ご心配おかけしましたが、単なるサボリです。
読者の方から拙ブログが更新されてない事をご心配いただきましたが、明日できる事は今日やらない主義の、単なる自業自得の超多忙に過ぎないのでご安心ください。要するにサボリです。この間、生きてるのが不思議なくらい超多忙ではありましたが何とか山をこしたので、チョイと更新します。以下ご笑読を・・・。
というわけで、ここから先は、いつものタカビー文体に戻してと・・・、
実は超多忙に加えて、母親が脳梗塞でぶっ倒れた。ある夜、急に笑いを抑えるようにして寝床で唸りだした。こりゃ尋常じゃないと判断し救急車を呼んだが、うまい具合に行き付けの病院の当直が脳外科の先生だったので、事なきを得た。
絶望の中の希望とでも言おうか、完全に立つこともしゃべることも出来そうもなかったのが、びっくりするほどの回復なのだ。そこで思ったのは、看護師さん達の大変さ。これはもうただただ頭が下がる。一体どれほどの給料かは知る由もないが、高級取りとは聞かないから、使命感が無ければとてもじゃないがやってられないと思う。
で、たまたま或るTV番組で、外国人への看護師就業解放についてやっていたが、そこで日本語の障壁を取り上げていた。資格試験を例に出していたが、普通の日本人にはどうやっても読めない漢字が出てくるのだ。
だが正解を聞けば、何と言う事のない「うがい」だ。それが今ここで思い出す事も出来ない難しい文字で表記されていた。概して日本語には意味もなく難解な専門用語が多く、それをかつては(今も?)権威だと思っていた名残ではないだろうか。
専門的な状態を表すならばともかく、言葉はメッセージを伝える手段であって手段に重きを置くのはナンセンスだから「うがい」は「うがい」で良いでは?と思う。
で、要は、外国人が看護とか介護の職に就くのに、こうした資格試験の壁が厚いと言うわけだ。とは言え、医療の現場で言葉が通じないようでは、医療以前の問題としてコミュニケーションが図れないから危なくてしょうがない。
資格試験のハードルを下げよと言うのも、同じ理由で賛成しがたい。だが、その資格試験の中身が、意味ではなく言葉の難解さが問題ならば、これは医療技術とは無縁の単なる難解さでありピント外れで意味が無いと思う。
ある専門領域では、「掛ける」を「歩く」「マイナス」を「ユアナス」と称するとして、数学の問題で「ユアナスとユアナスを歩いたらどうなるか」と出題し、その領域の素人が何の事かわかんねーよと頭を抱えるなか、プラスになると答えさせる事に数学の勉強として意味があるだろうか。
医療の現場がマイナスとプラスの区別を求めているのに、資格試験でマイナスとプラスの区別の別の言い方を求めるのはナンセンスだろう。そして現に医療の現場では看護師はともかくも介護に携わる人手が不足している。
これが過酷な労働条件にある事は明らかだから、労働条件を改善するか、労働条件を受け入れる人材確保しかない。条件を改善せずに人材確保を叫ぶのは、バカだ。
日本は2005年をピークに人口減少局面に入り、人口構成の高齢化は止めようがない。そういう事実が分かっていて、そして介護の人材が足りない事も、予算が無く労働条件が改善できない事も分かっていて、それでも、外国人の介護就業に障害があるとすれば、この先に起こる問題は火を見るより明らかだ。
日本人の精神風土には、どーも目先の問題にとらわれ、その先に見える大きな問題にとんと関心を示さない傾向があるように思う。
少し話がズレルが、最近団塊の世代のリタイヤで地域活動をする方が増えたようで、やたらまちづくり活動をする人が多くなった。で、この街づくり市民活動家が直ぐに取り上げがちなのが緑だ。
多くの市民団体等が、緑地保全を叫び保護活動をしていて、どこかの森が大企業によって開発されるとなると大騒ぎをして反対運動をする。結果として今や郊外の大規模開発は皆無となったが、小規模で無計画な開発は以前にもまして進み、今や事実上乱開発し放題だ。当然これらミニ開発には公園も緑地も整備されないから、市民団体が言う緑地の破壊そのものだ。
大規模開発であれば公園緑地の付置義務があるし、例えば神奈川県の横須賀市では強力な開発規制により半分は公園や緑地となる。半分は緑地が担保される開発に反対し、全く緑地を残さない開発は野放しなので、緑地は減る一方なのだが、こう言う矛盾に全く無頓着で、いったい何にプライオリティを置いているのか全く不可解だ。
このように或る事態(この場合は緑地確保)の改善を叫びながら、局部的且つ厳格な理想論にとらわれ、結果として、求める事態の保全や改善を妨害している事がよくある。
外国人の介護事業への参入障壁にも同じ匂いを感じる。確かに、言葉も満足に喋れなかったりでは、意思疎通が図りにくいし、薬や手当てを間違う恐れがあるが、それは今現在の理想的な看護や介護を基準においての話だろう。
現実には高度な事ばかりではなく、力仕事が大分あって、そちらに労力を削がれて肝心の患者の病態管理がおろそかになっていては、心もとない。だったら、そういった仕事の力仕事の部分を補助するなど、作業を分業化し、そこに安い労働賃金の外国人労働者を手当てすれば良いと思う。
そうなると、当然に、外国人を差別するのかとか、いやな仕事を押し付けているといった批判が出る事が予測されるが、外国人を強制労働させるわけじゃあるまいし、当の外国人達が望んで来るならば大きなお世話というものだ。
というか、必ず出てくるこう言った話は、先の例のように介護や外国人労働者の事を心配するフリをしながら、その実、邪魔をしているに過ぎない。
今の日本、とにかく何が論点なのか、何が問題で何を解決しなければならないかが、いつもすっぽ抜けて、その上さらに現実の状況を全く無視した理想論ばかり議論している事が多すぎるように思う。
とりあえず、本日これにて。
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