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2009/04/12

驚き方の驚き方

よく日本人は情緒的といわれる。悪く言うと感情的だろうか。まあどういう言い方にしても論理的或いは合理的ではないということだ。ここのところの様々な献金疑惑事件や、テポドン騒動を見ていると、つくづく日本人の価値判断に疑問を感じてしまう。今日は、日本人の驚き方のヘンテコリンさについて考えてみよう。

■テポドン騒動の不思議

先ずは直近のテポドン騒動から。先週の今頃「あ、ただいま北朝鮮から飛翔体が発射されました、国民の皆様落ち着いてください」みたいな放送がされた時には思わず噴出してしまった。「落ち着いて」って言われてもなあ、誰も慌ててもいないのに何言ってんの?と誰しも思ったことだろう。

国民は誰も騒いでもいないのに、政府とマスコミだけがキーキーワーワー大騒ぎ。バッカじゃねーの、と言う感じだ。例の小沢秘書逮捕騒動では、何も考えない付和雷同市民がマスゴミに乗せられ架空の世論を作り上げたが、このミサイル騒動では付和雷同すらなく、多くの国民は笛吹けど踊らず、白けていたように思う。

国防の観点からは、北の挑発と受け取れるので、厳重なる抗議は、それはそれで結構なこと、別に批判すべきことではないが、何かしっくり来ない。

なぜか?それは、そもそもの日本国政府が問題視する北の脅威なるもののピンボケぶりにある。ノドンミサイルがほとんど日本全土を射程に入れて配備されているのに、それを問題にしないで、日本の領空のはるか高高度の宇宙空間を横切ったテポドンを国防の問題として怒っているからだ。ヘンなの。

テポドンは単体としてノドンと比べれば、見た目派手だし弾頭の搭載能力も射程距離も高いだろうが、どこへ飛んでいくか分からない命中精度も不明な多段ロケットだ。北から日本を攻撃する分には、すでに配備されたノドンとどっちがヤバイかだ。

私はマリンスポーツが趣味で、夏場は本栖湖に良く行く。すると決まってこういう会話が聞かれる。曰く「この湖はものすごく深いからキケン、気を付けなさい」と。これは本栖湖に限らず、だいたいにおいて深い湖などでよく言われるセリフだ。

でも、人が溺れ死ぬのには背が立たなければ十分だから、水深2mあれば、後はどんなに深くても危険度は変わらない。水深2mでも100mでも同じだ。だから水深100mはことさら水深2mより危険とはならない。

北のミサイルもこれと同じだ、ウィキペディアによれば、ノドンの射程約1,0001,300km といわれ、ほぼ日本全土を射程に収め、配備数は150-320基といわれている。(中国のDF21中距離弾道弾のうち日本を射程に収める東北地方に配備されているのは24基でノドンの配備数は突出して多い)投射能力的には核・化学弾頭の装着が可能な弾道ミサイルだそうだ。

危険度においては、ノドンですでに頂点に達しているから、ノドン以上の射程を騒ぐのは既に2mを超えた湖の深さを問題にして騒ぐようなものだ。しかもノドンは命中精度が低いといっても半数命中半径は190m3000mだから、核を搭載すれば100100中。数が多い分テポドンよりはるかにヤバイのである。

日本を攻撃する上では、テポドンは過剰性能であり、効果はノドンと大差無い上どこに行くか分からない。要するにすぐ隣の日本を攻撃するのに、わざわざテポドンを使うか?あれは、日本を飛び越えていくのだから、攻撃目標はそっちであって日本にはカンケイナイはず。

日本を攻撃しようと思えばできるかもしれないテポドンを問題にして、何故確実に日本をターゲットにしているノドンを問題にしないのか、全く持ってマカ不思議な国だ。

■検察・世論の不思議

次なる疑問は、世を挙げてあれほど大騒ぎした企業献金疑惑の行方だ。小沢氏秘書が逮捕起訴された容疑は、ほとんどの国会議員に当てはまるし、実際のところ森田健作などは容疑どころか明々白々な事実を晒している。

方や違法を知っていたのではないかとの嫌疑で逮捕起訴され、方や知るも知らぬも無い、堂々と違法行為を自らやっていて、何故世間つまり日本人は前者に対して非難轟々なのか、これまたマカ不思議でならない。

■世論調査の不思議

一連の献金問題では、小沢バッシングが起こったが、不思議なことに世論調査の結果ほどには身の回りの実生活では実感としては感じられない。むしろ逆な印象すら受ける。いったい世論調査の結果はどこまで本当なんだろうか。

■オピニオンリーダー達の不思議

同じく、この問題ではオピニオンリーダーを自認する人々の感覚にも大いなる疑問を感じてしまう。タケシのTVタックルではあの福岡氏でさえ、小沢辞任論を言う。ではその論拠は何なのか。福岡氏に限らずハゲチャビンの爺さん初めオピニオンリーダー達の事実認識や論理構造がさっぱり分からない。

曰く、「疑惑を掛けられたら辞任すべき」とか「クリーンではない」といった非難だ。前者は当人の見解・考え方であり、後者は論拠となる事実である。だから単なる見解で人の運命が左右されるのか?それを平気で人に押し付ける神経が理解できない。

福岡さん、あんたの人格に問題あるから政治評論家を辞めるべきだといわれたらどうするのだろう。或いは、チカンやったんだってねえとか、ドロボーなんだってねえ、でもよい。疑惑は何だって掛けられる。そんな疑惑にいちいち責任を取る必要はあるまい。問題とすべきは疑惑ではなく根拠なのだ。

少なくともオピニオンリーダーを自認し、TVで多くの人々に影響のある発言をするのだから、「疑惑」と言うならば、具体的にいかなる疑惑の根拠があるのかを示さなければ、ただのたわごとだ。だれかが勝手にチカン、ドロボーと言うのと何ら変わりない。

「クリーンではない」と言う非難も、その事実は具体的に何のことなのかを示さなければ、やはりそれを言う本人にも同じことが当てはまってしまう。ハゲチャビンの爺さんとかが「小沢はクリーンではない」と言うならば、おっさん、あんたもね、だ。

企業献金がクリーンではないと言うなら、ほとんど全ての自民党議員に当てはまる上、小沢氏は企業献金を全面禁止すべきと言っている。こうした事実があるのに、小沢氏だけをクリーンではないと断じる根拠、判断基準はいったい何なのか、全く持って理解に苦しむし、それをTVで公言してはばからない人々と、それを聞いていて何の疑問を感じない視聴者がいるとすれば、マカ不思議な疑問を抱く。

■裁判制度の不思議

こうした諸々の疑問の根底にあるのが、これら事件や犯罪を裁く日本の裁判制度のあり方に対する疑問だ。司法が3権として分立しているのは公平中立の立場で可能な限り真実を判断するためではないのか。そして誤認の危険を回避するため、疑わしきは罰せずなのだろう。

ところが、実際はどうかと言えば、奇妙奇天烈な判決が幅を利かしているように思うことが非常に多い。その端的な例が「自白」だ。自白とは自ら白状した事だから本当のことだろう。そのこと自体は、まあいろいろな意見はあろうが、まあ、その通りとしよう。

問題は何が自白なのかだ。自白を真実として証拠採用するのは、本人の意思によるからだ。では本人の意思とは何か、自ら告白することとは何かを考えたとき、本人が話す事以外の何物でもないはず。

ところがよく自白調書と違うことを容疑者が裁判で言う。本人が「私はやってません」と言えば、やってませんとしゃべっているのだ。当たり前だ。だが、裁判では調書が証拠となってしまう。法律の専門家の間では当たり前かもしれないが、調書は契約書ではないハズだ。

私が犯人じゃないけれど犯人ですと認める契約をして、その証に調書にサインをしたと言うのなら、事実とは全く関係なく「私が犯人です」と認める「契約」だ。ならば犯人でなくとも犯人であると言うこともある。あるいは、だまされてサインすることもある。てゆーか、そもそも犯人でもないのに犯人ですと認める契約をする必然性が全くないし、真実とはかけ離れたことなので意味を成さない。

何かの約束や契約ではない、犯人だけが知っている「真実」を述べるから「証拠」なんじゃなかろか。要するに本人が本人の事を言ってるから「真実」と認定するのだろう。では本人がそれを否定すれば同じく「真実」でなければおかしい。

世間の常識で、言ってることがころころ変われば、それは真実とは誰も思わないだろう。本人が私はバナナを食べてませんと言う時、過去に食べたと言った事が真実としても、それは「発言した行為」は真実でも「発言した内容」が真実である証拠にはならない。

世間では、こんなこと常識としてみんな分かっていると思う。0点の成績なのに100点ですと言った少年の嘘がバレた時、嘘つきと怒られても、100点と言ったから100点だとはならない。逆でも同じだ、もし100点を取ったのに0点と言って、嘘つきの罰に100点を0点にさせられたとしても、100点を取った事実は変わらない。

こういった実生活では当たり前のことが、なぜか裁判では当たり前ではない。容疑者の主張が嘘か本当かなんて誰にも分からないのに、裁判での本人の発言を一切無視して、過去の調書を自白証拠としてしまう論理矛盾には愕然とする。

そして時に、容疑者の自白のみが証拠として有罪となるケースを見ると、いったいこの国の司法制度はどうなっているのか、マカ不思議を通り越して、未開部族の呪いの儀式のような薄気味悪さを覚えてしまう。

だから、私は世間では評判が悪い裁判員制度に期待してしまうのだ。自白だけが証拠で有罪になる事件で、本人が自白していないと主張するならば、同じく裁判員制度でも有罪かも知れないが、そうじゃない可能性のほうが高いだろう。そう考えれば可能性があるだけまだマシだ。

或いは、逆に、裁判員が感情的になって無実の人が有罪になるかも知れない。だが、そこに冤罪の理不尽さがあれば、世論が騒ぎ軌道修正される可能性が高い。ところがこれが今の制度では、裁判官は世間から隔絶され、ほとんど司法独自の世界観で動いているように見えるのだ。

報道に仕方にもよるのだろうが、報道される内容から判断する限り、耐震偽装事件に関する別件逮捕・起訴のバカバカしさ。高知白バイ事件の理不尽さなど、枚挙にいとまがない。植草教授のチカン容疑も不自然極まりなく、常識的に考えれば冤罪だろう。

よく、こういった冤罪疑惑を否定する人々の話をよく聞くと、検察や司法当局には間違いがないとの前提で、それを根拠にしている事ばかりだから、本当だから本当だと言ってるようなもので話にならない。

そもそも、刑事事件の有罪率が99.9%(=2004)なんて異常な国家だ。これでは裁判所の存在意義がない、実質、検事(=行政)が司法ではないか。どこに三権分立してると言うのだろうか。こういうことに何の疑問も抱かないとすれば、日本人はマカ不思議な民族だと思う。

■見えているものを見ない不思議

日本の裁判制度がおかしい事は、上記のように99.9%の有罪率や裁判の長期化で明らかなんだが、こういう明らかに見えていることに対して日本人は、妙に深読みするのだろうか、変に分かったような分からない理屈を持ち出し蓋を閉めてしまうように思える。

高い有罪率に関して言えば、送検された被疑者が起訴される率は63%で、国際的にみても低いのだなどと平気で言う人がいる。単に有罪率の高さを弁解し、司法を擁護したい一心で言うのだろうが、逆に墓穴を掘っている。それじゃ、検察が司法ではないか。

何年か前、拙ブログで植草教授のチカン容疑の不自然さを取り上げたとき、あれは単なる病気なのだと断定する反論があったが、事実認定に対する疑問を問うている拙ブログの論点とは全くかみ合わず、当局に間違いはないとの前提で事実を認定する論理構造に、ビックリした記憶がある。

事ほどさように明らかに見えていても見てないではないかと言うことなんだが、視点をもっと広げてみても同じことが言える。たとえば、自衛隊。誰がどう見たって軍隊なのだが、これを軍隊ではないと言う。

いろいろ理屈を付けて、解釈や定義を複雑にされてしまうと、そうかなと思うのだろうが、「ショウ・ザ・フラッグ」と言われて右往左往してしまうのだから、ハイ軍隊ですと白状してしまっているようなもんだ。

直近の問題から自衛隊まで話が広がってしまったが、小沢秘書逮捕起訴と森田健作の違法疑惑との対比など、明らかに見えていることを見ないで、キーキーワーワー騒ぎ、日本を攻撃目標にしたミサイルが配備されていることを問題にしないで、日本以外を攻撃できるミサイルを問題視して、これまたキーキーワーワー騒ぐ。どれをとっても、見えていることを見ないで、違うことに大騒ぎする。まことに不思議な民族であると言えよう。

以上、取り留めなく書いてしまったが、ここのところのわけの分からん騒動から、こんなことを考えたと言う疑問を綴ってみた。日本は未開の部族集団ではないはず、世間で起こっていることを漫然と受け止めるのではなく、考え、主張すべきは主張し、少しづつでも良い方向に向かえばと願う次第。それには、明らかに見えている事は素直に見るべきなのだといいたい。

では、また。

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コメント

らむちゃのパパ 様、コメントありがとうございます。

ネット時代になって、マスコミとそこに登壇する人々と、ネット市民の意識との乖離が酷くなってますね。

彼らは相変わらず選民意識に溺れ、市民をバカだと思っているのでしょう。ある程度それはあたっていますが、そうじゃない市民もいて、私は小沢代表が辞任すべきという人と、そうではないと言う人が2対1だったことから、3人に一人は目覚め、自分でモノを考える人が居ると思っております。

ですが、マスコミとその関係者たちは、そのことに未だ気が付いてないのでしょう。だからTV離れ、出版離れが起こっているのですが、彼らは見えているこの現象を見ようとはしません。いづれ新しいメディア又は海外メディアに席巻され自滅するでしょう。

投稿: ベンダソン | 2009/04/14 23:34

初めて訪問しましたが、このところ胸の奥でもやもやしていたものがすっきりしました。この国の世論誘導者であるマスコミ、有識者と言われる人たちは、戦前の戦争誘導時や現在の北朝鮮となんらかわりませんね。最近、単に客観的にニュースを聞いているだけなのに、なにか無理矢理特定の偏った価値観や感情を植え付けられているようで気持ち悪いです。
ブログ更新楽しみにしますので、これからも頑張って更新してください。

投稿: らむちゃのパパ | 2009/04/14 12:28

ペンタクロス様、コメントありがとうございます。

その理屈、非常によく分かります。

自分でも何時ごろ書いたのか忘れましたが、何度か100の善行を積んだ牧師の1回の過ちと、100の過ちを繰り返すヤクザの1回の善行では、世間は牧師を完膚なきまで叩きのめし、ヤクザをホントはよい人ねと、讃えると描いた記憶があります。

論理的に考えれば1の善行が99の善行より評価される矛盾ですが、日本ではよく見られる現象です。

小さな部分を見て、大きく見えてるものを見ないとはこういう事です。

投稿: ベンダソン | 2009/04/14 00:30

ペンダソンさん、こんばんは。
自民党はダーティを旨とする政党で、民主党はクリーンを旨とする政党なんでしょう。だからダーティではないかと嫌疑をかけられた小沢さんは責められるけれど、自民党の各氏は党規どおりなのでセーフ。反対にクリーンな渡辺喜美さんなどは党規違反で追い出されたようです。

投稿: ペンタクロス | 2009/04/13 23:49

とし様、コメントありがとうございます。

>だから、「論点はずれていない」んです。

ずれてないどころか、直球ど真ん中です。

福岡氏は松下政経塾の講師だからスゴイ人と思ってましたが、この件ではメッキが剥れたのか、ボケたのだろうと思いました。前者とすれば政経塾が怪しくなってしまうので、何らかの事情で後者、つまりオバカになってしまったのかも知れませんね。

ハゲチャビンの爺さんも、昔は切れ味鋭く信念を感じさせてたのですが、いまや老害を巻き散らずクソジジイに成り果ててしまった観があります。

田原総一郎も最近怪しいし、中立公正を保つのは、それだけ難しいのでしょう。ならば、醜態を晒す前に身近な人が教えてあげればよいのにと思うこのごろです。

投稿: ベンダソン | 2009/04/13 21:31

記事の中で福岡政行の事が出ていたので、私も気になったことを一言。

彼は、小沢の話をしていた時、民主党の議員が、森田健作の話を持ち出して、なぜ、森田健作のことが話題にならないのか?という話をしていたら、福岡は、こう言いました。

「論点をずらさない」

これを聞いた時に、「彼は一応大学教授何だよなぁ?」と思いました。

小沢の話がどうと言うこと以前に、比較対象に持ってきた話に対して「論点がずれている」というのはどういうことなのか?

それだと、話そのものが全く別のことだということになるのですが、しかし、どう考えても、小沢の一件に対する比較として出したわけです。

だから、「論点はずれていない」んです。

せめて、「そういう比較はしちゃいけない」とか言うんだったら「あ~、はぐらかしたなぁ」くらいで済んだのでしょうが(まぁ、それも良いわけではないのですが)、「論点をずらさない」なんて言うから、一瞬頭の中がはてなマークでいっぱいになりましたよ。

しかもご飯を食べている最中に箸が1分ほど止まりましたから。

それが福岡の本意でしゃべったことなのかどうかはわかりませんが、あれはいただけませんでしたね。

投稿: とし | 2009/04/13 20:00

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» 西松関連で注目ブログ見つけた。亀井静香氏が「身をすててこそ…」小沢氏に辞任促す等訳の分からない記事も出ており尚更注目です。 [雑談日記(徒然なるままに、。)]
 ブログ名棒に怒る日本人さんです。  現在、阿修羅のサイト内検索で出てくるのは、天空橋救国戦線さんが記事中で紹介しているのと、植草さんの記事紹介中で植草さんが言及しているのとの二つだけですが、これから増えると思います。  なお、亀井静香氏の訳の分からない転身方面は東京サバイバル情報  ☆一時避難せよ☆さんの「亀井よ静かにしてろ!」がお勧めです。※亀井は16日には「小沢氏はもっと検察批判を」と言っていた。それが翌17日には――「身をすててこそ…」小沢氏に辞任促す――だって。(笑)  以下西松関連での注... [続きを読む]

受信: 2009/04/19 07:43

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