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2009/08/18

大局観と部分観

マクロとミクロというコトバがある。今日の話は、こう言う書き出しで始めようと思ったが、誤解を招きそうだからストレートに大局観と部分観と言おう。大局観と部分観というと、何やら大局観は大物で部分観は小物と言う感じがして、大局観はエライ!部分感はダメ!って感じがするが、それは時と場合による。

かなり昔1980年頃のことだが、駆け出しの技術者だった私は、原子力発電所の設計に関わったことがある。その時驚いたのが、設計技術そのものではなく、設計を分担する各組織をどうコントロールするかの技術だった。

今もたぶんそうだろうと思うが、原発は巨大なプラントなので当然、一人では設計できない。そこでプラント全体の模型を作り、すっぽり四角い透明プラスチックで囲み、それをさらにいくつかの仕切りで小さな立方体(セル)に区切るのだ。そして各セルとセルの境目の配管の接続位置だけを明確にして、セル単位で配管の設計をするのだった。

つまり、A→B→Cの順にセルが並んでいたとして、Bの設計者は、AもCも知らないし、知る必要もない。AまたはCからの配管がBの区域に接続する位置と大きさだけ知っていればよく、自分の担当するセルの中だけに責任を持ち自由に設計するのである。

一つ一つの受け持ち区域内をそれぞれの設計者が完璧に設計すれば、全体が完璧になる。この考え方にぶったまげた。ミスも発見しやすいだろう。個々の設計技術以前に、なんて合理的なんだろうと思ったものだが、知る人が聞けば、そんなの常識だよと噴き出すことだろう。

誰かが、全体を大局的に見たら、全体を把握したりコントロールすることはできそうもないと分かって、それは部分でしかコントロールできないから、それぞれの責任範囲とルールを決め、その中で完璧な作業を行えば、結果として全体が機能するというわけだ。

その後同じような感心を、時々した。例えばISO14000Sがそうだった。環境にやさしい事って何だと考え出すとキリがない。例えば環境にやさしい生活をしようとする。水の消費を抑えようと無洗米を買ったとすると、たしかに水は節約できるが、無洗米を作るのに手間暇がかかってるはずだから同じではないかと考えがちだ。

あるいは、様々な省エネ家電に買い替える時、不要な家電がゴミになるとか、省エネ家電を製造するのに新たに資源を消費してるはずではないか。なんて考え出すとキリがないし、そもそも考えたところで、基礎的な知識も情報もない、つまり考える先を知らないのだ、知らない事を考える事は結局何も考えないのに等しい。

だからISO14000Sでは、自分の領域以外は考えなくてよいのだ、自分の範囲だけを考え皆がこうどうすれば結果全体が良くなるのだと審査人に教えられ、びっくりした。事務所で使う鉛筆が環境に配慮したものならば、それを使えば良い、その鉛筆の製造過程の事は、その製造者が考えることなので、そこまで考える必要はない。再生紙が資源の節約になるから使う、それで良い。再生紙の生産が本当は環境負荷を増大させてるんじゃないかなんて考えなくてよい、それは生産者が考える事なのだ。

再生紙の生産工程が環境によろしくないとしたら、生産者は一生懸命負荷を減らす努力をする。結果として、世の中全体の環境負荷が低減されると言うわけだ、全体を正確にコントロールする事はできないという大局観を持って、管理できそうな部分観でもって個別の接点を設定し具体的な行動や検証を管理誘導するわけだ。

この考え方、ISO審査人に教えられたことが間違ってなければ、分らない事は考えない、分ることだけ考えろというわけだ、う~ん、スバラシイ!と思った。という訳で、全体が把握できない・コントロールできないような場合は、出来る範囲を確立してその中で隙間なくコントロールするという部分観が有効なので、必ずしも大局的考えが正しいとは限らない。

ただしそういう考え方自体が大局観に基づいているとも言えるので、個別の問題解決において、全体が把握できないと言う条件を理解した大局観を前提条件に、部分観的な検討なり行動が有効に機能すると言うことだ。つまり物事大きく俯瞰して知らない事を知ると言うわけだ。

いや、くどくなってスマン。結局のところ、程度の差こそあれ常に大局的見地を忘れちゃいかんと言うことだ。それを忘れるとたとえ当代一流の学者あるいは論客と言えども迷子になる可能性がある。と、昨日のニューススステーションでの山崎氏と猪瀬直樹氏の高速道路無料化についての討論を見て思った。

猪瀬直樹氏は、当代一流の論客の一人だろう。彼が道路公団営化では、孤軍奮闘して族議員の圧力、官僚の抵抗と戦った事は評価に値すると思う。相対的には猪瀬氏無くして道路公団民営化や道路行政の改革は進まなかっただろう。

だが、絶対的に今の道路公団民営化が評価できるかどうかはまた別だ。スタートラインを民営化以前におけば猪瀬氏はヒーローだが、今をスタートラインにして高速道路政策を見れば問題ありと思う。そもそも民営化して公団の何が変わったのかだ。

道路公団がやたらやり玉に挙がっていたが、都市公団にしても道路公団にしても、民営化されたといっても、名前が変わっただけで、むしろ公共団体としての規制がかからなくなった分、やりたい放題の部分があるように思う。

例えば調達にしても、今やファミリー企業にしか仕事が流れなてないと聞く。民営化によってどこを指名しようが勝手というわけだ。と言うか、身近なところで旧公団の職員に接すると、やれきびしくなったと口をそろえて言うが、とんでもない、キビシイ過当競争にさらされている民間企業から見れば、浮世離れしている。

つまり、猪瀬氏の努力・ガンバリは認めるが、現実はさして変わってないと言うことだ。で、山崎氏と猪瀬氏のバトルなんだが、どうも猪瀬氏は民営化を否定されそれが自分への非難と受け取っているフシがあって、らしくない妙な小物ぶりを発揮し、歩が悪い印象だった。

それは、高速道路無料化を主張する山崎氏が必ず根拠を示して見解を述べているのに対して、猪瀬氏はその山崎氏の根拠に触れずに、一方的に自分の論理でまくしたてていたからだ。その内容を、事細かにここで紹介するのはメンドクサイし全てを覚えてる訳でもないから、司会の古舘氏が近いうち再戦すると言っていたので、皆さんの目と耳で確認される事をお勧めする。

簡単に印象を記せば、無料化に反対の猪瀬氏は、40兆円の高速道路建設費返済の財源をどうするかの一点張りだった。収入ゼロでどうやって返すのかという訳だ。山崎氏が、その金利に着目し国債で一気に返済した方が得だと言うと、猪瀬氏は国債(=借金)で借金返済はばかげているという。

これ一見、猪瀬氏の主張が正論に聞こえなくもしれないが、大局的に見たら山崎氏の言う事が筋が通っている。猪瀬氏の主張はまさにコトバの意味を狭義に捉えた部分観なのだ。高速道路の借金返済を、高速道路に係る範囲だけで考えれば、受益者負担の料金収受で返済するしかなく筋が通っているが、よく考えたらこれ根本が違うんじゃなかろか。要は高速の料金収入を含めた税の配分、効率的な使い方の問題であって、「料金」と言うコトバに惑わされてると思う。

そもそも、受益者負担と言うが、何故高速道路が受益者負担なんだろう。だってガソリン税や重量税は確かに受益者負担だが、道路は有料だろうが無料だろうが、だれもが使うものだ。一見高速道路を走る自動車の運転者が受益者と思うかもしれないが、観光バスに乗って運転しない人も自家用車の無い人も使う。そこへ行くまで一般道路を使う。

とはいえ、一般道路と違い信号が無い特急だから、特急料金取ると言う考え方もあるだろう。特急料金と言ったかどうかは知らないが、確かに受益者負担と言う考えもなくはない。だからだろう、昔から言われてたのは、高速道路建設費を回収したら無料化するとの話だ。

実際、国道134号の逗子湾には高速道路ではないが有料道路無料化によって不要になった料金所が駐車情になっているから、中には本当に無料化されたモノもあるようだ。だが大半は、何年たっても有料のままだ。でだ、メンドクサイから高速道路は受益者負担と言うならそれでもよいが、だったら建設から今日まで、いったいいくらの料金収入があったのかだ。

(料金収入の累計-経費)>(高速道路建設費の累計+金利)じゃないのか。本当はとっくに元をとってるんじゃないかと言うことだ。受益者負担と言いながら、一方では建設費はどんぶり勘定で元を取った道路も有料のままなんじゃないだろうか。

だからまず全体として大きな収入と借金の比較が必要なはずだ。その結果収入(累計)が上回っていたら、何兆円の借金が残っていようと、高速料金はタダでなければおかしい。

建設費の返済原資の確保をどうするのかなんて議論は、実は高速道路とは何の関係もなくて、単なる40兆円の借金をどうやって返済するのか、不足する税収をどうやって確保し、どう配分するかだけの問題なのだ(←だけという言い方は不謹慎だと思うが、まあそこは置いといて)。

で、長期に渡る40兆円返済の金利(80兆円)を考えると、一気に国際で返済してしまった方が得に思えるが、どうなんだろう。これ以上国の借金を増やしてどうすると言われそうだが、別に増えちゃいない。40兆円の借金が国債に変わるだけだ。その返済原資だって、高速料金が税金にと名前を変えるだけで国民が払うことに変わりない。

早い話、いろいろなローンを安い金利に借り換えるだけの話。普通自分の借金ならそうするだろう。山崎氏の試算ではでは40兆円の金利が80兆円でざっと元利合わせて120兆円の返済だから、確かに氏が言うように、金利がチョイ上がれば、料金収入ででは、あっという間に借金は返せなくなると言うのもうなずける。

但し、ここに書いたことは山崎氏の受け売りだ、実際のところどうなのかは分らない。でもマクロ的と言うか大局的に見れば、高速道路の建設費も借金残高も、料金収入も分かっている。つまり全体が見えているから、原発の設計や環境問題みたいに全体が分らないのではない。

全体が見えている問題を解決するときには、部分観で対応する必要はない。細かな議論をすれば、高速道路無料化の原資はどうするのかとなるが、40兆円の国債を増発したらどうなるかと言った方が良いと思う。

800兆円に対して40兆円の国債残高が増えるだけと言うと、ひっぱたかれそうだが、ホントに高速道路建設費の真水返済額が40兆円とも思えないから、第一にはそんな感じだし、無料化による経済活性化の税収増もスゴイだろう。抑えることも大事だが、明らかに効果のある減税(無料化=減税)まで同じに考えるのはどうしたものだろう。

何度も繰り返すようだが、高速道路無料化は全体が見えるのだから全体で議論すれば良いと思う。どうもこの問題に関する限り、猪瀬氏の理屈は、あたかも全体が見えない中での個別課題の解決を論じているような違和感がある。何かを、一生懸命守っているような感じで、いつものキレがない。

「いい加減な事を言ってはいけない」とか「財源はどうする」とか「全然分かってないいーですかあ」とか、要するに内容と関係ない印象操作みたいな発言は、今までの猪瀬氏の活躍にぼろが出たみたいで、ファンとしては、引いてしまった。

次なるバトルがいつあるのか分らないが、別の番組でも良いから、相手を批判するときは、その論拠の弱点を指摘し、根拠のある発言を望みたいものだ。

それはさておき、高速道路無料化はCO2排出を増加させると言われるが、はたしてそうだろうか。これも高速道路の交通量だけ見ればそうだが、車は高速道路だけを走るわけではない。国内全体の自動車交通量がどうなるかが問題のはず。

そしてこの大局を見極めるのに、個々の道路の交通量を調べる必要はなくてガソリンの消費量を調べればわかるはず、もっと言うとガソリン税で分る筈だ。交通流がスムーズになろうと渋滞しようと実はそんなこと関係ない。全体的な問題を評価する要素が全体的に把握できるなら、それをもって全体的な検証をすればよく、部分的な細かい積み上げは最初から不要だし、間違いの元だろう。と、まあ、これは蛇足。

本日これにて。

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コメント

○ らむちゃのパパ様、コメントありがとうございます。
>無料にすることで、これの建設維持管理に群がっていた様々な利権もあぶり出されていくでしょう。

正に、その通りです。利権にしがみつき、おこぼれにあづかった寄生虫を退治し、働かざる者食うべからず、働く意欲ある者にこそ、仕事と成果義務を配分すべきです。

○ 才谷 梅太郎様、コメントありがとうございます。
タライマワシは腹が立ちますね。何故タライマワシか予め理由が分かっていれが、回避もできますが、理由不明故対処できませんね。仮にだれも全体を把握してなくとも、それぞれの部署が完璧な仕事をしていたらタライマワシはおきません。

完璧な仕事とは自己の領域を完全にこなすと同時に、隙間を埋める事であると思うからです。ここに言う隙間とは予測不可能な範囲ではなく、自己の責務に照らし当然に考えられる範囲を言います。簡単に言えばヤル気ですね。

故に、タライマワシとは、全体観・部分観以前の問題でしょうね、即刻リストラ対象の候補に挙げましょう。

投稿: ベンダソン | 2009/08/20 01:13

「大局観と部分観」、「ISO14000S」のはなし、貴兄のブログタイトル「棒に怒る日本人」の思考回路をそのまま著しているようで愉快でした。
それぞれの持ち場を完璧に作業すれば全体が確かに機能するのでしょう。
ところが全体を把握している人がいなかったらどうなるのでしょう?セイジもオカミも民間企業も・・・。「ソレ、ボクのせいじゃないもん。」とか、「ソレはワタシ知りません。」といった一億総無責任社会の完成です。

偏向報道を鵜呑みにして、怒ったり、馬鹿笑いしたりする当世日本人の全体を見ようとしない習慣(?)は、こういったシステムから生まれてくるのでしょうか。

本日お役所にて、いつものタライマワシ。
愚痴のコメントにて恐縮です。

投稿: 才谷 梅太郎 | 2009/08/19 18:19

道路建設には、交通量調査にはじまって天下り団体の利権がいっぱいぶら下がっています。民主党の高速道路無料化にはマスコミの論調は批判的ですが、もともと建設後30年経てば無料にするとして建設したものです。加えて日本の高速道路は100㎞走れば3000円という料金は高すぎると思います。高速道路に併走する無料バイパスを通っても到着時間がさほど変わらない区間も多々あります。無料にすれば、きっと一般道の渋滞も緩和するでしょうし、無料にすることで、これの建設維持管理に群がっていた様々な利権もあぶり出されていくでしょう。いずれにしても、今道路がいるとすれば有料道路ではなく無料のバイパスだと思います。

投稿: らむちゃのパパ | 2009/08/19 10:25

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