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2008/05/16

単語に反応しないよう

Minsyu1 昨日TVのニュースを流し見ていたら、民主党議員が国交省関東整備局に突撃している様子を流していた。で、若手議員らしき民主党議員が、「国会議員に触れたな、ただじゃすまんぞ!」みたいな事を言ってるシーンが流れた。

 

例の、タクシー無駄使いの件で、民主党菅直人代表代行らが、視察に行って、すったもんだの押し問答をやっている様子。

■思い出す藤田東吾氏の突撃

まずこれを見て思ったのが、今更ながら藤田東吾氏は良くやったなあと言うこと。最初デマだろうと思っていたら、霞ヶ関の国交省にカメラごと乗り込んで行き、庁内を闊歩、挙句に次官室に通じる扉をドンドンと叩いていたあのシーンだ。

■己の不甲斐なさ

国会議員団でさえ、阻止されてしまったのだから、敵が油断していたにしても良くやったなあと、思い出した。孤軍奮闘でがんばったけれど、結局は巨大な組織と権力の前には押しつぶされてしまった。拙ブログでも応援したけれど、それは声援でしかなく、己の不甲斐なさとともに自責の念に耐えない。

Minsyu2ただじゃすまんぞ?

次に思ったのが、「国会議員に手を触れたな、ただじゃすまんぞ!」の映像の印象の悪さだった。民主党議員達が、国交省関東整備局に突撃しているらしいことは分かったが、「国会議員に触れたな」の「国会議員」と言う言い方が、なんとなく権力をひけらかす様で、あまり良い印象が無かった。

■先入観

その印象を植え付けられた後では、国会議員の権力をひけらかし、相手の都合も何も無視して国交省関東整備局に押しかけたような先入観があった。ただ、そのことはことさら意識してはいなかったが、今朝、愚妻が、昨日のアノ民主党議員の言い方は引くよね~と言うので、アレっ?やっぱりそう感じる?と思った。

で、念のため民主党のHPを見たら、こう書いてあった。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=13277

<引用開始>

 関東地方整備局のムダ遣いの実態を探るべく、民主党道路特定財源・暫定税率問題対策本部のメンバーと視察に訪れた菅直人代表代行は15日昼、記者団に視察の印象を語った。

 「地方整備局はそれぞれの地域に強大な権限をもっている。特に道路に関しては直轄事業や補助事業すべて、地方整備局がその地域については判断し、決めている」と説明したうえで菅代表代行は、現在、タクシー代の問題がクローズアップされ、「無駄の温床ではないか」という指摘が強くあるなか、その実態を明らかにするべく訪れた視察だとした。

 視察では、事前に高山議員が提出を求め、国土交通省から提示が約束されていたにもかかわらず、490万円のタクシー券の半券はどうしても提出されたかった事態について菅代表代行は、「国民の税金を使ったものが、きちんと使われているかどうか確認する」ための調査であるのに、それが示されなかった点について「この関東地方整備局の隠蔽体質が非常に根深いということを改めて感じた」と語った。

 また、何のためにあるのか、その実態が何ら見えない「道の相談室」という部署も視察したことを説明し、ほとんどが外部委託しているこの実態は、官僚の天下り先を潤すための構造ではないかと分析。一日の調査では関東地方整備局の諸問題を具体的なところまで掘り下げることができなかったが、引き続き調査していく考えを示した。

<引用終わり>

■約束を破った国交省

この記事を読むと、民主党が関東整備局に押しかけたのではなく、「視察では、事前に高山議員が提出を求め、国土交通省から提示が約束されていたにもかかわらず、490万円のタクシー券の半券はどうしても提出されたかった」ことが分かる。

事前に490万円のタクシー券の半券提出を約束しておきながら、その約束を果たさないならば、怒るのは当然だろう。だったら最初から証拠隠滅しますと言えよ、だ。

■マスゴミぶり

今に始まった事ではないけれど、マスコミはどうして、こういう肝心なことをキチンと報道しないで、発言のある部分やシーンだけを報道するのだろうか。マスコミのマスゴミぶりは、もう周知の事実だから、報道で?と思ったことは、反対側から確認するのが習慣化した。

■直ぐ剥がれる化けの皮

で、その結果、直ぐにマスコミの恣意性の化けの皮が剥がれてしまう。これがインターネットの凄さだ。10年前だったら、情報源はマスコミに限られていたので、報道を鵜呑みにしてしまったけれど、今やインターネットを通じて、当事者が主張をすれば生の情報が伝わってくる。

当事者とマスコミと食い違いがあれば、どちらかが嘘をついていることになる。嘘は一方の側から見たときだけ辻褄が合うが、角度を変えると辻褄が合わなくなるから直ぐに見破れる。なのに、マスコミ記事は相変わらずの恣意的で捏造まがいの記事が少なくない。

■何がメリット?

不思議なのは、いったいそれで何のメリットが彼らにあるのだろうかと言う点だ。軍事政権のような独裁政治が行われているわけでもない日本では、いくら体制寄りといったところで、その体制が絶対的なものではないからだ。

確かに戦後政治を自民党が独占してきたけれど、今や風前のともし火であることは、彼らの世論調査でも数値化されてしまっているのだ。あるいは国家を牛耳る官僚が体制であるとして擦り寄るとでも言うのだろうか。確かに官僚国家ではあるけれど、その官僚は上級職試験に受かれば誰でもなれるから、権力構造はあっても世襲的に固定してはいない。

染み付いた習慣?

だから、どうでも良いような些細な事まで、何故マスコミは恣意的になるのか全く理解できない。まるで身に習慣として恣意・捏造が染み付いてしまい、条件反射するのだろうかと穿ってしまうのだ。

■ニュースの当事者

話はチョイ飛ぶが、長い人生の中では、自分がニュースにならないまでも、当事者に近かったり事件が身近で起きたりすることがある。で、そんな時、何故か例外なく事実とは異なる報道に不思議な思いをするのが常だ。

■事実を伝えない不思議

政治的でも何でも無いことなのに、マスコミは何故事実をそのまま伝えないのか不思議に思うことばかり。まことしやかに、その方が大衆が喜ぶからと聞こえてくるが、ホンマかいなと思う。

私も多少関わった卑近な例で言うと、ある精神病の一種をテーマとするストーリーを考えたことがあった。これがバカ当たりして評判になり、取材を受けた。ところがその記事はインタビュー内容とは全く違う、悪意に満ちたものだったのでたまげた。

記事の内容はテーマに対する基礎知識が全く無く、そんなんで良くもまあお金を取って公衆に晒す文章を書けるものだと、その度胸というか羞恥心の無さに驚きあきれたものだが、それ以上に不可解だったのは、インタビューと無関係な記事を書く事の意味だった。

記事の大要はこのストーリーがある種の精神病を蔓延させ助長していると言うものだったが、そういうことを書けば大衆が喜び、客観的病気の現象を表現すると大衆から受けないとは到底思えないから、いったい何のために何の目的で記事が書かかれたのか本当に不思議だった。

テーマとして扱った病気の表現が事実と違うと言うなら批判も受け入れようが、主観的にこちらの表現が病気を増やすとか偏見を生むと言われると反論のしようもない。敢て言えば、もともとありもしない偏見を持ち出し、偏見を創り出そうとしているようにしか思えなかった。

結局、思ったのは、この記者は最初から精神病と言う単語に反応し、頭の中で自分が書きやすいようにストーリーを作り上げていて、取材で知った事実なんてメンドクサイだけなんで、はなっから無視じゃなかったのか、と言うこと。

■言い分の判断

で、話を元に戻して、昨日の民主党議員の国交省関東整備局突撃報道も、映像の一部や単語に反応してはイケナイということ。昔と違って今は当事者が情報発信できるので、その言い分を自分で確かめ、自分の頭で判断すべきと言うことだ。

■報道の主流

かつて報道といえば新聞だった、その後ラジオや映画が出てきて、やがてTVが主流になった。報道とは意味合いが違うが、主流と言う点では、当初映画スターがTV出演を見下していたように映画の方がTVより上だった。それが程なく逆転した。同じくマスコミの主役もTVとなった。

■組織力に関係ない情報手段

でも、インターネットが出てきて、それも怪しくなった。ただ企業経営による情報配信という観点からは、TVもインターネットもあるいは新聞も情報配信の手段に過ぎず、コンテンツ生成は同じに見える。でも、決定的に違うのは手段自体には組織の大小はあまり関係ないということ。

朝日新聞のHPも個人のHPも情報伝達の方法としては能力に差が無い。だからさまざまな事件や事象の大マスコミの報道に対して、真実を知っている当事者がネットで情報発信してしまうと太刀打ちできない。

■時代の潮流

こういう時代の流れを大マスコミ各社で禄を食む人々は気づくべきだろう。ホリエモンに対する好き嫌いはともかくも、彼がフジTV買収劇のさなか言っていた「TVの時代は終わろうとしている、ネットとの融合化を図るべき」と言うのは、新聞・ラジオからTVに変わったように確実な時代の潮流だと思う。

そして何より違うのが、組織の優位性と手段に関連性が無くなったということ。それゆえ情報の質が問われるのだ。いつまでも大組織に胡坐をかいてデタラメな記事を書いたり造ったりなどという事は、そうそういつまでも通用しないだろう。

さて、最後に・・・・。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=13274

080515kan2pp2_2 なんていうか、こういうフィットネス施設といい、タクシー使い放題といい、イヤハヤだ。まあ、それだけ重要な仕事をしてるんだからということなのだろうか。一方的に言われっぱなしでは無く、国交省もHPで反論したら?(正当に反論できるなら)

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コメント

とし様、コメント、ありがとうございます。

本日のご意見、全くもってその通り、全てに同意します。

例えば、日本は国名に社会民主主義とは入っていませんが、タブン1987(?正確にはわかりませんが)くらいまでは、事実上の社会主義国家だったと思います。

その後、あまりにも日本が繁栄し、貿易不均衡が過ぎたので(=あくまで為替レートを含む数字上の話ですが)内需拡大、非関税障壁撤廃の外力を受け、門戸開放、競争原理が導入されましたが、まだまだ途上でしょう(良い悪いは別にして)。

取り急ぎ

投稿: ベンダソン | 2008/05/16 17:26

お久しぶりです。
今回の記事も興味深く読ませてもらいました。
感じたことが1つあるとすると、それは「そもそもまだ、この国は民主主義になっていないのではないか?」ということです。

それはなぜか?と言いますと、一般市民は、民主主義国だと思ってそれを守っています。しかし、民主主義になってからまだ63年です。つまり、63年前は帝政だったんです。

だとすると、一般市民の中でも、戦前生まれの人の中には、少ないでしょうが、その体質が抜けきらない方もいらっしゃるでしょうし、まして、政治家などの権力者ともなれば、その体質が全く抜けないのはほぼ確実です。

もちろん、それらの人間のすべてが否定されるというのもおかしいでしょうが、しかし、民主主義という観点からすると、彼らは間違いなく時代遅れです。

つまり、民主主義国日本において、最も時代遅れなのが政治家をはじめとした年配の権力者達です。

そして、彼らが未だに、表であろうが裏であろうが、絶大な権力を発揮しているわけですから、政治上は「帝国主義の末期の始まり」くらいの時期なんではないでしょうか?

そこに、「民主主義国日本の国民」としての私たちがいるんですから、感覚がずれるのは至って当たり前のことで、そこに気づけない政治家やメディアなどにいる力を持った人間は体質が時代遅れだと思います。

あと、よく、男女差別の問題だとかありますが、私自身は「世代間差別論者」を自称しています。

こっちの方が、男女差別よりも遙かに大きな問題で、たとえば、男女問題の場合、性別だけが問題視されますが、この問題では、異性間のみならず、同性間でも問題が起こりえますから、世代間差別の方が遙かに大きな問題です。

よく、目上に対する礼儀と言う言葉がありますが、確かにそれは大事だと思います。しかし、私ならこう考えます。

「目下に対して礼儀のある人は、目上に対しても同様に礼儀がある。」
「目上に対してものが言える人は、目下に対しても同様にものが言える。」

なので、目上だけを意識することに、この世代間差別の根幹があります。

また、「先輩を敬え」なんて言った某一流野球選手がいますが、これも間違いで、本来であれば「先人を敬う」べきであって、先輩は、生きている内は、同じフィールドで生きていくんですから、競争相手でもあり、協力する相手でもあります。

なので、礼儀は必要ですが、必ずしも敬う必要はありません。ただし、自らが心から尊敬できるような人であればするべきだとは思いますが。

そして、先人は、必ずしも自分より年上とは限りません。つまり「先に生きた人達」だからです。

その先人達の経験を、そのまま参考にするのも良いですし、あるいは悪人だったら、それを反面教師にして、自分の今後の人生の糧にするのも良いわけですから。

この礼儀と敬うことの根っこの意味を間違えているところから、この世代間差別の問題は起こっていると思いますし、これが世間で問題にならないことが私には不思議で仕方ありません。

長々と書いてしまい申し訳ありません。

失礼します。

投稿: とし | 2008/05/16 14:59

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