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2010/02/10

気楽にできる出来る革命

世の中を変えるなんていうと、何やらとてつもなくストイックに自分を律し、権力と対峙し血を流さなければならない。と、そう思いがちだ。まあ、だいたいにおいてはそうだと思う。でも世の中は、自分と自分同様の人々が同じ地域、同じ国土に集まって出来あがったものだ。

考えてみりゃ、主役は自分達だ。北の金某が民衆を支配しているのも、確かに権力によって民衆が支配されているが、それを許す国民があっての事だ。オイオイ、支配されている者には自由が無いんだから、本末転倒そんな事言ったって意味なじゃないかって?・・・確かに。

ところが、幸いに、実質北朝鮮を笑えないものの、この日本では表向きは、言論の自由が保障されているし、一応は法治国家である。そして平等選挙が行われ議会制民主主義が行われている。

で、これをもって、ホホウ、それはスバラシイ国ではないか。と思う人は相当にオメデタイ。そういう人はおそらく己の喜怒哀楽まで、人に教えられその通りに反応する人だろう。ハイっ!ここで笑ってー、ハイ次はここで怒るーってなもんだ。

このところの小沢問題の国民の反応が、マスゴミの報じる通りだとすれば、まさしくそういう現象が起こっていると思う。何度も言うように、何がいけなくて何が悪いのか、それがサッパリ分からない、つまり怒りの原因が無いのに怒っているからだ。

国民は何に怒っているのか分からずに怒っている。その証拠に、拙ブログコメントで、金権小沢批判や疑惑を指摘される方に、その根拠を聞くと答えられない。マスゴミによって、ターゲットに対する悪のイメージを摺り込まれ、やっかみ心を刺激されると、イワシの大群が反応するがごとく一斉にバッシングが始まるのだ。

だが、今回の小沢問題では、少し様子が違ってたように思う。拙ブログのようなヘソ曲がりが少なからずネット社会にはいたようで、必ずしも小沢バッシングだけではなく、むしろ検察批判、マスゴミ報道批判の波が広がっていったように思う。

検察権力の恐ろしさを、まざまざと見せつけられると、これまでは市民はその恐ろしさ・危険さを察知させられると口をつぐんだが、インターネットの持つ匿名性とマスコミに匹敵する広報能力から、内心に感じているその恐怖を知らしめる事が出来るようになった。

その恐怖が真実であるが故に、たちまちに共感を覚える人のネットワークができ、マスゴミが垂れ流す表の世論とは別に、ネット社会では何の心理的制限を受けない本音の世論が形成されている。

今回は、その本音の世論がマスゴミ世論と拮抗しつつあると思った。と言うより本音を言えば、凌駕したと思っているが、自分自身がネットの側にいるので、ネットを過大評価しているかもしれず「拮抗」ととらえた。

ともかくも、見えてきたのは検察権力の「自分達こそが支配者」と言うかのような、あからさまな思い上がりと、情けないほどのメジャー報道のお追従だった。図らずも大本営発表を垂れ流しした体質は、少しも変って無かった事を露呈したのだ。

もう呆れてしまったのは、報道が客観的事実の報道をせず、憶測や見解ばかりと言う点だ。いったい大組織は何の為なんだろうか、まことしやかに記者はスクープのため、夜討ち朝駆けで、足を使って取材したと言うが、横並びの記事でおまけに翌日にはウソとバレるようでは、白々しい事この上ない。

青汁のコマーシャルで白クマ君が口の周りを緑に染めて、ボク青汁飲んでないよと言うのと同じだ。金権小沢と疑惑を糾弾する前に、お前らが言うか、だ。そして、そんな噂の域を出ない情報と見解を流すだけならば、対価を払う情報ではないし、ネットで誰でも流せる情報だ。だからど素人の拙ブログの方が、よほどジャーリスティックだと自信を持ってしまうくらいだ。

ところで、世論は本当にマスゴミに支配されているのだろうか。私の身近にいるある老人に訊ねたところ、完全に洗脳されていたから、或る程度はマスゴミの報道通りに反鳩山・小沢かも知れない。ただし洗脳されているのはコチラかも知れないので、洗脳との表現は言葉のアヤだ。要は、その老人は鳩山・小沢批判をするが、その理由はどう聞いても、事実云々ではなく、金持ちに庶民感情が分かるかという、やっかみに過ぎなかったからだ。

では知的水準の高い社会ではどうとらえられているだろうか。何をもって知的水準と言うかはこの際置いといて、一般的に東大出身者は一応の水準といえるだろう。その集まりの中でワイワイ飲む機会があって、誰かが一連の小沢問題を口にした時、あんなバカな話無いよねーとなった。

私はてっきり小沢辞任論かと思って、念の為何が馬鹿げてるのかを聞くと、全員が口をそろえて、捜査と報道のバカバカしさを言ったので驚いた。へー、みんな分かってるじゃん。その場の雰囲気は小沢が正しいか否かは分からないので論点にはならないのだった。TVで小沢批判する評論家達は、高学歴で優秀な人ばかりのはずだが、この東大の雰囲気は違っていた。

小沢氏の言い分あるいは疑惑の可否は、まともな情報が無いから論じようもないのに、TVに登場する評論家たちは、言ったい何を根拠に小沢批判をするのかがさっぱり不明だ。

ちょっと話が横道にそれるが、拙ブログは小沢シンパではない。世の中の理不尽さを怒っているだけで、それがこの騒動では検察・報道にあるから、結果的に小沢擁護になっているだけ。だから、不起訴に対して小沢氏が「検察の公平な判断に・・・」と言った事にはかなりの違和感を感じている。オイ小沢さんよ、戦うと言ったアレは何なんだといいたい。

この件、つまり政治資金規正法の虚偽記載に対しては白だが、何やら全く別の怪しいところが出てきたのではないかと勘ぐってしまう。ただしそれは、勘ぐりであって何ら客観的証拠もないから、単なる人相の好き嫌いレベルの話に過ぎない。だから気分的には小沢氏を疑っているが、それでこの件では白との小沢氏に対する評価は変わるかと言えば全く変わらない。

さて、話を戻して、結論を言おう。もうおわかりかと思うが、この国をヤバくしているのは誰かと言うことだ。今回の件で明らかになったのは、検察権力の暴走と追随するマスゴミだ。だがそれだけではない。反小沢勢力が盛んに言う、小沢氏への権力の集中も一理ある。

ただし、小沢氏がどうのこうのではない、一人の与党幹事長に権力が集中し、ものが言えなくなるようではファッショにつながりキケンと言う意味だ。要は権力の集中に対してジャーナリズムが監視する事が必要であると言う事だ。

今回の小沢騒動で明らかになった監視すべき権力と報道は、検察と記者クラブメディアである。先ずは、この二つを正常化させなければ、この国は危うくなるから優先順位は先ずこの2点だ。そして次に注意しなければならないのが、もし小沢氏がこの危機を乗り越え、強大な権力を持った時だが、ジャーナリズムがしっかりしていれば、その監視が出来ると言うものだ。

権力の集中は決して悪い事ではない。理想の政治は立派な指導者による独裁政治であると思いうからだ。だが歴史上そういう政治はあまりなく、理想の指導者はやがて独裁者となる場合が多い。だから指導者といえども。主権は国民にあり国民の監視が必要なのだ。

何故こんな当たり前の事をことさら言うかと言えば、今や検察とマスゴミの暴走が酷く、狙われたら最後の状態に国民が置かれているからだ。冤罪が発覚しても、当事者の謝罪はないし、今も冤罪は尽きない。

TV等で名前と顔を晒して堂々と検察批判が出来るのは、組織をバックにした人か余程有名で、パクられたら大騒ぎになるような有名人ばかりだ。ほとんどの評論家・コメンテーターは口を噤むか、検察のお追従を言うばかり、もし本気でお追従を言ってるとしたら、これだけいい加減なリーク情報に疑問を感じないのだから相当なおバカだろう。

拙ブログのように無名人なれば、恐ろしくてとても顔と素性を晒しての検察批判など出来ようもない。何しろ目を付けたらなんでも有罪に出来るのが、この国の司法制度の現状だ。せめて我が身を守る為には、何としても捜査の可視化を法として義務付けるべきである。そして、供述調書はあくまで可視化取り調べの要約に過ぎず、証拠本体は可視化データとしない限り安心できない。

大谷氏程の知名度が無いフリージャーナリストの上杉氏や岩上氏が、石川議員女性秘書取り調べを引き合いに出し、検察の捜査の在り方を批判しているが、いつ逮捕されてもおかしくないと皆が思い、密かに傍観している状態ではあるまいか。

上杉氏は、今週の週刊朝日で、実にロジカルに検察に抗議しているが、あまりにも筋が通り過ぎていて、検察は立つ瀬が無い。例えば、検察が(上杉氏の)記事を虚偽であると断じておきながらどこにも虚偽とする根拠を示さず、取材も拒否する矛盾を突いていて、思わず笑ってしまった。

これでは何ともマヌケな検察の抗議の仕方で、明らかに楯突くとただじゃ済まないぞとの権力を笠にきた恫喝でしかない。ヤクザが、「どうぞよろしく」と丁寧に言ってミカジメ料を脅し取るのと同じだ。

詳しくは拙ブログ読者の一郎氏から後紹介あったこちらを是非お読みいただきたい。

http://diamond.jp/series/uesugi/10113/?page=4

これを同じジャーナリストとして、ツイッター等で支援しているのが岩上氏だ。おそらく両人とも相当の覚悟を決めての事だと思う。報道すべき事を報道しない、出来ない日本のジャーナリストは、少なくとも上杉氏の前ではジャーナリストを名乗れまい。正直に権力犬と名乗るべきだろう。

では、我々市井の民も、同じように頑張るべきかを考えてみよう。上杉氏のような権力に楯突くジャーナリストを守り育てていく事が、自分達国民の為である事は間違いないが、表だって支援者となるには度胸がいるだろうし、同じく検察批判をするのはもっと度胸がいるし根性も必要だ。

だが、それは自分個人に焦点を当てた時のシミュレーションに過ぎない。圧政から自然発生的に革命がおこる時は、誰がどうではなく、大衆の怒りが爆発し大きなうねりとなって社会全体が動く時だ。

明治維新は、坂本江竜馬一人がやったのではないが、竜馬に共感する人々が次々現れ、やがてそれが大きなうねりとなっての事。では誰かが坂本竜馬にならなければならないのだろうか。あるいは、首をはなられる事を覚悟で一揆を主導しなければならないのだろうか。

かつては刀やテッポウ、竹槍をもって一揆や謀反を企てたが、今やインターネットが大衆を束ねるツールとして機能している。いい加減な理屈やインチキでは、いくらインターネットを駆使したところで人々の共感は得られないが、理にかなった事、人々がなるほどと思う事ならば支持を得られる。

人々がなるほどと思う事を伝えるのに、かつては命がけであったし、北朝鮮では命がけでトイレに落書きしていると言う。だがインターネットならば匿名で主張する事が出来る。革命を起こすのに、何も武装蜂起は必要ないのだ。

ストイックに歯をくい縛る必要もない。せいぜい職業ジャーナリストとしての上杉氏の主張が正しいと思えば、それを支持すればよい。ブログでも、誰かの主張、検察批判はその通りだと思えば、そこにコメントしたり、人気投票をクリックすればよい。

ツイッターの輪を広げても良い。人々が、「おかしい」とか「そうだそうだ」と思う事・意見に対してその思いを共有し、それをネット上で確認できれば、表のマスゴミは力を失っていくはず。現に、今回の小沢騒動は、マスゴミがいくら恣意的報道でプロバガンダを繰り返しても段々に人々は疑問を持ち始めたではないか。

今でこそ、評論家諸氏は、検察の捜査批判やリーク報道を批判しているが、当初から検察批判していたのは郷原氏や大谷氏等ごく一部であった。それがネット上の検察批判、報道への疑問や矛盾が指摘されるにつけて、おっかなびっくり検察批判をするようになってきた。

ほんの僅か、緩やかな変化ではあるが、これが真の国民世論であり改革ではないだろうか。何も歯を食いしばったり、身を危険にさらす必要は無い。権力と結託した記者クラブメディアを無視し市場から駆逐すればよい。

記者クラブメディアを信用するのがどうかしているのだから、ネット上の理にかなった情報や見解を、自分の頭で咀嚼してそこに参加し、世論を形成すればよいのだ。それだけでも良い、なにも歯を食い縛らなくたってこの国の革命は案外気楽にできるのだ。

最後に、記者クラブメディアの世論調査の「頭隠して尻尾隠さず」を指摘しよう。連日のネガティブキャンペーンで確かに民主党支持率は下がっているようだが、自民党の支持率はサッパリ上がってない。未だに自民党の倍の支持率を民主党は得ている。

単に民主党の支持率を下げる事だけに夢中で、上手く世論を誘導したつもりかも知れないが、所詮局部的にしか物事を見ず、人の足を引っ張るだけ、大局観の欠落はどうしようもないと思う。どんなにネガティブキャンペーンで民主党の足を引っ張って支持率を下げても、そこしか見えないから気付かないが、選挙は相対的なもの、比例区、中選挙区といえども自民党が勝たない、つまり民主党勝利には変わりないのだ。

別に民主党を、この先もずっと応援する必要はないが、自分の事を棚に上げた低俗な批判しか自民党が出来ないようならば、少し落ち着いて民主党に任せてみるべきだろう。その上で明らかにおかしな動きが出てきたらキツイお灸を据えればよい。

そうした動きが世論であり、主権者たる我々国民の権利であり、義務でもある。その判断の為には客観的公平な情報が必要であり、少なくともエエカラカンな記者クラブメディアの情報は百害しかないから、先ずこいつをぶっ潰すしかない。

とりあえずは、記者クラブに属したメディアの不買運動を展開するべきだと思う。あんなものに対価を払うのはドロボーに追い銭だ。全く目を逸らすのも公平性を欠くから、見る優先順位を下げてネットで見ればよいだろう(タダでね)。

と言うところで本日これまで。

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コメント

>陸山会のケースを交通違反に当てはめるなら、ネズミ捕り方式で5kmオーバーで捕まえて、刑事事件にしているようなもの

5kmオーバーで無罪かどうかは司法が決めることかと思います。

>制限速度20kmオーバーの車を見逃して50kmオーバーの車を捕まえた白バイ
>なら、非常に正しい行為です。

本当はこれがあってはいけないことです。切符の色に関係なく違法行為ですから。

>http://yahhoo.cocolog-tcom.com/goodwill/2010/01/post-3b43.html
>小沢問題に血道を上げる自民 町村
>自分も政治団体資金で物件新築
>これ、明らかに小沢氏のケースと同じである(略)

小沢氏と町村氏どちらが違法で悪質か、どちらが青切符か赤切符かはわたしにはわかりません。しかし嫌疑があるならば、とことん真実を追求して違法であるならば、起訴するのが法治国家の本来あるべき姿ではないでしょうか。
違反切符はサインしなければ反則金レベルの違反でも有罪となれば無罪・罰金・禁固刑になるでしょう。行政処分は法治と対極に位置するものと感じています。
マスコミや検察を悪とし、法治を正義とするならば5kmオーバーでもきちんと裁判で決着をつけ、20kmでも50kmでも嫌疑あるものはすべて公判請求するべきものです。
それを拒否するなら、行政のさじ加減に身を委ねるほかないのでしょうか。

投稿: ぷにょ | 2010/02/14 11:55

>制限速度20kmオーバーの車を見逃して50kmオーバーの車を捕まえた白バイ

それなら、非常に正しい行為です。逆なら困りますが。

同じ罪と言いますが、制限速度20kmオーバーでは、青切符で反則金を払えば済むようになっており、刑事事件にはなりません。反則金を払わない場合は、刑事事件として起訴されれば裁判になります。

50kmオーバーだと赤切符で刑事事件となり、検察庁に出頭して、罪を認めれば略式起訴で罰金刑。認めない場合、検察が起訴すれば裁判ということになります。

これは、車両のスピードが速いほど重大な事故につながる、という法則を信じているからそのようになっているのであって、不合理なものではありませんし、ネズミ捕りなどと違って、一日かけても摘発できる台数が知れている白バイでは、より悪質危険なものから先に取り締まるのが当然です。

それよりも、

>関係者に知り合いがいて事なきを得た

ほうが、はるかに重大な犯罪行為であり、少しでも遵法意識があるなら、いますぐ告発するべきです。
取り締まり方法に問題があって、検察官が起訴しなかったのかも知れませんが。


陸山会のケースを交通違反に当てはめるなら、
ネズミ捕り方式で5kmオーバーで捕まえて、刑事事件にしているようなものです。
通常ネズミ捕りでも、10km未満の違反は取締りの対象にせず、見逃しています。
これは、スピードメーターの精度やタイヤの磨耗などにより、5km程度の狂いは生じるためです。

陸山会のケースは、今まで訂正で済ませてきた政治資金収支報告書の計算ミスを、虚偽記載として起訴するというのですから、通常は見逃している5kmオーバーの違反を、無理やり刑事事件にしているのと全く同じです。
当然、裁判では無罪になるべきケースです。

投稿: 珍県民 | 2010/02/13 17:07

⇒というか、司法全体が、恣意的で公平性を欠いている事の恐ろしさ

検察が司法かどうかは疑問ではありますが、それよりも制限速度20kmオーバーの車を見逃して50kmオーバーの車を捕まえた白バイがいました。馬鹿検察と全く同じ体質です。こういう社会があっていいのでしょうか。どちらも裁判で決着をつけるなら量刑の差こそあれ罪は罪です。おっしゃる通り、「気が向けば厳格に適用して逮捕」では為政者のためだけの役目しか果たしていない。公平に罰則を適用できないのであれば即刻スピード違反は廃止すべきである。

ちなみに本人は関係者に知り合いがいて事なきを得たそうです。

投稿: ぷにょ | 2010/02/12 12:42

○ぷにょ様、コメントありがとうございます。
>文言から推察すると検察が悪い。ということに尽きるようですが、実際どのような検察がお望みなのかがなかなか見えてこないです。

⇒というか、司法全体が、恣意的で公平性を欠いている事の恐ろしさを指摘し、法が法として機能し、法を守れば身の安全が保障される社会であるべきだと言うのが、拙ブログ草創期から一貫しての主張です。

以前にも書きましたが、法を厳しく定め、その適用を緩くしておいて、気が向けば厳格に適用して逮捕では、法によって市民生活の安全を守るのではなく、為政者の望む秩序維持のツールとなります。

たとえば、談合はその典型で、司法当局にはこれを取り締まる気はほとんどなく、思いつきで逮捕取り締まるというのが現状。むしろ談合をしないと強烈な弾圧を受けるのです(最近はほとんどないようですが)。もっと身近な例で言えば、交通取り締まりの「やり方」等もその例でしょう(交通取り締まりがいけないと言っているのではありません、「やり方」です。念の為)。

ご指摘の検挙率に関しても、これは検察というより警察ですが、その後の検察による起訴有罪率にもかなり問題があり、このへんは改めて記事に書いてみたいと思います。

投稿: ベンダソン | 2010/02/11 15:44

文言から推察すると検察が悪い。ということに尽きるようですが、実際どのような検察がお望みなのかがなかなか見えてこないです。検挙率を下げずにどうやって検察を改革するか。するどい洞察、今後に期待しております。

投稿: ぷにょ | 2010/02/11 12:52

皆様、コメントありがとうございます。
最近いただくコメントは、どれも読みごたえあり、ブログ主が言うのも変ですが、本文よりも面白く、下手すりゃブログ本文は要らんのではとさえ思います。「萩本・ベンダソン・欣一」と改名しょうか、てな気分です。
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○長太郎様、コメントありがとうございます。
>長すぎる記事でくたびれる。
⇒うっ、スルドイ。ご指摘の通りかと思います。ついつい筆が滑ってしまうのですが、スパム対策でもあります(長文にしてから、ほとんどアラシが無くなったもので)。それはさておき・・・、
>アホな世論調査もいいかげんにせよ
⇒同感です。
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○一郎様、コメントありがとうございます。
>気楽にできる出来る革命、少し、考えてみようと思います。

⇒賢者の交わりは水の如し。社会を変えていくのも、一人ひとりが意識を変えていけば良いだけ。とは言え、地域活動を長年やってみて思うのは、地域住民(=身近な市民)はどなた様もほとんど「土人」であること。理屈も何もなく、「何」が問題かよりも「誰」が問題となるのも事実。

かつてある方に、あなたは土人部落に舞い降りた宣教師だ、最後は食い殺されるだけと言われましたが、今それを実感しています。しかし、それは表向きの話。守旧派の声の大きさ、圧力に皆声を潜めていますが、筋の通った話ならば人々の心の中にオリのように溜まり、口に出さないだけで「正しい」疑惑を呼びます。

何も答えを期待する必要もなく、褒められることも求めず、おかしな事はおかしいと言い続ける、それだけかと思います。おかしな社会の中でおかしいと指摘すれば見た目四面楚歌となるのは、談合を拒否した時に味わいましたが、心ある人には理解されます。

ただし、心ある人が支援してくれるかと言えば、そう甘くはありません。だからと言って正直者がバカを見ると迎合する必要もないでしょう。今は様子見している心ある人も、大勢が動き出したと見れば、声を出し始めます。今回の小沢騒動でも様子見の評論家たちが、検察批判をオッカナビックリ始めました。

そこが重要な事。歯をくしばったりとか、何か自分を犠牲にするんじゃなくて、思った事を思う通りに意思表示してネットで流す。その事で、ボトムアップの真の世論が形成されるんじゃなかろか、というのが拙ブログの主張。

やり方はなんでも自分にやり易い形で行きましょう。ごーごー!いえーい!(←ちと、軽いか)
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○匿名様、コメントありがとうございます。
機能すべき機能が、キチンと機能する社会システムとすべきとのご主張かと思います。そしてその通りと思います。

その一例が「総務省情報通信政策局放送政策課長」にも国民審査導入の運動を展開すべきとのこと、妙にその世界のシステムにお詳しいような印象が行間から漂ってきますが、どのような形にせよ、思う主張を得意な形で展開されます事を期待します。
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○鞍馬天狗様、コメントありがとうございます。
>山口編集長に敬意を表して月極めで取ることにしました。ふんどし緩んだら即停止だよ。

⇒いいですねえ。もっと良いのはご自身の行動を意思表示した事。思う事を行動に移し、大事な事はそれを喧伝することです。その行動が人々の共感を受ければ波となって伝播していくでしょう。今、少なくとも約1名ベンダソンが早速感化され、書店に申し込むことにしました。これもベンダソン流の革命行動です。
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投稿: ベンダソン | 2010/02/11 11:52

>とりあえずは、記者クラブに属したメディアの不買運動を展開するべきだと思う。あんなものに対価を払うのはドロボーに追い銭だ。全く目を逸らすのも公平性を欠くから、見る優先順位を下げてネットで見ればよいだろう(タダでね)。
無言の国民は、これに尽きます。全体で100万部も減れば、1-2社倒産ですよ。これなら馬鹿な経営者も解るでしょう。まともな記事を書いた週刊朝日は飛ぶように売れる。山口編集長に敬意を表して月極めで取ることにしました。ふんどし緩んだら即停止だよ。

投稿: 鞍馬天狗 | 2010/02/11 10:34

官僚も政治家もマスメディアもある意味強大な権力の持ち主だ。この凄い権力の持ち主である悪徳官僚と悪徳マスメディアと悪徳政治家が一枚岩になってやりたい放題やりまくっているのが今の日本の現実ではあるが、国民はココにこそメスを入れるべきだ。そのためには我々国民はこれら三者が三権分立として機能するシステムをつくり出していく事が急務である。

そのためには、どうすればよいか。それは簡単である。最高裁判所の裁判官が衆議院選挙の際に国民審査を受けるように、「総務省情報通信政策局放送政策課長」も4年に1回ではなく、毎年、国民審査を受けるようなシステムをつくることだ。「総務省情報通信政策局放送政策課長」によって、国民に伝えられる報道のコンテンツは大きく変わるらしい。それが証拠に、菅義偉元総務相は、総務省の放送政策課長を更迭した経緯がある。

民放なんて元々国民は期待していない。我々善良な国民はNHKに対して視聴料を払っているわけだから、せめてNHKだけは国民のために限りなく偏向の少ない報道を心がけて欲しい。我々国民は、NHKに対して国民の審判を反映させれば、新政権が誕生以来連日連夜展開されているような国民を欺くような報道も少しは自粛されてくるだろう。国民にとって少しでも信頼できる放送局が1つでも存在していれば、偏向報道やりまくりの民放放送や新聞なんかの存在は、屁のカッパである。

「総務省情報通信政策局放送政策課長」にも国民審査導入の運動を展開したいものである。政権をとった民主党さん、国民のための政治をほんとうに目指しているなら、はやいこと法案化して欲しいものだ。


投稿: 匿名 | 2010/02/11 10:24

ネットを検索していたら、どこかで、誰かが、今の検察=戦前の特別高等警察と評価していらっしゃいました。

刑事訴訟法の条文に照らして、まさか、それはない。ぼくはそう反射的に感じました。

刑事訴訟法1条
この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。

しかし、ぼくは間違っているのかもしれません。元福島県知事・佐藤栄佐久さんのプログを読んてそう思いました。
http://eisaku-sato.jp/blg/2010/02/000033.html

「検事が思う通りの供述が得られないと、娘が高校生になるまでここから出さない、県議、支持者を皆逮捕する、等と恫喝し、怒鳴り、机をたたき、背広を床にたたきつけたことを、弟は法廷で証言しました。」

「「ある会社社長はこう言われました。
「お前らが東京地検に喧嘩を売るなら、こちらも考えがある。
お前らみたいのはどうにでもなるんだぞ。お前には7年くらい入ってもらう。
出てきた頃は会社もなくなっているし家族もばらばらになり浦島太郎のようになるぞ。
そうならないためにも真実を話せ。」

知らない、というと
「お前の立場だったら知らないはずは無い。知らないのなら想像して言ってみろ」
そして想像して言ったとしたら、どうなっていたのでしょうか。

私を支持してくれていた会社の経営者たちは、多数「会社をつぶすぞ、すぐにでもつぶせるのだ」という検事の言葉を聞いています。

経営をした方ならわかると思いますが、「お前の会社をつぶす」と言われたら、社員たちが路頭に迷わないように、何でも言うがままにならざるを得ないでしょう。国家権力であるだけに、暴力団より強力な脅しになるはずです。

また、ある後援会関係者は以下のようなやり取りをしたそうです。
「あなたが来ない場合は200人よびますがどうですか」
と電話で呼び出され

「いろんな事分かってるだろう、金のこと」
―― 一切知らない
「20年間支えてたんだから。わかってるんだろう 佐藤栄佐久はうそつきで…(罵詈雑言)…」
―― 栄佐久はすばらしいから20年間も支持してきたのだ
「とぼけるな。ふざけるなよ。 一つでもいいから(具体的に)悪いことをいえ」
―― しらない
「栄佐久の 悪いことを知ってるような人を一人くらい言え。しらないことでもいえ」
「知らないこと知ってると言ってもこの部屋の中だけで外には出ない」
―― もし栄佐久がそういう人間であるなら県民を裏切ることになる
「『もし』だけ削除して調書作成していいか」」

以上が事実なら、適正手続き&基本的人権の擁護の重要さを教える法学部などの講義や司法試験→司法修習→2回試験(卒業試験のことです)によるわが国の法曹資格付与システムは完全な機能不全に陥っていると言わざるをえません。

可視化だけでなく、刑事訴訟法321条2項自体の改正が必要な気がしてきました。以下に321条2項の必要部分のみ抜粋して引用します。

「第321条 被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、次に掲げる場合に限り、これを証拠とすることができる。

2項 検察官の面前における供述を録取した書面については、その供述者が公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき。但し、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る。」

気楽にできる出来る革命、少し、考えてみようと思います。

投稿: 一郎 | 2010/02/11 00:35

長すぎる記事でくたびれる。
欺瞞的世論調査を平然とやるマスコミの知的レベルを憂う。
世論調査の結果は議会の政策に反映するものしかやってはいけない。これ常識。議員がやめるべきか否かという意向を国会の多数決論理で強制することができないのだ。こんなバカな世論調査をまともにコメントすることはできない。こんなことをやるのなら、「自民党政権を崩壊に導いた麻生太郎は議員を辞職すべきか」で世論調査すべき。腹痛で総理の椅子を投げ出した安倍しんぞうは人間として失格か、も世論調査すべきだ。多数がそう思ったらだからなんだ? アホな世論調査もいいかげんにせよ・・・とでもコメントしたい。

投稿: 長太郎 | 2010/02/10 21:29

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