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2008/05/22

若手政治家と信念

今日は脈絡無く全開で始めるが、前々エントリーの枯れた魅力も、今だから言えること、3氏が現役のころは、そんなに美しくは見えなかった。実際、しがらみの中で各氏生臭かったのかもしれないし、マスコミの取り上げ方も大きな影響があったと思う。

ナニ、話が唐突で分からん?要は、5/13「枯れた魅力」の続きです。そう思って読んでくださいな。

■将来評価が大きく変わる政治家はいるか?

では、そういう変化を割り引いて、戦後派の政治家を見たとき、将来評価が大きく変わる政治家がいるだろうかと考えてみると、残念ながら、なかなか思い浮かばない。

昔と違って、今はインターネットで情報発信できるから、マスコミがどんなに偏向報道したとしても、HPやブログで自分自身の主張を直接することは出来る。それが充分か否かはともかく、そー言った若手政治家が思い浮かばないのは、情報の受け手である自分の怠慢かと言えば、一人一人の政治家のブログをチェックするなんて不可能だから、怠慢ではないだろう。

■これはと思った政治家

んじゃ、どーすべきかと言えば、とっかかりはマスコミ報道としても、これはと思った政治家がいれば、その政治家のHPやブログを覗くことだろう。ただ、気をつけなければならないのは、覗いた時点ではシンパ状態だから、つい好意的に見てしまい勝ちな点だ。

■ジジイの方が筋が通っている?

でも冷静に見ていくと、インチキは直ぐに辻褄が合わなくなってくるから分かる。辻褄が合わないからインチキであるとは断定できないかも知れないが、疑問が生じるのは事実だ。で、そーやって見ていくと、残念ながら若手よりも、オッサンやジジイの方が筋が通っていたり信念がぶれないことが多い。

その考え方や信念が正しいかどうかは議論を呼ぶだろうが、ハマコー先生(←今はただの人だが)なんかその例だ。平然と、「忘れた」と言ってのけた塩ジイもしかり。

■「若さ」≠「純粋」

「若さ」=「純粋」と思うのは、大間違い。人間、根性曲がりは生まれつきで、歳とともに丸くなるなんていうのは、単にエネルギーがなくなったのかと思っていたが、そうでもなくて学習の結果じゃなかろか。

■私は根性曲がり

自分を振り返ってみても、若いころの方が根性曲がりだった(今もそうだけど=言われる前に言っておく)。何を言いたいかと言うと、人(=政治家)を判断する時、年齢は全く関係なく、コトバさえ喋れれば、普段と過去の言動で判断すべきだろうと言うことだ。ま、コレは政治家に限ったことではないが。

■胡散臭さ若手議員

やたらTVに出て、なにやらカッコ良い事を言っている若手議員と称される連中には、ヒジョーに胡散臭さを覚える。おまいら、本当に日本をしょって立つ気あんの?とね。いくら20年後30年後の枯れた姿を想像しようと思っても、抜け殻しか想像できないのは、私の想像力が貧困なだけだろうか。

■ウケ狙いの翼賛

時折、翼賛的な過激発言をする若手議員がいるが、根っからの国粋主義というより、右傾化を横目で見ての単なるウケ狙いであることは、論理の希薄さと強弁に終始する姿で直ぐに底が割れる。

■絶滅した左翼

その対極の左翼系はと言えば、今やこれが皆無と言ってよい。極端な左巻きも困るが、バカの一つ覚えの「何でも反対」では、ちっともリベラルでは無い。ただの反対屋にしか見えないのだ。

■信念の人

ちと、くどいが考え方の良し悪しを置いといて、敢て「信念」がありそうな若手政治家を挙げると、猪瀬直樹だろうか。

「信念」というと、この二人だけじゃあるまいと言われそーだから、付け加えると、「殺すぞ」と脅されても屈しなさそうなイメージだ(←ホントにそうかは知らん)。田中康夫も信念の塊、東国原氏その他首長には信念の持ち主が多そうだが、「殺すぞ」と言われて平気なのは、本当に殺されてしまった伊藤前長崎市長くらいな感じがする。

軟弱にならざるを得なかった?

さて、嘆いてばかりでは、これまたただの反対屋と同じだから、どうあるべきかを言わねばなるまい。で、ここまで日本と日本の政治家が軟弱になったのは、軟弱にならざるを得なかったからではないだろうか。

■人々の記憶

いくら信念を持ってしても、誰も守ってもくれないし評価もされない。挙句に伊藤前長崎市長のように、公衆の面前で惨殺されてしまう。それでも、深く人々の記憶に残るかと言えば、そーでもない。

■ケネディは覚えていても

ケネディ暗殺を覚えていても、伊藤前市長の名前をいったい何人の人が言えるだろうか。これには暗殺にも関わらず、個人の怨念として片付けられてしまい、伊藤前市長の主張もほとんど報道されなかったことも原因だろう。

■英雄を誰も守ってくれない

だが、この構図そのものが「英雄を誰も守ってくれない」事を意味する。だから誰も不正に立ち向かう英雄にならないのだ。うっかり自分の信念や理想に従い、不正に立ち向かうものなら、助けたはずの民から足をひっぱられ、攻撃されたりというのが今の日本だ。

■日本病の源

それでも、めげずに突き進めば、そこには無残な死が待っている。たとえ殺されても、英雄になれるなら命を賭した甲斐もあろうが、ほとんど誰も顧みないとなれば、気力も失せようというもの。これが日本病の源ではないだろうか。

■声援?

だから、不正に立ち向かう人、改革をする人を見たとき、自分も一緒に戦う気力が無いなら、足をひっぱったり、意味も無く邪魔や批判をするのはもってのほか、少なくとも声援くらいは送るべきだと思う。

えっ?声援送るから、「ベンダソン、立てっ!」って?

いや、ボクには妻子があるし、殺されるのはゴメンだね。声援する方に回るさ。

って、そーか自分自身が日本病じゃないか。←と自爆するベン公(恥)。

まず自分からだな・・・、よし英雄を見つけたら応援しよう!

ナニ、やっぱり情けないって?でもなあ、根性が無ければ、そこから始めなきゃ。

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