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2009/12/31

環境にも優しかった地方分権?

日本の人口が2005年をピークに減少局面に入ったことは皆さんご存じだと思う。ちなみに、日本の人口動態は覚えやすい10年サイクルがあって、1995年に生産年齢人口がピークとなり、その10年後の2005年に総人口のピーク、そのさらに10年後の2015年に世帯数のピークを迎える。

どうです、覚えやすいでしょう。2015年が世帯数のピークと言う事は、今現在は人口減少とはいえ、実は世帯数は増加しているのだ。このデータからはいろんなことが言えて、だいたい大学の先生は、ここから様々な理論を展開したりしているが、今日の話はこれがメインではない。

 

123人口減少と書いたら、つい筆が滑ったまでで、まあ、話のついでだ。で、本題に戻ると、その日本の人口減少若しくは停滞なんだけど、これ、今に始まったことではない。過去3回あったのだ。今回で4回目となる。(グラフは、いづれも鬼頭宏「人口から読む世界の歴史」より作成)

第1回目のピークは縄文中期で、総人口は26万人で人口密度は0.9/平方キロメートル、つまり1km四方に1人いるかいないか、 だ。次のピークが、10世紀頃で総人口700万人で人口密度は24/平方キロメートル、

第3のピークが、18世紀半ば~19世紀末にかけての人口停滞期でわりと近世のことだ。その中のピーク1823年の総人口は3,258万人で人口密度は112/平方キロメートだった。

Photo_2 でだ、この第3のピークの終わりころ市制・町村制が公布された明治21年の日本の都道府県の人口を見てみよう。総務省統計局「日本の長期統計」によると、人口ランキングはなんと、新潟県が第1位。東京4位、大阪6位、神奈川県16位となっている。ホエッ東京じゃないの!?

そうなんですよ、東京じゃなくて、新潟が第一位なのだ。これは明治新政府になって、大日本帝国憲法の下、強烈な中央集権国家となったとはいえ、まだ21年なので、それほどの人口移動が起きていなかったのだ。と言うか移動できなかったのだ。てことは、江戸時代はだいたいこんな人口の配分だったということだろう。

今みたいな、21倍(東京1266万人/鳥取60万人)というとんでもない人口格差ではなく、当時、都道府県間の人口格差は、最大5倍程度だったのだ。

どういうことかと言うと、まだ西欧産業革命の近代産業が定着する前で、機械化による大量生産がおこなわれてない時代だったので、耕地面積や森林資源が人口支持力に大きく影響していたのだ。つまりこの人口分布は再生可能エネルギーの利用可能量とほぼ同じなのである。

広い耕地面積と森林資源があれば多くの人口が定着し、そうじゃ無ければ都といえども、人口はむやみやたらと増えない。そりゃそうだろう、今みたいに冷凍技術も輸送手段もないから、魚や野菜、主エネルギーの薪はみんな地元で採れたものを地元で消費していた訳だから。

もしその当時の首都圏に今みたいに人口が集中していたら、たちまち餓死者が続出しただろうし、薪は不足し、電気はあったけれど、発電は再生可能エネルギーである水力だったので、持たなかっただろう。

ちなみに自家用水力発電所が宮城紡績所に誕生したのがこの明治21年。以後電気が普及したが、当時の発電の主力は水力だ。ただしその後20年足らずで火力が主となった。そしてこの傾向は以後ずっと拍車がかかり、気候変動問題に象徴されるよう、第4の人口ピークは既に成熟期。これ以上、化石燃料に依存した経済社会は限界と言われている。

と言う訳で、ちょいとフェイントをかけたが、実は今日のお題は、地球温暖化のお話だ。そして先に結論を言うと、再生可能エネルギーが大事、これまでのような化石燃料の消費をしていては日本及び世界に明日は無いよ、と言うお話だ。

ところで、昨晩TVを見ていたら、サンマが司会をする番組で地球温暖化を取り上げていた。大勢のコメンテーターや芸能人、評論家らしき人物がずらり並んでディスカッションもどきを繰り広げていた。

どこまでが、自分自身の意見なのかは分からないが、少なくとも評論家や専門家を自称する人々は自分の見解を述べているのだろう。だが、こう言っちゃなんだが、みんな3流だ。いったいどんな学会論文を出しているのやら、と思うような学者(?)や目立ちたがりの評論家ばかりだ。

それが自分だけの持論を振りかざし、地球温暖化はまやかしだと騒いでいたが、こういう手合いが、まともな学者と討論しているシーンを見たことがない。あるいはネット上でも、温暖化はまやかしとして、何やらそれで儲ける組織があるかの様な言い方をする人々がいるが、まともにアカデミックなところでの議論を見たことがないし、仮にそれが事実としても、だから何?だ。

申し訳ないが、三流の学者や評論家、自称環境の専門家らしき人々が、きちんとしたアカデミズムの居ない場所で、勝手な理屈をつけてはフラストレーションを発散させているようにしか見えない。

彼らに共通しているのは、

     CO2濃度と温暖化には因果関係がない。地球の気温はもともと変動しており氷河期を何度も繰り返していて、今は温度上昇期だ。

     温暖化を煽って、原発事業者など誰かが儲けている。

と言うものだ。

だが、さすがによほど無知な人ではない限り、CO2が温室効果ガスであることは認めている。要は、他の要因が温暖化に大きな影響を与えているというわけだ。

不思議でならないのは、温暖化が元々地球にある気候変化の自然現象にすぎないとして、それが問題無いとの根拠にはなり得ないのに、何故それを持ち出して反対するのかだ。

温暖化が人類にとってプラスならば、温暖化対策に反対するのは分かるが、明らかに害があることを自然現象だからと、その対策に反対するのは何故なんだろう。自然現象だからといって温暖化対策しなくて良い理由にはならないだろうに。

その番組では、CO2削減に反対する人が、効果のない事に莫大な経済負担をかけるなんてナンセンスだとしていた。だが、これも実におかしな理屈だ。だってCO2削減イコール省エネなんだから、仮に温暖化に関係がなかったとしても意味のあることではないか。

多大な経費がかかるのは、エネルギーの効率化や、再生可能エネルギーに切り替えるまで一時的にかかる話なのに、そこだけを見て負担増だと騒ぐのはいかがなものか。プリウスを買えば明らかにガソリン代が減るのに、購入代金が高いからと燃費の悪いポンコツに乗り続けるようなもの、目先の出費にこだわった論議に思える。

さて、CO2削減に関わらず環境問題は多岐に渡るため、論点を狭めればどんな理屈ももっともに見えてしまう。だから大事なことは広い視点と議論の目的だと思う。全てをそこから検証すれば、発言者の目先の論理に惑わされることはない。スタートが狂っていれば、どんなにもっともらしい理屈でも全体がトンチンカンなのは明らかだからだ。

CO2削減反対論者が何を言っても、今一つ心に響かないのは、いろいろな理屈を言うけれど、常に行きつく先が「誰かが儲けている」とのロジックだからだ。儲けているとやり玉にあげるのは、「原発事業者」だったり、「排出権取引で儲ける国や人」だったり様々だが、こんな話いくら聞かされても何の説得力もない。

議論の目的は、「人類にとって有意な自然環境の維持」ではないのか、そのための対策が視点だろう。誰が儲かろうが、そんなことは全く別次元の話であり、そのことを話題にするならば、それでかまわないがCO2削減の是非とは全く無関係にやってもらいたい。

癌の特効薬を開発すると製薬会社が儲かるからケシカランと言うのと、どこが違うのか。だから私の頭の中では、誰が儲かろうとそんなことはただの雑音でしか無い。興味を引くのは、①何が人類にとって望ましい自然環境なのか、②どうすれば持続可能なのかだ。

理想を望んでも持続出来なければ絵に描いた餅だし、持続出来ても人類が滅んでしまっては持続にはならないから、①と②は、車の両輪で、同時に成り立たなければ意味がない。

このことをアタマにおいて考えれば、細かな技術論は置いといて、人類にとって何が重要であるかは、案外に整理し易いのではあるまいか。これは細かに言いだすとキリがないので、いきなり結論を言った方が早いだろう。私は以下のように考えている。

     地球温暖化は起きている(これは事実)。

     その原因はCO2節が主流だが、自然の気候変動周期とする説もある。

     その原因が何であろうと、CO2濃度は産業革命以降、280ppmから急激に増加している(現在380ppm以上)。

     CO2は温室効果ガスの一つ。

     化石燃料使用においてはCO2排出削減は、省エネと同義である。

     化石燃料は限度がある。

     故に温暖化防止のためにCO2削減すべき、仮にCO2が主原因でなくとも、本来の大気組成に戻す事、省エネで資源を有効活用し人類が持続するためにも有効。

これが総論としての、何故CO2削減が必要なのかのロジックだ。次に、どうやってこれを実現するかの方法論・シナリオを言おう。くどいようだが、「人類が持続出来る環境の維持」が論点であることをお忘れなく。

     理想エネルギーは再生可能エネルギー

     だが、すぐには切り替え困難

     だが、温暖化対策はまったなし

     再生可能エネルギーの開発、温暖化対策の同時進行が必要

     故に、原子力に切り替え、同時に再生可能エネルギーを普及させるべき。

さて、こう言った瞬間に、原発反対論者は一斉に発狂するだろう。だが、原発を推進するのではない、緊急避難として原発に切り替え、最終的には代替エネルギーに切り替えるのである。原発推進は目的ではなく、過渡的手段の一つに過ぎないから、他に手段があるというなら、そちらの方が良いと思う。何しろ万一の事故が起こると原発はとてつもない被害を及ぼすから。

だが、原発を超えるクリーンエネルギーがあるのだろうか。原発反対論者には、原発はとてつもなく危険ですよねと、100万回言って同意した上で、お聞きしたい。たとえて言うならば、癌の治療方法が放射線治療しか無い時代に、放射能は危険だからと治療を拒否して死を選びますかと言う話だ。

プライオリティを、人類が滅ぶ危険に置くか、地域が滅ぶ危険に置くかなのだ。そして、少なくとも、今のままでは確実に人類は滅ぶのである。その原因の筆頭は今のところ緊急課題となっている温暖化だが、仮に温暖化がなかったとしても、いづれは石油・石炭・原子力などの枯渇性エネルギーには限りがあり、やはり人類は淘汰されてしまうのだ。

よく原発反対派は原子力が無限エネルギーと勘違いされているようだが、原子力だって石炭・石油と同じく枯渇性エネルギーなのだ。いづれは再生可能エネルギーに切り替えなければ、多くの人類は生き残れない。

冒頭述べた明治21年頃のエネルギーは石炭だった。日清日露戦争の軍艦は、石炭を焚き。汽笛一声新橋を~♪と走った汽車も石炭だった。それからわずか10年後の第一次大戦では戦車・飛行機が登場し、石油がエネルギーとなった。

市民生活では、その後も昭和40年代前半くらいまで石炭が使われたが、その後は石油が主だ。今はこれがほとんど電気であり、日常生活では、石油は車のガソリンとストーブくらいなものだろう。そのストーブはかなりの率でエアコンに代わっているし、車もハイブリッド車の普及が著しい。

いくら反対したところで、石油が枯渇したら原子力に頼らざるを得ない。その原子力だって産業革命の石炭からわずか2世紀で石油にエネルギーの主力が変わったように、いつまでもつのか。結局のところ、産業革命以降、人類は、何億年もの年月を掛けて地中に蓄積されたエネルギーを掘り起こし一気に消費したが、エネルギーが蓄積される速度は変わらないのだから、枯渇するのは明らかなのだ。

今自分が生きている時代範囲で、そして想像できる空間領域でしかものを考えないから、原発反対となるように思う。原発が素晴らしいなんて誰も思うまい、仕方ない選択なのに、そこで思考停止してしまい、解決策となる代案を出さずに原発に反対する人々に、その目的と代案があるのかを聞いてみたいものだ。

技術革新無しに、再生可能エネルギーだけの生活を実現するとしたら、江戸時代の生活に戻らなければならない。そんなことは不可能な事と分かりきった上で、そういう生活をすべきと叫んだり、原発に反対するのは、何とも無責任な気がするのだ。

おそらく、本日の記事に対してはたちまちにいかなる理由があろうとも原発反対と反論する方がいようが、議論は大いに歓迎するし、どのような主張をされても良いと思う。ただし、大前提として「人類が持続出来る環境の維持」が論点であることを再度申し上げたい。

故に、原発推進は過渡的な手段であり、他に手段があるならばこれにこしたことはないので、代替案をお示しいただければ拙ブログの主張を即訂正する事も改めて強調しておく。にも関わらず、これを理解できない反論があるとすれば、それはもう話にならないだろう。そうならないことを祈るばかりである。

本日これにて。

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コメント

鉄馬様、コメントありがとうございます。

ばら撒きという言葉は悪いイメージですが、そのこと自体は悪い事ではないと思います。多くの人の為にその地域が犠牲になるのですから、当然の補償でしょう。

問題なのは、多くの人の為ではない施設の場合です。ムダなダムや無駄な発電所がそれですが、無駄な原発は存在しませんので、これはばら撒きとは言わないでしょう。

投稿: ベンfダソン | 2010/01/08 09:48

こんばんわ。

そうですね。原発がないと今の生活は維持できない。次のエネルギーに目処が立つまでは、なんとか最小限にとどめたいですね。

最近、八ッ場ダムと世界一を目指すスパコンの話などから、税金のムダ使いも気になるようになりました。

原発関連の施設がある地域へのバラマキは結構あるようで八ッ場ダムと似た構図になっている気がします。

いいのかわるいのか。って湯水のように税金を使われてるなら腹が立ちます。

仕分け対象ではなかったのでしょうか。

投稿: 鉄馬 | 2010/01/07 01:03

たなか様、コメントありがとうございます。

たなか様自身
>5と6だけなんじゃないかな、言い切れるのは。他は言い切れないし、言い切れようが言い切れまいがどうでもいいじゃん。

と書かれているように、どうだっていいですね。要は、

>7.CO2がどうこうではなく、エネルギーの無駄遣いが問題
ってことがいいたいんでしょ。それはもちろん賛成だけどね。

と言うことなので、後はどうぞ良しなに解釈してください。

投稿: ベンダソン | 2010/01/01 14:39

最近結構いい感じだったのに、久々に突っ込んでみたくなるエントリだったので、お付き合いします。

このエントリは丸数字がダブっていてまとまりがないんだが、2回目の丸数字の話(1〜7まであるやつ)について。
5と6だけなんじゃないかな、言い切れるのは。他は言い切れないし、言い切れようが言い切れまいがどうでもいいじゃん。

1.は事実じゃない可能性アリ
(COP15が温暖化を議論する会だったのに、異常な吹雪の中、各国の参加者は壊れたセキュリティシステムのせいで厳寒の中で待たされた、というマンガみたいなことが起きたらしいし)

2.まったくをもってその通り

3.このグラフも恣意的に改竄されているのがわかりつつあるのをご存じないのか

4.その通りかもしれないが、もともと水蒸気だってメタンガスだって温室効果ガスである

で、結局

7.CO2がどうこうではなく、エネルギーの無駄遣いが問題

ってことがいいたいんでしょ。それはもちろん賛成だけどね。
温暖化問題は結局お金を動かす動機付けのための道具の一つで、今のトレンド、ってことでしょう。
世界はそんなにきれい事で動いてないから。金ですよ、金。あと権力者たちの地位の保全。

それに温暖化して地球として長い目で見て本当に困るの?いま困ってない人が困るだけなんじゃないのかなぁ?可耕面積が今より増える、という話もあるし。

否定論者がお粗末というならば、支持論者だって似たり寄ったりなんじゃないの。

投稿: たなか | 2010/01/01 01:38

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