国を滅ぼす嫉妬心
佐藤優著「国家の罠」(慎重出版)の中に、「●●氏本人は、嫉妬心が希薄な人物なだけに△△氏や○○氏の嫉妬心に気が付いてない点が致命的に思えた・・・」と言うくだりがある。●●氏、や△△氏、○○氏は別に伏字にする必要はないが、いづれも人の興味を引き過ぎる大物なので、伏字にした。単語に反応されては論点がぼけるのでね、それ以外に意味はない。
で、この後、●●氏は、△△氏や○○氏だけではなく、官僚たちからも嫉妬や畏怖を受け、やがて失脚していくのだが、その過程には、検察のリークにマスコミが大きく加担しスキャンダラスな事件へと発展していく様子が描かれている。
マスコミは、●●氏や佐藤氏に対して、本人への裏取り調査や確認をしないで、検察リークを元に、収賄や、背任・偽計業務妨害などの疑惑を書きまくり、裁判以前に社会的制裁を仕立て上げた。
冒頭の△△氏や○○氏の嫉妬心が、そもそもの原因かどうかは知る由もないが、その後の検察リークによる騒動は、世論を作り上げた。そしてそのプロセスは間違いなく人々の嫉妬心を煽ることで、成し得ていたと思う。
いつのころからかは定かではないが、この構図が、ずっとこの国を支配し、人を失脚させたり、何かに反論する時の常套手段となっているようだ。このやり方は昔からあったと思うが、特にここ数年酷いと思うので、新年早々の話題に取り上げたい。
誰か社会的に地位のある人、権力や名声が高まりつつある人、新たな理論などを蹴落としたり批判あるいは否定したいならば、その人物の悪評や、理論の間違いについての「客観的」事実を指摘すれば良い。
例えば、聖人君主の如き人の実態がギャングのボスで人殺しならば、その事実を暴けば良いし、ある理論の根拠が間違っているならば、根拠の間違いを指摘する。これ、当たり前で、いちいち説明するまでもない。
だが、事実がそうじゃない場合には、この手は使えない。てか、そもそも本当に聖人君主であったり、正しい理論ならば、否定しようとする事自体が間違いであることは、これまた言うまでもないだろう。と言う事は?
つまり聖人君主や正しい理論を陥れるのは、これこそ悪事ということだ。言いかえると、客観的事実を提示しないで、ほらほらこんなにアイツは悪い奴ですよ、この理論は間違ってますよと言うのは、限りなく悪事の可能性が高く、あるいはそれに加担しているということだ。
加担するという事は、加担する相手や理論が悪と知らなくても同類だ。人殺しを一生懸命擁護すれば人殺しの仲間だし、聖人君主を擁護すれば聖人君主の仲間だ。
で、ここ何年かのスキャンダラスな事件と世論を見ていると、ほらほらこんなに悪事を働いてますよと言うその根拠が実に希薄で、冷静に見ると客観的事実が不明なまま、人々は嫉妬心を煽られ印象操作で操られてしまっている事が多すぎるように思う。
明確な客観的事実が提示され、それがケシカランと言うならば、たとえ非難される相手が身内であろうと尊敬する人物・理論であろうとも、ケシカランものはケシカランのだ。ところが、事実の確認よりも先に、こんなに庶民とはかけ離れた生活をしているとか、裏で誰かが儲かっているのはケシカランだろうという印象操作が先行している。
聞いたら羨ましかったり、癪に障るかも知れないが、批判すべきことでは無かったり、あるいは論点とは何の関係もないものだ。
私がこういう疑問を感じ始めたのは特に耐震偽装事件からだ。本来論点となっているのは耐震偽装の有無のはずなのに、そのことの客観的事実はほとんど問題とはならず、やれ誰それがいくら儲けたといった類の、事の本質とは全く無関係のことばかりが取りざたされていた。
事実、あれだけ多くの人が、偽装疑惑を掛けられ、社会的に抹殺されたが、実際に偽装を裁かれたのは、結局姉歯某なるイカレポンチの元建築士一人だけだ。
おそらく、嫉妬心を煽られた人々の心の中の構図としては、偽装するからには誰かが儲けているに違いない。⇒こんなに儲けてるのは裏で何かやってるに違いない。⇒だから耐震偽装に絡んでいるに違いないとの想像を掻き立てられた。と言うことなんだろう。
特に昨年来続いている、民主党頂上に対する検察の攻撃を見ていると、ますますこれを感じてしまう。本当に小沢・鳩山両氏が悪党ならば、検察は堂々と裁判でその事実を提示すれば良い。ところがマスコミリークで流すのは、嘘かホントか分からない、風評ばかり。そしてお決まりの事件とは直接関係ない「こんなに財産を持っている」とか「蓄財してる」といった人々の嫉妬心を煽る「事実」ばかりが報道されるのだ。
その挙句に肝心の裁判はいつも尻切れトンボになるが、その事はほとんど記事にはならない。風評が事実だったかなんて追跡取材した記事は見たことがなく、流しっぱなしだから、裁判以前に極悪人のイメージが定着してしまい、人を貶めるならば、これで目的を達成できてしまう。
ところで、検察リークでは、とても不思議な疑問が付きまとう。それはリークしっぱなしで検証されないのに、何故疑惑そのものをリークしないのかだ。例えば、このところ騒がれた鳩山献金問題では、リーク報道の中からは検察が何を問題としてどんな悪事を暴きたいのかが明確には伝わってこないのだ。
不起訴になると、起訴したかった悪事の証拠が不十分なので断念したかの様な印象を与えるが、実は何を断念したのカトンと不明だ。どうせリークしっぱなしなんだから、もし何らかの具体的疑惑があるならばそれをハッキリとリークすればよいではないか。
例えば、最終的には母親からの献金が虚偽記載ではないかとの疑惑になっ多様だが、最初は故人献金を問題視していた。ところが、それは単に鳩山氏がマヌケ故の手続きミスと分かると、今度は母親からの献金を裏金のごとくリークするが、借金で処理すれば終わってしまう話だ。それすらもせずにあっさり贈与税を払われてしまうと、もう追及は出来ないというわけだ。
だが、じゃあいったい検察は何を追求したいのか、どんな悪事をあばきたいのか。いったいなんだか分からないがそういうものがあるなら最初から、その疑惑をリークすればよいではないか。途中からリークする疑惑が変わるという事は、もともと何もないということを表している。
結局、そこから見えてくるのは、疑惑があって捜査するのではなく、叩けばホコリが出るだろうとばかりに、疑惑をつくるために捜査しているということだ。そう考えれば、検察リークに一貫性が無い事のつじつまが合うし、そう考えなければつじつまが合わない。叩けばホコリが出ると思ってのことならば、いったいどんなホコリなのか聞いてみたいものだ。
年末からは、再び小沢氏に手が伸び、何年も前の不動産購入に関する疑惑とかで本人に事情聴取するとかしないとか、いかにも犯罪の容疑者であるかの様なリーク情報が伝わってくる。今のところ政治資金で私腹を肥やしたかの様な情報だが、これがいつのにか違う疑惑に変わっていかないことを祈るばかりだ。
本人に事情聴取するなんてリークもお粗末すぎる、事情聴取したからと言って何か問題があるというのか、別に起訴するわけでもない、事情聴取したければ、噂なんか流さないで事情聴取すればよいではないか、国会会期中でもないんだから何の問題もないではないか。
何度も言うようだが、何か違法性があるならば、堂々と事情聴取しその疑惑で起訴すればよい。もし小沢氏が悪事を働いているなら、たとえ小沢ファンといえども、石持て投げ、検察を応援するからやってくれんか。情聴取するぞと匂わせて事情聴取しないなんてのは、逆に何と姑息な検察かと情けなくなる。
そういう堂々とした職務の遂行をしないで、何やら、小沢氏あるいは鳩山氏が、ものすごく金や財産を持っているかの様なリークは何の判断材料にもならず、かえって人々の嫉妬心をかきたてているだけに見えてしまい、この国の司法制度の信頼性を貶めるだけだからからやめてほしい。
同じような人々の嫉妬心を煽る構図は、地球温暖化を否定するロジックにも組み込まれている。いわく、「誰かが儲かる」といった類だ。」表現を変えて、さも訳知りのごとく、「金を使わせるため」といった指摘も、事の本質とは何の関係もない。
CO2が原因とする地球温暖化のメカニズムには反証性があるから、絶対不変の真理とは限らない。きちんとしたデータと、因果関係を説明できる妥当な理屈があれば覆ることもあり得る。と言うより間違いならば覆す必要がある。
だから尚更、事の本質とは無関係な、誰かが儲かるといったような嫉妬心を煽るような言い方は控えるべきだ。こうした嫉妬心が煽られることで、真実がゆがめられてしまうと社会やもっと言うと人類にとって良い事はなく、間違った情報で滅びかねない。
故に、誰がどれだけ儲かるとか、得をするとか、そんな物事の本質に関わらないことで、人々が判断を誤ってしまったら、取り返しのつかないことを引き起こし、この国や人類を滅ぼしてしまうかも知れない。
まだある、昨年、オバマ大統領は核廃絶を呼び掛け、ノーベル平和賞を受けたが、これに対する批判も実にトンチンカンで、ただの嫉妬にしか見えない。その後の派兵問題など?と思う部分も無くはないが、ともかくも世界のリーダーたる超大国の大統領が、核廃絶を呼び掛けたのだ。これを千載一遇のチャンスと、何故唯一の被爆国日本は乗っからないのか不思議でならない。
このことを書いた拙ブログへのコメントは、核は廃絶出来ないとか、オバマ大統領のノーベル平和賞は納得できないといったもので、完全に論点がズレており、いづれもオバマ氏への嫉妬から来るものだ(当人は否定するだろうが)。
新年を迎えたことで、ふと、この国の行く末を考えた時、今年もあるいはこれからも、こうした嫉妬心を煽るやり方で世論がつくられるのかと思うとゾッとする。これではまるで未開の土人部落ではないか。
物事を判断する上で、何の基準にもならない嫉妬心を煽る情報を流すのは、手段を選ばないやり方であり、理が無い故と見破るべきである。そのようなやり方で、自己主張をする人々こそが国賊であり、こういう輩の肩書や地位に惑わされず、この国を滅ぼす身中の虫であることにいい加減気づかなければならないと思う。
新年早々に吠えてしまって申し訳ないが、歴史的な政権交代をしたのだ。別に民主政権に付和雷同する必要は全くなく、是々非々でかまわないから、冷静に見るべきものを見、評価すべきは評価し、批判すべきは批判してほしいと思う。そのとき、間違っても、論点に無関係な嫉妬心を煽るような情報には惑わされてはならない。そう訴えたいのだ。
民主党といえども、人の集まりだ。大所帯になればいろいろな人が出てくるし、中にはヤバいのも出てくるかもしれない。鳩山氏にしても小沢氏にしても、完全無欠ではないはずだ。プラスもあればマイナスもある。
100のプラスに対して、5のマイナスがあったとして、マイナスだけを取り出して批判すれば4のマイナスを行う政治家より評価が下がるだろう。だがマイナス4の政治家のプラスが3でトータルマイナス1とすれば、プラス95よりもマイナス1を評価してしまうことになる。
冷静に評価せよとはそういうことだ。今までの自民党政権に胡坐をかき、既得権益を手にした人々は、なりふり構わず、民主党政権のマイナス面だけを取り出し、そこに嫉妬心を煽る様々な情報をまぜこぜにして攻撃を仕掛けてくるだろう。
複雑な事を考えようとは言わない。だって元々我々市井の民には、そんなことを判断できる情報がないのだから。ただ言える事は、嫉妬心を煽る情報には惑わされる理由がないのだから惑わされるな、と言いたいのだ。
誰が儲けたとか、いくら蓄財したとか、そんなことは国家の金を横領してのことではない限り、むしろ才覚の評価にはなるくらいで、人物批判とは何の関係もない。もし問題にするならば、大使が何故かくも財を成すのか、そこを調べるべきだろう。他に職業や収入減がある政治家とは違い、基本的には国家公務員として副業はないはずだから、調べればすぐ分かることだろう。
という訳で、新年のお題は、嫉妬心が国を滅ぼすというお話でした。本年も皆様よろしくお願いいたします。本日これにて。
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