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2010/11/07

豊かな社会とは

中国に行って何に驚いたかと言えば、やはりその近代的なビル群だ。写真では見ていたけれど、高層アパートやビル群には圧倒された。コリャ土木建築関係はまだまだ仕事になりそうだわいと思った。

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それと、高級住宅にもたまげた。良い悪いは別にして、見たこちらが恥ずかしくなるほどの西洋コンプレックス丸出しだけど。日本もそうなんだよなあ。他人のフリ見てわがフリ直せと言うけれど、全くその通り。外国から来た人は日本の住宅地を見てどう思っただろうかと赤面してしまう。

ただし、日本では、ここまでモロ西洋コンプレックス丸出しは無くて、どっか日本的だとは思う。(とは言え、目くそ鼻くそか)

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最後に一寸だけ観光できたが、文化財や遺跡よりも、旧市街地の庶民生活の方が刺激的で面白かった。近代的ビルが立ち並び、日本の学生とほとんど変わらない学生生活をおくっていても、一度庶民の生活を見ると、とんでもなく汚くて、貧しい。

このギャップは衝撃的だ。かつてバブルの前、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われ、以降、急激に外国人が日本に出稼ぎに来だしたが、日本が豊かになったのはあくまでも為替レート上の話だ。実際に海外に行くと、例えば日本よりはるかに貧しいとされていたイタリアやスペインでも、圧倒的に日本より豊かな生活をしているし、そもそも社会資本の蓄積が、木と紙の家に住む日本とは比べ物にならないほど豊かで高質な事に驚いたものだった。

例えば、(最近ではさすがに海外でもあまり見かけなくなったが、買い物はレジ袋ではなく紙袋に入れていた。)紙袋の厚みが、日本とアメリカでは極端に違っていた。文化の違いと言えばそれまでだが、物量の豊かさを感じさせるものだった。

買い物袋ならば、買い物の重さが違うではないかと反論されそうだが、例えば純粋に紙の機能だけの場合でも同じ現象がある。図面がそれだ。アメリカのデザイン事務所や設計事務所と仕事をすると、彼らの図面は日本の図面の倍以上の厚みが有るのが常だ。要は全くケチってない。手紙もそうだ、アメリカから来る手紙はゴッツイ紙だけど、日本の航空便の便箋は透けて見える程薄かった。

紙の厚みを例に、生活の豊かさを表現してみたが、はたして皆様に伝わっただろうか。単純に西欧諸国に旅行してみれば分かる話を紙に例を取ってみただけ。要はちょっとしたところに心の余裕と言うかそういうものを感じてしまうのだ。

も一つ違う例を示そうか。タブン異論あろうかと思うが、ここは独断と偏見でぶちかましちゃおう。私は食文化の中でも食器や器への頓着の仕方に豊かさが現れていると思っている。貧しい国であれば、先ずは食う事が先決で、器や食器まで神経が行き渡らない、当然だ。礼節なんてのは衣食足りてから考える、当たり前だ。餓死こそ免れても、食うや食わずの生活では、やはり食いものに有りつける事が第一で、作法も見た目も関係ない。その先に多少余裕が出来ても食えりゃいい。

で、概してアジアの庶民の食文化はそうした傾向じゃなかろか。アジアの中で最も豊かな日本から見れば、どこの国の食器も貧相に見える。托鉢僧みたいな、あるいは囚人みたいなステンレスの器とか、何ともそっけない箸とか、文化と言われりゃそれまでだけど、プラスチックの食器なんかが普通に使われてたりすると貧しいなあと思ってしまう。

庶民の食いものに対してはデコレーションなんてのは腹の足しにはならないから、後回しだ。一番にそれを感じたのが、カップラーメンだ。日本ではフィルム包装してあるだけだが、外国に行くと、ボール紙の羽織見たいなカバーがしてある。全く無駄な包装だけど、何やらフィルム包装だけより高級感が有って、「食えりゃいい」から一歩進んだ豊かさを感じる。

(ちなみにロンドンで、その昔あまりの食事のまずさにカップラーメンを買ったら500円もしたから、これくらいの包装は当然かとも思ったが、一方、アメリカではそんな高価ではない。)

お持ち帰りのドギーパックも、日本だと屋台の縁日の焼きそばパックだけど、アメリカなんかではとんでもなく綺麗に包装してくれる店が有る。なんて言うのかなあ、食えりゃいいってカンジじゃあない。(てゆーか、そもそも、日本には食い残しを持ち帰る習慣が無いのが不思議で、この辺は単純に比較はできないが・・・・。)

TVドラマやニュースではアメリカのスラム街が映し出され、その貧しさがクローズアップされるけれど、それはアメリカの中で相対的に貧しいだけで、絶対的な生活水準を見れば、日本を始めとするアジア諸国の貧困層の生活と比べればはるかに上の水準だと思う。

つまり、西欧諸国を基準にすれば、GDPの数値がどうであろうとも、日本を含めまだまだアジアは貧しいと思うのだ。中国のGDPが世界第2位?ま、経済学的には大事件なんだろうが、そんなもん、日本も含めてその国だけを見て相対評価する基準に過ぎず、絶対的な豊かさの指標にはならない。

A国では、竹を100円で仕入れて箒を造って千円で売ったら900円の付加価値(収入)が得られるが、一個300円の肉まんを3つ買ったらおしまいだ。これじゃあ生活できないから、ひーひー働いてやっと箒を3個作ってGDP2700円ゲットだ。

でも、隣のB国では肉まんが1個10円だから、食いきれない。余った金でメロンも食えるし、ワインも飲める。箒一個でこれだからあくせく働く必要もあるまい。こちらのGDPは3分の一の900円だけど、はるかに豊かだ。

勿論事はこんなに単純ではないし、そもそも何をもって豊かかなんて言い出したら人それぞれの価値観の問題に入りこんで、訳が分からなくなるが、ここは単純に日常生活でリッチだと思うことと考えていただきたい。

とにかく、かつてバブルのころ日本人は皆大金持ちであるかのように言われたが、欧米先進国に行くと、いったい日本のどこが豊かなんだといつも不思議に思ったものだ。そしてこれは未だに不思議でならないが、お金が有る(と思い込んでる?)せいか、まだ使える物を平気で捨てる。

壊れてもいないラジカセやTV、車、とにかく何でも消費は美徳とばかり、あるいは節約はケチくさいとばかりに、次々と物を捨てて買い替える。だが、その割に住居は木と紙のペラペラでしかも悲しいほどに狭い(統計上日本の居住水準は欧米並みだが、空き家が含まれるから実態は狭い)。どう見たって豊かさとは程遠い生活なのに、金持ちのように振る舞い、物を捨てる、このギャップが未だに理解できない。

遠い昔の話だが、私はかつて働きながら学校へ行くためガードマンをやっていたが、ある工場の警備をしていた時、その工場敷地の中に社員寮が有った。社員寮と言っても住んでるのは工員一人だけ。4畳半一間の生活だ。

その四畳半の中に、超弩級のオーディオセットがデーンと鎮座し、1セット70万円のどでかいスピーカーがあった。同じオーディオマニアと言う事で意気投合し、何度かお邪魔したが、その工員は、ちょっと古くなったセットや、レコードを惜しげも無く捨てたり、二束三文で売り払ってた。

個人の趣味の世界なので、他人がとやかく口を挟むべき事ではないと思い知らん顔してたが、富の蓄積と言う観点から見ると、四畳半一間の生活とはギャップが有り過ぎて理解に苦しんだものだ。いくら趣味の世界とは言え、そんなことに大金を使うならば、もっと自分に投資するとか、将来に備えて貯蓄するとか考えないのか、ホント、趣味の部分だけ見れば金持ちのボンボンと同じ浪費をする事が不思議でならなかった。

同じ様に、かつて少しやんちゃな生活をしていた時、いわゆるヤーサンと一定の距離を置きながらお付き合いが有った。彼らの生活で不思議なのは、やたら羽振りが良くて、いつも札びらを切ってるのだけれど、その住まいはというと、結構オンボロの木賃アパートなのだ。

ヤーサンは見栄っ張りと言う事なんだろうが、実生活を見てしまうと、全然、見栄にもなってねーじゃんと思った。要するにアホかと。

以来、たいしてお金持でもないのに、まだ充分に使えるモノを平気で捨てる人を見ると、同じような違和感を感じてしまう。そんなに豊かなんだろうかとね。勿論、大きなお世話だから、心の中で思うだけだ。だけど、正直に言うと、すごくバカに見える。

たいした給料でもないのに、次々ブランド品を買いあさる。セレブ気分を味わうのかどうか知らないが、どう見たって分不相応で、悲しい。西欧諸国の市民生活と日本のそれを比べると、こうした悲しさを、いつも感じてしまうのだ。

ヨーロッパの日本よりはるかに国民一人当たりのGDPが少ない国の庶民生活は、高級ブランドを買えないかもしれないが、居住空間や街並みなどの実生活レベルがとても豊かだ。別に必ずしもモノが安いと言う訳でもない。

例えば、オックスフォード辺りに中古家具を売ってる店が有るとしよう。いくらアンチークといえども、極普通の家具で、虫が食ってたりする。が虫が食うくらいだから全てムクだ。で、さぞや安いかと言えば、これがジョーダンみたいに高くて、とても買う気になれない。

この辺はもう文化の違いだ。すごく質の高いモノを何代にも渡って使うのだろう。30万円の家具を3世代に渡って使えば1世代10万円だ。日本だと合半張り合わせの5万円の家具を1代で2回買い替える。同じ出費でも富の蓄積が結果として違ってくる。

同じように社会資本の蓄積がけた違いに違う。道路を例にとれば日本は安いアスファルト舗装で、年がら年中これをほじくり返しては、造り直している。方やかの国では、2000年前の石畳が延々と続いていたりする。

では日本のアスファルト舗装は本当に安いかと言えば、やたら見た目の規格精度が厳しくて無駄にコストが掛かっている。それでいて、どんなに綺麗に舗装しても、新たなインフラ埋設や更新の為にほじくり返して、つぎはぎだらけになってしまう。

原因は、都市人口の変化が激しいからだが、それにしても全体のコントロールや長期的な計画が無さ過ぎる。まさに四畳半に住みながら、小金で買えるモノだけは豊かで、ホイホイモノを買い換える生活の延長線上に、行政の政策もあるのだ。

現下の日本では、長期的な展望の必要性を皆口では唱えるが、実際には御題目に過ぎず、本当に長期的展望を唱える人の意見を誰も聞こうとはしない。このところの尖閣問題も、沖縄の基地問題も、長期的展望を唱える人がいても誰も聞かないし、取りざたされるのは、せいぜい1年のタームで、政局に利用するだけだ。

どんな事にも優先順位が有るはずだし、それが国政ともなればなおさらだろう。なのに優先順位の意識が政治家にもマスコミにも全く欠落しているように思えてならない。尖閣ビデオを例にとれば、優先順位は領土問題に対するガバナンスの維持が最上位のハズなのに、個人の責任論で誰かをとっちめる事に血眼になっている。バカかと思う。

目の前の現象に翻弄されてはきーきーわーわー騒ぐだけで、全く長期的展望も戦略も無い。こんなんじゃ、今から2500年も前に孫子の兵法が創られた国に勝てるハズが無い。竹島を実効支配されたように、尖閣が取られるのは時間の問題だろう。

そうした時、おそらくこの国の政治家や評論家達は、実効支配された事実の解決よりも机上の解釈に一生懸命だろう。曰く「尖閣は日本の領土である」とね。で、中国の漁船が漁をし、観光客が乗り込んで、何か日本は言ってるみたいだけどと、嘲笑されてオシマイだろう。

今日は日本社会における豊かさを、特に社会資本の蓄積を例に全体観や長期的展望の欠落を指摘してみたが、ご理解いただけただろうか。ハッキリ言うが日本が豊かだなんて思ってる人は相当にオメデタイ。ましてアジアはなおさらだ。

貧乏なんだから、見栄なんか張らずにモノを大事に、がめつく生きるべきなのだ、そしてそれは個人の延長にある国家も同じ。たとえ小さな島一つといえども、簡単に捨てるなよ、一度領土にしたならば、憲法を無視して全面戦争も辞さないくらいにがめつく外交すべきなのだ。

現に、日本の何倍もの国土を持つロシアは、火事場ドロボーのごとく手に入れた北方領土を、がっちり握って、ちょっとやそっとでは返さないではないか。がめつい事この上ない。繰り返すが、日本は貧しいのだ、金持ちだなんてトンデモナイ勘違いなのだよ。

ただし、マネー経済では、外に対しては金持ちなんだよねえ。かつて80年代は実体経済とマネー経済が91だったのが今や逆転して19だ。でもってトンデモナイ円高だから、この辺を利用してガッポリ日本は富を蓄積できるチャンスなんだけど、話が長くなるからまた別の機会に(要は日本はアジアのリーダーたれ)。本日これにて。

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