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2010/06/26

不可思議公益法人

なんか、エラそうな言い方で恐縮だが、人は大体において自分が正しいと思いがちだ。そして正しいが故に自分の価値観で物事を推し量り易い。世界共通の普遍的価値観なんて無いのだからこの事自体は仕方ない事だろう。

気を付けなければならないのは、或る現象に対する何らかの判断をするに際して、その前提となる事実関係までも、己の価値観・信じるところで、解釈してしまうことだ。事実に対する価値判断を己の価値観でするのは構わないが、事実が示す現実を解釈で変えてしまうのはペケなのだ。

例えば、万有引力の法則を信じない人が居たとして、リンゴが木から落ちる現象を目にしたとき、「落ちるのはケシカラン」と思うのは勝手だが、事実を「落ちてない」と現実と違う解釈をしてしまうのはいかんよというわけ。

何をそんな当たり前な事をと言うなかれ、「こうであるべきだ」という価値観あるいは願望と、「こうだ」という現実の区別が出来る人は意外と少ないのだ。そして自ら信じるが故に、公の場でこうした事を公言してはばからない。

今日は価値判断の前提となる事実自体を、自己の価値観で事実と異なる解釈をし、現実では無い事を現実の現象として議論する人の話だ。とりあえずは大相撲の野球賭博事件をテキストにしてみよう。先ずはこちら、

http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20100623-OYT1T00523.htm

<引用開始>

開催できる?名古屋場所興行知らせる「御免札」

野球賭博問題で開催が危ぶまれている大相撲名古屋場所(7月11日初日)を前に、23日午前、相撲興行を知らせる「

御免札

(

ごめんふだ

)

」(縦1メートル90、横35センチ)が、会場の愛知県体育館がある名古屋市中区の名古屋城東門に立てられた。

 御免札の設置は毎年恒例の行事で、江戸時代の勧進相撲の名残。力士より先に名古屋入りした同場所担当部長の二所ノ関親方(元関脇金剛)ら5人の親方が作業を見守った。二所ノ関親方は報道陣に対し、「相撲ファンにご迷惑をおかけしておわび申し上げます」と話した後、中止の可能性があることについては、「複雑な心境。もっと晴れやかな気持ちでこの日を迎えたかった」と語った。

 二所ノ関親方によると、場所中は入り口で暴力団関係者がいないかを監視するほか、審判の交代時などに暴力団排除を呼びかける場内放送をする予定という。

20106231158  読売新聞)

<引用終わり>

名古屋場所を開催するか否かを論点とした時、各位の事実に対する評価が様々ならば、当然に賛否両論有るだろう。拙ブログは中止すべきと思うが、賛成する方にも当然に言い分が有ろうと思う。問題はどういう言い分なのかだ。

名前は忘れたが、相撲記者一筋で来たと思しきジャーナリストが、相撲は国技だ、野球賭博に一部の力士が巻き込まれたからと言って、中止してしまう事は、暴力団に国技が屈することになるから、絶対に開催しなければならない、とTVで言っていた。

さて、この発言のどこが問題だろうか。「国技だから継続すべき?」それはそれで、そうした意見も有りだろう。ではこれはどうだ「暴力団に屈する」という理屈。さらっと聞き流す分にはそれもそうだと言う気になりがちだが、どっこいそうでは無かろう。

何故なら、暴力団が名古屋場所を中止せよとは言ってないからだ。名古屋場所中止を言っているのは、評論家やジャーナリスト達や一般市民なのだ。暴力団は中止も開催も一切何の意思表明もしてないし、実際のところどう考えても暴力団にとってみればどうだっていい事は明らか。

中止する事が何かに屈すると言うならば、いまのところ世論調査では、中止すべきとの意見が多いようなので、世論に屈したと言う解釈になるのではないだろうか。

何の圧力も意思表明もしていない暴力団を引き合いに出して、名古屋場所中止は暴力団に屈することになるというロジックが成り立つならば、これはもう何でもアリ、気に入らない個人・団体を「暴力団」の代わりに入れても成り立ってしまう。

「名古屋場所を中止する事は、菅直人に屈することになる。」とか「・・・は、プロレス協会に屈する。」でもイイ。ロジックの構造としては同じだ。違いがあるとすれば、そもそもの話の発端が野球賭博で、それをやっているのが暴力団であるということ。つまり角界と暴力団の繋がりが前提だ。

だから暴力団と名古屋場所開催の是非が結びつくと言うならば、大相撲関係者・団体の名を入れれば同じ事、「朝青竜に屈することになる」という言い方と同じなのだ。こんな事言われたら朝青竜も迷惑千番だろう。

件の相撲ジャーナリストの頭の中には、「相撲は伝統ある国技⇒伝統は守らなければならない⇒中止してはいけない」と言う式が出来上がっていて、これが絶対的な価値観となっているのではなかろうか。全てはこの式に当てはめれば、正しい判断・結論と信じて疑わないようだ。

だが、この手のロジックは、結論を同じくする人には受けるが、そうでない人には何のこっちゃとなる。つまり全く議論がかみ合わない。正確には議論がかみ合わないのではなく、自分が正しいから正しいのだと、最初から議論を拒否しているのだ。

ではこの場合、正しい議論の仕方、意見の表明はどうすべきだろうか。論点が名古屋場所の開催の是非で、その判断材料が野球賭博事件ならば、先ずは野球賭博事件と角界との関係性について評価をし、その結果を持って判断するのが筋だろう。

賭博事件に対する評価はNGである事は明らか。何故NGかと言えば暴力団との関係性であることも明らか。この前提で名古屋興行を中止するか否かは、相撲協会という固有名詞で考えるのではなく、或る文部省の補助を受けた公益法人である有る興業団体として考えると分かりやすい。

だがもっと分かりやすいのは、社会的に公益法人よりも責任が少ない普通の法人で考えてみることだ。事は倫理の話だから、より軽い倫理責任の会社が業務停止すべきならば、それより倫理的責任の重い公益法人はなおさらである事は言うまでも無いだろう。

宝塚の女優達が、野球賭博をやっていたとしたらどうだろうか、世間からとやかく言われる前に、様々なイベント・公演を中止するだろうし、強行したところで非難ごうごうで興業自体成り立ちそうもない。

そんな時に、伝統ある宝塚歌劇団は~なんて言ってたら、ぼこぼこにされてしまうに違いない。一般企業とて同じだ。会社の中で、一人二人ならともかく、一部とはいえ組織的に暴力団と関わっていたとなれば、言われなくたって業務どころではないだろう。

大相撲は、アマチュアのスポーツ大会ではない、金を取って興行するショウだ。そしてそのショウを興業するのが相撲協会であり、力士はその協会に属して給料をもらっている。だから高校野球のように無報酬で頑張るアマチュアとは、選手が属する団体のガバナンスの範囲が違うのは当たり前。

一生懸命頑張った甲子園球児が、無関係の生徒や部員の不祥事で、出場停止になるのは、不祥事を起こした人物と球児達には何ら自己の選択による関係性や共通の利潤追求の関係性が無いから、持ちようのない責任を負わされる理不尽さが付きまとう。

けれど、大相撲の力士達は、初めから相撲協会という興行団体を自分の意思で選択して所属し、そこで生計を立てているのだ。もしも興行中止では、野球賭博と無関係な力士がかわいそうというのならば、かわいそうでなくすれば良い。

つまり最低限度力士達にはちゃんと給料を払うのである。興行中止で相撲が出来ないのがつらいと言う力士がいたとするならば、それは、既に野球賭博に加担した力士は出場出来ようはずも無く、試合そのものがちゃんと成立してないのだから無い物ねだりだろう。

というか、そもそも、これだけの不祥事を起こしておいて、興行を続ける事を妥当だとする理由が見当たらない。先に述べたように、伝統云々というならば、既に暴力団との関わった時点で、内部から伝統をブチ壊してしまっている。これでは、伝統もへったくれも無いだろう。そして暴力団に屈することになるというのも、客観的根拠のない単なる屁理屈に過ぎない。

相撲協会は、ゴメンナサイを言いながら、未だ中止を決定してないようだが、世間の様子見ばかりしていて何も決断が出来ないようで、これでは内部からの自浄作用なんてとても期待できそうも無い。

ならば、少なくとも、公益法人は廃止すべきだろう。冒頭述べたように、人それぞれ様ざまな解釈は有ろうと思うけれど、名古屋場所興行を続けるに足る客観的理由が見つからない限りは興行中止くらい、自分で判断したらと思う。全く不可思議な公益法人とそれを取り巻く人々だ。

本日これにて、

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コメント

ひこぼし様、コメントありがとうございます。

そうなんですよ、国技でもないのに国技と言って、文科省始めどこも黙認して事実上、既成事実化してしまっているので、拙ブログでは国技(?)と?マーク入りでどこかに書いたと思います。

早いもん勝ちなんでしょうが、国技というなら剣道や、柔道の方じゃないかという気がします。古来よりショービジネスとしての成り立ちである相撲は、このへんの抜け目なさというかしたたかさがスゴイと思います。

別にこの事を非難しているのではなくてむしろ、褒めているのですが、それゆえに、今回の事件は先達の知恵を踏みにじるので、残念です。

投稿: ベンダソン | 2010/06/28 17:43

こんにちは

そもそもなんですが

相撲は"国技"では無いようです。

主催しているのが公益法人で、自ら国技と称しているのと
国技館と言う名称の建物で開催しているから
多くの人が思い込んでしまっているようです。

私もその一人でした。


1.暴力団の世界
2.政界
3.相撲界

共通する事

税金に群がっている。
(非課税も減税も恩典は同義とすれば)
そして、上からの順番で刑法犯罪の発生比率が高い


検挙されていない分も含めて、自分の知っている事や
関係者からの伝聞に基づきですが・・・

これからの予想

タップリの裏金や献金をして
理事長などの処分をして手打ち。

ただ世論の批判をかわすために
外部監察とかを創設して、そこに警察&検察らの
OBの新たな天下り先に指定して、監察は法務省の
理事長や理事の一部は文部科学省の天下り先になり
結局、食いものにされる先が、暴力団から官僚に
変わるだけだと
・・・予想します。


こんなに多額の内部留保の貯まっている公益法人を
みすみす手放すとは思えん。
解体したら、ある意味、民主は拍手されるかも。。

投稿: ひこぼし | 2010/06/28 14:51

やきとり様、コメントありがとうございます。

そうです、確かそんな名前だったような気がします。

やきとり様の解散してしまえと言うのは、一見乱暴に聞こえますが一理あると思います。ただし、本当に国技かどうかはともかくも、伝統有る行事(?)な事は間違いないので、大相撲自体は続けるべきだと思います。

ゆえに、今の相撲協会だけを解体して、もっとオープンな組織運営体制で出直すのも有りでしょうね。これが公益法人ではなく、単なるプロダクションならば、他人がとやかく口をはさむ事ではありませんが・・・。

投稿: ベンダソン | 2010/06/27 11:48

こんにちは。件の相撲記者は杉山邦博氏ですね。朝青龍のサッカー問題や暴行騒動の時も、先頭に立ってバッシングを繰り返した頭の悪い老人です。「暴力団の圧力に屈する」という物言いも、ナニを勘違いしたのか被害者のソレです。この老人が大好きな「品格」なる下品な言葉に照らし合わせれば、いますぐ大相撲協会は解散すべきだと思います。

投稿: やきとり | 2010/06/27 11:11

ぷにょ様、コメントありがとうございます。

ですが、本稿は論点とその前提を明確にしています。そこを理解いただけないコメントでは何を言いたいのか理解できず、疲れるだけですのでレスしかねますが、一度だけ。

継続云々の価値観はアナタの価値観、とは言えそれはそれでアリと、そしてそこを前提にしてはいない事は、本文にも相撲ジャーナリストの例として書きましたので、先ず理解してください。

次に、相撲協会はオリンピックにたとえるならば(前提が違うので例えた時点でアウトですが)、その中の一つの競技団体でしょう。しかも大相撲は、本文にも高校野球と違うプロの興行団体である事を明示しております。一競技のプロ興行団体の話なのに、それらと何の関係も無いしかも多数のアマチュアスポーツ団体を統括する組織と比較するのは、【論点のすり替】あるいは、【多義語の誤謬】といった論理学的に初歩の誤りで、詭弁と言われるものです。

先ずは最低限度の議論の基礎技法を身につけていただかないと、こちらは付き合い切れませんので、悪しからず。一度のみのレスとするのもそのためと、ご理解いただければ幸いです。

投稿: ベンダソン | 2010/06/26 22:39

継続は力なり
なにがあっても改善しながら継続することがそのアイデンティティーが歴史を越えて人々の間に存在する礎になっていくものです。
オリンピックで数々の選手が不正で失格になっていますがそれを理由に大会の中止を求めていたのであれば筋は通っていますけど、見たことないんですよね。特例であれば、その理由をお聞かせ願いたい。

投稿: ぷにょ | 2010/06/26 16:37

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