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2009/10/27

足利事件のDNA鑑定が12年も放置されていた事が本当ならば、国家的大犯罪。元裁判長を国会喚問すべきでは?

ここに一冊の本がある・・・、なんてカッコ付けても、ベンダソンじゃ様にならん。まあいいや、ストレートに言おう。「2円で刑務所、5憶で執行猶予(浜井浩一)」という新書の冒頭に書いてあった一文が印象的だった。

その一文を紹介しよう。

<引用開始>

筆者の専門である犯罪学や刑事政策の分野では、マスコミ報道のほとんどは、視聴者と不安を共有し、問題を深刻に見せようとしたりして事実をかなり脚色する傾向が強く、報道を見たり読んだりしているだけでは、本当のところ何がおこっているのかさっぱりわからないことが多い。

<引用おわり>

これ、拙ブログがしょっちゅう言ってることと同じ、全く同感だ。落ち着いて報道の内容を吟味すると、本当に、長屋のクマ公の話と同じで、てーへんだぁ、てーてんだぁばかりで、実のところ本当に何がおこっているのかさっぱりわからないことが多い。

で、これからご紹介する長野智子レポーターの報道する足利事件には、論点が二つあって、一つ目が、このてーへんだぁの話。何が「てーへんだぁ」なのかは肝心要の事実のところがきっちり報道されない事の是非が論点なのだが、今日のところはこれが主たる論点ではない。

問題は二つ目の論点である「てーへんだぁ」の内容である。何がてーへんだぁかと言うと、当時の最高裁裁判長が、無実の証拠となるDNA鑑定を無視したことだ。

もすこし詳しく説明すると、足利事件最高裁上告の時、当初のDNA鑑定が間違っているとする新たなDNA鑑定である押田鑑定を証拠として提出したにも関わらず無視され、上告棄却無期懲役が確定した事だ。しかも当時の最高裁裁判長が、このことをいまだ認識していない。つまり証拠が出されたことを知らない!?

テレ朝の報道では「弁護側は、今回、冤罪の決め手となったDNAの押田鑑定を、12年も前に最高裁に証拠として提出していたのに無視され続けてきたと言ってる」というのだ。そしてそれを当時の最高裁裁判長は「そんなことはない、DNA鑑定してくれという請求だけで、DNA鑑定は出されていない。出されたのは別の事件のDNA鑑定だ、調べれば分かる。」と言っていた。

まずは、その報道をご覧いただこう。

この報道、最初はこの元裁判長にアタマ来るが、落ち着いて見ると、とにかくまだろっこしい。この映像では、このあとがカットされているが、記憶では長野智子氏とキャスターが、この元裁判長は、事実誤認をしているようだ。12年前にDNAの押田鑑定を、弁護団は証拠として提出しているのに、と言っていたように記憶している。

繰り返し、そう言うのだから、いくらなんでも本当に12年前に、最高裁に無実の証拠である押田鑑定は証拠として出されていたのだろうと思った。そしてこれが事実ならば、いったいこの元最高裁裁判長は何をやっていたのか、何故罪に問われないのか、無作為の故意若しくは未必の故意によって人を罪に陥れた最高裁の犯罪ではないかと思った。これが、今日のメインとなる論点だ。

だから、これが本当だとして論を進めるが、それにしても12年前に冤罪を証明する証拠が提出されていたのか、別の事件のDNA鑑定が出されていたのかなんてのは、調べればすぐにわかることなのに、何故それを調べないのか、いつもながら長野智子氏の報道には一抹の作為を禁じ得ない。しかし今日はこれが論点ではないので、長野智子氏の言ってることが本当だとして、とにかく先に行こう。

より正確に内容を理解いただくため、この映像から音声を書き起こした方がおられるので、それを引用しておこう。

足利事件再審とその報道に思うこと

<引用開始>

長野智子氏(以下、長野):菅家さんに謝罪は何かしないのですか?
亀山継夫元最高裁判事(以下、亀山):そういう問題ではないと思うんですよ。

長野:(いきり立ちながら)どういう問題ですか?人一人の人生が奪われて、真犯人はまだ捕まってないんですよ!

亀山:それを言うなら、警察とか検察庁に言ってください。裁判所というのはね、裁判に出てきた場にある証拠だけを判断するわけです。それしか判断できない。

長野:(亀山の話を遮り)結果として判断を間違ったんですけど、それについてはどう思うのですか?

亀山:何が結果だか、私は自分のした裁判、自分のところに出てきた裁判のことしか考えてませんから、特段の感想はありません(もっとも、亀山元判事は、冒頭には遺憾のことだと思うと発言しているので、編集による作為も感じられる点は付言しておく)。

長野:間違った原因は何だと思われますか?

亀山:もしそれが間違っているとしたら、それは色々なことがあるでしょう。ただね。これ、私は自分の裁判のことではなくて、この事件のことをずっと客観的に見ています。
この事件の一番の問題点はね。公判廷で犯人が自白しているということです。被告人がね。公判廷でね、後で、いやそれはウソだったんだというふうなことになっているんです。公判廷でそうむやみやたらにね、ウソでたらめを言ってもらうと困るんですよ。

突然、インタビュー映像は切れ、別の映像(公判廷での自白が仕方ないという印象付けの映像)が流れだす(私はこの後亀山元判事が何を言っているかが一番重要だと思うのですが、編集されてしまっています)。

長野:最高裁に弁護側が再鑑定を申し出て、それから、10年間、菅家さんは無罪のまま、中に入り、真犯人は外にいるわけですよね。

亀山:それに関してはね、なるほど、客観的には遺憾なことですが、それは遺憾だとしか言いようがないよ。そうでしょ?

長野:客観的にって、当事者で裁かれたのですよね?

亀山:当事者で裁くったって、我々は全力でベストを尽くして、やっているんですから、それで、あれ以外にやりようがなかったということですよ。

長野:何か菅家さんに対しておっしゃりたいことは?

亀山:いや、全然ありません。

長野:ないですか?

亀山:全然ありません。

長野:謝罪はされませんか?

亀山:いいえ、全然そういう気はありません。

長野:それはどうしてですか?

亀山:どうしてって、そういう筋合いじゃないんだもん。謝罪をする筋合いじゃないの。制度的に言っても、この事件から言っても。ともかくそういう気はありません。

また、別の映像が流れだす。

亀山:この証拠が怪しいから再鑑定をやってくれとか、そういうことをいちいちどんな事件でもやっていたら、最高裁で、事実審理を全部やりなおさないといけないじゃないですか。そういうことはできないんですよ。

長野:でも、7年たっていて、そこで再鑑定してもよかったんではないですか?科学的な進歩を鑑みれば。

亀山:そ
れならそれでそういう風な再鑑定といわれる、あるいは鑑定をしたそういう風な証拠を、証拠自体を出すべきだったんですよ。

長野:でも出していますよね?

亀山:いや、再鑑定をしてくれという申請しか出していないんだから。それはよく調べて御覧なさい。

長野:弁護側はDNA鑑定出してます!出してますよね?

亀山:いや、それは全然別のDNA鑑定だもん。あの事件のじゃないもん。

長野:いえいえ、足利事件ですよ。

亀山:いやそうじゃないよ。

ナレーションが突然入りだし、その後の亀山元判事の会話が聞き取れない状態になる。

長野:足利事件というのはどういう事件だったんでしょうか?

亀山:どういうってことはない。普通の裁判でしたね。そんな特にあれだということはない。

<引用終わり>(赤字はベンダソンの着色)

さて、やっと本題・・・。この突撃インタビューを受けた亀山継夫元最高裁判事、気の毒といえば気の毒なような気がしないではないが、当時本当に押田鑑定が出されていたとするならば、気の毒どころではない。オマエよく平気で街を歩けるなと言いたくなる。

ただ、コイツが冤罪の証拠を握りつぶしたのかと仮に思ったとしても、この元判事の言い分はほとんど筋が通っていて、言い方が可愛くないだけな気もする。そうして極力、感情を抑え、冷静に聞いてみても、アッタマ来る表現がある。それがこれ。

■裁判とは真実追究では無く、いかに容疑者を罪に問うかの事務手続き

この事件の一番の問題点はね。公判廷で犯人が自白しているということです。被告人がね。公判廷でね、後で、いやそれはウソだったんだというふうなことになっているんです。公判廷でそうむやみやたらにね、ウソでたらめを言ってもらうと困るんですよ。

この元裁判長の発言、事務手続き一般論として聞けば、当然、正論だと思う。だが人を裁く、そしてそれは死刑だったり無期が予測される場合、それこそ、そういうこと言ってもらうと困る。

そりゃね、職業として事務的にテキパキ裁判をこなすためには、そういう言い方もわからんではないが、ここに裁判とは真実を追求する場ではないことがよく表れている。裁判とは、いかに容疑者を刑法上の罪に問えるかどうか、事務処理を進めていくかが目的であるということだ。

■先のウソと後のウソ、どちらが真実?

もし裁判が真実を追求する場、犯人か否かを判断する場ならば、容疑者の自白が先に言った事と後に言った事が異なるならば、どっちが真実かウソかは合理的に判断するはず。でも目的が容疑者を刑法上の罪に問えるかどうかならば、自分たちの事務処理ルールを最優先するだろう。そしてこの元裁判長の発言はまさに後者なのだ。

「公判廷でそうむやみやたらにね、ウソでたらめを言ってもらうと困るんですよ。」というが、だったら、罪状認否で私はやってませんと言ったら無罪になるのか。そもそも自白を有力な証拠とする根拠は何だと聞きたい。それは容疑者が「自らの意思」で認めたから真実ということだろう。違うのか、自らの意志ではなく認めたこと、つまり嘘の自白を証拠に有罪とするというのか。

だが法曹界では、最初の形式としての自白が絶対視されても不思議ではないらしい。そこに見えるのは、検察無謬の前提で、事務手続き上いかに裁判所も有罪を追認できるのかだろう。

法曹界の論理ではこれが当たり前かも知れないが、論理矛盾がひどすぎる。調書、あるいは最初の公判で容疑者が自白を認め、後で否認したとしても、すべて被告人の意思表示ではないか。それらが矛盾してたら、先の自白と後の自白とはどれかが嘘でどれかが真実だが、先の自白程警察や検察の影響が強いことは明らかだろう。

■自由意思とは

密室の取り調べから時間が経つほど、自由意思が強まり自己表現の真実性は高まるはず。なのにいったん自白したら、それが真実で、後の被告の自白は嘘だなんて何を根拠に、そう断定するのか。最終的に本人が言ってることが、本人の意思による本人の行動の真実に決まってるではないか。

■合理的説明がつかない調書重視

勿論、容疑者は、後になって自分を有利にするため気が変り、真実の自白を後で否定することは十分に考えられる。だがそれが全てとは言い切れないし、現に多くの事件で自白の強要がなされたことが明らかなのに、何故検察無謬を前提に自白調書や過去の自白のみを被告の自白と断定できるのか、合理的説明がつかない。

■不利になる発言だけが証拠

聞こえてくるのは、法廷でいい加減なことを言われては困るだ。法廷での発言はすべて証拠となるから注意して発言せよというのもウソだ。正確には被告の有利になる発言は無視するが、不利になる発言だけが証拠になるということだ。

■信用できる契約書と信用できない調書の違い

法廷でいい加減なことを言われては困るのは、確かにそのとおりだろう。ではいい加減なこととはなんだろうか。真面目に容疑者を裁くならば、それは嘘の事だ、特にこの場合は嘘の自白なはずだ。嘘の自白でしたというのは真実だからいい加減なことではない。

だが真面目に容疑者を裁くのではなく、事務手続きでできるだけ容疑者を犯人にしてしまおうとするならば、真実か嘘かの吟味はどうでもよくて、形式としての容疑者を有罪にできる事実が最初に一つあれば効率的だから、後で本当の真実が出てくるのは困る。

商取引ならば、口約束を後でころころ変えられたら成り立たないから契約書を交わし約束を守る。自白も、後で気が、変り罪を逃れようとウソを付かれたら裁判はやり難い。だから調書を証拠としてきっちり記録に残すのは当然だろう。だがその調書自体が警察や検察の誘導によるウソがあとを絶たないのだ。

民間の契約ならば、錯誤による契約や意思表示は法的に無効なのに、刑事取り調べでは、調書は絶対だ。公権力で人を拘禁し密室で作成した調書を、その後密室の恐怖から解放された容疑者が否定しても有効とする根拠がわからん。そんなことが通るならば、人を逮捕監禁して自分の意志でそうしましたと書類を書かせれば誘拐でも何でも罪にならないのか。

■検察無謬の恐怖

そんなことはあるまい。誘拐された人が、誘拐されてません犯人が好きで付いて行きましたと書類にサインしても、脅されて書いたと言えば終わりだ。なのに、何故、警察の脅された調書だと容疑者が言っても通らないのか。本人が言ってるのだから間違いないの、何故警察や検事がだましたり誘導したりするのは認められるのか。警察や検察の自白誘導は後を絶たないのに、検察無謬を前提にする裁判制度にはいったい何に意味があるのだろうか。

■可視化拒否は、インチキ取り調べの自白

そもそも検察無謬を前提とするならば、何故取り調べの可視化をやらないのか。裁判では被告のプライバシーなんてないのだから、可視化しない理由は、取り調べにインチキがありますと白状してるようなものだ。

可視化は捜査上問題があるというのは、理由にも何にもなってない。論理的には「イヤな理由は好きじゃないから」といった同義語の繰り返しによる初歩的な詭弁だ。最も論理的なはずの法曹界で、こんな非論理的な言い方が通るところに、この国の司法制度の病根の深さがうかがい知れる。

■元最高裁裁判長のトンデモ発言

そして、本当に最高裁が真実のDNA鑑定を12年も放置してたならば、件の元最高裁裁判長の(足利事件の冤罪を)「何とも思わない」という発言は驚天動地のトンデモ発言だ。しかも放置していたことすら認識してないという。

■裁判官は人を抹殺しても何とも思わない?

無実の証拠を無視して、人を無期刑にしておきながら、「何とも思わない」なんて、人の自由を一生奪っても何とも思わないということだ、へたすりゃ菅家さんは獄中死してたかも知れないから、人を殺しても何とも思わないと言ってるようなもんだ。

■ミスではない人為的冤罪

誤解を恐れずに言えば、人が人を裁き判断するのだからミスはあり冤罪は避けられない。だからこそ、ミスの再発を防止して起こらないようにする事が大事だ。だが冤罪が人為的に引き起こされたとしたら、それはミスではなく犯罪ではないか。

■足利事件冤罪は未必の故意

まして、無罪の証拠を無視してきたというならば、過失でも何でもない故意に人を罪に陥れ拘禁したことになる。証拠を見れば菅谷さんが新犯人ではないことは明らかなのに見ない、採択しないのは、無実の菅谷さんを一生拘禁し続けることを知っていてという未必の故意そのものだ。

■謝っても済まない国家犯罪

これは謝って済む話ではない。これは司法制度の根幹を揺るがす国家的犯罪、大事件なはずだ。国会でも取り上げなければおかしい。裁判所という司法の権化に守られていれば、人一人の生殺与奪は好き勝手。誤審だろうと怠慢だろうと、冤罪被害者は所詮個人だから気にも留めないというわけか。

マスコミは菅谷さんの冤罪を、これほど取り上げているのに、何故証拠を12年も裁判所が放置していたことを騒がないのか全く理解しがたいし、なぜ国会で取り上げようという話が聞こえてこないのかマカ不思議だ。

■明日の我が身に何故気付かないのか

結局誰も本気では菅谷さんの冤罪を自分のこととは思ってないし本気で解決しようとは思ってないということだろう。一過性の話題であり、再発防止とか真犯人なんて、所詮、菅谷さん個人の問題というわけだ。

だが、繰り返すが、無罪の証拠があっても、取り上げられることなく、自白調書や一度認めた自白が優先され罪人となるならば、そして、判事が意図的にそういういい加減な裁判をやって冤罪を創っても何のとがめも受けす、しかも知ったことではないと放言しても許されるならば、絶対に冤罪は後を絶たないし、簡単に人を罪に陥れることができるということだ。

人々は、なぜ明日の我が身と気づかないのだろうか。マスコミは売らんがためにセンセーショナルに煽り立てるが、肝心のところには無関心だ。でもこの理不尽さの報道とセンセーショナルな煽りとはトレードオフの関係に無いのだ。

煽ってもかまわないから、肝心なところに焦点を当てて報道すればよいものを、何故しないのか。長い間に身についてしまった真実報道を避ける習慣なんだろうか。私にはマスコミ人が馬鹿に見える。

■望は国会審議

この問題、すなわち無罪の証拠を12年も裁判所が放置していたこと。そしてそれをした裁判長が、何の問題があるかと開き直って発言していることは、是非とも国会に喚問していただきたい。全くふざけた話だ。

本日これにて。

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コメント

鉄馬様、コメントありがとうございます。

早速、注文します。
それと、この事件だけの記述ではありませんが、次の記事に高知白バイ事件を取り上げました。

人々の関心の薄さは、事件そのものの概要を知らないことです。知らずにあれこれ言ってるのは非常に残念なこと。この本に期待します。

投稿: ベンダソン | 2009/11/08 10:48

こんばんわ。宣伝です。

高知白バイ事件の本が発売されます。

2009-11-16発売予定です。

ヘンダソンさん、是非読んでください。

よろしくお願いします。

あの時、バスは止まっていた 高知「白バイ衝突死」の闇 (単行本)
山下 洋平 著

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797353899/

投稿: 鉄馬 | 2009/11/06 22:46

鉄馬様、コメントありがとうございます。

この事件も、冤罪だとしたら、構図としては司法当局の過失致死罪じゃないかと思います。

あまり、司法当局をギチギチに締め上げると、捜査が及び腰になり、結局は市民生活を脅かすことになるので両刃の刃ではありますが、あきらかに証拠を充分吟味せず、事務手続きで人を死に追いやって、屁とも思わない司法関係者が少なからずいる現状は、恐ろしいことです。

投稿: ベンダソン | 2009/11/05 11:56

こんばんわ。

本日飯塚事件の再審請求の記事を読みました。
DNA、血液型どちらも異なるという鑑定をもっての再審請求。
無実の人間が死刑にされたのなら、やるせないです。

飯塚事件:元死刑囚の妻が再審請求「DNA型鑑定に誤り」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091029k0000m040058000c.html

投稿: 鉄馬 | 2009/10/28 23:50

らむちゃのパパ様、コメントありがとうございます。

拙ブログの私的以外にも、おっしゃる通り、被害者遺族にとっても許しがたいと思いますし、最高裁の存在意義の否定もその通りです。言語道断といえましょう。

薬害エイズの時の、開き直った某教授とダブります。

ただ、例によってかなり編集されてしまっているので、どこまで正確にこの元裁判長の発言が伝えられているのか、一抹の不安がありますが・・・。

投稿: ベンダソン | 2009/10/27 11:43

刑事訴訟の後には民事訴訟というのがついてまわり、被害者遺族に対する慰謝料、損害賠償の請求訴訟がある筈で、足利事件の場合、これはどうなったか。また刑の確定で、幼気な子供殺した殺人犯の親親族ということで、親兄弟が世間から受けた精神的被害は、菅谷さん1人の12年の空白では済まされないと思います。
亀山氏の発言では、最高裁判所には、最後の防波堤、最後の良心の発信場所という位置づけはなく、全てを検察の責任にするなど、むしろ、最高裁の存在意義の否定とも取れる発言だと思いました。

投稿: らむちゃのパパ | 2009/10/27 07:46

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こちらのブログで紹介されていた本、読んでみました。 興味深いお話です。 棒に怒る日本人 起訴されたら有罪率99%であるのに、起訴されるかどうかは「検察のさじ加減一つ」 国民は検察の事をもっと勉強しなくてはならない。... [続きを読む]

受信: 2009/11/23 00:23

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