公務員の給料は、税収に連動すべき!
だから、皆さん賃金カットにも耐えてるのだろう。なのに公務員は、身分の保証がある上絶対倒産しない、その上給与は財政状態に無関係に高止まりだ。こんなバカな話はあるまい。橋本知事は、担当部局から注意をされ、発言を撤回したようだが、撤回する必要なんかない。
発言を撤回させた圧力に対して、大阪府民は勿論、国民が怒らないのが不思議でならない。つくづく日本国民はピグミンだなあと、思う。それとも、おバカ?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080418-00000978-san-pol
<引用開始>
橋下知事「昨日の涙はうそ泣きにして」 人件費削減発言を撤回(4月18日21時53分配信 産経新聞)
大阪府の橋下徹知事は18日、府の財政再建に連動して各市町村に人件費を削減するよう求める方針を明らかにし、「府下全域で10%下げれば相当財源が出る」と述べたが、その2時間後、「それぐらいの気持ちでやってほしいという思いを述べたもの」として、あっさり発言を撤回し、釈明した。さらに府内全43市町村へも発言撤回を知らせるメールを送るなど、事態の収拾に追われた。
橋下知事はこの日、講師を務めた多重債務者対策に携わる府市町村職員を対象とした研修の後に会見。その中で、17日に開かれた改革プロジェクトチーム(PT)による財政再建プログラム試案に関する市町村との意見交換会で、厳しい意見が相次いだことについて発言した。橋下知事は「『府民サービスに切り込まれる』『弱者切り捨て』『高齢者に配慮がない』とか言う前に、人件費に切り込めと言い続けたい。府下全域で10%カットすれば十分立ち直る」と強調。「記者会見や首長と直接会った際に協力を求める」とした。
しかし約2時間後、府庁で取材に応じた橋下知事は、会見での発言について「(府の)市町村課からも、『あれはまずい』と言われた。それぐらいの気持ちでやってほしいということを述べたものだ」として、市町村に人件費削減を呼びかけるとした発言を撤回した。さらに、「市町村に一律10%カットの方針を押し付けるつもりは全くなく、具体的に人件費カットのお願いをする趣旨ではない。発言については撤回をしたい」とのコメントも発表。全市町村にも同様のメールを送り、理解を求めた。
また橋下知事は会見の中で、17日の意見交換会で涙で言葉を詰まらせた件について、府市長会会長の倉田薫・池田市長に電話で謝罪したことを明らかにした。その上で、「悔し泣きのように書かれたのは不本意。頑張っている職員に申し訳ないという思いがあった。財政再建試案で人件費削減を打ち出した改革PTの職員の相当な覚悟を思い、感極まったところもあった」と振り返った。その一方で「いじめられてどうこうというわけではない。うそ泣きということにしておいてもらって、議論してもらわないと。府民が勘違いして『かわいそうだから』と応援してもらっても困る」と強がってもみせた。
<引用終わり>
■弁護士とコメディアン
橋本知事は、その軽いキャラクターが災いしてか、どこか「思いつき」のイメージが払拭できず、孤軍奮闘しても、東国原知事ほどの受けがないようだ。軽さで言えば東国原知事の方が軽いのに不思議な気もするが、方や売れっ子弁護士、方やコメディアンというところに原因があるのかも知れない。
■本質論より相対論
どーも日本人は、物事の絶対的な本質論より相対論で判断する傾向があるようだ。だからヤクザが年寄りに席を譲ると「ホントは良い人」となるが、牧師がやっても誰も誉めないし、逆にヤクザが人を殴っても誰も咎めないが、牧師が人を殴ったら大騒ぎになるだろう。
これは、「席を譲る」といった善行の絶対的基準や、「殴る」という悪行の絶対的な基準には目を向けず、対象となる人物の普段に基準を置き相対的評価するからだ。
10の悪行を重ねたヤクザの1の善行と、10の善行を行った牧師の1の悪行を絶対的に比較するならば、ヤクザは牧師の10分の1しか善行してないし、悪行は10倍重ねていることに気付くはず。
■ヤクザの善人と、牧師の悪人、本当はどっちが悪人?
ところが現実の日本社会では、そういった評価はあまりなく、10の悪を重ねたヤクザの-10、10の善行を行った牧師の評価を+10を基準とし、これに対して1の善行の相対評価をする。つまり、同じ1の善行でもヤクザがやれば、-10に対する+1だから、+11と10倍の評価だが、牧師のそれは、+10に対する+1に過ぎず、ヤクザの善行の方が10倍の価値を持つ。
で、悪行三昧のヤクザをして、あの人は本当は良い人となり、人のために尽くしてきた牧師はたった一度の過ちで、本当は酷い人と烙印を押されてしまうのだ。もちろん全部が全部こうとは言えないし、そもそも今述べたことは比喩的表現ではあるけれど、総じてこういう傾向が日本人にはあると思っている。
■二人とも知事
これが、橋本知事と東国原知事にも当てはまる。方や売れっ子弁護士だから、軽い発言をすればボロッカス叩かれるが、肩やお笑いタレントだから軽い発言は当たり前と、誰も目くじら立てたりはしない。でも、二人とも知事なのだ。
■どっちを擁護?
別に、私は東国原知事をけなしているのではない、それどころか首長として自県のセールスをこれほど熱心にやっている知事は他にはいないと思っている。では橋本知事を擁護しているのかと言えば、そーでもない。なぜなら何もまだわからないからだ。
■まじめな知事
ただ両知事とも、まじめだという事。まじめにやれば、必ず既得権益とぶつかる。ぶつかると国民は、ぶつかった原因には目を向けず、ぶつかった事だけを問題にし、指導力がないとか人望がないと問題にしがちだ。
■原因を見ないで結果だけ
そこに橋本知事の危うさを感じ、このままではつぶされるの時間の問題だと危惧するのだ。マスコミの取り上げ方も、橋本知事とその周辺との摩擦ばかりを取り上げ、摩擦の原因となった知事の発言の内容について吟味していない。
■改革すれば潰される?
ゆえに、このままでは、橋本知事が実際に何を言って何をしようとしたのか、肝心なことがわからないまま、「人望が無い」とか「軽い」と言った、単なる主観的な評価で潰される事を危惧し、そのことが、実は橋本知事個人の問題に見せかけられ、その実「改革すれば潰される」事が国民全体に浸透することを恐れるのだ。
■総スカンはいけない事?
100人のヤクザに対して人の迷惑はやめようなんて言ったら総スカンを食ってしまうだろう。発言や提案の中身をよく理解しない人の目には、これも人望がないと映るに違いない。ちとクドイが、日本社会で日常耳にする「人望」「リーダーシップ」などといった言葉は、人物評価としてはほとんど何の意味も持っていないのだ。
■善人の人望、悪人の人望
善人からの人望は「善」だが、悪人からの人望は「悪」であり、その内容は180度違うのに、これを人望と一緒くたにしてしまう。ここを皆さん錯覚してはいないだろうか。
今後、もし仮に橋本知事が大阪府職員から総スカンを食ったとして、その時、職員から総スカンを食うようでは知事失格と烙印を押す前に、その原因をよく吟味する必要があるのだ。
例によって、前置きが長くなってしまったけれど、何故こんなことをくどくど言うかと言えば、公務員と一般国民とは決定的に生活のベースとなる身分保障が異なるからだ。それは例えが悪いが、先に述べたヤクザと牧師ほど違う。その前提を忘れて、一般国民と同じ目線で、人望だのリーダーシップなどとうっかり評価してしまったならトンでもないことになる。
■リーダーが無能なら、会社は潰れるが・・・
一般社会では、例えヤクザでも牧師でもリーダーが無能なら、会社や組織は潰れ、それはその組織に属する全員にその害が降りかかってくるから、人望や、リーダーシップは重要な評価項目だ。
この場合、自分に不利なことでも、会社や組織が潰れたら結局自分が路頭に迷うから、人々はリーダーの受け入れる。お前の残業代は払えん!と言われても、意地悪で言われていれば怒るだろーが、会社が倒産しそうとなれば、泣く泣く納得せざるを得まい。
■役所は潰れない
でも、公務員はそーじゃない!役所は絶対潰れないし、身分保障はあるから、財政破綻しようがそんなのカンケーナイ!のだ。夕張が財政破綻したからと言って、別に職員が解雇されるわけでもないし、賃金カットされたと言っても民間の比ではない。
■公務員の身分保障
法律的に、公務員は身分保障されているから、よほどの違法行為をしない限り解雇もされない。そういう相手に、賃金カットなんて言ったところで、総スカン食うのは当たり前だ。だがこの総スカン食う「提案」の中身はどうーだろーか。
府財政を圧迫しているのが人権費であると分かっているのだから、削るのは当たり前だ。しかも横浜市などと比べても人員が多いとなれば、大阪府職員は楽な仕事をしているか、無能かとなるだろう。民間なら即人員整理、次に賃金カットだ。
ただし、公務員は公共の福祉のために働いているのだから、経済原則だけで簡単に解雇されるようでは公共サービスの保障が無くなり、結果的に我々国民に跳ね返ってくるので、身分保障は必要だろう。
■その上賃金保障まで?
でも、一般労働者に比べたら、物凄いインセンティブだ。なのに、その上賃金保障までする理由は?私には、これが分からない。
だって、公務員は国家地方問わず、我々の税金で食っているのだ。フリーライド(ただ乗り)を防止できないような公共の福祉に必要な事業や業務を、代行してもらうために、我々は税金と言う会費を払っているのだよ。
念のため言うとだ、例えば公共財の典型例としての灯台を例に取れば、その必要性を否定する人はいないけれど、付近を航行する船舶に光を販売する会社を設立しても、失敗する。そりゃそーだ、灯台の光は料金を払わない船舶にも見えるので、結局フリーライダー(ただ乗りする人)が続出してしまうからね。灯台は収益を期待しても建設されにくいので公共団体による供給に頼るしかない、とゆーわけ。
■税はサービス提供の会費
その他公共の福祉に必要なサービスもみな同じ。警察や消防が民間経営だったら、警備会社と同じで、契約者のことは守るけど、未契約者には知らん顔となってしまう。でも原理は実は同じで、我々は警備会社と契約する代わりに、国家と地方自治体に対し、安全と福祉に関する総合的サービス提供の契約をし、その会費として税金を払っているのだ。
■公務員給与は目的ではなく手段の一つ
だから我々が払っている税金は、公務員を食わすためではなくサービスを受けるため。税を払う目的の第一義は、公共サービルの提供にあって、その安定供給を確保するための方法論の一つが職員の身分保障ということ。
そして、その賃金は、公務員であろうと無かろうと、組織や事業の目的が賃金支払いではない以上(=組織あっての労働者・賃金と言う意味)同じだ。
と、ゆーわけで、ここで結論。
公務員の給料は、税収に比例すべき!
公共サービスの提供が、公共団体の目的ならば、これ、当たり前だと思う。まず税収から必要な公共サービスを実施する、このとき税収が減れば、本来の目的である公共サービスは削られる。
■契約違反
学校行事や直してほしい道路、あるいは救急医療の予算が削られたりする。税を払う主目的の予算が削られるのに、職員の給与は、税収とまったく無関係なのは、優先順位が違うし、契約違反だ。何故、市民は怒らないのだろうか?
ハウスメーカーに自宅新築を頼んだら、材料費が上がりました、でも社員に給料払ったら材料買えなくなるので、階段は造りませんなんていわれたら、ユーザーは怒るだろーし、そんな会社の社員なら、危機感も無く仕事しないだろう。
■業績に無関係な給与体系?
構造的に、働きと報酬が連動しない組織は、絶対と言って良いほど機能することはない。第3セクターがみな破綻するのは当たり前だ。故に、公共団体職員の給料は、税収の何パーセント以内と法で定めるべきだ。業績に無関係な給与体系なんて、官民問わずあり得ない。
■税収が増えれば賃金アップも自由
で、逆に言えば、税収が増えれば、賃金アップも当然自由だ。極端なこと言えば同じ人口のA市とB市で税収に倍の開きがあれば、給料も倍であってかまわない。そーなれば、当然職員もやる気出すだろう。
■働きに見合った報酬は当たり前
企業誘致や地域活性化に、一生懸命だ。企業が来ても、住環境が悪ければ人口が増えないから改善もされるだろう。都市を経営するのは公共団体の役割であるから、働きに見合った報酬は当たり前。何故そーした動きにならないのかが、不思議でならない。
■批判されるべきは?
そー考えれば、橋本知事の提案は、極々当たり前の発想だ。それを撤回させる圧力こそ批判されるべきとだと思う。
とゆわけで、本日これまで。
アト、すっかり更新サボってたら、ランキング外に外れてしもた。諸君、クリック頼む!
↓ ↓ ↓
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
長野県の田中康夫前知事に対するマスコミのバッシングに較べたら、橋下知事など超優遇されております。
それにしても2月に就任した知事が、何の準備も実態把握もなく、市町村まで含めて既に決まっている4月からの予算を、4月になってから削減しようとしても、出来るわけがありません。
対立とかいう問題ではなく、ただのスタンドプレーの稚拙な失敗というべきです。
泣きまねするしか仕方がありません。
投稿: 珍県民 | 2008/04/21 22:34
珍県民様、コメントありがとうございます。
実は、不正や違法行為へのカッパという自治体を知っています。しかしそれをのさばらせているのは市民の無関心と見当違いの関心です。
昨日も、TVでコメンテーターが、したり顔で「対立からは何も生まれない」と橋本知事を批判していましたが、対立の原因にはまったく触れないこの神経には愕然とします。
投稿: ベンダソン | 2008/04/21 10:12
そうなったら、役人たちは、不正な方法で税収を増やすことだけ考えることでしょう。
それも、力のない、反抗しない、取りやすい人たちから取るでしょう。「後期高齢者」の年金のような。
投稿: 珍県民 | 2008/04/21 09:57