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2008/05/13

枯れた魅力?

一昨日のサンプロを見ていて思った。枯れた魅力とでも言うのだろうか、「我が青春に悔いなし」と題しての中曽根康弘(元内閣総理大臣)、土井たか子(元衆議院議長)、不破哲三(日本共産党前議長)三氏への同時インタビューは、そのタイトルの「くささ」とは裏腹に、なかなかに考えさせられるものがあった。

■3氏のイメージ

3氏に対して、ロン・ヤスを気取っていた中曽根元首相、やたら元気良く咆えまくっていた土井オバサン、ガチガチの共産主義者不破氏というイメージを抱いていた小生には、新鮮で、時には目からうろこだった。

■中曽根憲法論

今更ではあるけれど、中曽根氏の憲法9条第一項は残し二項を変えろとの改憲論は分かりやすく理にかなっていると思った。その主張を正確に伝えるため、同氏のHPから引用しよう。

http://www.yatchan.com/seiji/index.html

<部分引用開始>

(前略)

 また、改正の大きな争点となる第九条についても、第一項は残しておいていいと思いますが、第二項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるのはどうか。やはり自分の国を自分で守るという意思を明確にしておく必要がある。しかも、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権も行使できると正確を期すべきでしょう。
 そもそも今の政府の自衛権論の基礎にあるのは、日本を防衛するのに必要な最小限の戦闘力を確保することです。禁止されている戦力というのは、近代戦を遂行するに足る軍事組織力のことと定義しています。必要最小限の戦闘力とはそれ以下のものですが、どの程度かという線引きははっきりしていない。
 私はこれまで繰り返し主張してきましたが、現在の憲法の政府の解釈では、集団的自衛権は、権利はあるけれども、行使できないことに大きな矛盾があります。日米安保条約でも、国連憲章でも、集団的自衛権は認められている。それから政府の答弁にも、「集団的自衛権はあるけれども、使えない」となっている。集団的自衛権は、ひとことでいえば個別的自衛権のために存在する、広い範囲の中の一つの権力です。つまり、自分一人では敵の攻撃を防げないから、他の相手と提携して同盟条約を結んで守る。提携相手が危機に陥ったときにこちらが助けることができないというのであれば、相手にとっては一方的、片務的な契約であり、当方は被保護国の形になる。当然相手を助けなければ独立国でない。然らば当方はどこまで相手を助けられるかという程度は、憲法や特別に立法する国家安全保障基本法できめればよい。

(後略)<引用終わり>

■公式参拝は一度だけ

もう一つ、中曽根氏の発言でほーっと思ったものに、靖国への公式参拝がある。大要次のようなことを言っていたと思う。「靖国に祀られる前提で国家の命令により散っていった英霊だったが、戦後靖国は1宗教法人となった。だから英霊に対しては、日本国首相として一度はありがとうございましたと申し上げるべきと考えた。」とし、「それは1度で良い」と。そしてそれを容認した耀邦中国共産党総書の自国内の立場の悪化に配慮し、以後止めたたとの発言だ。

高度な政治的判断とはこういう事を言うのだろう。

■角が取れた天敵?

さて、その天敵とも言うべき不破氏、土井氏はどうかといえば、当然憲法9条、25条維持派だが、かつての天敵ぶりとはちと違って見えた。

■共産主義と社会主義の区罰

恥ずかしながら、小生、共産主義と、社会主義の区別が良く分からない。共産主義の前段と言うか軽いのが社会主義、管理経済が社会主義といった程度の認識だ。これに加えて私有財産を認めないのが共産主義。その程度だ、マルクス主義が何たるかなんて全く分からない。

■ソ連崩壊は資本主義の勝利

分からないながら、マルクス主義から逸脱したから中国・ソ連は崩壊した、今世界は正常な共産主義(社会主義だったかな?)に向かっていると言い切った事も、あながち思い込みと負け惜しみには聞こえなかった。

あたかも資本主義経済が勝利したかのように言われているけれど、その資本主義とは、見えざる神の手が働いたアダム・スミスのイメージではないだろうか、でも現実の資本主義社会は、ケインズ以降(その前から?)、需要と供給のバランスでは成り立っていない。

原油高騰などはその典型だろう。私は競争なき社会に発展はないと思い、談合に反対してきたけれど、どうも社会はそう単純ではないようだ。(だからと言って談合を容認しないし、今も競争が社会を発展させると思っている。念の為。)

■程度問題

要は程度問題で、強者がその寡占的パワーに物言わせ、正当な競争や需給バランスを阻害してしまうようでは、世の中おかしくなってしまうじゃないかと言うこと。過ぎたるは及ばざるが如しで、行き過ぎた資本主義は、まともな競争と需給バランスを阻害する点で、実は行過ぎた共産主義と同じではないだろうか。

■世界は社会主義に向かう?

そう考えると、不破氏が言っていた、世界は正常な社会主義(共産主義と言っていたかも?)を欲し、その方向に向かっていると言うのも、アリだと思った。ま、この辺は用語の解釈・定義付けを明確にしないと何とも言えないけれど、護送船団方式で発展してきた日本経済を社会主義の一種と言うなら、市場開放が進んだ現在と比べればビミョーだなと思う。

今、ここに書いている事は、それほど正確に3氏の発言を記録してのことではなく、日曜の朝、寝転がって鼻くそほじりながらTVを見ていての印象だ。でも、タブンそんなに外れてないと思う。

その総じての印象は、コメンテーターも言っていたが、戦前・戦中派の政治家と戦後派の政治家は、何かが決定的に違うと思う、と言うこと。「何か」とは恐らく「使命感」ではないか。中曽根氏も、その天敵不破・土井氏も、目指すところにそう大きな違いはなく、たまたま選んだ方法が違っただけとの印象だった。

では、何を目指していたか。これもあくまで主観だけれども、それは、「国民」の「幸せ」ではなかったか。3氏の背負うものが少し軽くなって生臭さも取れた現在の発言からは、そう感じられた。

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