告発した者は藤田東吾以外誰一人としていないのだ。彼以外にこの件を任せられる人物はいまい。そしてこの件つまり耐震偽装問題とは我々の生命財産に関わる問題なのだ。別に議員でなくても良いから偽装問題を解決できる地位への擁立の検討が望まれる。
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コメント
皆様、コメント、有難うございます。
●疑問視さま
ご賛同、有難うございます。今の日本人、枝ばかりで、こんな簡単な幹を見ようとはしませんね。
●無記名さま
ご理解ありがとうございます。昔から本領を安堵したのは土地であったように、コレに建物が加わって日本は事実上不動産本位制です。今だ銀行の担保はコレに勝るものはありませんから、国民経済の根幹に関る大事件といえましょう。
●とし様
ディープな貴ブログ、興味深く拝見しました。
「共産党みたいな連中」とは、また過激ですね、穏やかに行きましょう(←人の事言えない?苦笑)。
ただ、無意識にそういった考えに付和雷同している人が少なからずいるように思いましたので、しばし逡巡したのち書きました。
投稿: ベンダソン | 2007/02/02 11:39
お久しぶりです。
記事の感想を書かせてください。
『敵の敵は味方』と言う言葉がありました。
おそらく、私の解釈では『共産党みたいな連中』だと思っています。
つまり、共産党は、批判する相手がいなかったら何もできない人たちです。彼らは今の安倍みたいに強烈に批判する相手がいるときには多少目立ちますが、批判する相手がいなかったら「共産党って政党あったっけ?」くらいにしかなりません。
正確に言うと「批評家?いや、『批判家』」ですね。
決して味方ではないが、行き着く先に安倍政権の崩壊というのがあるので、その結論部に対しての利害関係が一致しているから、ネット上でこれだけの騒動になっているのだと私は解釈しました。
かつて、長野英子という人とメールをやり取りしていたときに私がしつこく聞いたら言われました。
「私達は批判するネタがなかったら生活できないんです」
きっとそういうことなのかなぁと思う今日この頃です。
投稿: とし | 2007/02/02 10:54
「耐震偽装問題とは我々の生命財産に関わる問題なのだ」という末言のひとことでこの問題の重要性がずしりと伝わってきました。国家レベルの安全保障そのものだと思いました。
投稿: | 2007/02/02 09:38
【見破るべき地位にいた人間で、偽装を発見し告発した者は藤田東吾以外誰一人としていないのだ】
いやまさにこの一点で全て。
投稿: 疑問詞 | 2007/02/01 23:40