閑話休題~地道に活動する人々
ここのところ国の中枢やら、国会を見ていると、つくづく誰も本気でこの国のことなんて考えてない。だから政権交代が目前に迫ると、中枢に居る人々は必死になって、これを阻止している。これが国ばかりではない、地域もと思うと、お先真っ暗になってしまう。
でも、そんな状況にあって、中には地道に我が地域のことを考える人々がいることを知ると光明が差す思いだ、そういった地域に根ざした地域おこしを地道に行っている人々を紹介した本の話をしてみたい。
その前に・・・・、
家族があって、ご近所があって、地域社会があって、地方、国へと繋がっているから、先ず自分が住む地域を良くしなければ、この国の改革なんて出来っこない。そう思って小生も、地域活動をここ7・8年続けてきたが、当初思っていたのとは様子が違っていた。
それは、国に巣食う悪党が居るように、地域にも巣食う悪党が居るということ。そしてそういった悪党を増長させているのが住民の無関心であるということ。つまり国の縮図がそっくり地域にも現れていたことだ。
私の実感では地域活動をしているNPOの大半は怪しい。ノンプロフィットではなく、いかに上手く行政を利用して稼ぐか、その効率化のためにNPOとした、といった例がかなりあるように見受けられる。
これは由々しき問題で、誰もこのことを声高には言わないが、本気で地域活動をした方なら、皆さん実感していることではあるまいか。そして何が由々しき問題かと言えば、中には本気で公共のためにボランティア活動している真面目なNPOも居るのに、十羽一からげにNPOの信用が、実質地に落ちてしまっているということだ。
リタイヤメントの増加からか、暇人が増えたのか良く分からないが、いわゆる「まちづくり」とか「地域おこし」といった事を標榜する団体や人々は少なくないが、大半はいったい何が目的なのかさえ怪しいことが少なくない。
特に、私がここ2・3年、実感したのは、地域のため、人のためと言いながら、利権まみれの地方議会を非難していた市民が、その実、利権派そのものだった事。これには大変なショックを受け、一時は人間不信にさいなまれた。
例えば、地域を良くするためには先ず地域を知らねば、と思い自治会の役員を引き受けたところ、不透明な経理や共有財産の管理にたまげた。そしてなにより衝撃だったのは、理屈が全く通らなかったこと。
物事の善悪が、論理や証拠ではなく、「誰」であるかが問題となって、何が悪いことかではなく、誰がやったことかが、善悪の基準となることだった。あるとき110万円の使途の不透明さを指摘したとき、指摘された会計担当者は、ベンダソンに追及されて怖くなったからポケットマネーから110万円を自治会に返したと言った。
心ある人々は、はあ?と噴出し、それって、レジから金盗んだけどちゃんと返しましたっていってるようなもんじゃないかと嘲笑したけれど、ご近所のことゆえ、それ以上には追及しない。ところがそういう事を平気で言う人物と言うのは元々羞恥心がないから、後で分かったのは、いったん戻した110万円をその数日後に、また引き出していた。
その後も、会計担当者は、ベンダソンに脅されて怖くなって110万円を払ったと言い続け、年度末の監査近くに再び、使った100万円が戻ってきたからと戻した。差し引き私に脅されて戻したはずの10万円は行方不明のままだ。そして会計監査でポケットマネーで戻したはずの金が直後に引き出されたことが明るみに出ても、最後の帳尻があっているからと、問題無しとされた。少なくとも10万円は不透明な使い方のままだった。
以来、道行く人々は、私の顔を見ると寄ってきて、よくぞ言ってくれたというが、大勢の前では報復を恐れて決して言わない。会長はじめ自治会を牛耳っているのは会員の0.5パーセントにも満たない数人だが、誰も表立ってはその不正を非難しない。
聞けば、ベンダソンの言う通り、トンでもない連中だからどんどん不正を明るみに出してくれ、みんなアナタに期待している。それが、みんな分かっているから、その証拠にだれもあの連中を支持してないのだ、と言う。
確かに、総会では会長一派の発言に賛同するものはほとんど居ない、居ないがハッキリ反対するものも居ない。だから、皆さん賛成の方は拍手をお願いしますと言い、数人の一派が拍手すると、何も分からず動員された年寄りたちが釣られて拍手し、特に反対がないからと事が進行してしまう。
自治会の運営がおかしいと思っている人は9割以上ではあるが(おそらく95%)ご近所で気まずい思いをしたくないとの思いが勝り、サイレントマジョリティと化し、道で会えばその事を私に告げるが、それでは何も変わらない。
心の中で、どんなに支持しても、それを公にしなければ、体制は絶対に変わらない。どんなに自分が嫌われていると分かっていても、公に非難されなければ、羞恥心の無い連中は、プライドも何も無いからヘッチャラで地位に居座る。どこかの総理大臣と全く同じだ。
以上は私が現に体験している地域の経験だが、恐らく特殊な例だと思う(というか思いたい)。ただ、周辺地域の状況を調べてみたら、大なり小なり、こういった問題はあるようだった。そして皆さん一様に言うのは、「メンドクサイ」だ。毎月何百円かの自治会費を納めておけば済む話だから、ヤクザのみかじめ料だと思って関わらないようにしているとのこと。
この構図は、国政に関する無関心と全く同じだ。ただ、国政の場合は、選挙に行かないくせに文句言うが、地域のことになると文句すら言わなくなるようだ。
理不尽さに関して、どちらが強いかと言えば、地域だろうと思うのが実感。地域の場合は地域のボスと敵対してしまうと、毎日顔を合わせ、何やかや嫌がらせを受ける可能性があるからだ。そのせいかどうか分からないが、自治行政に対しては異常に闘争心を燃やす人々が居る。
これは、恐らく日本全国どこも一緒だろう。根っこにあるのは納税者意識からだと思うが、日ごろのウップンを晴らすかの様に、役所に対しては天敵のごとく噛み付く人々は少なくない。では、噛み付く人々の主張はなんだろうかと耳を傾けると、これが実にたわいない。
行政との対話集会や住民説明会に行くと、とうとうと自説を開陳し、行政を罵倒しまくる人が居るが、それに対する行政の回答も、木で鼻をくくったように人を馬鹿にしたものだから、あらら火に油注いじゃった、この先さぞや揉めることだろうと思って見ていると、大半はそうはならず納得するのだ。
いったいこの人は何を怒って、何に納得したのだろうかと不可解極まりないが、住民説明会の類の大半はどこの地域でもこのパターンが多い。そんなバカなと思う方は、道路建設でも環境アセスメントでも何でもよい、行政や企業の事業に関する住民説明会に参加されることをお勧めする。そしてご自身の目と耳で確かめられたい、程度の差こそあれ、大筋において私のいっていることが本当と分かるだろう。
よく公共事業の住民説明会のニュースで、行政担当者が、あたかも住民を平気で無視するがのごとき映像を目にすることがあり、なんであんなに住民を小ばかにした態度が取れるのか不思議に思われるだろうが、そういうものなのだ。
何十年と日本全国で繰り返されるこの手の説明会は、住民がしゃべるだけしゃべってしまえば、まるでガス抜きされたかの様に静かになる。だから、「おっしゃることはごもっとも」とか「お怒りは良く分かります」とか常套句をアタマに持ってきて、後は内容にほとんど関係ない、へのへのもへじでも世間話でもなんでもテキトーなことをしゃべっていればそれでOK。彼ら役人はそういうことをメソッドとして確立していて、実際、大半はそれで乗り切れてしまうのだ。
こういうこと書くと、どーも悲観的になってしまうし、程度問題とは思うが、一方では日常の我々の生活実感からすれば、日本全国すべてそうとは限らないとも思う。そしてこれは当って
ていると思う。おいおい、ベンダソン、どっちなんだと言うなかれ、どっちも事実なのだ。
何が原因で、正反対の事実が同じ地域社会で成り立つかと言えば、それはプレーヤーの階層が違うからではないだろうか。若くして地域活動をする方も居るが、そういった人々は相当に意識が高い人々であり、社会活動のレベルが地域ではない。
自治会とか、極フツーの自分が住む地域に関心を持って何らかの活動をする人々は、暇人が多い。もともとボランティア精神が旺盛なのではなく、やることがなくなったので、ここいらで何か人に喜ばれることをやってみるベイてなもんだろう。
それはそれで勿論結構なことだが、この「人に喜ばれること」が曲者で、必ずしも人の為ではない。あくまで「人に喜ばれること」すなわち「人に褒められる事」である。こういう人は、褒められないと不満を持つ。もっと厄介なのは、その結果の間違いを指摘されると怒り出すことはあっても決して改善はしない。
人は全知全能ではないから過ちを犯す。だからボランティアと言えども全てその行動が正しいとは限らない。知らずに過ちを犯すこともある。そういった時、その過ちや疑問を指摘されたなら、説明し、自分自身で何が問題なのか考えて、説明付かなければ改善すればよい。
だって人のための行動なんだから人が感謝されないことをやっても意味が無いはず。もし、何かに固執したり、怒るということは、その時点でボランティアではない。「してやってる」のだ。「してやってる」から少々のわがままは許されるあるいは、文句言うな。そう思ってはいないだろうか。
だから不透明な公金の使途にしても、ガタガタ文句言うならお前がやってみろとばかりに、怒り出すのだろう。勿論その場合、すでにコチラはやるべきことをやっているから役員なり仲間になっているのだが・・・。
そんなわけで、逆に言うと、「してやってる」ではなく、自ら積極的に地域のために活動している人々もいるわけである。で、こういう人々はホントにエライと思う。仮に動機が暇だからでも良いと思う。要は、地道に地域のために活動する人々も居て、こういう人々は、敢えて自分をアピールしないから、そういう人々をきちんと見ることが、大切なんじゃなかろかと思った次第。
心の中だけで感謝されても、あまり励みにはならない。どんな良いことでも必ず批判のための批判をする人がいるから、やがて気力が萎える。大々的に表彰したりしなくても良いから、ちゃんとわかってますよと、その活動を取り上げ評価しなければ、やがて自己顕示欲やボランティアを隠れ蓑に地域を食い物にする連中に席巻されてしまうだろう。
そう考えて、世の中を見渡すと、華々しく世の中で成功した立身出世物語はあまたあるが、地道に地域おこしなどをやっている人々の情報が無いことに気付く。そんな中、こんな本があった。
「地活な人々」という本だ。著者は三井不動産S&E総合研究所となっているから、まあシンクタンクの研究成果をまとめた読み物なんだろう。ある意味、生活の保障をされた人々が、その業務の一環として対極に位置する地域おこしを地道にやってる人々を発掘し、紹介しているのが面白い。
それゆえ、特段に気負ったところも、力みや思い入れも無く、淡々と全国で活躍する地域おこしの活動を紹介していて、ある種データベースともいえよう。ここから何を感じ何を思うかは、読み手次第というわけだ。
出来ることなら、全国駆け回り、これだけのインタビューを展開したのだから、シンクタンクとしてのべき論や展望をもっと強く分析・主張しても良かったのはないかとも思わないでもないが、タブンそうしてしまうと、紹介された人々の活動に色が付いてしまうかも知れず、これはこれで基礎情報としては秀逸といえよう。
私は、たまたまこの本を入手したが、問い合わせたところ、少数しか刷ってないので残りが少ないらしく、アマゾンで入手可能とのこと。ま、確かに売れそうも無い本ではあるけれど、こういう地道な地域おこしを紹介した本は希少なので興味ある方は、コチラをどうぞ。
以上、閑話休題(と言う割には重いか)。ではまた。
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コメント
とり様、コメントありがとうございました。
>フランスみたいな何かあれば暴れればよい訳じゃありませんが。
ただ、こうもデタラメだと、暴れるのもいいかななんて思ってしまいますね。
だって、右の頬を打たれ、左の頬を出したら、背負い投げ食って、そのうち身包み剥がされ、それでもニコニコしてるって感じですよ。
とりいそぎ
投稿: ベンダソン | 2009/04/20 17:48
同意ですね。日本人には自治と民主主義は無理ではないかという感じすらあります。フランスみたいな何かあれば暴れればよい訳じゃありませんが。所詮アジアなのかもしれません。
投稿: とり | 2009/04/20 06:12