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2007/05/11

筋の通らぬ靖国問題

相も変らぬ靖国問題、エセ右翼のヒステリー攻撃は承知のうえで敢て取り上げたい。結論を言えば、宗教法人である以上、国による靖国神社の特別扱いはいかがなものか。よって首相の参拝はもってのほか。靖国参拝は個人の勝手、参拝したい人が参拝し、したく無い人はしなければ良い。だから無宗派の国立追悼施設を造ればよいではないか。そして靖国に祀られるか否かもも含めて当然にそこに入るか否か、本人の勝手だろう。

http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070509/shs070509000.htm

<引用開始>

首相、靖国奉納も「言わない」 戦没者への敬意は明言

安倍晋三首相は8日夕、4月21~23日の靖国神社の春季例大祭に合わせて「内閣総理大臣」名で「真榊(まさかき)」と呼ばれる供え物を奉納していたことについて、「国のために戦って亡くなられた方々への敬意を表し、冥福(めいふく)を祈り、尊崇の念を表する。その思いを持ち続けたい」と述べた。その上で「今まで通り、参拝するかどうか、供え物を出したかどうかは言わない」との考えを繰り返した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 塩崎恭久官房長官は記者会見で「私人としての事柄なので、政府としての見解は差し控えたい」と述べた。日本遺族会会長の古賀誠自民党元幹事長は「今の状況の中でいい決断だ。感謝している」と述べた。

 一方、中国、韓国両政府はさっそく反発。韓国の外交通商省は「地域内の平和安全の基礎になる正しい歴史認識に逆行するもので、非常に遺憾に思う」との論評を発表した。ただ、今回の例大祭では、河野洋平衆院議長も「真榊」を奉納しており、政府筋は8日、「三権の長は昔から奉納していたのではないか。行政の長がやってはけしからんというのは理解できない」と反論した。

 安倍首相は首相就任以来、靖国神社への参拝の有無を明らかにしない方針を示している。参拝するとしても「参院選や重要法案審議といった政治や今後の外交日程などを考えれば、秋の例大祭時が本命」(自民党筋)とみられてきた。

 与党内には、今回の供え物奉納で「今年の靖国参拝は見送るのではないか」との見方も一部で出ているが、別の政府筋は「まだ秋の参拝を断念したわけではない」と指摘している。(2007/05/09 03:24)

<引用おわり>

■国内問題と国際問題がごっちゃの靖国問題

先ず、毎度のことだが、首相の靖国参拝の是非も含め靖国問題は国内問題である。一方、A級戦犯が祀られてる場所に参拝することは国際問題だ。たまたま、合祀によって両者が同じ場所になってしまったことから、これを国際問題として捉えてしまうから、論点が不明になり、論理がご都合主義的になるようだ。上記記事にもその混乱が見られる。以下、順にお話しよう。

■靖国問題は国内問題

首相の靖国参拝は、「憲法19条思想良心の自由、同20条信教の自由、国の宗教活動の禁止」に違反するからダメ。あくまで憲法違反という国内問題だ。中韓が是非どうぞと言っても(言うわけ無いが)ダメ。第一、中韓は靖国を問題にしてはいない、彼らが問題にしているのは、A級戦犯が祀られている場所を問題にしているだけで、それが靖国神社だからイカンと言っているのだ。

■A級戦犯は国際問題

ではA級戦犯問題は、国内問題か、国際問題かについて考えよう。これは日本が決めた事ではなく、極東軍事裁判の結果を1951年に日本が受諾したのだから、国際問題だ。サンフランシスコ平和条約 第十一条【戦争犯罪】 の項には以下のように書かれている。

<引用開始>
 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。
 これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

<引用終わり>

これに対して、「裁判を受諾し」というのは日本語原文のみの表現であり、英語原文では受諾したのは"Judgements"、すなわち「判決」であるとする説がある。仏語、スペイン語原文でも同様の表現になっていて、これは日本政府が判決にしたがって、刑の執行を継続することであり、「裁判」全体、すなわちそのプロセスや判決理由についてまで同意したという意味ではない、と言うもの。佐藤和男・青山学院大学名誉教授は昭和61年の国際法学会でこの点を当代一流の国際法学者たちと議論したが、すべての外国人学者がこの見解に同意したという。

だが、だから何だ。A級戦犯を否定するなら逆だろう。戦勝国が裁く極東軍事裁判のプロセスや判決理由については確かに問題有るが、この条約で問題となっているのはプロセスや判決理由ではなく、結果であるA級戦犯という判決と、「日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行する」の受諾なのだ。

結果が問題になっているのに、過程を否定して、一体何の意味があるというのだろうか。受け入れたのが、「裁判」であろうが「判決」であろうが、よその国が日本国民に課した刑を、執行するのだ。その裁判を受諾してないとは、つまり日本政府の意に反したままということだ。裁判は、日本政府の意に反し納得できないが、刑罰は受け入れたということなのだから、相手即ち外国の意思次第ということ、つまり国際問題だ。

故に相手国がA級戦犯を無罪と言うか、日本が遡ってこの条約を正式に否定しない限り、日本は判決であるA級戦犯を否定し得ない。それをしないでおいて、いくら日本国内でA級戦犯を否定しても何の意味も無い。

同胞の有罪を認め、同胞の処刑に同意しておいて、実はあの裁判は無効だったなんて、後で言う事の恥ずかしさを考えて欲しい。日本人は無効な裁判を承知で、同胞を処刑したと言う事ではないか。

■A級戦犯を祭った靖国への首相参拝

A級戦犯が国際問題である事が理解出来たならば、A級戦犯を祭った場所へ首相が参拝する事は、当然に諸外国の反発を招くし、説明もできない事は理解できるだろう。被害者に対し身内の犯人を処罰しましたと言っておいて、家の中では崇め奉っていると分かれば、怒るのは当然ではないか。

念の為言えば、その場所がたまたま靖国神社だったという事。その場所が立正佼成会だろうが、創価学会だろうが同じだ。

■A級戦犯合祀は靖国神社とA級戦犯間の問題?

次に問題となるのは、A級戦犯合祀だ。日本人個人にとってはA級戦犯の解釈は個人の勝手、尊敬するも否定するも、その人の心の問題であり個人の自由だ。

だが合祀となると、事はそう簡単にいかない。教義によってA級戦犯とその他の戦没者の魂は一緒になってしまい、しかも分祀出来ないという。となれば、A級戦犯と一緒ではイヤだという人はたまった者ではない。

靖国に祭られている戦没者は、故人(個人)の意思で祭られている訳では無いから、元々神道とは限らない。国家神道の制度下にあって、本人の意思とは関係なく、キリスト教徒も仏教徒も一緒くただ。良く靖国派の人々は、神道は懐が広いから八百万の神を受け容れるのだよと言うが、それはアナタの勝手だ。

第一そんな理屈が通るなら、無宗派の国立追悼施設に反対する理由が無くなるではないか。他人に教義を押し付けておいて、そういう自己矛盾に気が付かないのだろうか。

■一国も早く無宗派の国立追悼施設を

以上のことから、一刻も早く無宗派の国立追悼施設が必要と考えるのだが、こういう話になると靖国派の人々は、ヒステリーを起こし直ぐにキバを剥く。そしていつも同じ事を言い反対するから、最後にその想定主張と回答を挙げておこう。

     神道は懐が広く、八百万の神を受け容れるのだから、敢て無宗派の国立追悼施設は必要ない、ムダだ。

→前記の通り。そんなに懐が広く八百万の神を受け容れるというのなら、無宗派の国立追悼施設を受け入れれば良い。しかも、無宗派の国立追悼施設を建立したからといって、靖国を否定しはしない、靖国に祀られたい方はそのまま靖国に祀られればよい。だから、他人を巻き込まんでくれ。

     靖国は日本人の心だ。

→そう思うのは勝手。一宗教法人を人に強制すべきではない。強制するならば、靖国の宗教法人を止め、無宗派国家施設として法に定めるべき。だがそれでは①とどう違う?無宗派の国立追悼施設の名前が靖国神社でも、私は一向にかまわないが。

不思議なんだが、靖国派の人々と話していると、どうもこの辺がいくら話していても噛み合わない。どうも、彼らは靖国神社或いは神道を宗教とは認識していないようなのだ。で、日本人の風習・習慣と思っているらしいということ。

だが、神社は宗教法人だ。しかも自らの意思で宗教法人として登録している。日本人の心とか伝統というなら、何故、財団法人とかNPO等にしないのだろうか。例えば「下町の伝統文化を守る会」なんてのが財団法人やNPOだったら不自然でも何でも無いが、宗教法人だったら違和感あるのは当然ではないか。

宗教法人で登録しておいて、日本人の心とか伝統とかという主張には、一体どういうメンタリティなんだろうかと首を傾げてしまう。念の為言えば、私は靖国神社を肯定しない。だからといって否定もしない。個人の勝手だ。だから、もうイイカゲンに、宗教法人でありながら、宗教ではないというような主張や、それに他人を巻き込むのは、やめたらどうだろう。

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コメント

「無宗派の国立追悼施設」という事は国家公務員が設置管理運営するという事ですよね。
それは無宗教ではなく「国家真理教」なんじゃないでしょうか(養老猛氏の説。『バカの壁』だったかな?)
また、その際は何をどうするのでしょうか。手を合わせるのでしょうか。十字を切るのでしょうか。拍手なのでしょうか。個人個人が勝手にやればいいのでしょうか。
個人個人が勝手に好きな時間に好きな場所(方向)で行うのならば、そもそも、税金かけて訳のわからぬ施設を作る意味が無いと思うのですが。

「無宗教」で「追悼」の意味がわかりません。あらゆる宗教を排除した場合、(「死者」を)「追悼」するという感情があるのでしょうか?と言うか、その際(何をどうするか想像できませんが)その物理的行為に「意味」があるのでしょうか。(どのような所作か。そして何故そう行うのか論理的に説明できるのか)

「あらゆる宗教を排除する」という前提に立つのなら、「人間は、死ねば生ゴミ、肉物体」と考えねば非論理的ではないでしょうか。

>靖国に祭られている戦没者は、故人(個人)の意思で祭られている訳では無いから、元々神道とは限らない。
ここもよく判りません。
神道ですよね。川のカミなり山のカミなり、各カミさまに「神道で祭ってくれ」と言われて祭っているのでしょうか(って言うか、「カミ」、存在しているのか)。

同じ話ではありませんか。存在しないのです。死ねば個々人の意思など消滅していると思いますが。
(理論上「無い存在」の属性はあらゆるモノが考えられます。「死んだ途端その霊は神道の信者に自動的になった。」)

>しかも分祀出来ないという。となれば、A級戦犯と一緒ではイヤだという人はたまった者ではない
タマル、もタマラナイも、主体が消滅しているのでそもそも成立しない問題だと思います。
>キリスト教徒も仏教徒も一緒くただ
もともと神道とはそういうもの(教義)です。(仏陀そのものがカミとして祀られている例もあります)。

神道には所謂「異教徒」という概念が存在しないのです(って言うか、「ある宗教の信者は他の宗教の信者になれない」って考え方そのものが一神教っていう物凄く特殊な宗教の考え方なんだけどね。他の宗教信者をメチャクチャに祀ってる例では「カオダイ教」なんて面白いよ。)

また神道では、「A級戦犯」だろうと何だろうと死ねば同じなのです。
何故なら神道には「地獄」という概念がありません。霊という段になれば、悪人と善人の区別が無いのです。

そういう教義だからそういうモノなのです。

>被害者に対し身内の犯人を処罰しましたと言っておいて、家の中では崇め奉っていると分かれば、怒るのは当然ではないか。
では犯罪者の葬儀、慰霊行為を禁止しますか。
怒るのは理解できませんが(犯罪者は消滅しております)、まぁ怒ったとしましょう。
ある人物が怒ったとして、何か問題なのでしょうか。

「死刑にする、しない」これは物理的行為。国際問題としましょう。
「慰霊する、しない」これは違います。


何か貴方の説を伺っていると、死んだ後にもその人の「意思」と呼ばれる物体がゴロン(フワフワか)と転がっており、その謎の物体「人の意思」との契約関係で「祀る」というサービスが行われているかのような印象を受けます。

貴方の説は、近代的な契約的世界観(意思が重要ダァ)と土俗的霊魂観(なんか慰霊とかしないとイケないんじゃないかなぁ)とついでに日本の気配りイズム(なんか怒ってる人には「まぁまぁ」と宥めとかないとねぇ)の奇妙な混合物の気がします。
「中途半端な合理主義」ではないでしょうか。

あまりユダヤ人らしくありませんね(^O^)。

結局、この一言にお答えいただければ(私に答える必要はないです。自問自答で可)良いでしょう。

「ブログ主様。『霊』ってなんですか。「祀る」ってなんですか」

(無論この問いは中国政府に向けてのものでもあります。「靖国に戦犯の霊を祀るとはケシカラン」という中国政府にこの一点を尋ねるだけで十分。「無神論」「宗教はアヘンなり」をその国是とする中国共産党政府が如何様に答えるのか大変興味があります)

投稿: 尋ねてみる | 2007/05/16 15:43

スパイラルドラゴン様、コメントありがとうございます。

>靖国神社の春と秋の例大祭は、戦死者の魂が戻る「特別の儀式」です。

ウゲッ、そうだったのですか。
戦死者に追悼のマコトをささげるのはスバラシイ事ですが、一宗教法人のそういう場に首相が行くとはねえ。創価学会や立正佼成会或いはキリスト教会がこういう催しをやったら、やはり首相は参拝するのでしょうか。

靖国派の方は嬉しいのでしょうが、もう少し、自らを律して政教分離のルールを守る心が欲しいものです。

投稿: イザヨ・ベンダソン | 2007/05/14 20:50

靖国神社の春と秋の例大祭は、戦死者の魂が戻る「特別の儀式」です。
8月15日の敗戦記念日は、靖国神社にとっては平日です。
よって、特別な儀式はありません。
先日、安倍晋三が春の例大祭に榊の奉納をしたと言うことは、「参拝の代わり」どころか、最も靖国神社に形式を重んじた行動だったのです。
この点を指摘した報道は、一つもありませんでした。
日頃から安倍晋三を批判しているマスコミや知識人や野党政治家の教養レベルが、いかに低いのかが、この1点からも伺い知れます。

投稿: スパイラルドラゴン | 2007/05/14 11:28

中国在住者様、コメントありがとうございます。

>日本は靖国問題を外交カード化を許してしまった、というだけ。


それが問題なのですが。

>分祠したって、またなんか言ってくるんだ、彼らは。

本文にも書きましたが、彼らの論点は分祠云々ではなく、A級戦犯の祀られている場所に首相が参拝することでは無いでしょうか?

どちらにしても、「またなんか言ってくる」かどうかは分りませんので、こういう議論の仕方は千日手に持ち込むやり方で、何の意味もありません。
首相の靖国参拝の是非については、先ず国内問題として、感情論ではなく、キチンと整理したいものです。

投稿: イザヨ・ベンダソン | 2007/05/13 18:10

甘い甘い。
> 彼らが問題にしているのは、A級戦犯が祀られている場所を問題にしているだけで、それが靖国神社だからイカンと言っているのだ。

貴兄の記事は、今回の記事のみでなく、論理的に色々矛盾点をついているのは好感が持てるが、それが通用してない(だから論理的に考えると不条理と思える問題ばかり、でしょ?)のは、国内、国際問わず政治というのは「果たし合い」でなく「戦(いくさ)」だからだ。
「果たし合い」と「戦」
http://www.akashic-record.com/y2007/suntzu.html

靖国問題なんて、日本を黙らす外交カードでしかない。本質なんてどうだっていい。慰安婦も南京もそう。日本は靖国問題を外交カード化を許してしまった、というだけ。分祠したって、またなんか言ってくるんだ、彼らは。

投稿: 中国在住者 | 2007/05/13 08:13

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