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2011/05/22

四方山話と学びの楽しさ

今日のお話は単なる雑談です。ま、気楽に読み飛ばしてくださいな。で、昨日、ある新聞社の記者さんとT大近くの居酒屋で飲んだくれた。選挙以来、何人かの記者さんは、どういう訳か私に関心を持った様子で、特に件の記者さんは熱心だ。で、そこでの会話で、選挙制度の在り方に議論が白熱した。

私は、今の選挙制度を不人気投票に換えるべきだと思う。候補者を人気投票で当選させるのではなく。最高裁判事の信任投票のように、こいつはダメと言う候補者を選ぶのだ。最高裁のそれと違うのは、有権者は従来の選挙と同様に1票を1人の候補者にしか投じられない事。

こいつだけは議員にすべきじゃないと思う議員に投票するのだ。そうすれば、議会を牛耳っている利権ズブズブの議員を落とす事が出来る。今の様な人気投票の選挙制度では、たとえ当選ギリギリの得票でも地縁血縁のドロドロ選挙で安定的に議員となっている古株議員が、地方議会を牛耳っている例が多いからだ。

こういう輩が議員をやってる限りは、絶対に民主主義は育たないし、地方政治の改革も不可能だ。

と言う話をしたら、記者さん曰く「まあ、こんな事絶対に他人に言っちゃまずいっすけど、その前に選挙権を制限すべきです。アホな奴には選挙権は無し。資格審査が必要だと思う」と。まあ、酒の勢いもあってだろうが、かなり危険な発言である事は本人も認めていたが、良く良く考えれば、一理あるなあとは思った次第。

さらに記者さん曰く、僕らはベンダソンさんの演説は理解できたけど、一般大衆は理解出来っこないですよ。あれだけ正当なやり方で、よくまああんなに票が取れた事はほとんど奇跡ですよ、と。

そして・・・、ハッキリ言って、有権者はバカです。当選する気が有るならば、次はもっとレベルを落とさなきゃ、とも。

へえ、そんな難しい話はしとらんけどね、だって話のレベルはTVのニュースれべるだよ、TVのニュースの表現は、世間の水準の少し上くらいでしょ、と私。

すると記者さん、確かに表現のレベルはその通りだけど、マスコミが扱う記事の内容は、ものすごく低次元ですよ、と。

で、思わず私は膝を打ち、おおーっ、キミはわかっとるねえと、つい乗ってしまった。

記者さん曰く、でしょ、だから、もっとレベルを落とさなきゃ、と。

とまあ、こんなやり取りが続いたのだけれど、結論を言うと、演説のレベルを落としてまで当選する必要はない。戦略として、低次元の有権者を取り込む必要は確かにあるけれど、それならばそこを切り離しそれなりのやり方を別途並行的に進めれば良い、と思った。

その旨話したら記者さんも納得したので、まあ、良しとしよう。いづれにしても、やっと取れた休日を使ってまで、国会ならいざ知らず、たかが地方議会の落選候補者を飲みに誘うなんて、なかなか見どころのある記者さんじゃわいと思った(単なるモノ好き?)。

いづれにしても、昨年から、自分が関わっている社会活動等を通じて、マスコミ各社の記者さんとの付き合いが少なからず出てきたが、TVにしても新聞にしても、それぞれ皆さん、実に熱心に深く取材をするのでたまげた。

拙ブログではマスゴミとして、散々にこきおろして来たマスコミなれば、これは見方を変えるべきかとも思うような事実だ。けれど、やっぱりマスコミはマスゴミだ。大変申し訳ないけれど、件の記者さんにもハッキリそう言ったら、だから報道の内容はレベルが低いと認めたでしょと、やり返された。

実際の記者諸氏の熱心な取材と、アウトプットされる記事とのギャップはなんなんだろうか。記者さんは、一応思った通りに記事を書くけれど、それがそのまま記事として出してもらえるかはデスク次第とのこと。

そりゃま、そうでしょ。では、上司といろんな話をしないのかと聞くと、どうもそうでもなさそう。散々こきおろしたマスコミではあるけれど、当事者はそれなりに悩んでいるのだなあと、思った。

結局のところそれが日本社会なんだろうか、皆がヘンと思ってはいても、急激に変えると上から潰されてしまうし、いつしか自分が上の立場になると、そうした熱い思いはどこへやら、組織の持つ雰囲気をDNAの如く無意識に身につけるのかもしれない。

それでも、おかしなことを変えようと言う気持ちが有れば、出来る範囲で少しづつ変えていけるのだろう。日本に求められる変革とはそういうレベルなのかもしれない・・・、なんて事はベンダソンは絶対に考えないと思ってきたが、正直なところ、それは場所によるなあと思うこのごろだ。

私は今、博士号を取るため、いい歳をして大学院に行っている。自分の仕事の分野に関する国家資格は最高レベルのモノを複数取得しているので、後は仕上げに博士号と言う訳だ。

博士後期課程なので、社会人枠ではなく一般枠だからいわゆる現役学生と全く一緒だ。で、こんなモノ好きは自分だけだろうと思っていたら、とんでもない、結構なオッサン、オバサンがウジャウジャいる。

いつの間にか日本もアメリカ並みになっていたようで、つい先日もあるパーティで、高名な元女性ニュースキャスターとお会いしたら、私よりはるかに年上にもかかわらず私と同じ大学でやはり博士課程にいるとのこと。

で、思ったのは、今まで仕事にしろ、地域の活動にしろ、日本社会では、出る杭は必ず打たれるかのように、足を引っ張られて来たが、学問の世界ではそれが皆無なのだ。教授達は勿論、学生達もだ。最高学府ゆえの余裕なんだろうか。

しょっちゅうパーティが有るが、或る時、「わしゃ、実は誰よりも自分が優秀で1番と思ってるんだけど」と、カマ掛けたら、「ハイ、実はボクもです。でも、ここに入るヤツらの半分は、自分が世界一だと思ってますよ」と。

だからなんだろうか、認める者は素直に認める。或る時、学術交流の一環で、海外演習に出かけた。お恥ずかしい限りだが、私は日常会程度なら何とかなるが、学術英会話となると全くダメ。そんなだから、学生達はなんとなく場違いなオッサンが混じってるなと思ってる様子が分かる。

で、実際に演習が始まり、命題に対する提案をする段になると、さすがに世界一の頭脳を自認する学生達も、的確なモノが出せないようだ。ところがそこは経験豊富な小生にとっては、お茶の子さいさい。いとも簡単に解決提案もプレゼン資料も出来る。

別に、自分が優れている訳ではなく、経験の蓄積から適宜必要な知識と技術を引っ張りだすだけなんだが、実戦経験の無い学生を驚かすには充分だったらしい。共同演習のディスカッションでは問題点をいくら指摘しても聞き入れなかった学生は、講評で私と全く同じ指摘を受けてギャフンとなって、翌日から全員の態度が変わった。

こういう事は、普通の日本の社会ではまず起こらないものだ。指摘を受けてギャフンとなると、負けを認めるより先に逆恨みされる事が多い。まして尊敬されるなんてことはまず無い。誰よりも優れた知見を示すと、教授も学生も皆が感心するが、こうした事も実社会では稀で、ライバルから足を引っ張られるものだ。

それ故に、最高レベルの学問の場は、スバラシイと思った次第。ゆえに先に述べたように、急な変革が可能な場がコレなんだと思う。

以前にも書いたような気がするが、学ぶのに遅すぎる事は無い。自分の歩んで来た道を今一度体系的に整理して、更なる高みに導くためには、やはりしかるべき場で学び直すのが手っ取り早い。是非皆さん、お勧めです!

ついでに言うと、私が学んでいる大学院の博士後期課程では、授業料は事実上タダだ。成績にもよるのだろうけれど、それなりの実績を示せば、年齢に関わらず様々な資金援助が給料としてもらえるからだ。学生なのに給料と言うのもなんだか変だが事実だ、だから金の心配はいらない。

そして。別に講義に出なければならないと言う事も無いので、或る程度時間の心配も不要だ。自主的に研究するだけなので通学の必要も無い。年に何回か、研究成果や過程を会議でプレゼンするだけだ。ただし誤算もあった、私はその世界では日本一の世界的な教授に師事しているが、実はこの研究室、会議も連絡メールも全部英語なのだ。これはタマラン、入った後に気が付いた。

と言う訳で、本日これまで。

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コメント

ベンダソンさま
お返事をたまわりありがとうございました。

私の学んだ学校があまりにも議論大好きな環境だったせいか、最近の社会に物足りなさを感じています。
論争しているようで、ただの言いっぱなしが大勢いるだけで、会話が成り立たないことがよくあります。
同じ日本語を話しているのに、何故通じないかという疑問は数年前から感じていましたが、最近特に酷くなったように思います。

犯人の話、確かに罪に問われるのは一人なのですが、最近は何でもかんでもその人のせいにすればいいやとばかりに、あることないこと取り混ぜて一人を血祭りにあげる傾向があるように思うのです。全人的に否定するとでもいいましょうか。
文革やポル・ポト政権下の粛正のように見えます。
金持ちが非難の的になるのも似ています。

この国はいったい何なのか、私にはさっぱりわかりません。

投稿: 高橋元子 | 2011/05/26 16:51

高橋元子様、コメントありがとうございます。
(5/16コメント欄からの続き)
>ひたむきに学ぶ学生さんは、切磋琢磨の意味で叩き合いをしますが、世間のは八つ当たりでぼこぼこにして憂さ晴らしなので進歩がありません。

⇒全くその通りです。そして全ては有りませんが、そうした動機には「そんなことをして誰が得するのだろう」との疑問が有り、⇒「不満」⇒「そうはさせるか」と繋がるのかもしれません。しかし、それで(そう思う本人の)事態は何ら変わりません。それどころか世の中が住みにくくなるだけで、結局は自分に返ってくるだけです。

なので、私も人を羨んだりは勿論しますが、ねたむよりも、自分をうらやましがられる状況になるよう努力します。それゆえ、私は頭の良い人間が何よりうらやましくて、バカを少しでも直そうと、遅ればせながら、いい歳して大学院に行ってる次第です。

投稿: ベンダソン | 2011/05/24 09:33

楽しそうで何よりです。
経験に基づく話には説得力があるから、おもしろく感じるのでしょう。

しかし世の中の人たちは何かをすることに疲れきって、聞く耳を持ちません。それで聞きたくない、受け入れられないという意思表示を罵倒とか場違いな評価、論理のすり替えなどで表すのでしょう。
わからないならわからないと言って保留にしておけばいいのに。

ひたむきに学ぶ学生さんは、切磋琢磨の意味で叩き合いをしますが、世間のは八つ当たりでぼこぼこにして憂さ晴らしなので進歩がありません。

投稿: 高橋元子 | 2011/05/24 03:02

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