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2008/04/24

光母子殺害事件判決と死刑廃止論は無関係なんだが

20080422nte2ink03220420081f 我が愚息曰く、トーチャン、光母子殺害事件と死刑廃止論って、なんもカンケー無くね?と。私は、そのとーり、まったく関係無いと答えた。すると、TVニュースで記者達が本村さんに極刑をどう思うかと質問するのを見て、さらに愚息曰く、この記者たちバカじゃねーのと。再び私はそのとーりと答えた。

■関係ないのは本村発言も

で、この判決(注:論点は判決であって事件ではない)にもう一つ無関係なのが、被害者遺族である本村さんの発言。単語に反応する方の誤解を招くといけないから先に言っておくが、この本村さん、ほんとーにスゴイの一言に尽きる。あの冷静さ、論理の確かさには舌を巻く。極刑をもって償えという率直な遺族感情も、非常に説得力あり、人に感動を与える。

だが、そのことと、この判決は無関係である。とゆーか、無関係でなければならない。実際、本村さんの言動がマスコミに報じられて、司法制度運用のあり方に少なからず影響があり、それゆえ多くの改革がなされたと思う。けれど、それは制度運用のあり方という一般論であって、個別案件である当事件の裁判の判決ではないはずだ。

もしも、本村さんの主張や、遺族感情が判決に影響がある(あった?)とするならば、刑罰は、被害者の努力次第となってしまう。同じ殺人事件でも、遺族が黙っていれば無期、騒げば死刑?なんて、そんなバカなことはあるまい。

■本村発言は改革の一環

そんなことが起こり得るとしたら、被害者遺族には、犯人逮捕後も無用の負担を強いることになりかねない。とはいうものの、実際のところ、本村さんの言動が判決に影響が有ったか無かったかと言えば、有りと見るのが妥当だろう。

ただそれは、この事件だけに限ったことではなく、今後の未成年者犯罪に対する死刑適用基準を変えたので、個別の話ではなく、一連の本村さんの活動による制度改革の一環である。では、何が変わったのか、それは、未成年者犯罪に対する死刑適用基準いわゆる永山基準というものだ。

Asahicom記事から一部引用して紹介しよう。

http://www.asahi.com/national/update/0422/OSK200804220110.html

<引用開始>

(前文略)

■分かれる判断

 今回の判決を専門家はどう受け止めたのか。

 菊田幸一・明大名誉教授(犯罪学)は「永山基準が拡大されたかたちになり、影響は大きい」と話す。

 永山基準は83年に示された死刑適用の指標だ。(1)犯行の性質(2)犯行の態様(残虐性など)(3)結果の重大性、特に被害者の数(4)遺族の被害感情(5)犯行時の年齢――などの9項目を総合的に考慮してきた。

 83年以降、被告が犯行時に未成年だった事件で死刑が確定したのは3件(1件は一部の犯行が成人後)で、いずれも殺害人数は4人だった。

 元神戸家裁判事で弁護士の井垣康弘さんは「本来は永山基準に至らないケース。無期懲役になると思っていた」。永山基準では、殺害人数が4人で殺害の機会もばらばらだったのに、今回は「2人」で「同一機会」だった点に注目する。「この判決が確定したら、永山基準はとっぱらわれ、死刑が増えるだろう」(後文略)

<引用終わり>

■事件とかかわり無い死刑廃止論

さて、話を死刑廃止論に戻そう。主任弁護人の安田好弘弁護士は人権派とされ、死刑廃止論者として有名だ。そういう弁護士が、この事件の弁護をすれば彼の中においては、死刑廃止を主張するのはごく当然なことではあるけれど、外から見れば、それは事件とは何のかかわりも無い一般論であって、だからなんだとなる。

過去の記者会見において、安田弁護士が、死刑廃止論をこの事件で主張していたかどうかは記憶がはっきりしないが、少なくともマスコミの紹介の仕方や、この事件に関連しての取材において、安田弁護士が死刑廃止論を主張していたのは事実だろう。

死刑制度の是非を、現実の事件の弁護で主張するとすれば、冤罪事件なら論点が犯行の有無なので分かるが、殺人が明らかな犯人の量刑が論点の場合は、論点と死刑廃止論に論理が繋がらないので意味を成さない。

■安田弁護士の法廷戦術が死刑を招いた?

また結果的に、安田弁護士の法廷戦術が死刑を招いた格好になってしまった。話は少しずれるが、それをもって弁護団を非難することはできまい。なにしろ弁護団の主張する論点と、世間や司法当局の論点には隔たりがありすぎるのでね。

■本村発言が死刑を招いた?

冒頭に書いたように、この判決に対して、①安田弁護士の死刑廃止論と本村さんの被害者遺族感情は何の関係も無く、②ただこの事件を通してそれぞれの主張をしているに過ぎないのだけれど、世間一般の受け取り方は、①と②の区別がつかず、あたかも本村さんの主張が判決を左右したかの様に思いがちではないだろうか。

■死刑廃止論との戦い?

そして同じように、死刑廃止論との戦いであるかの様に捕らえてしまった?記者は、冒頭述べたようなアホな質問をしたのだろう。

■安田弁護士は、トンデモ弁護士?

かつて、本村さんが、安田弁護士の法廷戦術を荒唐無稽と非難したのも被害者遺族の感情からすればごく当然のことである。一方、では、その安田弁護士は、トンデモ弁護士かと言えばそうも断じれまい。同じAsahicom記事から一部引用して紹介しよう。

<引用開始>

(前文略)判決は末尾部分で最高裁が2年前、審理を差し戻すにあたって「犯罪事実は揺るぎなく認められる」と述べたことに言及し、「今にして思えば、弁解をせず、真の謝罪のためには何をすべきかを考えるようにということを示唆したものと解される」と述べた。にもかかわらず「虚偽の弁解」を繰り広げたことで「死刑回避のために酌むべき事情を見いだす術(すべ)もなくなった」というのが判決が示した論理だった。読み方によっては、上告審の途中でついた弁護団の「戦術」が不利な結果を導いたとも受け取れる。

しかし、弁護団は判決後もあくまで「真相」にこだわった。主任弁護人の安田好弘弁護士は記者会見で「犯罪事実が違っていては真の反省はできない。死刑事件では反省の度合いより、犯行形態や結果の重大性が重視されてきた。反省すれば判断が変わったというのか。高裁の指摘は荒唐無稽(こうとうむけい)だ」と批判。別の弁護士も「こんな判決が出るようでは、事実を争うことがリスクになってしまう」と語り、天を仰いだ。

 大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件(01年)で死刑が執行された宅間守・元死刑囚の主任弁護人として「情状弁護」に徹した戸谷茂樹弁護士も「事実を争ったことが死刑とする絶好の理由とされた」という。「ただ、被告人の主張をなかったことにはできないのだから、弁護団を責めることはできない」と話した。(後文略)

<引用終わり>

■誰にも証明はできない

難しいのは、弁護側の主張である「ドラえもん」とか「生き返らせる儀式」の評価だ。主張そのものは確かに荒唐無稽で話にならないが、そのことを被告とは無関係に弁護士が勝手に主張しているわけではなく、被告がその荒唐無稽なことを主張した以上、実際に考えたか否かは被告の心の内の問題で、誰にも証明はできない。

つまり言っていることが「荒唐無稽」であると評価する事と、「荒唐無稽なこと」を言った事実とはまったく違うのだ。

■言ったという事実と、言った内容は全く別の事

何故、こんなどーでもいーじゃねいかと思われるようなことをくどくど言うかといえば、この辺が日本人の危ういところだからだ。特に不正と対応するとき、よくこういう危うさに出くわして戸惑うことが少なからずある。

たとえば、AがBを陥れるのに、Bから脅かされたと主張する。これを記録に残すとすると、Aから「Bに脅された」と発言があったと記述することは間違いではない。つまり正しい、ただし正しいのはAが発言した事であって、Aが発言した内容ではない。

■天知る地知る

しかし有象無象の市民には、Aが発言した事と発言内容のこの区別がつかず、Aの言っていることは真実となってしまう。だから羞恥心さえなくせば、真実をうやむやにしたり、人を陥れるのは、日本社会では実に簡単なことだ。但しフツーの人は、天知る地知る君知るではないが、自分に関する真実は知っているので、最低限の羞恥心が働き、こーゆー事はやらない。

■正確に伝わって来てない弁護団の主張

やらないから、悪党がこーゆー事をやっても深く考えないで信じてしまい、その結果真実はうやむやになってしまう。今回の場合は、誰か悪党がいて、意図的に何か話を分からなくしているわけではないが、弁護団の主張するところが、正確に伝わって来てないように思う。

■弁護団を批判できない

で、結果的に荒唐無稽なことを被告が考えたことを、弁護団が荒唐無稽な主張していると勘違いを起こしてしまったようだ。私の見方は、殺意の有無を論証する道具として弁護団がこれを利用したのは明らかなので(これが目的でないとすれば、単なる雑談に過ぎない)、弁護団自体が荒唐無稽な主張をしていたかもしれないし、そーではないかも知れないという事。つまり分からんのだ。

■当事者の判断とその可能性

ただ、当事者は分からんでは済まされず、結論を出さなければならないから、ある種の可能性から判断して判決文を書かなければならなかったという事なんだろう。判決文の書き方は結論を断じる形にせざるを得ないのだろうが、「荒唐無稽」と断じた事は、そうじゃない可能性も有るが、50パーセント以上から100パーセントまでの可能性で荒唐無稽であるとの判断ではないだろうか。

■事件に関係有るけれど判決には関係ない

さて、話が例によってあっちこち飛んでしまったとお思いだろうが、要するに、冒頭の述べたように、この事件と安田弁護士の主張(死刑廃止論)と本村さんの主張(被害者感情)は関係有るけれど、判決には何の関係も無いのだ。

なのに、その区別がついてないフリ?で質問する記者に悪意すら感じるし、それがフリではなく本気だとしたら、とんでもねーおバカ?と思うのだ。ちと、くどいか。

■完璧な本村発言

にしても、毎度思うのは、この本村さんの発言の筋の通り方の凄さだ。あまりにも完璧すぎて非の打ち所が無い。論理的にあまりにも完璧であると、わずかの破綻で、もろく崩れがちだが、彼の発言には、大衆が引いてしまう要素すら事前にきっちり取り入れている。

曰く「遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。」と。ただ、これって計算して言えることではないと思う。本村さんの深い思索と信念、それに人間性のなせる業だろう。

■国民の期待?

本村さんは、今32歳と言うから、事件当時は23だ。当時から今日に至るまで、その論理はゆるぎないものがあり、いまだ32歳で、この論理と信念の確かさには舌を巻くのは私だけではないはず。何故政治家を目指さないのか、と言うより、政党が目を付けないのが不思議でならない。

民主でも自民でも、おそらくトップ当選間違いないだろう。ま、これは大きなお世話とは思うが、国民は彼のような人物こそ国政の場に、と思うのではないだろうか。だから大きなお世話かも知れないが、国民の期待として勝手に代弁した次第。・・・・ではまた。

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コメント

とし様、再コメント、有難うございます。

たぶん貴兄のご意見、その真意は木村氏批判にあるのではなく、
被害者が、広告塔として利用され、冷静な意見が、かき消されてしまう事を危惧されての事ではないでしょうか。

とすれば、その恐れは充分にあるし、実際既にそうなっているとも思います。外形的には、殺せ、殺せの大合唱に見えて、ある種恐ろしさも感じられ、そこだけ見れば、実に嫌な世の中です。

ですがそれを承知の上で、私は特殊解として本村発言を評価し、その諸々の結果は一般解として、社会の進歩に貢献したと思っています。

このヘンは長くなるので、本日のエントリーに書きましたので、ご覧いただければ幸いです。

投稿: ベンダソン | 2008/04/26 14:21

ご返答ありがとうございます。

もちろん、本村氏の言った「被害者加害者を生み出さない世の中にして欲しい」というのは誰しもが願うことですし、その点は私の最初のコメントでも書いたように、その点は何も文句はありません。

ただ、だとすれば、その前後の発言にはどうしても疑問を感じざるを得ません。

ちなみに、確かに世論は死刑判決が出たことに、喜んでいると言ったら言い過ぎかもしれませんが当然のことのように思っていますが、それこそBPOの出した判断や、実際の裁判の中身を私なりに見た限りでは、被告人の元少年が死刑になるというのは到底考えられません。

ペンダソンさんくらい思慮分別がおありの方でしたら、時間がある時に裁判の中身を見ていただきたいと思います。

それこそが、容疑者あるいは被害者遺族の『背景』を見て考慮することだと思いますので。

たとえば、被害者の首についた手のアザの付き方が通常のマウントポジションでは考えられない付き方であったり(つまり、通常とは逆向きに絞められている)、殺されたとされるお子さんの頭部にそれほどの外傷もないのに、「頭部を激しく強打され」という旨のことが書かれていたり。

どうも裁判の中身を調べていくと、矛盾点がたくさんあります。

あと、これは判決には関係ないとは思いますが、被害者遺族である本村氏は、広島大学時代に「日本会議」の学生組織に属していて、卒業後、山口にある「新日鐵光」に就職しています。新日鐵光は日本会議と結びつきのある会社です。

もちろん、直接の因果関係はわかりませんが、何かとんでもない裏が隠されているような気がしてなりません。

そして、何より強い疑問は、いくら遺族と言えども、なぜ本村氏は、これほどまでにメディアと関われるのか?ということです。

つまり、ここまで関わってしまうと、たとえ、本村氏が被害者であっても、マスコミが批判されるのであれば、その一部が本村氏に飛び火してもおかしくないはずです。なのに、本村氏への批判は、表向きにはまったくされていません。

もちろん、突っ込みづらいと言う点はあるでしょうが、そういう意見もあるべきです。

また来ます。

投稿: とし | 2008/04/25 16:41

とし様、コメントありがとうございます。

う~ん、完璧と言うコトバにどういう価値を見出すかによるでしょうね。ま、私の言う「完璧」と今のところ文句の付けようがないという意味です。ゆえに、わずかのミスが一転して批判の嵐にならないかを危惧したのです。

論理の完璧さは捉え方次第で、批判する気になればいくらでもできますし、擁護もまたしかり。ただ、言える事は、どちらの立場にしても前提条件を明確にして整理したうえで、主張しなければならないでしょう。

ですから本村さんの発言の時点、そのときの背景を当然に理解する必要ありでしょう。本村発言の筋が通っているか否かは、その個別の発言内容よりも、その時の背景とセットにて考えなければ意味を持たないと思います。そう考えれば・・・・、

>たとえば、自分の裁判には「判例なんて関係ない」と言っておきながら、死刑判決が出た後には「今後はこの判決が影響をきたすので、被害者加害者を生み出さない世の中にしてほしい」と言うことを言ってしまったりします。

という貴兄のご指摘ではありますが、前段と後段では本村発言の時点も前提条件もちがうのでなんら矛盾は無いと思います。たとえば「判例なんて関係ない」はこの事件だけ特別扱いしろと言っているのではなく、法の規定に照らし、その上で刑罰の持つ社会秩序維持の目的を考えろと言っているのであって、氏の主張は当然のことです。

そう考えれば、「今後はこの判決が影響をきたすので、被害者加害者を生み出さない世の中にしてほしい」と言うのはなんら矛盾していません。それどころか、この発言の中にもちゃんと、「今後はこの判決が影響をきたすので」と「判例」を論点として明示しています。

以上はほんの一例です。その他、死刑を望み反省を望むことは、トレードオフの関係に無くなんら矛盾していないと思います。仮に死刑になれば反省してはいけないとの規定があれば別ですが。

ですが、私の考え方が正しいとは限りません、私が理解した前提条件の中での私の主張であり、私自身は正しいと思っておりますが、それとて絶対ではないし、まして前提の理解すなわち価値観が違っていれば、当然答え(この場合は本村発言の評価)も違ってきます。

拙ブログ2008/03/25のエントリー「最初のスイッチ」に書いたように、最初のスイッチの入り方次第かも知れませんね。

取り急ぎ、
よろしくお願いいたします。

投稿: ベンダソン | 2008/04/25 11:01

お久しぶりです。
いつも興味深く読ませてもらっています。

ところで、今回の記事に関しては、1点だけ疑問があります。

それは「本当に本村発言は完璧だったのか?」ということです。

私個人の受け取り方としては、「非常に大きな矛盾をうやむやにされてしまっている」という印象を持っています。

たとえば、自分の裁判には「判例なんて関係ない」と言っておきながら、死刑判決が出た後には「今後はこの判決が影響をきたすので、被害者加害者を生み出さない世の中にしてほしい」と言うことを言ってしまったりします。

あと、加害者の元少年に対しては、死刑というのは、罪の重さもさることながら、「更正の余地が無い」根拠があるからこそ死刑というのは極刑だと思います。つまり、本村氏が極刑を望んだということであれば、それは「更正の余地が無い」ということが頭の中にあったはずです。

なのに、この前の判決が出た後、彼はどういう趣旨の発言をしたか?と言えば「今回の判決を胸を張って受け止めて欲しい。後、心から謝罪してくれる日が来ることを祈ってる」というようなことを言いました。

しかし、だったら、最初から死刑を望むことはおかしいはずです。
確かに、本村氏は終身刑があるならそっちの方が良いというようなことを言っていましたが、しかし、終身刑が無いのならば、やはり、無期懲役を望むのが妥当ではないでしょうか?

実のところ、発言の矛盾は最初に裁判が行われた時から感じていました。ただ、遺族ということで、あまりこういうことは言ってはいけないのかなぁなんて思ってもいたので、なかなかこういうことは書きづらかったというのが本音です。

しかし、今回の判決後のコメントではっきりしたことは、「やっぱり、この原告、何か隠してる」ってことでした。

長々書いてしまって申し訳ありませんが、ただ、1つだけ確実に言えることは、本村氏の発言は別に筋道が通っていないということです。

マスコミ批判に関しては、特に異論ありません。

また来ます。

投稿: とし | 2008/04/25 02:22

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