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2009/08/15

国立追悼施設建設を理解できない人々

Elc0908132359017p1 今日は終戦記念日。各地で様々な行事が行われるだろう。この時期になるといつも論議を呼ぶのが靖国問題だ。原子力・天皇・靖国、の3文字は、この日本においてはタブーなのが、なんとも情けない。そしてタブーが表向きタブーとされてないのも、薄気味悪く(だからタブー?)、いかにも後進国っぽい。

拙ブログでは、この3つをいづれも否定していないが、記述したとたんに炎上する。単語に反応する人々をからかうのは面白いが、その異常さには正直、引いてしまいがちだが、終戦記念日くらいは、国立追悼施設建設について考えてみたい。

で、この問題になると靖国神社擁護派が、歯をむき出すので、毎回、毎回最初にくどいほど明記しているのが、「私は、靖国神社を否定しない。同じように他宗教も否定しない」というスタンスだ。この簡単な事が理解できない方、「オレが信じる事・価値観は正しいから、お前も従え」という方々は、ここで退出願いたい。ハッキリ言おう単純なルールが出来ないバカは相手にしたくない。

「自由とは他人の自由を尊重して成り立つもの」とは小学生でも分ることだが、実際これを理解できない人々は少なからず居る。言葉では理解できても、自分と違う考え方は絶対否定してしまうようだ。自分と異なる考え方は、受け入れ難いし、自分の内面では否定するのは当然だろう。だからといって、それを外に出して他人に強制するようでは文明人ではない。

トヨタの車が大好きで、ニッサン車に乗るやつはバカだと思うのは自由だ、意見として口に出すのも自由だろう。だが他人にニッサン車に乗るな、トヨタの悪口を言うなと求める権利はない。自分だけが特別と思ってしまう人の心理は一体どうなっているのか不思議で興味が尽きない。

ひとつ分る事は、そういう自分(達の考え)だけが特別と思ってしまうのは知能指数とはあまり関係なく、もっぱら性格によるようだと言う点だ。これはもう宗教の領域なようで、理屈が通らない。イスラム教祖の悪口を書いた教授が惨殺されたように、自分が絶対だと思っている事には妥協が無いのだろう。

国家のために命を捧げた英霊を追悼すると言う点では、ほぼ万民が一致しているが、その施設や追悼の仕方については一致せず、理屈も通らない。それが国立追悼施設と靖国神社だ。個人がどのような考えを持とうと勝手だが、1.3億の民がその国家の命運を託す相手には、個人の価値観で国家を動かして欲しくない。当たり前だ。

この当たり前の事が、自民党諸氏には理解ができない。自民党国会議員は、平均すればどの党の議員よりも優秀な頭脳だとは思うが、自分が絶対と思っている点でも群を抜いていて、知能指数は高いけれどアタマ悪い。だから、「英霊を追悼する施設=靖国神社」で思考が停止してしまい、大前提の他人の自由というものが全く理解出ないようだ。

英霊が靖国で会おうと言って散っていったからといって、全てを靖国に祀るのだという理屈が正しいならば、憲法に思想信条の自由を謳う意味が無い。何故こんな簡単な事が理解できないのだろうか。靖国で会いたければ会えばよいのである。それが人々の意思ならば尊重し、誰も邪魔はしない。同じく強制も必要ないはずだ。

そこで、民主党が国立追悼施設建設を表明した事を、高く評価したい。もっともこの件に関しては、民主党のみならず自民党以外各党賛成なので、自民党だけが反対なんだが・・・。

http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090813/elc0908132359017-n1.htm

<引用開始>

靖国に代わる国立追悼施設建設へ 民主政権発足後に有識者懇を設置

民主党は13日、次期衆院選後に政権を獲得した場合、靖国神社に代わる新たな国立戦没者追悼施設の建設を目指す方針を固めた。政権発足後、政府に有識者懇談会を設置し、答申を受けて建設に向けた動きを本格化させる。連立を組む予定の社民党も同日、建設計画をまとめる方針を決定した。これに対し、自民党には、建設への反発が根強い。民主党などが建設方針を打ち出したことで、追悼施設問題が衆院選の新たな争点として浮上した。

 民主党の岡田克也幹事長は同日、党本部で記者会見し、追悼施設建設について「国家・国民のために命を落とした方々をまつる場が不可欠だ」と述べ、建設推進の考えを強調した。追悼施設のあり方に関しては「有識者に議論していただき、それを尊重する形にする」と述べた。

 岡田氏はまた、自身が千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)を管理する財団法人の理事を務めていることに触れ、「千鳥ケ淵を生かしたい気持ちはある」との考えも示し、個人的な考え方として、千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充に前向きな姿勢を示した。

 民主党は追悼施設の建設について、7月に発表した政策集「INDEX2009」で、「特定の宗教性をもたない新たな国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進めます」としたものの、衆院選マニフェスト(政権公約)では触れていなかった。しかし、鳩山由紀夫代表は12日、同党が政権をとれば「どなたもわだかまりがなく戦没者の追悼ができる国立追悼施設の取り組みを進める」と意欲を表明。13日の岡田氏の発言により、建設実現に向けてさらに一歩踏み出したことになる。

 一方、社民党は13日に幹部会を開き、4年以内に追悼施設の建設計画をまとめることを決定した。保坂展人(のぶと)副幹事長は記者会見で、鳩山氏の発言を高く評価した。

 追悼施設の建設は、小泉純一郎元首相が在任時に靖国神社を参拝し、一部から批判があったことを踏まえ、福田康夫官房長官(当時)の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が平成14年に出した答申で盛り込まれた。

 しかし、自民党内には、「税金の無駄遣い」「靖国神社の存在をおとしめるもの」などの批判が根強く、政府は建設に向けた調査費の計上を見送っていた。民主党政権が発足すれば、一気に実現が近づくことになる。

<引用終わり>

拙ブログは、この民主党・社民党の靖国に代わる国立追悼施設建設への積極的姿勢を高く評価したい。議員個人においては、自民党議員同様に、靖国神社で充分との思いもあるだろうが、それはそれとして、国家のガバナンスが働く施設としては無宗派であるべきとするのが、国政をあずかる者の見識というものだろう。

ここで念のため今一度拙ブログの基本的スタンスを明確にしておこう。

     英霊をまつる場が不可欠だ。(ここまではだれも異論ないだろう)

     その場はだれもがわだかまりなく行ける場であるべきだ。(たぶんこれも異論ないだろう)

     なので、無宗派の追悼施設であるべきだ。(これも憲法上そうあるべきだが、反対続出?)

     同じく、A級戦犯を祀るべきか否かは議論を要す。つまり拙ブログはA級戦犯を否定しないが、認めもしない。戦犯でないとするならば、その旨公式に決着を付けるべき。

である。問題は②③だろう、これについて以下に述べる。

■無宗派の追悼施設であるべき

そもそも、この話、憲法で信仰・思想信条の自由が保障されているのに、いちいち説明が必要な事なんだろうか。靖国神社は宗教法人だ、だからここを追悼施設と言うなら、憲法を変えるか、宗教法人を辞めるべきだろう。

前者は困難としても可能性はあるが、後者は現に宗教施設であるものを宗教施設ではないと言いかえることは節操が無くあり得ないだろう。そう考えれば。どう考えても、無宗派の追悼施設を別に造るしかない。

あとは、靖国派は理屈も何もなく、ただただ強弁を繰り返し、脅し、喚くしか方法はないだろうが、それでは民主主義ではない。今だ天が動くとの願望に固執し、天動説を唱えるに等しいと言えよう。ただ天動説論者は、あの手この手の論証を組み立て論理的に証明しようとしている点が、イタイけれどルールを守っている。

対して、靖国派の人々にはこう言った論理は皆無なようだ。彼らが信じる神の威光を根拠に、自分たちを特別視し、そこを前提に、あるいは拠り所として理屈を組み立てている(つもり?)なので反証可能性がない。反証可能がないから、もともと議論にならない。「私の言う事は全て正しい、なぜなら私は神だからだ」の類だ。

例えば、無宗派の国立追悼施設の必要性を取り上げると、必ずこんなコメントが寄せられる。曰く

     靖国は日本人の心だ、それが理解できないのか!

     神道は、日本人の習慣や伝統であり宗教ではない。

と言った類だ。靖国神社を「日本人の心」と思うのはその人の自由だし、否定しないから、好きに拝むなりお参りするなりすればよい。どうぞ自由にやってください。トヨタ車が好きならそれも自由、好きにやってください。だが、お前も信じろ、トヨタ車に乗れと言われれば、イエスかもしれないしノーかもしれない。それが自由・平等というものだ。

神道を習慣や伝統と言うなら、宗教法人であるのはどういうわけだろうか。右だけど左では意味不明だ。習慣や伝統と言うなら、その様に位置付けてから言うべきだろう、文化に対する解釈であれば、賛成反対それぞれ自由だ。華道や茶道を日本人の心・文化や伝統とする人も居る。いや歌舞伎だという人もいるだろう、様々だ。

■A級戦犯合祀について

次なる問題は、A級戦犯合祀だ。まず始めに拙ブログの論点と見解を明確にしておこう。この問題の論点は手続きであって内容ではないのだ。まず第一に拙ブログはA級戦犯の方々を犯罪者とは思っていない。もう一度いや百回言おう、A級戦犯の方々を犯罪者とは思っていない。これは内容の話だ。だがそんな事は論点ではなく、国家として「判決」を受け入れたか否かがその手続きの是非が論点なのだ。受け入れた以上は、対外的にそれを前提に行動すべきであり、否定するなら手続きもきちんとすべきと言うのが主張だ。

だから反論する方は、ここを理解した上で反論いただきたい。論点と異なることを百万回言われても、相手にはできないし、内容的にはA級戦犯の方々を犯罪者とは思っていないと主張しているのに、無罪であると噛みつかれても困る。

くどいようだがA級戦犯・極東軍事裁判の是非は論点ではない。だから、これらの解釈はブラックボックスとして「X」としよう。形式として手続きとしてXなる条件を受け入れておきながらXを否定する事は、少なくともルールを守る意思や知性がある人や団体はしないものだ。Xを否定するならXを受け入れてはならない。お前なんか大嫌いだと言いながら施し受けてはいけない。筋は通すべきなのだ。

法廷で犯人の家族が身内の有罪を認めておきながら、あとで法定外で身内は無罪ですと主張しても意味がないのである。まして公式の場で謝罪していては卑怯な印象が強まるばかりだろう。無罪ならば、少なくとも手続きを踏んで再審請求し無罪を主張すべきである。公式に有罪の意思を表明しておいて、公式な訂正を行わず、あの判決はおかしいと主張して、いったい何の意味があると言うのか。

冤罪を主張して控訴も何もしないなら、そんな主張100万回言ったところで誰が相手にするだろうか。A級戦犯問題はまさにこれなのだ。東京裁判は認めない、A級戦犯は占領軍の勝手な判決だ。という方が必ず居る。

これまたどのような主張をしようと勝手だ、A級戦犯は犯罪人ではないとの説明も理にかなったものだろう、だがそれは内容の話だ。だが国家が国際社会で公式の手続きで否定してないのに、個人がそんな見解を100万回述べても、それは個人の見解に過ぎない。ゼロは何個集めてもゼロなのである。

何の事か分からない方の為に補足すると、サンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており、法的には日本は国家として判決を受け入れているが、国内においてはそれを不服として異論を持つ人がいる事を言っているのだ。

具体的には、日本は極東国際軍事裁判(東京裁判)の「裁判」を受け入れたわけではなく、「判決」を受け入れたのであるとする説があるが、意味不明だ。いったい何を言いたいのだろうか。裁判の結果を受け入れておきながら、裁判を受け入れた訳ではない?国際法学者の集まりで確認されたというこの説をよりどころに何を主張したいのだろうか。

彼らが主張する言葉の意味は、決して分らない事はない、むしろ主張はいたって分り易い。日本は極東国際軍事裁判(東京裁判)の「裁判」を受け入れて無いからA級戦犯も無効と言うことだろう。言ってる意味は分るし同意もしたいが、手続きの正当性ではとうてい支持できるものではないし、日本国民の大多数が同意したところでいったい何が変わると言うのだろうか。

交際条約の中で認めた事を、その国際条約の見直しはおろか、その後も対外的に謝罪を繰り返していて、内輪でそんな主張されてもなんとも応えようがない。仲間を罪人として引っ立てて、時の支配者に差出し、獄門うち首ごもっともと認め、未だ親分が、そのとーりですとペコペコしながら、内輪であれは無罪だ、そう思うだろと同意を求められ、文句言われても、白々しい。

主張する相手、文句言う相手が違うし、無罪なら無罪として正規の手続きで名誉を復活させなければ故人も浮かばれまい。靖国問題やA級戦犯問題をちょっとでも考え議論すると、たちまち歯をむき出して発狂する人々は、まさに拙ブログタイトルの「棒に起こる日本人」の典型だ。

怒るべき相手は、同胞を勝者に差出し、犠牲にして今に至るまで公式な決着をつけようとしない政府なのである。A級戦犯とされた人々の評価や是非は様々だろうが、少なくとも、国家が戦勝国の勝手な事後法を受け入れて、同胞を差し出し知らん顔はないだろう。

そんな国家を、誰が信じられようか。その挙句、独立した主権国家でありながら、隣国から不法侵入による同胞の拉致を許し、未だその多くは拉致されたままなのだ。国家が一部の国民をスケープゴートにして見殺しにしてしまう様は、その場限りの損得勘定では利が多いだろうが、損得だけでは、日本人が最も重きを置く「情」が無さ過ぎる。

だから、いつも右寄りの方々の主張を聞いていて不思議なのは、こうした全体観がどうなっているのだろうかとの疑問だ。棒でひっぱたかれても、叩いた相手ではなく目の前の棒に怒りをぶつけているだけに見えてしまうのだ。

A級戦犯の問題は、国家が認めているのに、民間レベルで国民同志が、いやそうじゃないと、やりあっても、にっくき鬼畜米英のお先棒担ぎに過ぎない。敵(?)は、ハハ、またイエローモンキーが潰しあいをやっとる。有り難いこっちゃ、放っとけばワシらの思うつぼね、とほくそ笑んでることだろう。

本日これにて。

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コメント

散策様、お知らせいただきありがとうございます。
更新しないもんで、ランキングが下がりっぱなしなのに、やっと更新したらリンク切れとは(涙)。

投稿: ベンダソン | 2009/08/15 23:09

こんにちは。人気blogランキングがリンク先URLにとびません。お知らせまで。

投稿: 散策 | 2009/08/15 20:39

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