« 広嶋・長崎オリンピック招致活動の憂鬱 | トップページ | 核は必要か(その2) »

2009/10/18

核は必要か(1)

核は必要か、なんて言うと、何言ってんだと言われそうだが、戦争がある事を前提としての問いかけである。前提条件の無い状態での精神論とか、べき論ではない。ベンダソンは国防の観点から核は必要か否かを問うているのだが、皆さまは、この問いにどう答えるのだろうか。

結論を先に言うと、今は必要、日本の非核3原則なんてナンセンス。でも、これはアメリカで暮らすには銃が必要と言う理屈だ。日本では銃は不要だし、だから世界一安全な国だと思う。そういう状態に世界を導くには核は無用の長物と言うわけ。

これからベンダソン流、とりあえず右だけど、本当は左が正しいと言うお話を展開しよう。

と、こう切り出しておいて言うのもなんだが、これから展開するベンダソンの持論にはベンダソン自身絶対的に正しいと言う自信は無い。素人は素人ゆえに知識も情報もないから、自分では得意満面で意見を述べても、しかるべき知識をもって研究している専門家から見れば、ちゃんチャラおかしいかもしれない。

話は少し飛んでしまうが、先日の北朝鮮のミサイル発射など、その典型だろう。物事を判断する能力に、1ど素人、2素人、3少し分る人、4専門家、5最先端の専門家の5段階があるとしたら、どうだろうか。

ど素人あるいは素人は、当然ケシカランと怒るだろう。でも北がミサイルをぶッぱなした意図は何だろうかと考えが及んだ時、そして今まで日本国中が大騒ぎして、でもこれと言って効果的抗議が出来なかった事など、様々な周辺事態を考慮すると、そんな単純なもんだろうかとも思う。

日本の外交能力は、はたしてど素人あるいは素人レベルなんだろうかと言うこと。そう考えれば、効果のない怒りは、相手になめられるばかりだから、今までのように「遺憾の意」を表明してるだけで良いのかと言う気もする。

だが何しろ、正確な情報がない。防衛省・外務省がどこまで知っていたのか。知っていてどう対応する事が適切なのか、だ。先の自称人工衛星と称する長距離弾道ミサイル実験の時、日本は大騒ぎしてたが、拙ブログは、これを冷ややかに見ていた。日本にとってやばいのは長距離弾道ミサイルより、中距離ミサイルだからだ。

そして何より大騒ぎは内向きだけであって、外には実は何もやってないからだ。私が北の金オヤブンなら、にぽん、ちょろいね。と思っただろう。アメリカを脅かす目的はハッキリしているのに、予想外に対象外のにぽんが大騒ぎしたので、脅かすには十分すぎる効果があった。ところが、今回のミサイル発射は完全に無視されちゃった。

これを、国家としてど素人・素人の様に憤慨すべきかどうかは、その先を考えるだけの戦略知識も情報も無いベンダソンには何とも評価し難い。北のバカヤローと憤慨するのも良いが、はたしていつまでそんな事を続けるのだろうか、日本の防衛とか外交ってそんなレベル?と思ってしまうのだ。

「無視」と言う日本の手段は、今回が初てではないだろうか。無視と言っても程度問題ではあるが、かまって欲しくてしょうがない金ちゃんには、この方が堪えたのではないだろうか。外交戦略の目的は、国防の効果を最小の努力で最大限発揮することだろう、決して自国民のウケ狙いであってはならないハズ。

だから、外交は戦争を含めて、あの手この手の駆け引きがあるわけだ。そして言うまでもないこととは思うけれど、戦争は国際法で認められた手段である。良いか悪いかを言えば悪いに決まってるが、ともかくも戦争はクラウゼビッツが言うところの「他の手段をもってする政治の継続である」なのである。

そして戦争の目的は、相手国を屈服させる事は言うまでもないだろう。そのための手段の一つに戦闘があるわけだ。相手を屈服させるやり方は、何も戦闘だけではない。孫子の兵法にあるように戦わずして勝つことが最上の策だ。戦術においては戦わずして逃げることもアリ、これまた言うまでもないだろう。

そして、いかなる理由があろうとも、戦争は避けたい。これまた当り前のことだ。だから軍備は必ずしも使うためだけにあるのではない。戦いを避けるためにもある。と言うより、軍備の目的はむしろ戦いを避けるためだろう。

私の愚息は182センチ、体重135キロの巨漢だが、格闘技は実に弱い。だが見た目がスゴイし2・3人まとめてぶん投げられるから、それだけで誰もケンカを売ってこない。戦いには役に立たない見かけ倒しの巨躯だが、抑止力には十分なっているのである。

もし軍備の目的が、武力行使にあるなら、年がら年中戦争してなきゃならない。愚息の巨躯がケンカ目的なら、年中ケンカしてなきゃならん。そんな国は武力で世界征服を目論む国だけであり、個人ならヤクザだろう。歴史の中には時々こういう国が現れ、世界を混乱に導いてきたが、大多数の国家は平和と繁栄を願い、それを侵略から守るための自己防衛手段として軍備を整えてきた。

国家間の利害の食い違いを解決する事が、話し合いで解決しないから最終(の一歩手前)の手段として戦争をするわけだ。当然に、どの時点で戦争に突入するかの判断基準は、相手国と自国の軍事力の見積もりによる。

例えば北朝鮮と我が国を例にとろう。日本は憲法9条で戦争放棄したとはいえ、自衛権までは放棄してないから自衛隊という軍備は備えている。だから北は迂闊に日本を攻撃出来ない。何故北が侵略する想定をするのかなんて聞くのは、現に日本人を日本国内で拉致しており、侵略は想定ではなく事実だから、愚問だ。

日本が自衛隊も日米同盟もない丸裸だったら、北はとうの昔に戦争を仕掛けてきただろう。というかそれ以前に、中国に占領されてただろう。日本はアメリカが共産圏に築いた橋頭保であり、中国、北朝鮮から見た日本はアメリカの前進基地であるから、日本の平和があるのである。資源の無い日本を攻める価値がないなどと言うのは、拉致や尖閣問題が現に明らかになった現代では意味がない論拠だ。

と、ここまで書いてみたが時間がないので、今日はここまで、続きは水曜日以降になりそうだ。まだ全然結論には遠いので、焦らずしばらくお付き合いください。ではまた・・・。

↓ ↓ ↓

人気blogランキングへ 

|

« 広嶋・長崎オリンピック招致活動の憂鬱 | トップページ | 核は必要か(その2) »

コメント

皆様、コメント、ありがとうございます。

核(原子力含む)と天皇制及び人類の安全を考える事は拙ブログの開設目的です。しかしこれらについては書き出したとたんに議論にならなくなるのが今までの例でした。

本稿は、限定的な状況に対する解釈を述べるつもりはなく、普遍的な核廃絶方法や、人類の安全確保を論点としております。

なので、次回の結論まで、議論は控えさせていただきます。
取り急ぎ。

投稿: ベンダソン | 2009/10/22 16:03

こんばんわ。

ちょっとそれますが。

北朝鮮ってアメリカと裏で手を結んではいないでしょうか。どうも北朝鮮の存在とそのやる事が、アメリカ軍を喜ばせている気がします。というか、北朝鮮と日本が仲良くなってしまったらアメリカは相当困るのではないでしょうか。八ツ場のように北朝鮮と日本が仲たがいするように仕向けていたりして・・・。

投稿: 鉄馬 | 2009/10/19 23:23

確かに丸腰が大した抑止力にはならないと思いますが、我が国の核保有は百害あって一利なしだと思います。
それは、例えば北朝鮮を相手として、我が国は核を使用できないのが相手に見透かされていること。また仮に使用したとしても、北の指導層に直接危害が及ぼさないから脅威にならないと思うのです。実際、中国や韓国の国境沿いの地下施設を我が国は核で叩くことができません。なぜなら、地続きの隣国に放射能被害が及ぶからです。北朝鮮の指導部は自国人民がいくら日本の核攻撃で被害を受けても屁とも思わないでしょう。
ひるがえって我が国は東の海の真ん中に位置するだけに、放射能汚染で人が住めなくなるほどの攻撃を受ける可能性すらあります。また仮に北アルプスの山中に核ミサイルが命中してもその損害は多大なものになります。しかも、ミサイル防衛は、長距離ミサイルの迎撃は可能でも、中短距離ミサイルの迎撃は不可能です。
したがって、防衛する軍隊は必要でも、核は実質、意味がないと思います。

投稿: らむちゃのパパ | 2009/10/19 21:00

らむちゃのパパ様、コメントありがとうございます。

先に結論を言います。最終的に目指す方向は私も貴兄も同じと思います。
ですが、現時点の世界情勢の中では、つまり過程においては見解が異なります。例えば・・・、

>下手にナイフを持っても、相手に青竜刀で切り込まれる正当性を与えるだけ。丸腰の方が抑止力になると思います。

これはよく言われることですが、国家間の戦争において、武器を持つ事が攻撃の正当性にはなりません。今詳しく書いている時間がありませんが、これはクラウゼビッツの解釈からも明らかですし、交際法上もそのような規定がない事を申し挙げておきます。

武器を持たない方が安全と言うのは、一理ありますが、それは国家間ではなく個人間の場合であり、あくまで相手が武力を攻撃の理由とする場合です。たとえて言うと一定程度のガバナンスが利いた社会におけるアウトローと対峙した場合の話です。このように限定的な条件で成立する安全であって普遍的でありません。

警察が、何故武器を持つのか、考えていただければ参考になるかと思います。

また、北に「先制攻撃するなんてことは事実上不可能。」とのこと、その通りですが、これを持って非武装の論拠には論理的になり得ませんので念の為。
今日のところはこれにて。

投稿: ベンダソン | 2009/10/19 20:33

私は、この国に核は必要ないと思います。核は相手に脅威にならない。相手は、第三国に隣接していることもあって、限定的な攻撃しか受けることがなく、指導部は実質、大した被害は受けない。相手は自国人民がいくら被害をうけても、日本に反撃する正当な理由にこそすれ、屁とも思っていない。したがって、何の脅威にならない。
ひるがえって我が国は、どこに小さな核爆弾を受けても被害は甚大なものになります。また海に囲まれた我が国は、広島長崎の何百倍も威力があるものを落とされる可能性もあります。
また中距離ミサイルは、150~350基あり、発射地点を移動することが可能。発射しようとしているところをとらえて先制攻撃するなんてことは事実上不可能。飛んできたものを完全に迎撃することもまた不可能です。
下手にナイフを持っても、相手に青竜刀で切り込まれる正当性を与えるだけ。丸腰の方が抑止力になると思います。

投稿: らむちゃのパパ | 2009/10/19 07:54

coco太郎様、コメントありがとうございます。

日本人はアメリカ軍が駐留しているのは極東や太平洋だけと思っているフシがありますが、おっしゃる様に、世界中に駐留しています。例えば欧州にも駐留していてイギリスには1万人、ドイツには最大規模の7万人が駐留しています。

10年ほど前ですが、ドイツのカールスルーエでは基地が移転し、日本と同じようにその跡地利用が問題となっていました。

>今後のアメリカは、核兵器を世界中から減少させて、その代わり同国が優位に立つ通常兵器で圧倒的優勢を保つことを狙っていると感じます。

とのこと、貴兄のこのご意見、その通りと思い、拙ブログの結論でもありますが、私はそれで良いと思っています。ただし詳しく書いている時間が無いので、今しばらくお待ちください。

投稿: ベンダソン | 2009/10/18 14:18

こんにちは。
 軍備を整えることで、周辺国との軍事的格差をできるだけなくしておくことは戦争回避につながりますが、例えばアメリカのように世界中に展開できる程の圧倒的な軍事力を持つ、いや、軍に投資してしまった国は、軍によって投資した分を回収しようとする習性があります。
 その端的な行動は武力行使ですが、それ以外にも他国(主に同盟国)に合法的に軍隊を駐留させることで、いわばその国の安全保障の一部を担う。そのことでアメリカは現在の地位を得たのではと思います。ドル基軸体制が一番いい例です。これも戦わずして勝つということでしょうが、お金がかかりますねえ。今後のアメリカは、核兵器を世界中から減少させて、その代わり同国が優位に立つ通常兵器で圧倒的優勢を保つことを狙っていると感じます。

投稿: coco太郎 | 2009/10/18 13:50

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101905/46515522

この記事へのトラックバック一覧です: 核は必要か(1):

« 広嶋・長崎オリンピック招致活動の憂鬱 | トップページ | 核は必要か(その2) »