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2009/09/30

八ッ場の追記

このところ八ッ場ダム問題について書いてきたが、その中で書こうか書くまいか逡巡していたことがある。それはかなりの内部事情であったり、直接自分の目と耳で検証してないからだが、事実とすればマスコミが絶対に取り上げることも気が付くこともなさそうな、本当に困窮している人の事なのでやはり書こうと思う。

先の記事で水没5地区を書いたが、これらの地区の人々は、各位が満足するか否かはともかくも、各個人、各地域レベルで、それなりの補償や生活再建策の恩恵にあずかっている。だが、時期的な問題や対象地域から外れた方、ダム工事と直接に物理的影響を受けない人々こそが、実はダムに翻弄されているのではあるまいか。

地域を相手に商売をしている人々がそれである。例えば地域住民を相手にしているトコヤさんがあったとする、あるいは小さなラーメン屋でもよい。こう言った店には、通りすがりの客は来ない。アナタがドライブの途中、おっ、トコヤがあったちょっと寄ってこうなんて考えないだろうし、街道から少し入った集落に、おっ、ラーメン屋があった、なんて発見はしまい。

こう言う商売がどうなるかと言えば、地域の都市構造がダイナミックに変化している上、客である地域住民がどんどん転出してしまって、商売が成り立たなくなり、子どもを学校に行かせる事さえ困難な状況にあると言う。

なにより、こう言った地域の生活基盤の変化は、小学校の生徒数がゼロになった事がそれを裏付けている。生活再建の対象なるべき、このような困窮した人々こそ、緊急に救済されるべきだろう。

また、水没5地区に対する生活再建や見返り策には首をかしげるモノが少なくない。例えば現地に行くと道路際に保温被覆したパイプが這っているのを目にする。何かと聞くと地域住民の為の温泉施設なんだそうだ。

そりゃ、ただ同然で毎日温泉に入れれば有り難いだろう。当然に皆喜んでいる事と思うが、下流都県民が払う税金で賄われているのだ。その事自体は決して悪いことではない。だがダム事業にしても水特事業にしても基金事業にしても、予算があるのだ。

おそらく予算があるのだから使わなければ損と言う訳でもあるまいが、これが自分の懐だったら、も少し考えるのではあるまいか。おそらく地域住民は、自分の懐から出したとは思ってないだろうが、実際は地域住民の懐から出たのと同じなのである。

何故なら今も述べたように、これらは下流都県民の税金であり、予算の枠が決まっているからだ。だから何かでお金を使えば、その分他の生活再建策の予算が減るのだ。もしも生活に困窮した人々の新規事業の開業資金に廻し生活再建を支援しようとしたとして、それらに使えるお金は当然に減ってくるのである。

のんびり温泉につかるのも、楽しいし幸せを感じるだろう。でももっと緊急かつ重要な生活再建策がありはしまいか。そういう事はお上が考えることだと考えてはいまいか。生活再建とか地域振興とかまちづくりなんて事は、他人がどうにかしてくれるものでは決してない。

良きに計らえでは、予算が無くなったら終わり、そんなものは地域の活性化でもなんでもない、単なるおねだりだから、ダムが完成し様々な補助が打ち切られたら、たちまち地域生活は破綻するだろう。

地元専用の温泉施設だなんて喜んでいても、いつまでも下流都県から金が出る訳ではないから、いづれ自分達でメンテナンスの費用負担をしなければならなくなる。ここでは、たまたま温泉を例に挙げたが、他にも様々な地域振興策が検討されているが、とてもではないが民間ならばいったい誰がそんなことやるだろうかと思うような企画ばかりだ。

だいたいこの手の話になると決まって出てくるのが、「歴史」とか「文化」だ。その流れで歴史の散策路だの、文化交流施設といった類の施設整備である。だが日本中に歴史と文化はある。価値があるのは、歴史や文化ではなく、観光資源となるような特異な歴史や文化なのだ。

歴史上の有名出来事や人物そのものから、枝葉に分かれ、聞いたこともないような、歴史の脇役にまつわる場所にいったい、地域外の誰が好き好んで来るだろうか。あるいは八ッ場の歴史を展示して、そんなもので人が来るとでも思うのだろうか。

たまたま訪れた人々が、暇つぶしに興味を抱く程度だろう。そしてこの手の企画ではバカの一つ覚えの陶芸教室だの手芸教室など、こう言ったものを文化交流施設として計画する。日本全国どこへ行っても、役所とコンサルが考えるのは、金太郎アメのごときこう言う施設の計画だ。

使われる単語は、下流都県民との交流となる。聞いた人は、ほとんど誰も本気で、そんな事で地域が活性化するなんて考えはしまい。あの場所でテーマパークをやりましょうと提案したコンサルはいったいどこまで本気なんだろうか。

地域を活性化させるには夢と希望が必要だ。だから夢を語るのは大いに結構、だが基本となる考え、コンセプトの無い個別バラバラの且陳腐な夢は夢ではない、ただのホラだったり出鱈目に過ぎない。

地域住民が立ち上がる事で、何もない過疎の町が発展する事は少なからずある。例えば過疎ではないが町の衰退を発展に転じた黒壁のまちづくりが有名だが、その他にも、鳥取県智頭町では文字通り過疎の山村で地域住民がコミュニティビジネスを伝播発展させていった。

いづれも住民が主体的に動いたのである。このように活性化したまちづくりは、いづれも住民が主体となっており、お上が計画し、住民が受け身なものは発展したためしがない。発展したのは地域住民が、我が町の資源に着目し活用したものばかりだ。

大変に失礼ながら、八ッ場の方々は、自分達の生活再建、まちの発展をお上まかせで、口を開けてエサを待っているように見える。補償あるいは生活再建といったエサはいつまでも貰えるわけではない。自分達のまちづくりのビジョンがあって、そのための生活再建支援であるべきだ。

八ッ場は、ダム工事が中止されても、すさまじい基盤に対する公共投資がされ、それらは活きる。そんな事は日本全国そして今後起こり得ないだろう。今や日本全国各地で道路建設が中止されているのだ、そんな中これだけの公共投資がされているのだ。

川原湯温泉が衰退していると言うが、渓谷美が残され、基盤が整備されるのだ。他の観光地から見ればよだれが出るだろう。このポテンシャルを活かして、地域再生の千載一遇のチャンスと考えるべきだ。

もしもお上任せに、生活再建とか地域再生を考え続けるならば、せっかくのポテンシャルを生かすことなく、補助金の打ち切りとともに衰退するだろう。今ならば、観光立国を目指す国の施策をうまく取り入れ戦略的に地域を活性化する事が可能なはずだ。

少なくとも交通ポテンシャルから見れば、特急が止まるJR草津口駅のおひざ元にあって、個別交通を担う道路整備も進んでいる。一方ではかの草津温泉はこの駅からバスで30分もゆられていくのだ。どう考えたって、川原湯温泉の方が集客ポテンシャルは高い。

しかも、軽井沢からは車で3040分だ。道路整備にしても、何故もっと関越に抜けるルート整備を要求しないのか不思議でならない。地域の発展を本気で考えるならば、休日の軽井沢の東京方面へのすさまじい渋滞客を、それで一気に引き込もうと考えたらいかがか。

何時間もウンザリする軽井沢からの帰りの渋滞を考えれば、ちょいと遠回りとは言え八ッ場までは、ほとんど信号のないガラガラ道路、混むのは八ッ場(長野原)からずっと先の国道353の中之条~渋川間だ。

群馬県は、局地的に八ッ場だけしか考えないが、この間の道路整備を国に要求して改善することで、遠周りではあるけれど、軽井沢からの裏ルート開発になるのではないか。もちろん裏ルートだけでは、いくら道が空いているとはいえ遠回り過ぎるが、そこに軽井沢からの観光客を引きこむ草津温泉、川原湯温泉や吾妻渓谷、榛名山などとの観光ネットワークを形成するのである。

群馬県には、ガッポリ軽井沢即ち長野県の客を引き込みお金を落としてもらうのだ。私が群馬県知事なら、こう考えるが、言ったところで、フンと鼻で笑われるだろう。だが、これは例えばの話である。要は軽井沢というせっかくの日本一の観光地が直ぐそばにあるのだ。しかも金持ちと若者が集まるモノスゲー観光ポテンシャルだ。基盤整備を活かして、このおこぼれを頂かない手はないだろうと思う。

一方、一時的なダム関連事業の基盤整備で地元に資本投下されても、ほとんどは本社が東京にあるゼネコンが工事を受けるので、JVを組んだ地元ゼネコンや下請けにいくらかの分け前が行くだけで、実は地域の域内総生産(GRP)にはあまり貢献しない。

都市経営・地域経営を考えたら、外貨獲得に相当するのが観光収入だ。ダム工事の僅かばかりのおこぼれに満足して、工事が完了したらそれで終わりでは、都市経営センスが無さ過ぎる。八ッ場地域全体を考えるコーディネーターが居ないことを指摘したが、八ッ場に限らず、県土全体を考えるスタッフも居ないように思う。

とにかく目の前に見えるダム事業や水特、基金の各事業の金の使い道だけに目を奪われて、その投下資本をどう地域の発展に生かすのか、そういった視点がほとんど見えないので、余計な事と思われようが、税金を使われる下流都県民の一人としては、ちと文句も言いたくなるのだ。

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コメント

八ッ場ダム問題に隠された事実が・・・

引用元
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/81460b6a0c9c91915676cb9c45adc808
保坂展人のどこどこ日記 政治、経済、文化を幅広く語る。

八ッ場ダムと同規模の戸倉ダムが6年前に消えたのはなぜ?

戸倉ダムは昭和47年ごろから計画が始まったもので、八ッ場ダムとはほぼ同時進行で推移してきたものです。
日本広しといどもこれほど条件が揃ったダムは他にはありません。
総貯水量9400万トン(八ッ場ダム10、700万トン)と9割ほど。湛水面積200ha(八ッ場310ha)と面積は3分の2で済みますし(その分深い)遜色ない規模です。

何よりもすばらしいのは、水没人家なし。土地の9割が東京電力所有地、群馬県片品村の住民こぞって完成を願ってました。勿論反対住民はほとんどなかったというものです。(当時私は片品村の住民でした)只、猛禽類の生息地域でその事は心配の種でしたが。

驚くべきはその費用です。戸倉ダム1230億円 これは取り付け道路数キロ一本と150mほどの橋梁一本のみで済み、ほとんどがダム本体の工事費で八ッ場と比較する上で多めに見積もったと言われてます。従って下流域の負担金は例えば埼玉の場合190億円、方や八ッ場ダム574億円と戸倉の場合3倍です。

同時進行の両ダムをしっかりと比較検討、精査したなら戸倉を採用せざるを得ない筈にも拘らず、八ッ場を選んだのは各都府県が如何に杜撰であったか、そうでなければ地元自民党政治家の犯罪の臭いすら感じさせるこのような一連の動きに加担したことになります。

当初は戸倉ダムのせいぜい2,5倍ほどの金額でしたが(結果は5倍6倍になるそうですね。)いずれにしても地元関係政治家は、金額が大きい事にしか眼が向かず「八ッ場採用」ということですね。

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要するに、ダムはムダでなければ作る意味がない。無駄なものしか作りたくないというお話。
余計な金のかかる工事ほど旨みがあるのですね。

投稿: 珍県民 | 2009/10/09 22:28

○ 鉄馬様、コメントありがとうございます。
いや、そこまで反応されると、ちと過剰かと・・・。
地元の方々は善良な市民であり、こういった方々を翻弄してきた行政の責任は重いと言いたかった。
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○ らむちゃのパパ、コメントありがとうございます。

こちらも同様。どうも私の書き方が攻撃的過ぎたかも。あくまで地元は被害者ですので、そこのところよろしくお願いします。言いたかったのは、為政者は地域経営に責任と知恵を持つべきということです。

投稿: ベンダソン | 2009/10/01 22:35

普通ならというか傍から見ると地元住民の方が建設中止に反対される理由が私にはわからないのですが、ダム湖が何か飯の種を地元のみなさんに運んでくれるのでしょう。
街では、国の規制緩和で大型商業施設が自由に建設され、昔からあった商店街は廃れ廃業者が続出してますが、これらには何ら補償も救済の手が差し出されていないのが現実です。他にも時代の波や景気の変動について行けず、倒産や廃業した企業に勤めていた人もいるでしょう。財務大臣が円高を容認する発言をしたからと言って、円高倒産した企業を国が救済してくれるでしょうか。
八ツ場ダムは吾妻川が酸度が非常に強く、水を中和するために一日60トンもの石灰を投入しているため中和生成物の堆積ダム湖になるそうで、観光資源にはならないそうです。絶えず浚渫工事が必要で、そんなダム湖が地元住民を食べさせてくれる筈はないと思うのですが、浚渫工事のダンプ通行の迷惑料でもとってそれで食べていくつもりなんでしょうか。

投稿: らむちゃのパパ | 2009/10/01 11:42

こんばんわ。

正直、非常に人間を馬鹿にした話です。「八ツ場の田舎もんはこうやって餌をまきつりあげれば、思い通りになる。」という漁夫の利作戦。作:官僚、出演:自民議員なのでしょうか。釣り上げられた人たちは、釣られない人と仲たがいし、分断され、えー悲しい結末。

動物園の猿、いや、それ以下の扱いですね。

うーん。人間が人間をそのように扱うという事実。

現実とはいえ、悲しいですなあ。

投稿: 鉄馬 | 2009/10/01 00:59

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