« 明日25日、いよいよ発売!!! | トップページ | 談合は卑劣な民族性の証 »

2007/05/02

分かりにくい記事と分かりにくい国民

タブン、こちらの理解力の無さだと思う。さらっと読んだり、見過ごせばなんでもない事なんだろうが、あれ?っと思うと、どんどん分からなくなる事がある。ま、たいした問題ではないのですが・・・・、ゴールデンウィークの暇つぶしと思ってくださいナ。

この記事、私は何度読んでも理解できなかった。

http://www.asahi.com/national/update/0501/TKY200705010178.html

<引用開始>

助手席からハンドル切り、運転の母死亡 殺人容疑で逮捕

200705011212

秋田県男鹿市で3月、同県能代市のアルバイト店員の女性が運転する乗用車がトラックと正面衝突し、女性が死亡するなどした事故があり、県警捜査1課と男鹿署などは1日、乗用車の助手席に同乗していた女性の長女で無職、石田友美容疑者(29)=能代市二ツ井町太田面=がハンドルをわざと切って事故を起こしたとして、殺人と殺人未遂の疑いで逮捕した。「母と一緒に死のうとした」などと容疑を認めているという。

 調べでは、友美容疑者は3月22日午前10時35分ごろ、男鹿市脇本の県道で、能代市二ツ井町荷上場、アルバイト店員石田悦さん(当時54)運転の乗用車の助手席に乗っていた途中で、いきなりハンドルを両手で押すなどして、反対から走ってきた秋田市御所野地蔵田4丁目、運転手進藤充さん(43)の2トントラックと正面衝突させ、悦さんを首の骨折で死亡させた疑いと進藤さんに対する殺人未遂の疑い。友美容疑者は「無理心中を図った」と供述しているという。

 進藤さんは右足の骨が折れ、友美容疑者はひじに軽いけがをした。

進藤さんや目撃者の証言から、悦さんの乗用車がほぼ直線の道路なのに突然反対車線に出たことが分かり、同署などが友美容疑者から任意で事情を聴いていた。

<引用終わり>

■何が分かりにくい?

で、この記事の何が分からないかと言うと、タイトルには「運転の母死亡」とあるのに記事では、運転していたのは「アルバイト店員石田悦さん(当時54)運転の乗用車の・・・」とある。ありゃ、運転していたのはお母さんじゃなくて知り合いの男性だったのか、あれれ、でも、それじゃタイトルと違うぞ、となって暫く理解できなかった。

■マヌケな思い込み

これ、記事を書いた記者さんには何の責任も無い、単なる私の思い込みとアホのなせる業。なんとなれば、「男鹿市脇本の県道で、・・・」で「男」が無意識に目に入り、「石田悦さん」を男性と勝手に勘違いしちゃったところからズッコケたのだ。落ち着いて読めば石田友美容疑者と苗字が同じだから、容疑者の母と直ぐ分かりそうなもんだが、思い込みとは恐ろしい。

■人は思い込みで様々な意見を言う

いや、単にオマエがアホナだけやんかと言われれば、正にその通り、でもそれじゃあ、話が終ってしまうので、置いといて、今日は人の判断基準と根拠のお話をしよう。

我々凡夫は、日々様々に心揺れ動き、様々な見解を表現する。アベシンゾーけしからんとか、議員宿舎は贅沢だ、と言った天下国家に関る高度な(?)話題から、細○数○って全然占い当たって無いじゃんとか、まあ、いろいろな意見を皆さん、お持ちになるようだ。

で、この意見、信念のように一歩も譲れない事から、単に口をついて出ただけで意見でも何でも無いものまで、聞いた他人からすれば全部意見に聞こえる。つまり、その人の意思だ。

■族の思い込みと信念

だが、フツー、常識的に一歩も譲れない意思を持った意見か、単なる放言かは、区別付く。笑いながらアホかオマエといわれて、オウ上等だ表出ろとはならない。では、一歩も譲れない意見は、確たる根拠と思索の結果だろうか。

これが、実はそうでも無い。小生、実は若かりし頃、けっこうやんちゃをしてた時期が有って、今で言う「族」(←既に死語?)と親しくしていた時期があった。別にこちらはお友達とは思ってもいないのだが、妙に好かれるようで、向こうが勝手に寄ってきたのだ。

「族」の中には、度胸千両の「男」もいるが、実際には箸にも棒にもかからないイカレポンチだらけだ。Natural born afo なのかシンナーの吸いすぎでafoなのか良く分からんが、笑いながらアホかオマエというような話に、本気でキレてしまう。

何となく目が合っただけで「ぶっ殺す」と本気で思ったり。仲間内の噂話に尾ひれが付いて「あのヤロー、ぶっ殺す」なんて本気で思ってしまうのだ。穏やかでは無いが、何の理由も根拠も無く、それがまるで天命のように思ってしまうのだ。

■中身は畜生

バカに付ける薬は無いと言うが、ホントにその通り。だからもう随分前に、少女をコンクリート詰めにして浦安の海に沈めたり、群馬あたりのダムに、何の関係も無い青年を沈めたりという事件が有ったが、さもありなんと思ったものだ。

要するに、姿形は人間だが、中身は畜生。良心のかけらも無く、本能の赴くままどころか、その本能さえ不明の狂犬なのだ。こういうイカレポンチに何故好かれたかと言えば、タブン私が物凄く度胸のある男と思われたフシが有る。だが、これはトンデモナイ誤解。

■冷や汗と赤面

自慢じゃないが、私は臆病者で度胸のドの字も無い人間なのだ。ただバイクがやたらと上手かった。今考えると冷や汗と赤面で穴があったら入りたい話しだが、どんな街中でもフルスロットル。こけ方も半端じゃなくって、橋の欄干を飛び越え反対岸まで吹っ飛んだり、4輪と競争してブレーキが効かず競争相手の車にぶちかましたりしていた。

文章にするとスゲーと思うかもしれないが、ナニたいしたこと無い、全て想定の範囲内なのだ(概ねですが)。単にバイクの操縦が上手かったのと、タダのバカだっただけで決して度胸があるわけでは無いが、ヘタッピイにしてみればスゲー度胸だと思ったのだろう。

■お化けを怖がる族

ある日、度胸試しをしようということになって、墓場に行ったが、生まれつき理屈っぽい私は、お化けを信じてない。もしお化けが本当に出てたたられたら、あの世に行ってからオマエに仕返ししてやるからな、覚悟しとけよと、お化けの盲点を付いた極めつけの台詞も用意している。

そんな訳で、こちらはお墓なんて全く怖ないのだが、明かりをフッと消したり、懐中電灯で顔を照らしたりすると、その時の「族」の怖がり方は異常だった。要するにオツムはコドモなんですな。で、ここでも私はスゲー度胸のあるヤツとなってしまったのだ。神話なんてこんなもんかもしれない。それにしてもオソマツ。

■人の痛みを知った時

小さい頃は、良く人をぶん殴って喜んでたが、小学校6年の時にしこたま殴られてから痛さを知り、それ以降そういうことをしなった。今考えると不思議なんだが、ぶん殴った相手は、それまで決して殴り返してはこなかったのだ。

今のように格闘技のTV放映も無かったせいか、ミゾオチにイッパツ入れるとかなりの上級生でも、うずくまって泣き出すので、面白くて、通りすがりの上級生にいきなりボディブローをかましてた。どういうわけか決して、相手はかかってこなかったので、ケンカにもなっていない。そんな訳で相手の痛みが全く分からなかったのだが、自分がやられた時には死ぬかと思った。

■元来臆病な私

元々争い事はキライ(←散々人を殴っておいて良く言うな)なのと、相手がかかってくるケンカは(←フツーはそうだろう)痛いので尚更キライ、中学生ともなるともう体力が有るから、下手すりゃ死ぬぞと言うわけで、以来一度も殴り合いをすることなく生きてきた。

つまり臆病者です。ただ余談ですが、中学の時、相手の勘違いで上級生に殴られ顔が腫れ上がり、うがいしようにも口から水がぴゅーと飛び出て、母親がぶった曲げた事件が有り、それが生涯最後の(タブン)暴力沙汰だと思う。

暗がりで突然襲われたので、相手が誰だか分からず、この時ばかりは絶対仕返ししてやろうと思ってたら、ひょんなところで助けられ、オマエに借りが有るからと言われ意気消沈してしまった。

■同類以外には理解できない心の動き

そんな訳で、私は「族」ではなく、それに歳も歳、正確には元族だった彼らとは、一定の距離をおいてディスコ(←死語)で適当に遊んでいた。こういう連中とそういう盛り場に行くと、トラブルが有りそうだが、意外とそうでもなくて、けっこう知らない者同士が妙に仲良くなったりする。

この辺の理由は「同類ではない」私にはさっぱり分からないが、お互い同類同士惹かれるものがあるようだ。多分今頃は○○組といった看板をしょってるかもしれない。とは言え根は不良だから、トラブルは有る。

だが、夫々見事に口げんかで解決する。映画や漫画のような大立ち回りはなかった。ある時ちょっぴり尊敬する遊び人と、本物のヤクザの息子と3人でディスコに行ったところ、今で言うチーマーと思しき集団に取り囲まれたことがあった。

私は、内心チビリそうになりながら、こりゃどうやっても勝ち目ないなあと、逃げ道を探しながら、ハア?とか言いながら惚けていたら、遊び人は絡まれた相手にひるむことなく言い返し、ヤクザの息子は一番年上は誰だ、こっち来いと凄む始末。こいつらバカかと思いきや、急に取り囲んだ集団がペコペコし始めて事なきを得た。

帰りには、出口に一同勢ぞろいし、失礼しましたーと頭を下げられ、一体ナニが起きたのか訳が分からない。後で聞くと、遊び人は「お互い楽しんでるんだからケンカは止めようよ」と言ったと言う。んなバカな。

ヤクザの息子は、「オレんちは○○の○○組、組長だ、てめえらさらっちゃうぞと言ってやったまでだ」と。そんなハッタリで、あんなに連中がペコペコするモンだろうかと全く、狐につままれたような気分だった。

あんまり、深い付き合いをしたくないので、以来私は常に一人で遊ぶようになったが、身の危険を感じた事は、数回しかなかった。たいていは口だけで何とかきり抜けられるモンなのだ。

ところが、運の悪い人はいるもので、タイミング悪く不良に絡まれるとトンデモナイ事件に巻き込まれるようだ。先に述べた沈められた話や、ヤクザに絡まれて命を落とした大学生の話など聞くと、胸が痛む。

■クズの犠牲になる善良な市民

なんでクズに善良な市民が殺されなくてはいけないのかと、腹が立つ。クズ同士が殺し合いするならともかく、善良な少なくとも犯罪者でも無い、落ち度も無い人間が、付ける薬が無いバカの犠牲にならなくてはならないのか。全く不条理だと思う。

不条理は何時の時代、どの社会にも有るが、その頻度は社会の成熟とともに民度に比例して少なくなるはずだ。北朝鮮のような国家は今や稀だが、100年前はそうでもなかった。

言い換えれば、不条理を無くす事が近代民主国家とも言えそうだ。さて、今の日本を見るとどうだろうか。ヤクザがヤクザの格好をしているのは日本だけだが、それでも街の中を見渡すと、それらしいカッコの業界人は随分と少なくなったし「族」も随分少なくなった。

■不条理を無くす側の不条理

変わりにチーマーが増えたのだろうか。しかしそうなるとチーマーと普通の若者は区別がつかない。だんだん不良は地下に潜るのだろうか。しかし、こういった分かり易い不良たちが起こす不条理に対して、最近は本来不条理を無くす側の不条理が目立つ。

簡単に言えば、日本の北朝鮮化だ。政府関係者が巻き起こす不条理は、益々酷くなっているように思う。一連のグリーンピアの放漫経営など年金事業の不透明さ、デタラメぶりは正に不条理。ODAも実に怪しい。郵貯や国債の実態も今ひとつ不明瞭だ。

国民からかき集めた税金や金が一体どうなっているのか、マスコミは敢て分かりにくく報道しているように思える。或いはほんとに分からないのか、だとしたらこんな不条理は無いだろう。

税の使い方や政治だけではない、国家体制そのものにも不条理が有る。談合の不正を告発した第一測量が罰せられたり、耐震偽装を告発した藤田東吾が別件で逮捕監禁されたり、国家権力が堂々と不条理を造っているように思える。

そもそも、戦前の特高じゃあるまいに、自白強要による冤罪事件がいまだにあること自体、異様な社会だ。

■不条理に鈍感な国民

国民は何故、この事に疑問を持ち騒がないのだろうか。植草教授の国策逮捕説も、真偽のほどは分からないが、こういう事が有ると妙にリアリティが増す。結局のところおかしいなと疑問を感じても、誰も助けてはくれない現状だけは報道され、知っているので、不条理に立ち向かう勇気がそがれてしまうのだろうか。

勿論制度的には、戦前のような特高があるわけも無く、理由無く逮捕監禁などとは考えられないし、有りようも無いのだが、現実に告発者が見殺しにされている現状を見ると、気の毒だとは思うけれど、結果として下手に騒げば自分もやられるとの思いを、市民に植え付けているように思える。

■国民が選択した茹で蛙状態

この状態は、正に茹で蛙状態。誰が特に仕組んだものでも権力の横暴でもない。実は我々国民が造り出し、増殖させている不安と不条理ではないか、そう思えて仕方ない。情報を隠蔽したり、偏った報道をするマスコミも、実は政府機関ではない国民なのだ。

不条理を不条理と感じ、他人事にしない。こういう精神風土が有れば、不条理は少なくなる。耐震偽装は相変わらず発覚し続け、藤田東吾の告発が正しかった事が明らかになっているが、これを他人事として忘れ去るならば、天に唾するようなもの。国民の選択によって暗黒社会に向かうのだ。

■族だけがイカレポンチ?

ところで、先に述べた「族」だが、散々こき下ろした彼らのメンタリティは彼らだけのものだろうか。つまり論理も根拠も無く本気になってしまう心の動きだ。私は長い間、こういう心の動き・判断は彼らイカレポンチだけだと思っていた。

ところが、生まれて初めて、選挙の手伝いをして知ったのは、どうも我々一般市民も似たようなモンではないかということ。皆人それぞれに自分が正しいと思っているが、ではその根拠は?となると怪しいことこの上ない。

■痴呆選挙は宗教?

選挙活動を通すと、実にこれが鮮明に浮き上がってくるのだ。それぞれが自分の信念に基づいて候補者を支援しているのだろう。何しろ、自分と違う候補者を支援していると分かったとたんに敵対視してくるからだ。

それにしてもそこまで感情的になる必要は無いだろうに、さぞや候補者と深い絆と信念の結びつきがあるのだろうと思ったものだ。ところが、ところが中には、キチンと自分の考えを話す人もいて、だが聞いてみるとコレがトンでもない。何の根拠も無く候補者をスゴイと神事崇め奉っている、まるで宗教だ。

■根拠の無い支援

地方政治で○○派、××派と分かれるのは、利権だろうと思っていた私にはショックだった。利権とはおよそかけ離れた市民が、一生懸命応援する候補者は、平然と談合は必要と言い放ち、インターネットによる議会中継は、目や耳の不自由な人への差別とのたまうのだ。じゃあ、NHKは差別ではないか。

支援者達はそういうことを全く見ようとも議論もせず、ただ「いい人」の一点張り、何故いい人なのか、アーギュメントでは主張せず、ステイトメントの羅列しかしないのだ。一人二人ではない、二桁の人々に聞いたが、誰一人として、何故支援するのか客観的事実を示しての明確な根拠は無かった。

■族と変わらぬ市民

政治の話をしているのに政策論は皆無。全ては、「いい人」「一生懸命」「まじめ」「人情味がある」と言った類ばかりなのだ。つまり大変な労力を提供して、対立候補側を敵対視するほどの入れ込みようなのに、その根拠がついぞ分からない。これでは、タダの思い込みだ、何でも無いことでキレたりする「族」と程度の差こそあれ同じではないか。

余談だが、モウ一つショックだったのは、大勢のボランティアが集ってやっていると思っていた選挙戦だったが、後で聞いたら本当のボランティアは我ら夫婦だけだったこと。我ら夫婦以外は、全員が時給幾らで金品を受領していたのだ。

それでも、私が支援した候補者は少ない方らしく、他の候補者は海外旅行に連れて行ったりと豪勢だ。前から何故選挙にそんなに金が掛かるのか不思議だったが、謎が解けた。

ともあれ、人がかなりの信念を持って行動しているように見えても、実は明快な根拠が無く、けっこう感情的な思い込みであるようだ。だから情緒的民族とは良く言ったものだが、それにしても族を笑えんなと思う。

だが、明確な根拠もなく、好き嫌いのレベルで人々が社会や他人に大きな影響を及ぼす政治活動や、市民活動をしていく限りは、情緒的などと美化した言い方では済まされない。地方政治が痴呆政治ならば、その延長の国政も知れたもの。鰯の大群のように、ナニが原因かも分からず国家自体が迷走しかねないのだ。

と言う訳で、今日もクリックよろしくお願いします。

↓ ↓ ↓

人気blogランキングへ


『藤田東吾を国会へ贈るかい??』に参加する

http://groups.yahoo.co.jp/group/togotodiet/

|

« 明日25日、いよいよ発売!!! | トップページ | 談合は卑劣な民族性の証 »

コメント

とし様、コメント有難うございます。

>20分の1人に対する罪はないから自分たちは無罪だ、というような発想なのではないでしょうか?

あ、これイイ!
短い言葉で確信を付いている
上手いたとえですね。

私のボキャに加えさせていただきます。
(↑勝手に加えてる)

取り急ぎ、よろしくお願いいたします。

投稿: ベンダソン | 2007/05/07 13:39

お久しぶりです。
ちなみに、この前の逮捕されそうだった件については、こっちの感覚だと、「変に追及されたら困る」と思ったのか、その後何も処分されませんでした。警告すらありません。変な話です。

本題ですが、不条理に鈍感なのはやはり、人間の持っている集団性の成せる業なのではないか?と思っています。

極端なことをいうと、1人の人が別の1人を殺したら罪になるが、20人で1人の人を殺したら罪は20分の1になって、現行法じゃ、20分の1人に対する罪はないから自分たちは無罪だ、というような発想なのではないでしょうか?

そして、この味を知ってしまうと、人は集団になって行動し、都合の悪いことは最悪他の人に責任をなすりつけても何とも思わなくなってしまう。

そういう感じがします。

ですから、1人で1人の人を殺そうが、20人で1人の人を殺そうが、被害者心理で考えたら、まったく同じだけの罰を与えなければならないのではないでしょうか?

そう思います。


投稿: とし | 2007/05/04 11:04

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101905/14925187

この記事へのトラックバック一覧です: 分かりにくい記事と分かりにくい国民:

« 明日25日、いよいよ発売!!! | トップページ | 談合は卑劣な民族性の証 »