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2011/08/14

ベクレルとベクレルの話し

今日のお話は、太陽光発電の原理を発見したアレクサンドル・エドモン・ベクレルと、放射線を発見したアントワーヌ・アンリ・ベクレルのお話だ。この二人は親子で、アレクサンドルの息子がアントワーヌなのだ。

アントワーヌはノーベル賞を受賞しているので、世間的には息子のほうが有名かもしれないし、今や放射線量示す単位ベクレルとして毎日耳にするから、この名前自体は知らぬ人はいないかもしれない。でも私のように太陽光発電に関心有る者にとっては、オヤジさんの方がなじみ深い。

面白いのは、原発事故によって今や対極に位置すると思われるこの原子力と太陽光のエネルギーのキモの部分に、このベクレル親子がいるという事。両エネルギーの研究にはほとんど何の脈絡も無いから尚更、スゲーと思った次第。

父さんベクレルが太陽光発電の原理を発見したのは、1839年、ノーベル賞は1901年~だから、当時ノーベル賞が有れば親子でダブル受賞していたことだろう。スゲー!

とは言え、こんな事、小生は昔から知っていたわけではない。原発以来やたら耳にするベクレルってあのベクレル?って思って、ウィキペディアで調べたにわか知識だ(自爆)。正直なところ息子ベクレルが放射線を発見したなんて全く知らなかったし、放射線と言えばキュリー夫人だと思っていたのだよ。

そもそも父さんベクレルにしたって知らなかった。あらゆる再生可能エネルギーについての可能性を調査研究するうちに、太陽光のエネルギー腑存量に着目し、その無限の可能性に気が付いてからだ。

ちなみに私の計算では、日本の産業・民生・運輸全部門全ての年間消費エネルギーを太陽光発電でまかなえるか試算してみたら、国土の1割の面積の太陽光パネルで可能な事が分かった。実は日本の国土には25万平方キロメートルの未利用地が有り、その僅か15パーセントなのだ。しかもこの計算は理論値ではなく、過去の実測値に基づいたものなので、もっと少ない面積で出来る可能性大だ。

こうした話し、うっかり話すと、直ぐに飛びついて、しったかで話す人がいて、数値だけが独り歩きするので、まあ、この辺で止めておくが、太陽光発電には現実的に無限の可能性が有るのは間違いない。その根拠もあるので今、真面目に出版を考えているところだ。

それはさておき、太陽光発電の原理が1839年に発見されていたなんてことに、皆さんビックリされたことだろう。つい最近の発見では無いのだ。但し実用化技術はつい最近の事で、1950年代半ばにベル研究所にて開発された単結晶シリコン型太陽電池が最初だ。

もっと正確に言うと、20世紀初めから、セレン光電池として1960年代までカメラの露出計などに広く応用されていたが、電力として使えるものは、このベル研究所以来と言ってよいだろう。

とはいえ、ベル研究所の太陽電池は高価で、人工衛星などの金に糸目を付けない場所で利用されていた。私は現実の市民生活に普及させたのはシャープではないかと思っている。

実際数年前までは、シャープが世界一のシェアを占めていたが、今や国家政策のミスで、年間の生産量では、ドイツのQセルズ、アメリカのファーストソーラー、中国のサンテックパワーに負けているし、国別の生産量でも、中国がトップだ。

これは技術の差では無く、政策の差だと思う。それと細かい部分では、カドミウムの毒性を嫌う、イメージに弱い国民性によるところもあると思っている。

政策の差については今更言うまでも無いだろうが、再生可能エネルギー法案が通過することでだいぶ失地回復出来るのではないだろうか。一方、カドミウムと言う単語に反応する風評については、これはもう民族性とも言うべき性癖で、解決策は無く、どーしようもないと思う。

中国やアメリカでは安いカドミウム系の太陽電池を生産しているが、日本では全メーカーが風評を恐れて撤退しているからだ。まあ、カドミウム系より安い太陽電池を開発するしかないだろう。

実際薄膜によって、超長寿命化が図られることで、それは可能ではないかと思う。

ところで、太陽光発電、太陽光パネル、太陽電池といろんないい方が有るが、皆同じだ、太陽電池と言っても別に電気を溜める訳ではない、ベル研究所時代からの言い方を継承しているだけで(タブン?)、本稿でも、メンドクサイので一番短いこの言い方で表現しているだけだ。

もっと短い言い方ではPVと言う表現が有るが、説明がメンドクサイのと専門用語っぽいからやめとく。

でだ、この太陽電池については、未だに世間の理解が薄いなあと思う事が少なからずある。とにかく、何を根拠にしているのか、新しい事には何でも否定的で、先ず否定から始まるのだ。

曇りの日はどうする、雪国ではどうする、エネルギー全部はまかなえない、コストが合わない等々、バッカじゃねーのと言いたい。コスト?そんな事言ってるのは日本人だけでっせ。コストが合わなければ何でメガソーラーを造るのか。

原発のコストが安い?確かに見た目は安いだろう。払うべき保障、危機管理に金を使わず、払うべきコストを税に置き換えてるだけではないか。だがそれは払うべき借金を踏み倒した様なものだ。そんなやり方が通るならどんな設備投資も超低コストになる。

どういう訳か、太陽光発電の話しだけ皆さん補助金云々と言うが、原発やその他は実質的にトンデモナイ補助を受けてるのでは?

それと、そうした事を除いても、実際既にファーストソーラーは1W1ドルを実現しドイツの発電所に売っているのだ。それから曇りの日?って、いかに雨が多い日本といえども何日も太陽を拝めないなんて日は梅雨時期でもないのでは?

そもそも、今すぐ全エネルギーを転化するならともかく何言ってんだと思う。当面は系統電力と併用でしょうに。人類が本気で考えるというような土俵で考えるならば、世界中の送電網をつなげれば、そんな問題本質的に起こり得ない。

それと、太陽光発電では全部のエネルギーはまかなえないなんて話はもう論外だ、地球に降り注ぐ凄まじい太陽エネルギーの基礎を勉強してから言ってよと言いたい。電気では出来ない事ならいざ知らず、エネルギーの腑存量に関しては充分なのだ。

さてと、太陽光エネルギーの話を続けていくと、学術的になってしまうから、この辺でやめとくが、今、原発事故のおかげで、太陽電池に注目が集まっているのは皆さん、ご存知の通りだ。そして、毎日のようにシーベルトだのベクレルと言う言葉を耳にする。

だが、放射線も、その対極のクリーンエネルギーとして注目される太陽電池も、共にベクレル親子に発見されたのは、何とも因縁めいていて興味が涌く話ではあるまいか。と言うわけ。

実は本日こんな話を書くつもりは無くて、放射能汚染問題で、不思議だなあと思うこの国の人々の反応について書こうと思っていたら、イントロが長くなってしまったのだ。と言う訳で本題はまた改めて・・・。では本日これにて、

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コメント

ベクレルって人の名前だったんですね。
こんなレベルの私です。

時計なぞについているソーラーバッテリーは蛍光灯の光でもOKと聞きました。
使いようによりますが、永久機関みたいになる可能性もありそうですね。

政策が足を引っ張る理由は政治家センセイが素人の癖にああだこうだ口を挟むからです。
あんな素人集団に多額の税金費やす国民も国民です。
それはそれでゴミ箱の脇においといて、

私は太陽光発電が先に発明されたことに、目が行きました。
ノーベル賞を取っていたら、いまの世の中、既に太陽光主流だったかもしれない、と。
結局、賞を取ったというだけでみんなの注目が集まるのは、いずこも同じ、と断ずるのは暴論でしょうか。

内閣総理大臣賞を受賞したお茶は添加物たっぷりで栽培された不自然な味のものだ、とお茶屋のご亭主がおっしゃっていました。

ノーベル賞が内閣総理大臣賞みたいな素人審査ではないと思いますが、なんとなく関連付けて考えてしまいます。

内閣総理大臣賞を受賞したお茶、鹿児島県産らしいですが、鹿児島県はお茶への肥料使用制限が無い県らしいです。
同じく有明産海苔も。

投稿: 高橋元子 | 2011/08/22 14:27

管原様、コメントありがとうございます。

ご紹介いただいた技術も含め、様々な試み、理論が、今太陽光発電分野では盛んです。

かつての日本はモノマネ大国と言われていましたが、世界に追い付いてからは独自の技術開発にしのぎを削り、生産技術に限らず基礎技術でも世界のトップランナーとなりましたが、残念なことに、政策の無策や風評が足を引っ張っているのが現状ですね。

投稿: ベンダソン | 2011/08/15 11:23

原発事故の一件以来、チラホラと様々な技術が出てきていますが、最も興味を引くのが宇宙空間からのレーザー光による発電です。

福井大大学院の金辺忠准教授(工学研究科)が、 宇宙空間で太陽光を効率的にレーザー光に変え、地上に送る装置の研究を宇宙航空研究開発機(JAXA)と共同で進めている。

装置が完成すれば、地上で受け取った光で発電し、
原発1基分にあたる約100万キロ・ワットをまかなえるという。

とのこと。
太陽光もそうですが、昔読んだ本で、核融合研究に関しては日本のお家芸だったと思います。

投稿: 管原 | 2011/08/15 09:23

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