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2009/06/27

無くそうとしないから無くならない談合

談合の話題である。またもや国交省の天下り先での談合が指摘された。3年連続だ。2度有る事は3度ある。3度あることは?しかも連続してだ。次なる答えは当然に4度だ。おそらくこれからも談合は続くだろう。

http://massacre.s59.xrea.com/othercgi/shasetsu/index.xcg?event=1080

<引用開始>

国交省談合 天下りと無駄の大掃除を6/26朝日新聞)

これでは、「国土談合省」とでも呼びたくなる。

連綿と続いてきた天下りを維持するために、発注先の業界の談合を仕切り、高値で公共事業や請負業務を落札させる。そんな官製談合が国土交通省で3年連続して発覚した。

今回、公正取引委員会から官製談合防止法に基づく改善要求を受けたのは、北海道開発局が発注した公用車の管理・運転請負業務だ。

公用車のハンドルは、委託された外部業者の運転手が握っていることが多い。北海道開発局では、その業務を歴代OBが天下っていた業者が随意契約で独占的に受注していたが、02年になってやっと指名競争入札が導入された。

ところがその後も、北海道開発局が指名業者名など入札に関する情報を、天下ったOBに伝え、そのOBが落札業者を決めてきたというのだ。

いつもながらの典型的な官製談合である。北海道開発局では昨年も、農業・河川事業をめぐる官製談合が摘発され、現職の局長が逮捕された。その前年には、本省の技術官僚トップにいた元技監らによる水門工事談合が公取委から指摘されている。

国交省は政府発注の公共事業の8割を扱う。他省庁や自治体に談合防止を求める権限も持つ。本来、範を示すべき役所の常習的な官製談合は、組織犯罪というしかない。

官製談合を根絶するための策ははっきりしている。天下り自体を全廃することである。

ただちにやめることが難しいなら、天下り先の業者を入札の指名から排除したり、制限したりするといった経過措置をとるべきだ。

公正な入札が行われた場合より高値で発注されたということは、その差額分の税金が食い物にされたということに他ならない。

国交省は業者だけでなく、職員にもきちんと損害を賠償させなければならない。官製談合防止法が発注側にこのことを義務づけているのは、職員にも経済的責任を科すことで、官製談合の抑制につなげようという狙いからだ。

そもそも、どうしても車が必要なときは、職員自身が運転すればすむ。電車やバスといった公共交通機関を利用できる場合もあるはずだ。

こんな無駄が長年まかりとおってきたのも、道路や河川事業に必要以上に予算がついてきたからだろう。それぞれの部署や出先機関に割り振られた予算を、「自分たちの金」と勘違いしているとしか思えない。

毎年、こんな官製談合の実態を見せつけられては、政府の「無駄ゼロ」のかけ声はむなしい。将来、増税を求めようとしても国民からの理解は得られないだろう。

<引用終わり>

拙ブログでは再三言っているように、談合は違法だから悪である。事の本質は関係ない。もし、人助けが法で禁止されたなら、それも悪である。これは極端な例ではあるが、もしそうなったら、いくら法とはいえ、疑問を感じ、法に従うことに抵抗があるだろう。

で、談合はどうなんだろうか。これは微妙なようだ。法があろうとなかろうと、談合は公正な競争ではないから、公正な競争が正しいとの判断に立てば、談合は卑怯なやりかただ。普通、洋の東西を問わず卑怯なやり方は忌み嫌われ、悪とされる。

ところが、日本人を見ていて非常に不可解なのが、この卑怯さに対する寛容さだ。なにか民族のDNAに卑怯を正当化する回路が組み込まれているような気がしてならない。正当化するということはとりもなおさず、根底には卑怯なことは良くないと分かっているから正当化するわけだ。

例をあげれば古くは宮本武蔵の戦い、近代では真珠湾奇襲だろうか。武蔵の決闘は、木の上に隠れてたり時間に遅れたりと、けっこうセコイ。真珠湾奇襲は世界中が呆れた卑怯なやり方だが、今もって日本ではこれの正当化に躍起になっている人が少なからず居て、たぶんこう書いた時点で発狂し、コメント攻撃をして来るだろう。

さて、これを好意的に解釈しようとすれば、「秩序」を重んじる「協調性」ということなりそうだ。「私」を捨て「全体」のことを考える。う~む、美しい。この国で「秩序」とか「協調性」を持ち出されると大概の正義は打ち消され、悪が正当化されてしまう。

ところがよく考えると「秩序」とか「協調性」なる言葉は、本質と全く無関係な「現象」や「結果」を表現している。原因や原理を一切論じないである現象・結果を価値指標としているから、極論すると100万円手に入れるのにドロボーしようと、汗水たらそうと関係ないとなる。

皇国ニッポンが、強大な鬼畜米英を打ち負かし、アジアに平和と繁栄をもたらすためには奇襲もやむを得ない、というわけだ。

勿論、これは話を分りやすくするための極端な例だが、一般的な表現をすると、卑怯なことをしようと、コツコツやろうと100万円は100万円となる。こういった精神風土があるから、正直者がバカを見るとなるのだろう。

さて、こういう文章を読んでいて不快な思いをする方は、卑怯なことをしている方だろう、自分のことを言われているからハラが立つ。そうだそうだと頷いた方はたぶん馬鹿をみている正直者にちがいない。

正直故バカを見る事の理不尽さ、悔しさは、実際に正直に生きて体験した者にしかわかるまい。長いものに巻かれて、正直者に皆と一緒に石を投げてきた人間には、おそらく一生分らないだろう。同じ日本人でも人種が違うのだ。

いつも正直とは限らないにしても、真面目ににコツコツと努力したり、正直にふるまったが故に、不当な不利益を被った経験がある方には、今私が述べていることがよ~く分る筈。わからない方の為に、も少し説明しよう。

よく正直者はバカを見るとか、出る杭は打たれるというが、地道に研究を重ねた結果やアイデアをいとも簡単にパくる例が頻繁にある。たとえばあるTV番組が当たると、それをすぐ真似て他局もやるなどそのよい例だろう。プライドが無いのかと思うが、「視聴率を取る」という結果目標のためには、手段を選ばない。

似たような事は、我々の日常生活でもよくあるだろう。会社において誰かが良い企画やアイデアを温めていると、あたかも自分の案であるように持って行ってしまったりなんて事は日常茶飯事ではないだろうか。

えてして、そういう調子の良い連中は、メッキが剥がれそうなものだが、剥がれた時には既に利益を手にし、踏み台にされた者はそのままだ。そしてこういう卑怯な行為を「才覚」として正当化してしまう。

こういった卑怯なやり方を正当化する、その分りやすい事例の一つが談合なのだ。わかりやすいと言ったが実は非常に分りにくい。わかりやすいのは違法という点、わかりにくいのは、ではそれが悪なのかという点だ。違法ではあるけれど、かなり多くの方が談合を正当化して考えている。

その正当化の根底にあるのは「秩序」だ。業界の暗黙のルール、それが談合であり談合によってお互いが守られ利益を享受できる。そういう社会システムだから、これを破壊するヤツはハネッカエリの異端者というわけだ。

だから、建設業に関わらず談合はいたるところに社会システムとして組み込まれている。マスゴミをマスゴミたらしめている記者クラブしかり、考えようによっては司法だってそうだ。判検交流なんて個別事案ではつながりはないものの談合体質には変わりあるまい。

冒頭にご紹介した朝日記事だが、各社の社説から特に朝日に注目したわけではない、たまたま最初にあるから引用したまで。いづれも談合根絶を訴えてはいるが、説得力が無いというか文章から談合根絶すべしとの熱意が伝わってこない。

あくまでも小生の主観だが、各社論説委員は本気で談合廃絶なんて望んでないのでは?と思う。とはいえ談合は一応違法行為だから、怒ったフリをしなきゃならん。そんな感想を持ってしまう。その根底には自分たちも談合をしてるから?と思う。

>官製談合を根絶するための策ははっきりしている。天下り自体を全廃することである。

という指摘も、私から見ると実におかしい。談合の温床になっているから天下りが批判されるのであって、天下り自体は有能な人材の再活用であればむしろ推奨されるべき。だから単純に談合を根絶すれば、天下りも何ら問題無いからだ。

一見、鶏が先か卵が先かに見えるかもしれないが、談合=天下りではないから、悪事を防止する観点から考えれば談合=悪事であり、談合を禁止すればよいだけ。そしてそれは難しいことでもなんでもない。

覚せい剤を常用していれば禁止されることは大変なことだろうが、フツーの人には何の問題もない。要は止めれば済む、そういう単純な話だ。もっと言えば、止めようとしないから談合は無くならないのだ。

この記事の対象となった「公用車の管理・運転請負業務」の類は、特別のノウハウが必要な業務でもないから一定の品質保証を課した上で、新規参入を認めて一般公募すれば談合は起こらない。ポイントは新規参入だ。一般公募でも新規参入を排除すると業者が限られてしまい談合を招いてしまう。

その他の入札でも同じだ、新規参入を認めるとは、談合をしない業者を入札に参加させるという意味だから、新規参入にこだわる必要はない。談合をしない業者が指名に入れば、必ず値崩れが起こる。そういう業者を指名すればよい。

言っておくが、こんなのぜ~んぜん難しいことではない、明日からすぐにできることだ。明日からすぐにできることをやらないし、大メディアもそのことを指摘しないから、言葉だけで本気で考えてはいない、やる気がないと思ってしまうのだ。

昔から、天下り禁止を盛んに言うが、談合を本気で取締れば、そんなもの自動的に無くなる。そんなこと、本気で談合を無くそうとしたら分るはずなのに、皆そうしないのは、談合を本気で無くそうとは思ってないからだ。

談合廃止に本気で立ち向かったならば、過酷な制裁が待っている。まさに正直者がバカを見るようになっていて、そうなったとき誰も助けてはくれない。談合廃止を一応は叫ぶ大メディアも絶対に助けようとはしないし、見殺しだ。

談合拒否宣言をする業者は少なくないが、完全に談合を拒否してはいない。裏では少なからず談合をしているというのがもっぱらの評判だ。事実、裏も表もなく完全に談合を拒否した業者で、まともに営業している業者を見たことがない。大半は一時は英雄視されても、発注者から嫌われ消えて行ってしまうのが現実だ。正直者がバカを見ると言うゆえんである。

ところで、こうやって談合を廃止すればそれで良しだろうか。確かに談合は無くなるが、単に経費が抑えられるに過ぎない。税を使う以上は、産業育成に結びつかなければ意味がない。そう考えれば談合廃止と同時に産業育成となる方法を取るべきであることは明らかだろう。

そう考えれば、大事なことは新規参入を認めることこそが肝要と思う。公共事業であれば失敗は許されないし、それが人命にかかわることならば尚更だろう。だから新規参入を拒むというのでは無責任というもの。

血税を使うのであるから、リスク管理を受託者側に押し付けないで自らチェックすることが責務であるはずだ。業者選定において実績を条件づけることは非常に楽ではあるが、それは発注する側の保身でしかなく、血税の有効な使い方とはいえない。

と、まあ同じ談合を根絶するにしても、新規参入の方向でやれば税の有効活用になると思うのだが、まずは優先順位としてはとにかく日本中の公共事業から談合を無くすこと。これが先決だろう。談合が無くなれば口利きがどーたらこーたら言う疑惑も起こりようがない。

この点に関しては、マスゴミも、検察も、公取も本気とは思えないが、それでも徐々に改善されつつあるのは一重に国民の関心のなせる技だと思う。だからしたり顔で、談合は必要悪なんて言う人がいたら(あなたの周りにはいっぱい居るハズ)思いっきり軽蔑しよう。

談合は、とても卑怯なこと恥ずかしい事である。そして犯罪であると強く国民が認識すること。これが肝要かと思う。割れ窓の理論ではないが、こういうことから意識を変えない限り、卑怯な事を正当化するDNAは変わらないだろう。

本日これにて。

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