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2009/12/27

何だか分からないけどスゲーこと

何だか分からないけどスゲーことってないだろうか。超難解なんだけど、難解なのは自分に理解力が無いためで、何となく凄い事を言ってるに違いない、と思わせる物事だ。もし理解力があったら全部理解できるかと言うと、う~ん、やっぱり理解できまい、なんて思ったりもするけれど、ま、それは置いといて、とにかくなんかスゲーと思わせる事のお話をしてみたい。

具体的には映画と小説の話ね、映画でスゲーっと思ったのは、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」。これ1968年の作品なんだけど、当時は、ロードショーなんて高くて見ることができず、その10年後のリバイバル上映を見てぶったまげた。

映像技術、ストーリー、音楽、全てがとんでもなく上質で格調高く、あっ映画ってエンターテイメントだけじゃなく、哲学も表現できるんだと、ショックを受けた。映画を見たその足で、池袋のサンシャインで、ラストシーンのレザリアムをやっているというので、行って見て、さらに感動したものだ。

でも、それは単なる映像美の話。実際の感動は何と言っても映画の内容だ。ともかく感動したけれど、正直言って何に感動したのか、今もって他人にうまく伝えられない。言えることは、おそらく言葉では言い表せないある概念を、直接脳髄に働きかけ、伝えられたような感じだった。

直接脳髄に働きかけるとなると、脳に電極を埋め込んだりということになるのだろうけれど、それは直接脳に刺激を与えることは間違いないが、考えや概念を伝えることにはなりそうもない。

考えや概念そのものは、それぞれの人の内面にあって、おそらく生まれてこのかたの人生経験(の記憶映像と感覚)の記憶と言葉によって形成されているはずだ。たぶん生まれてきた人間は言葉を覚えてからは、言葉で思考していると思う。でも、言葉を覚えるまでは思考力がないかと言えばそんなことはあるまいし、カラスは頭良いけれど言葉で思考してるとは考え難い。

おそらく言葉を覚えるまでは、腹が減ったらオギャーとわめいていたんだろう。ハラが減ってるのにウヒョヒョーっ、なんて喜んだりはしなかったと思う(たぶん・・・汗)。ハラがへったオッパイよこせ、とは言葉にならないが、それでも何かを考えその概念を外に伝えているのだ。

大人になった人間に、ハラが減ったことを言葉を使わずに伝えよと言えば、一生懸命にパントマイムをやるだろうが、そのパントマイムを考えるのは頭の中の言葉や映像の空想だろう。いきなり赤ん坊の空腹状態が脳髄に浮かぶなんてことは無理だろうと思う。

この場合、伝えることが空腹という言葉でも映像でも表現できることだけど、もし空腹と言う言葉を知らなければ、おそらく頭にあるのは空腹状態の映像と空腹感の刺激しか無いだろう。

そうすると、なんだか分からない概念を脳髄に直接伝えようとすれば、なんだか分からない映像か刺激を与えるしか無さそうだ。でも刺激を与えられるのはなんだか分かってる場合であって、なんだか分からなければ何の刺激を与えていいのか分からないし、分かったとしても技術的に不可能だ。

そうすると、残りは映像で伝えるしか無くなる。で、その伝えたいことが、なんだか分からない概念だったら、伝わってもなんだか分からない訳で、なんだか分からないことを人に説明はできまい。だから、キューブリックが伝えたかったのは、そういうことなんじゃないかと勝手に思っている。

2001年宇宙の旅を見ると、この映画から自分は、なんだか分からないことを、伝えられたんじゃないか、と思ってしまうのだ。なぜそう思うのかは、なんだか分からないから言葉ではうまく説明つかない・・・と堂々巡りをしてしまうのだ。

今もって、この堂々巡りから抜け出せないでいるが、何となく概念として、この映画はスゴイ!と思い、これ以上の映画にはいまだ巡り合わないなと思うベンダソンなのである。

ところで、堂々巡りとは、どこかの方言で「ドグラマグラ」と言うらしい。と言葉のあや取りみたいに話題を続けると、小説の世界で「2001年宇宙の旅」に匹敵するのが夢野久作の「ドグラ・マグラ」だと思う。

こちらも、超難解で、小説とは言葉を道具に考えを伝えるものなのに、作者が伝えてくれたものを、他人に伝えることが出来ない点でもキューブリックに似る。ただし伝える内容は全く別、あ、いや待てよ、そうとも言いきれないな、ダブルかも知れない。

で、うまく伝えられない、これまた「言葉」を使って直接脳髄に概念を埋め込む小説の内容を、ここでどーのこーの言っても始まらない。読んでくれとしか言えない。なんだか分からなくても、感動したという人は、たぶん私と同じ感動をしているんだと思う。

その「ドグラ・マグラ」の一節に、「指を切ったら痛いと感じるが、感じるのは脳髄ではない、指そのものが痛いのだ」と言うようなくだりがあって、妙に印象に残っている。「胸が痛むというのも、脳髄が悲しみを感じるのではなく本当に胸が痛むのだ」と言うのである。

これには、ホント、目から鱗というかスゲーっ、そんなものの考え方があるのかとぶっ飛んだ。

実は今日の記事は、こちらの映像を、オモシロ画像を紹介するサイトでたまたま見て、この夢野久作の一節を思い出したのだ。ちょっとグロイと言えばグロイが、アジの活き造程の悪趣味ではないだろう。先ずはご覧あれ。

どうです、脳髄はもちろん、胴体から切り離されぴくりとも動かないお肉が、塩コショーの刺激を受けると、まるで傷口に刷り込まれたみたいに、イテテと暴れてるようです。とすると、イテテと感じ暴れるのは脳髄の命令では無く、カエルさんの足自身の感覚と意思なんじゃなかろかと、あながち、夢野久作の言うことも、否定できない気がしませんかね。

ま、ヒマつぶしの話なので、本日これにて。

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