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2007/08/06

環境に優しいF君の生活と地域振興の話

友あり、遠方より来る・・・

と友人F君が思ったかどうかは知らないけれど、以前拙ブログのエッセイに書いた友人の画家を訪ね、この週末700キロ近いドライブをした。

F君は、もう随分前からけっこう有名な画家だ。ではリッチかというと、これが違うんだなあ。普通、画家って有名になると絵をバンバン売ってリッチな生活をするもんだが、彼は天性のナマケモノ。500万円で絵を売ると、1日1万円の生活を500日やって、その間な~にもしない人なのだ。

今回、F君と会ったのは彼がスペインから帰ってきて以来。かれこれ15年ぶりくらいだろうか、我が愚妻とは20年ぶりだ。トンでもない山奥に住んでいるので、会う機会が無くなってしまったのだが、珍しく病気になったとかで弱気な電話をよこしたので、これは尋常ではないと駆けつけた次第。

重い病ということで、車の乗り降りにも難儀する様子に、おいおいダイジョーブかと、ビックリ。ほとんど仙人のようなその風貌に、病気を労わるより先に、ゲージュツカしてるなあと感じ入ってしまった。

ただ昔から、仙人じみていたので、タイヘンに深刻な病と聞いても、若い頃の飄々とした感じが、より筋金入りになったなあと言う感じで、私も妻も、さほど違和感が無く受け入れてしまった。もっと同情しろよとF君は思ったかもしれないが、バーベキューの食欲は普通で、案外健康そうに見えてしまったのだ。

それはさておき、F君のアトリエは人里はなれた山村の古い製茶工場跡。かまぼこ型のけっこうな広さの製茶工場をほぼ3等分して、ギャラリー兼コンサートホール、F君のアトリエ、別の陶芸家のアトリエとしていた。まあ、芸術家にとっては抜群にリッチな作業環境でしょう。

芸術家達に、このリッチな環境を提供しているのはYさんと言う篤志家(とくしか)だ。篤志家といえば、ロックフェラーに代表されるような大富豪かと思われるが、Yさんは脱サラした普通の人、百古里庵(すがりあん)と言う蕎麦屋とキャンプ場などを経営しているが、大変だと思う。

百古里庵は通好みの蕎麦屋らしく、とんでもなく不便なところにも関らず、昼時を外しても客がけっこういた。ただ、決まった量を売ると閉めてしまうので注意が必要だ。案内標識も無いので、余程気合を入れていかないと、蕎麦にはありつけないかもしれない。

場所はこちら↓。

http://www.tabi-ru.co.jp/sugarian/

その山村は政令市浜松市にあって、都心から僅か車で30分の距離。ところがその集落の付近には自動販売機すら無い。ジュース1本買うのに、対面交通できない道を、山の下まで降りていかなければならず、携帯電話も繋がらない、すげー所だった。

F君は、村から出たがらないので、Yさんのキャンプ場のロッジを借りて、バーベキューをしながら、昔話に花を咲かせた。渓流沿いのそのロッジは、周りを鬱蒼とした森に囲まれ雰囲気抜群なのだ。ただね、少々、都会生活者には雰囲気が抜群過ぎた。

バーべキューに舌鼓を打つうちに、何時しか日が暮れ、キャンドルやランタンの明かりがロマンチックに・・・・、と思いきや、愚妻が突然に、・・・・こ怖い・・・と騒ぎ出したのであります。

確かに、このあと二人っきりでこのロッジに泊まるのは、正直・・・こ・怖い(←いろんな意味で)。なにしろあたりは漆黒の闇、そして東京付近のキャンプ場みたいに狭くない。広々とした大自然に気が付いたら、精霊の森に迷い込んだってな感じで、ロマンチックを通り越して不気味なことこの上ない。普段、アウトドア派を気取っている私だが、都会派の中のアウトドアもどきだった事を思い知った。

F君曰く、「どうも、キミ達修行が足らんねえ。」と。

我が愚妻曰く「Fさんちに私たち泊まれないの?」

F君、「あとで案内するけど、まあ無理だね」

確かに後で、案内されたF君の棲家は、だだっ広い工房で、一角に居住区がありましたが、とても余分に人が寝るスペースは見当たらない(要するにムチャクチャ)。まゲージュツカのアトリエなんてそんなもんでしょう。

F君は、いたって平気。まっ、しょうがないね、Yさんに頼んで道路傍のにぎやかな所を手配してもらうよ、と。おー、それは有難い、では早速と、既に家に帰ってしまったYさんを訪ね、カクカクしかじかと頼み、移動を開始。

とっ・・・、ところが、道路傍でにぎやかと言うそのロッジも、真っ暗闇の山の中、確かに道路傍かも知れないが、先のロッジと大差ないじゃねーか。恐らく1日に車が1台も通らないような所だ。ただ幸いにして、大きなロッジでエアコンも効いていたので、戸締りをすれば外界と遮断される。とりあえずの恐怖からは逃れられるので、最初のロッジよりはよろしい。

という訳で、長旅の疲れもあって、9時には寝てしまい、朝の6時にF君が起こしに来るまで熟睡してしもた。F君のここでの生活は、日没とともに寝て、朝日とともに起きるんだそうだ。そして彼の家にはTVもなかった。

全く健康的な原始生活をおくるF君が病気になって、酒と夜更かしという不健康極まりない我が夫婦はいたって健康というのは、一体どういう訳なんだと言ったら、F君曰く、それは、憎まれっ子世にはばかると言うヤツだろうと・・・・、う~む言えてるかも。で、ボクは善人だからね、とも。F君は長生きしそうだ。

ところで、こう言ってはナンだが、F君の絵はどれも若い頃より格段に良い。「キミも随分、絵が上手くなったなあ」と冷やかすと、「まあ、長年、絵ばっか描いてるからね、上手くなんなきゃオカシイよ」と。

それにしても、天才ではあるけれど、天性のナマケモノだったF君であるが、F君のアトリエの中は絵だらけ。これはどうしたことかと聞くと、美術館が、彼の個展を開催してくれると言う(←これってスゴイことだ。本人もエライが、タブン相当Yさんが頑張ったのだろう)。サスガのF君も気合が入ったらしい。200点は展示しないとね、と。

私には到底、出来そうも無い原始生活。仙人のような生活をおくるF君だが、村人にけっこう気を使い、溶け込んでいるので、よくやるなあと言うと、キミ、地域社会と一体にならなければ、ここでは暮らしていけないんだよと。

仙人は、けっこう社会的で、私の方がはるかに反社会的だなあと感じ入ってしまった。また先のYさんに対しても、感謝の念が話のあちこちににじみ出る、唯我独尊のF君が褒めた人はこれまで3人しかいなかったが、4人目がYさんだ。

■環境に優しい生活の可能性

さて、ここで二つ思った。一つは環境問題を語るとき、私はずっと原始生活に戻る事はできっこないと思っていたが、ホントにそうだろうか、我々の生活はホントに改善できないのだろうか、という事。

F君の住む山村の生活は、トイレが水洗化(=浄化槽)されている以外、ほとんど明治・大正時代の趣が有る。電気や電話は勿論、インターネットもあるけれど、日の出とともに起きて、日没とともに寝る生活は、さほどエネルギーを消費してるようには見えず、それでいて不便にも思えない。水はミネラルウォーター使い放題だ(←要するに井戸)

軟弱な私たちは、窓を開けられずエアコンを使ったが、村人がエアコンを使っている様子は無いし、実際、不便もなさそう。猪が畑を荒らすのが困り物だが、ここでは自給自足も不可能ではない。最低限の食糧安保は確保されている。

これら山村生活も自給自足が可能といっても、工業製品等文明の恩恵はある程度必要だから、これらを当然に購入する。だが、冷蔵庫やTV、車などは必需品だが、冷蔵庫以外は、都会と比べて圧倒的に使用頻度が低くて、エネルギー消費が少ないのは事実。当然にCO2排出も少ない。

同じ日本国の国土にあっても、こういう山間地域は酸素を供給し、CO2を定着しているから、都心居住者は、これら山間居住者が工業製品等を購入しているように、山間地域から環境権を購入すべきではないかと思ったのだ。

■篤志家と芸術振興

二つ目は、篤志家Yさんのこと。よく文化や芸術による地域興しを標榜する人々がいる。と言うより日本全国、ドコの市町村でも、「歴史と文化、芸術のかおる街」なんてキャッチフレーズを掲げる。

そして、やれ文化会館だ劇場だと、税を投入し、箱物を造りたがる。だが仏造って魂入れず、肝心の芸術育成はさっぱりだ。地域興しのボランティアを気取る人々も、本気で芸術家を育成し、バックアップしようなどと言う人はほとんど見られない。

何かのイベントで、地域の音楽家を紹介するくらいなもので、定常的に芸術家をバックアップしようと言う活動は少ない。そんな中、決して豊かには見えない(失礼!)Yさんご夫婦が、彼の地の環境に惚れ込み移住し、そこで蕎麦屋とキャンプ場を経営しながら、芸術家をバックアップする姿勢には敬服する。

元々地元の人ではないから、普通は移住した自分のことで精一杯だろう。古来より芸術を育成したのは、所謂だんな衆であり、金持ちの道楽であったから、地域お興しを標榜する庶民に、これを望む事自体酷な事では有るけれど、Yさんは、誰に自慢する事も無く、ごく自然体でこれをやってのけている。

こういう人や活動に対する、国や自治体の援助は得られないものだろうか。しょうもない審議委員や、空虚な委員会などに金を使うくらいならば、余程実のある税金の使い方だと思うのだが。

ところで、愚妻が怖がっていた例のロッジ、翌日バーベキュー跡を片付けに行くと、30人ほどの親子連れがバーベキューをやっていた。直ぐ下の沢は、映画の1シーンに出てくるような天然のプールで、カルキ臭も無く、潜ればお魚とお友達とあって、子供たちが大はしゃぎしていた。

■地方都市のポテンシャル

政令市といえば大都会のイメージだが、浜松の中心からホントに車で30分の距離と言うのが信じられない自然の豊かさだ。イザとなればいとも簡単に都会に出られる田舎は、魅力的だ。関東で言えば、長瀞のイメージだが、長瀞の方がはるかに都市的だ。ところが、長瀞から都会に出るには、半日掛かる。

ところで、世界中の大都市はみんなこんなものだ。都心から車で1時間も走れば田舎というのは普通だ、仙台も福岡もこんなもんだ。あの広大なロスでさえ、グリフィス天文台まで車で直ぐだ。東京、横浜、大阪が異常なんだろう。それにしても都心から30分の田舎暮らしは魅力的だ。

山に飽きたら、直ぐ傍に浜名湖があり、海がある。就業の場さえ確保できたなら、コンナリッチな生活は無いだろう。話が飛んでしまうが、地方分権の中で税制も大幅に改革されつつあるが、まだまだバラマキ行政だ。

小さな政府を実現し、税制も完全に委譲したなら、はたして浜松のような地方都市は沈むだろうか。決してそんな事は無いのではないか。効率化のためには大都市集中は良い事だが、それにも限度がある。東京のように過度に集中してしまうと、渋滞や通勤地獄などの非効率さが、本来有るべき都市生活の快適さをスポイルしてしまう。

だから浜松のように、元々産業立地が進んでいる地域で、交通インフラや土地利用にゆとりある地域では、独自税制により産業の呼び込みがし易く、都市間競争のポテンシャルが高いように思う。

東京一極集中を解消するため、Uターンだの、I/Jターンだのと言葉を弄してきたが、本来、分権化されていれば、都市間競争によってほっといてもそうなっていたはず。それはかつての日本の歴史ばかりか、世界中の歴史が証明している。

それにしても、おんぼろカーナビはとんでもないルート案内するし、700キロの道のりをCO2撒き散らして走るのは、疲れた。老後は、沖縄あたりでノンビリと、と考えていたが、浜名湖の畔でというのも、候補に入れようか。ちょうど日本列島の真ん中で、子供たちや、友人も遊びに来やすいしね。

インフラも整備されているし、いっそ、ここを新首都にしてしまえばいいのになあ。阿武隈辺りの基盤整備が必要な所より、よっぽど良いと思うが、皆さんいかが?

というわけで、本日はこれにて。

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