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2009/01/12

造反有理

渡辺元行革大臣が、自民党離党を表明したようだ。渡辺氏の一連の行動を、多くの自民党幹部達は、これを造反と捉え、卑怯であると非難しているが、誰一人として渡辺氏の具体的言動の内容については触れていない。

渡辺批判は、押しなべて「党員でありながら」「執行部批判は」「卑怯だ」「やるなら離党せよ」というもの。この論法は、内容に一切触れて無いから、主語は渡辺氏でも誰でも良い。こういう批判論法が通るなら、一切意見を認めないということになる。後に詳しく述べるが、アホの論法だ。

かつて自由民主党内で意見対立があったとき、自由に意見が言える党であると豪語していたではないか。様々な考えを持って自由に論議できるのだと自慢しておきながら、一連の渡辺批判には、渡辺氏の言動に対する具体的見解はついぞ聞かれなかった。

聞こえてくるのは「造反はけしからん」という感情論や人格攻撃ばかり。ということは、逆に見れば、渡辺氏の主張には理が有り、執行部には理がないから、反論ができないと言うことと思わざるを得ない。フツー、人の言動を批判する場合、どんなに自分に理がなくとも、カケラくらいは批判相手の具体的指摘をするもんじゃないか。

例えば、交通事故で追突は珍しく100%追突車の過失となるが、これを例に、AにBが追突したとしてみよう。

先ず屁理屈編から。100%自分に理が無いけれど、そうとは知らないドライバーも結構いて、何とか相手の非を見つけようとするときの言い訳は?何とか屁理屈こねて相手を非難する。タブンこんなとこだろう、曰く「急にブレーキ踏むなんて危ないじゃないか、おかげで追突しちゃったじゃないか」とかだ。

ところが、「何言ってんだ、コッチは赤信号で止ってたじゃないか、いったい何処見て運転してるんだ」と反論されると、これはもう自分に理がないから、内容では反論できないから、フツーはこういう場合「スミマセン」となる。

ところが、そうならない場合もある。ヤクザ屋さんの場合だ。こういう法の外に居る彼らアウトローには独特の論法があって、それは内容に触れず、事実と無関係に言葉の揚げ足を取るやり方だ。

論理も倫理も関係ないから、少々アタマが悪くても、羞恥心さえなければ誰でもマスターできる論法である。では、実況中継---「なんだ、その言い方は、オウ。何処見て運転してるかだとう、コノヤロ上等じゃねーか」とこうなる。

このメソッドは、ヤクザ専用とは限らない。要は羞恥心の問題で、羞恥心がなければ一般市民も使う。もし一般市民がもう少し上品に言うと、こうなる「なんですか、あなたその言い方は、何処見て運手してるのかだなんて、人を脅すのはいかがなものでしょうか」

で、何があったか良く分からない野次馬には、こういう論法は結構効果があって、何、人を脅したのか、Aはケシカランと、追突したBに同情やら同調する野次馬は少なからず出て来勝ちだ。こういう野次馬は要するに、クマ公ハチ公の部類で、ナンも考えてない。ナンも考えてないから、言葉尻だけで物事を判断する。

この場合も、「車の追突事故」という肝心な対象がすっぽ抜け、何を論議してるか全く分からずに、どっちが正しいか悪いかを判断してる訳だ。要するにクマ公ハチ公とは、アホのことだ。

さて、これを渡辺批判に当てはめてみよう。渡辺氏の主張は、「定額給付」や「渡り」を止めろというもの。反論するなら、その有用性を論ずればよい。

ところが、先日の国会中継を見ていたら、麻生総理は「定額給付」や「渡り」についての民主党の指摘には答えず見当違いな答弁を繰り返していた。タブン、麻生総理ははぐらかしたつもりなんだろうが、枝野議員らは、なすすべ無しと呆れていた。

国会中継を見るなんて、殆ど耐震偽装以来、ちと大げさだが人生で2度目だったが、見ていてハラが立つほど政府自民党の答弁はふざけたものだった。何がふざけているかといえば、このはぐらかしだ。ほぼ全面にわたって、野党の質問にマトモに答えない。質問と全く無関係な一般的な解釈を延々と述べるのだ。そんな答弁でいいならなら誰でも出来る。

で、思った、この、さも「(野党は)何をバカなこと言ってんだ」みたいなそぶりと表情だけを取り出せば、何も知らない国民は結構騙せると思ってるのではないか。国民はクマ公ハチ公というわけだ。

おや?と思った方は、ここ一連のTVニュースを見るとき、麻生総理始め政府側の答弁が、「何」に対して「どう答えているか」を注意して御覧いただきたい。どんなに編集していても、そしてどんなに自民党シンパであっても、冷静に見るなら、そのオカシサに気付かれることと思う。

もっとも、そんなことワザワザこのブログで言うまでもなく、とっくに国民は気付いているから、それが内閣支持率に表れているのだろう。国民がクマ公ハチ公ばかりと思っているのは内閣だけかも知れず、単なる私の杞憂に過ぎないのだろう。

というわけで、野党からの批判にもマトモに答えられないから、当然に、身内からの同様の批判である渡辺氏からの指摘にも、自民党執行部はマトモに反論出来ない。マトモに反論できないから、内容に関係ない態度の批判するしかなく、あたかも渡辺氏が造反しているかのような人格攻撃しかないと言う訳だ。さあ、はたして国民にどれほど、クマ公ハチ公がいるのか。

と言う訳で、何を言いたかったかというと。

     渡辺氏の言動の内容に目を向けず、議論も反論も出来ず、人格攻撃しかできない自民党には政党としての能力も気概も無い。

     主語が誰でも成り立つ人格攻撃を真に受け、渡辺氏に造反者のレッテルを貼ってはならない。それではクマ公ハチ公、アホではないか。

と言う訳だ。

今のところ、自民党内部には、渡辺氏に追随する議員はいないということらしいが、それが信じられない。おそらく、風見鶏なのではないか、国民が渡辺氏を支持すれば、一気に雪崩を打ったように追随するはず。

別に拙ブログが正しいなんて限らないから、現状の政府自民党万歳でも、ボロッカスでも、国民一人一人自由な考えがあって当然。ただし、クマ公ハチ公になってしまうならば、アホのツケは必ず自分に回ってくるということだけは、間違いないと思う。

大臣までやった人物が、徒党を組むわけでもなく、たった一人で反旗を翻し離党を決意したことは、集団で離党し新党を創るのと訳が違う。それゆえ、今日のタイトル「造反有理」となった。これは別に、渡辺氏が言ってるわけでもナンでもないが、まさに「造反有理」ではないのか、よ~く考えよう。・・・ではまた。

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※参考:造反有理

造反有理(ぞうはんゆうり)とは、「謀反には理由がある」を意味する中国語。「革命無罪」と並び中華人民共和国文化大革命紅衛兵が掲げたスローガン

日本でも1960年代末の大学紛争期において、全共闘社会主義学生同盟(社学同)や共産主義者同盟(共産同)内のML派マルクス・レーニン主義派の略。ただし実際の思想としては毛沢東林彪を支持していた)のスローガンとして使用されたことで知られる。また、社会主義や共産主義に限らず、「上の者に反抗(抵抗)するのには理由がある」という意味を表す言葉として使われる場合もある。(以上、ウィキペディアより)

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