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2008/01/30

物は一流、者は三流?~冤罪に見る日本の憂鬱

志布志事件、高知県春野町の白バイ事故等、このところ疑う余地が無い冤罪事件が明るみになっているが、それに対して、知らぬハンベイを決め込む当局者達の神経を疑ってしまう。日本の司法当局 (警察、検察))には、誤りを認めてはならないという内規があるのだろうか。

■間違いがあってはならない=間違いは無い?

つまり、警察、検察のやることには絶対に間違いがあってはならない⇒間違いは存在しない⇒存在しないものは認められない。とまあ、こういう図式なんだろう。この思考システムの中には、「事実」という概念が入っていない。あくまでプライオリティは「間違いがあってはならない」、このべき論一点だ。

■「べき」と「である」の区別が付かない日本人

べき論・精神論としてはそのこと自体、間違いではない。司法当局に間違いがあってはタマランから、当然だ。だが、人である限り間違いはある。ゆえに、「こうであるべきだ」と「こうである」は別だ。ところがどっこい、これがきちんと区別できる日本人は案外少ない。目標あるいは希望と現実は違うものだけれど、これをごっちゃにしてしまうのが日本人の悪い癖だ。

日本はアジアの平和と繁栄目指し、大東亜共栄圏のために鬼畜米英と戦い、勝たねばならぬ。と、負け戦を最後まで認めなかった。このDNAは、どうやら日本人にはしぶとく刷り込まれているようだ。

■裸の王様なら笑えるが

その結果、「間違いがあってはならない」という絶対的目標を掲げておきながら、起きてしまった現実の間違いさえも「間違いではない」として「間違い」を冒すパラドックスに陥ってしまう。この間違いが、当の本人だけに掛かる事ならば裸の王様として笑えるが、害が他人、しかも無実の人に及ぶとなれば、シャレにならない。

■中国を笑えない

よく中国の後進性を笑う人が居るけれど、はたして日本人にその資格があるだろうか。日本人は見た目の豊かさ、たとえば身なりとかが立派なら先進国と思っているのだろうか。脆弱な都市基盤の上に建てた木と紙の家に住んでて、へ~?とも思う。GDP世界第2位を本気で信じて、満足してる人はよほどおめでたい人か、海外旅行したことが無いのではないか。

■権力の横暴に無関心

ま、それはさておき、日本が先進国というならば、木と紙の家に住んで、その日暮らしをしていても、せめて心は先進国であって欲しいもの。なのに、こんな誰の目にも明らかな冤罪、権力の横暴に対して、無関心でいられる国民とは一体どういうことなんだろうか。

■明日の我が身なのに

耐震偽装事件でもそうだったが、なぜか国民は自分に降りかかっていない問題に関しては、まるで他人事として、深く考えようとはしない。でもこんな事がまかり通るなら、明日の我が身、いつ犯罪者としてしょっ引かれるか分かったものではない。

■線引きの無い恐怖

そして、始末悪い事に、そこには一定の明確な線引きがされていない点が極めて恐ろしい。なんとなく見えてくるのは、お上や強い者にたてついてはならないという不文律。耐震偽装事件はその典型だった。志布志事件ではさらにそれがエスカレートし、国家権力が市民に因縁を吹っかけ、それに素直に応じないかったから冤罪を被せ、もっとひどい目にあわせられたという訳だ。

この志布志事件では、驚いたことに何の根拠もなく無実の人々をしょっ引いたのだ。暴走族とか普段札付きのワルが、警察の思い込みでしょっ引かれるというような、良くあるパターンでは無いのだ。特に権力に楯突いたと言う訳でも無い。なぜ、しょっ引かれたのか、明確な線引きが見えてこないから恐ろしいのだ。

■泣き寝入り

その結果被害者は泣き寝入りするしかない。たとえ無実が証明されても、それは本来の姿であって、犯人扱いされたことに対するオトシマエは一体どうなってしまうのか。わずかばかりの国家賠償?ジューダンじゃないだろう。

■中世社会

人間のやることだから間違いはある。だから司法当局の間違いを、あまり徹底的に追及しすぎると、犯罪や悪の取り締まりに当局が怯んでしまいかねないから、これは確かに諸刃の刃ではある。けれど、間違った先入感が与えられたわけでもなく、まして何の根拠も無く人を冤罪に陥れたり、身内をかばう為に被害者を加害者に仕立て上げたりという事が、こうもまかり通るようでは、まるで中世の社会だ。

■物は一流、者は三流

かの国を笑うなんて、10年どころか100年早いような気がする。表向きはGDP世界第2位、世界トップクラスの工業生産品など、数字や「物」は一流でも、「者」は中世・三流のままなんだから。

こちらを見て、そう思った。国民も、もうやられっ放しで泣き寝入りすべきではない。立ち上がった冤罪被害者に喝采を送りたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080125-00000011-maip-soci

鹿児島・踏み字 元警部補に懲役10月を求刑

■計算が合わない

ただ、ここでまた憂鬱になるのは、原告が完全勝利したところで、懲役10月でしかない点だ。無実の人を、何の根拠も無く、数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留など違法な取り調べを行ったとされる事件でありながら、その求刑は10月にしかならない?単純に計算が合ないのだ。

法律上はそうなるんだから仕方無い?だったら殺人も絶対死刑にならない、12億円の詐欺をしても返すのは10億円以下、1年間人を監禁しても、懲役は10月以下、という風に法律を変えなければ、法としてのアイデンティティが保てないだろう。

しかし、それじゃ法として機能しないな。じゃ、どーすれば良い。簡単だ、間違いは間違いとして、皆が関心を持って・・・

怒れよ!

言っときますがミナサン、これ他人事じゃありませんぜ。明日の我が身、いつアナタがタイホされるか分かったモンでは無いのだよ。実際、私は実感することがあってゾーっとした。よくよく言葉を選ばないと怖いし、寝た子を起こしかねないので、ま、これについては、また後日。

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