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2008/04/28

素朴な疑問(1)

普段何気に聴く話題に、さらっと聞き流せば気にもならないけれど、時々はてなホンマかいなと思うことが少なからずある。今日は最近気になったハテナ?をいくつか呟いてみよう。

     当初予算が執行できない?

片山さつき氏が今朝のTVで言うには、道路特定財源が無くなると、今年度の全国自治体の当初予算が執行できなくなり予算再編が必要になる。地方の土建業者はみな仕事が無くなり大変な事になると言っていた。

片山さつき氏は主計局主計官までつとめた人物だから、嘘や間違いは言わないとは思うし、同席していた民主党議員も反論してないのだが、率直なところ、ホンマかいなと思ってしまう。だって、前年度議論し議決したその年の予算がその年の税収に左右されるなんてこと、本当にあるんだろうか。それじゃ自転車操業じゃないか。

フツーに考えれば、前年度の税収でもって予算を組むんじゃないの?でもって、足りない分を起債(予定)するんじゃないのかねえ。国が地方にばら撒く交付金とかが、先月の実入り(税収)が少なかったからできません、ってホントにそんな話になるんだろうか。それが国家財政?貯金ゼロの日雇労務者じゃあるまいし、信じられないんだが。

ガソリン税が引き下げられたのは、4月になってから、つまり今年度に入ってからだ。だから、ちとくどいが税収に影響が出るのは、4月以降の事、しかも間接税だから、所得税みたいに一時期にまとめて徴収するものでもない。恐らく月単位か、各スタンドの決算時期によって徴収されるのだろう。それが今年の予算執行に直接リンクしてる?

でも、プロ中のプロである片山さつき氏が言うんだから、間違いあるはずもなく、税収と予算執行はリアルタイムで連動してるんだろう、要するに自転車操業だ。だとしても解せないのは、仮に自転車操業だとしても、町工場の話ではない、一応この国では最も信用のある国家の話なのだ。

当初予算の執行が、議決翌年度の制度変革で執行できなくなるなら予算の意味が無いから、その年の国家と地方政治のあり方としては、予算執行にこそプライオリティがあるはず。だからそれこそ緊急措置として国債を発行するなり、自治体は起債を起こせば良いと思うのだが・・・。

こんなこと言うと、国際発行や起債手続き上不可能とか何とか言われるのだろうが、今年度の予算執行ができないから、暫定税率復活を強行採決するなんて理屈が成り立つなら、国債発行や起債も強硬採決すればいいんじゃないの、と思ってしまう。

     道路特定財源が無くなると道路ができなくなる?

この理屈も、まことしやかに言われているけれど、ホンマかいな。だってそもそも論で考えてみれば、国家がやるべきことと税収は連動してるはず(=無駄使いを前提にしてないと言う意味)だから、道路特定財源が無くなると道路ができなくなるなって理屈が通るなら、造らなくて良い道路を造っていますと言ってるようなもんだ。

造るべき道路が必要なものならば、特定財源であろうと無かろうと、国家予算の中で配分すればよいだけ。一般財源化したからといって道路を造らない・造れないという事にはならない。

道路特定財源ならば道路にしか使えないが、一般財源化すれば道路にも使えるが他にも使えるということであって、道路に使ってはいけないということにはならないのだ。だから、道路特定財源が無くなると道路ができなくなるなんて理屈は、既得権益を守りたいが為の本音丸出しにしか聞こえない。

     不当裁判疑惑における検察の言い分は?

次なる疑問は、光市母子殺害事件によらず、不当裁判などと問題になる事件のハテナ?だ。主に冤罪疑惑に多い。どーゆー事かと言うと、不当裁判の疑惑がある事件などで、表層的には、マスコミが検察寄りなので、関心を持って調べると、弁護側の主張には直ぐ出くわす。

で、そこまでは、ふむふむそれはおかしーんじゃねーのと疑問を抱かせて、まあ良いというか、検察の恣意性や欺瞞性が浮き彫りにされるのだが、そこから先の、冷静な情報が出てこないのだ。だから、いつも「それはおかしーんじゃねーの」と思いつつ、当事者でもないので、実際のところが今ひとつ分からず仕舞いだ。

それがいつも歯がゆい。冤罪事件などの問題裁判では、報道されたりするの情報は、逆に弁護側ばかりの情報になりがちだ。これは検察=権力の横暴を暴くと言う構図が面白おかしいからかも知れないが、報道される明らかに「おかしな証拠」や「論拠」があまりにもお粗末過ぎる

から、何故裁判所はこんな簡単な事に気がつかないのだろうかといぶかってしまう。

で、次に沸く疑問は、しかし、このような知識レベルで本当に裁判所が簡単に検察寄りになるとしたら、裁判官は救い様のないバカとなり、まあ、そう言い放てば気分が良いけれど、はたしてホントにそんなバカが司法試験に受かるだろーかとも思ってしまうのだ。

確かにマスコミは権力寄りだが、寄っていくのは権力ばかりではない、もっとも彼らに大切なものは「売れる」ことだ。だから権力が弱い個人を弾圧すると言った構図が大好きで、それで大衆を煽ると記事は売れるし、一見正義の味方にもなれるから一石二鳥だ。

と言うのは言い過ぎかも知れないが、とにかく問題となった裁判では、弁護側の問題提起は報道するが、それに対する検察側の反論や、裁判所がどうして検察側の言い分を認めたのかがほとんど報道されない。

今回の光市母子殺害事件では、比較的マスコミ報道が冷静で中立を保っているように思うが、それでも、裁判所が何故、弁護側の主張(首を絞めた跡の不自然さ)を退けたのか、その理由が今ひとつ分からない。

重要なポイントだと思うし、それほど紙面を占領しなくとも説明できると思うのだが、正確に報道することは、そんなに困難なことなんだろうか。

つづく(タブン?)

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コメント

>日本では99%が有罪というのも、それをもって裁判が恣意的である根拠にはなりません。別の見方をすれば、有罪が確実なものしか起訴しないと言う見方もできるからです。実際、法に照らして違法行為が罰せられるかと言えば、むしろ罰せられない事の方が多いのではないでしょうか。

そのような説は存在します。

日本の犯罪検挙率は20%を切っているのが実状ですが、その反面、起訴率は高く平成14年版「犯罪白書」によると、交通関係業過を除く刑法犯の起訴率は56.9%(前年比0.7ポイント減),起訴猶予率は34.2%(同0.2ポイント増)、嫌疑不十分による不起訴は5%ほど、となっています。
起訴猶予は、微罪であるとか、罪を認めた上での情状によるものであり、有罪の見込みが低いから起訴しないという性質のものではありません。
有罪が確実なものしか起訴しないから有罪率が高いなら、嫌疑不十分による不起訴率が非常に高くなるはずであり、そのような説は全く実状に合わない屁理屈でしかありません。

投稿: 珍県民 | 2008/04/29 18:59

珍県民様、コメント有難うございます。

>心神喪失と診断しているのに責任能力の有無は専門家でもない裁判官の心象で決めると言い、被告人(三橋かおり)は完全に責任能力があったと断定しています。

全くその通りだと思います。報道された理由は首を傾げざるを得ず、細かく言えばそれなりの理由があるのでしょうが、俯瞰して見ると、いったい何の為の精神鑑定なのか、どんな説明もムリがあると思いました。

この件に限らず、最近の裁判は報道を見る限り、裁判所はイカレポンチの租界かと思う判決が多過ぎると思います。ただ、本文にも書きましたが、曲りなりにも司法試験をパスした人々であり、そういう人が裁判官になるとイカレポンチになってしまうとは、どーしても信じがたいのも事実。

日本では99%が有罪というのも、それをもって裁判が恣意的である根拠にはなりません。別の見方をすれば、有罪が確実なものしか起訴しないと言う見方もできるからです。実際、法に照らして違法行為が罰せられるかと言えば、むしろ罰せられない事の方が多いのではないでしょうか。

特に経済事件や知能犯は、やりたい放題、よほどのことが無い限り罰せられる事は無いように思います。話は逸れますが、だから経済犯罪は割に合うと思います。要は羞恥心や正義感或いは善悪の判断が付けば絶対に出来ないことですが、そういうモノが欠落した人々にとって、損得で言えば仮に罰せられたとしても割に合うので、何度でも再犯を重ねるのでしょう。

つい先日、10億円もの公金を横領し、ギャンブルに使ったと言う事件にしても、幾らギャンブルに使ったとしても一応勤務しながらでは、使い切れるはずも無く、どこかに隠しておけば、どんな長期刑であろうとも割にあうでしょう。

話を元に戻して、日本の裁判制度がおかしいと言う話では、99%が有罪云々などと言う事よりも、どの角度から見てもおかしいぞと言う情報なり主張がほとんど無いのが歯がゆくてなりません。過去の多くの冤罪疑惑事件にしても、弁護側の主張を聞く限りウヘーと思いますが、それらの論拠なり証拠が逆の側から見てどうなのかと言う検証が一切と言ってよいほど無いのが現状ではないでしょうか。

だから、司法当局がおかしいとの被告側に立って見ると、いったい何て事だ日本の裁判はおかしいんじゃねーのと思いますが、逆の側から見てもそうかと言えば、そうでもない可能性を棄てきれず、ゆえに一切の感情や見解を排除した客観的判断材料のみの報道なり情報が欲しい、意見や解釈はその後で幾らでも聞くからと思ってしまいます。

もっとも、これは単に私に情報収集能力が無いだけかもしれませんが、多くの人々も同じレベルでしょう。

投稿: イザヨ・ベンダソン | 2008/04/29 11:48

日本の刑事裁判は99.9%が有罪であり、北朝鮮などを除けば(除かなくても?)日本の検察はダントツの世界一と言えます。
裁判所は検察の言いなりであり、判決を書く訓練も有罪のものだけで、無罪の判決は想定していないそうです。一人の裁判官が一生に一度あるかないかの無罪判決など練習の必要もないというのでしょう。
今日の判決でも、弁護側検察側の医師がともに心神喪失と診断しているのに責任能力の有無は専門家でもない裁判官の心象で決めると言い、被告人(三橋かおり)は完全に責任能力があったと断定しています。
日本の裁判官は皆超能力者なのでしょう。

光市の事件のように、検死の結果と検察の調書がまるで一致しなくても、そんなのどうでもいいのが日本の裁判です。
何しろ名古屋あたりでも監察医がおらず、司法解剖などほとんど行われていないので、検死の結果と検察の立証が一致しなければならないとなると、殺人事件は多くが無罪になってしまうでしょう。

逆に検察が起訴しなければ、フィリピン女性バラバラ殺人のように、どう考えても明らかに殺人事件なのに、死体遺棄罪だけで3年半の刑だけで終済ませ、また今度同じ男が同じことをやらかしても、またも死体遺棄罪だけ起訴して終わらせることになるでしょう。死体がバラバラで証拠がなくても殺人で起訴さえすればどうせ有罪なのに。
被害者がフィリピン人で遺族が騒ぐこともないし、マスコミも力を入れないから、検察もテキトーになるのでしょう。

投稿: 珍県民 | 2008/04/28 23:15

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