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2008/08/26

汎論訓

栃木県鹿沼市で、豪雨のため軽乗用車が水没し、運転していた女性が死亡した事故は、まことに痛ましく、この方のご冥福をお祈りするばかりである。その後の報道では、通報にも関らず、別件と混同した消防・警察が救助に向かわなかった事が明らかになり、問題となっているようだ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080824-OYT1T00677.htm

<引用開始>

栃木・水没死、県警も出動せず…110番で場所特定できず

 豪雨で冠水した栃木県鹿沼市の市道で軽乗用車の女性が水死した事故で、県警が目撃者から110番を受けながら、別の現場と混同して出動していなかったことが24日、わかった。女性本人からも110番があったが、場所を特定できなかった。この事故では、鹿沼市消防本部も119番を受けたが、情報を混同していた。

 死亡したのは鹿沼市千渡、派遣社員高橋博子さん(45)で、現場は東北自動車道の高架下。

 県警によると、16日午後6時19分、水没した高橋さんの車を目撃した男性から110番があった。通信指令課員は、午後6時前後に5件の110番があった約1キロ離れた水没事故現場が男性の通報と同じ「ガソリンスタンド近く」だったため同じ場所と思い、新たな出動指示は出さなかったという。

 高橋さん本人の携帯電話からの110番は午後6時21分で、「水が入ってきてドアが開かない」という内容。1分30秒話した後に途切れた。場所は特定できず、市内の川周辺を捜索していたという。

 午後6時50分ごろ、通りかかった鹿沼署員が冠水現場を見つけ事故警戒を始めたが、水没車に気づかず、水が引いた後の午後7時20分ごろ、高橋さんを見つけた。

 新井美雄・県警地域部長は「的確な受理が出来なかったことについておわび申し上げる」と話している。(2008年8月24日23時40分  読売新聞)

<引用終わり>

警察が携帯電話に折り返し連絡を取ったが、話中で繋がらなかったとの報道もあるようだ。それが事実ならば、恐らく母親に「助けて!」と電話をしていたためと思われる。TVでは母親が「娘が必死で助けを求めていて、最後にさようならと言って切れた」と無念さを顕にしていたが、むしろ電話をしていなければ警察に正確な情報が伝わり、或いは的確な指示も得て助かったのでは、と考えると残念だ。

また、この車のTVの報道映像では、窓ガラスが割られていて、破片が室内に飛び散っていたから、救助隊が駆けつけた時、ドアがロックされた状態であったと思われる。だとすれば、ドアが開かなかったのは水圧ではないかもしれない。

ロックされてなければ、最後に水が室内に浸入しきって来た時、圧力が均衡するから開くはず。海中深く没したわけでもないから、完全に水没する前に圧力は抜けるのではないだろうか。だがパニック状態では、そんな判断もできまいから、返す返すも残念だ。

この事故の不幸な事は、被害者も警察も消防も、みんなパニックになっていたことだろう。渦中の人にパニックになるなと言ってもムリがあろうけれど、その結果は全部自分に帰ってきてしまった。救助を求める人を救助すべき義務を負った警察・消防がパニクっていては話にならないが、だからと言って、水死すべき原因ではないだろう。

水没し、刻一刻と迫り来る死の恐怖に誰しもパニックになるだろうが、死んでしまったら生き返ることは出来ない。このような事故は、まず想定の範囲外だから、恐らく私も含めて実際にそんな目にあったなら誰しも冷静ではいられないことだろう。とんでもない災いだ。だからせめて、このような場合にどうするか、我々は肝に銘じておきたい。

そこで思い出すのが、中国の古典だ。「淮南子(えなんじ)」巻十三・汎論訓から・・・。

 事或いは之を欲して、適似(たまたまもっ)て之を失ふに足り、或いは之を避けて、適似て之に就くに足るあり。楚人に船に乗りて大風に遭ふ者有り。波至りて恐れ、自ら水に投ず。生を貪りて死を畏れざるに非ず。死を恐るるに惑いて、反りて生を忘れたるなり。(以下略)

蛇足ながら、「えなんじ」と打つとイッパツで「淮南子」と変換した。またウィキペディアによれば、「淮南子(えなんじ)は前漢の武帝の頃、淮南王劉安が学者を集めて編纂させた哲学書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。」のだそうだ。

蛇足ついでに、上記書き下ろし文をさらに現代訳すれば、次の通り。

 物事は、そうしたいと思っても、それを逸したり、それを避けたいと思っても、そうなったりすることがある。楚の人に船に乖っていて大風に出くわした者がいた。(楚の人は)高波が襲ってきて恐ろしくなり、自分から水に飛び込んでしまった。(楚の人は)何とか生き延びようとしなかったわけでもないし、死を恐れていなかったわけでもない、死を恐れるあまり(気が動転し)、かえって生きることを忘れてしまったのである。(以下略)

も一つ蛇足を・・・・、(記事アップ1時間後に追記)TVなどの論調は今のところ、遺族寄りで行政を非難しているが、これはこの先はたしてどーなるだろうか。老婆心ながら心配するのは遺族の方々の言動だ。お気の毒ではあるけれど、亡くなった方も、遺族の方も「川の中にいる」との間違った情報を伝えていては、いかがなものか。

また常識的に考えて水深何メートルもある川や海にダイブしたのならともかく、徐々に下る冠水した道路に自力で進入していったのだ。一気に水が車内に浸入するわけでもなく、さらに失礼ながら消防や母親に長々と電話して、正確な位置すら伝えていない。大変にお気の毒だけれど、今の伝わってくる情報で冷静に考えれば、車内で溺死した事自体に違和感を覚える。

また警察や消防の対応は決して誉められたものではないが、間違った情報が錯綜する中では、同情する部分もある。だから、新たに行政側の明らかに怠慢と思われる情報が出てこない限り、現状のまま被害者遺族が、被害者感情を叫び続けていると、かつてのイラクの人質のようにバッシングされ始めるだろう。

そうなった時、マスコミは決して遺族を守ってはくれない。大切な家族を失ったお気持ちは分かるが、そのうちには、今の御自身の感情の数倍もの匿名不特定多数からの悪意に満ちた攻撃に晒され、悲しみどころではなくなるだろう。

また、目撃者からの通報があったにも関わらずと、あたかも行政の怠慢が強調されているが、ではその目撃者は一体何をしていたのか、と言うように批判の矛先も変化していくだろう。この事故には、イラク人質事件と耐震偽装事件を足して2で割ったような、マスコミ論調の危うさを感じる次第。 本日、これにて。

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