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2008/03/25

最初のスイッチ

物事の判断、最初に入る心のスイッチがどちらに振れるかで、結論が決まってしまうのかもしれない。そして、結論ありきで、答えに合わせた式(理屈)を後から考える、それが自分の主張であると考える?これが我々の日常かもしれないと、ふと、そんなことを考えた。

先ずはこちら

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080324-00000966-san-soci

<引用開始>

「夜スペ」は公共施設の目的外使用 正式実施の中止求め仮処分申請3月24日20時20分配信 産経新聞

 東京都杉並区の区立和田中学校(藤原和博校長)が、大手進学塾と提携して試験的に実施している有料の受験対策授業「夜スペシャル(夜スペ)」をめぐり、同区の住民49人が24日、「夜スペは公共施設の目的外使用」などとして、区などに4月からの正式実施の中止を求める仮処分を東京地裁に申し立てた。

 申立人には、和田中の保護者は含まれていない。申立人らは、夜スペが大手進学塾1社と契約を結んでいることから、公共施設が一部企業の営利目的で使用されることになり、違法行為に当たると主張している。

 夜スペをめぐっては、当初、東京都教委が義務教育の機会均等の観点から問題があると指摘したが、協議の結果、「学力向上という公共の利益のためで違法には当たらない」と判断。今年1月から試行的に実施されている。

<引用終わり>

皆さんは、この記事を読んで何をお感じだろうか。私は、はあ?何言ってんだ、と思った。理由は以下の通り。

     学業であるから目的外ではない。

     塾が企業であるから営利目的と言うなら、その論点で議論すれば良い。料金が一般と同じ若しくは高いなら問題だが、塾の料金が安いなら、何の問題があるのか。

     強制しているわけではない

     これをもって教育の機会均等に反するというなら、一般の塾は?

記事を読む限り、反対している住民は、「目的外使用」を論点にしているようだから、だとすれば、反論は①だけで済む。それに「そんな目くじら立てることかい?」とでも加えようか。でも、タブン反対住民のそれは、ただの言いがかりに過ぎず、本音は「営利目的」「教育の機会均等」ではないか。故に、②③④だ。

ただこれは、あくまで、記事からの判断であり、実際、この訴えを出した住民の方たちの主張はもっと違うところに有るのかもしれない。だから想像の範囲であり、これをもって反対住民を単純に批判してると思われても困る。そういう前提での本論とお考えいただきたい。ということで、先に行こう。

さて、反対の本音が、「営利目的」「教育の機会均等」であったとしてだ、「営利目的」がいけないなら、塾は全部禁止すべきだろう、学校でやるのがおかしいというなら、何故いけないのか、そこを明らかにしなければ、駄目だから駄目と言ってるに過ぎない。

学校で、飲み屋をやってるわけではない、特別の授業を有料でやってるのだからなおさらだ。こうした話の時に、この「有料」と言う単語にやたら拒否反応を示す人がいるが、有料が問題なら社会は成り立たない。義務教育だって実は税金と言う名の有料なんだから。

現実に、塾が一般化していて、高額の料金を払って多くの生徒が塾に通い、お金の無い家庭では塾に行かせる事が出来ない。これでは、子供の側から見れば、不公平だ。それが、安い料金で塾に通えるなら機会均等の推進ではないか。

それでも、有料である限り、塾に通えない生徒はいるだろう。そこに目を向け、基準として機会均等を考えるならば、この「夜スペ」がいけないのではなく、全ての塾がいけないのであるから、「夜スペ」反対の論拠には成り得ない。

しかし、こうした主張をする人々は、私利私欲で動いている訳ではなく、恐らく純粋に信念に従ってのことだろう。「企業が金を儲けてケシカラン」という視点にたつか「貧しい家庭にも機会を」と考えるかは、その人のメンタリティの問題で、故に最初のスイッチの入り方なんだろうと思った次第。

で、「企業が金を儲けてケシカラン」という視点に立つ人も、「貧しい家庭にも機会を」と考える人も、議論のテーマが「教育の機会均等」だったりすると、実はお互い違うことを話している。前者は「教育」というジャンルにおいての「金儲け」を批判し、後者は文字通り「機会均等」を論ずる。

最初から違うことを論じているのだから、永久にかみ合うことは無い。こういう例、日本では非常に多い、とゆーかほとんどの議論がそーじゃないだろうか。前提条件や論点を明確にしないで、ただただ主張だけを放言する。

まったくもって、壮大な無駄だ。だから、いつも私は、そんな不毛の議論には巻き込まれないようにしているが、社会全体が議論の前提条件や論点に鈍感だから、どーにもならない。否応無しに巻き込まれてしまうのが実情だ。だから、情緒的民族というのだろう。世界には通用しないのだが・・・。

ではまた・・・。

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