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2012/08/23

「人望」の落とし穴

人物評価においては、他人の評価、特にあの人は素晴らしいなんていう相対評価は、ほとんどあてにならない。基本は自分の判断だと思う。例えばよく、あの人は人望がある、と言う話を聞くが、スリの世界で人望があるのは、トンデモ無い犯罪者なのである。

 

悪党に人望あっても、意味が無いから人望の中身が大事だ。とはいえ、ヤクザならいざ知らず、一般社会では、なかなかそんな中身は分かりにくい。よく社風とか地域性と言われるが、会社や地域全体がイカレテいる事はままあり、その中にどっぷり浸かって生活している人には、自分達がイカレテいる事など思いもよらない。

 

実際問題、会社や地域全体が悪に染まっている事は有るのだ。分かり易い例では、談合だ、公共調達における談合は違法だが、それを必要悪とかなんとか言って正当化する社会なり会社は少なからずある。だがどんな理屈をたてようと、法に違反する行為は悪なのだ。

 

こういう社会にどっぷりつかってしまった人には、いくら違法行為だと言ったところで、通じない。ましてそうした社会において人望がある人にはなおさらだ。実際のところ、たとえば埼玉県の蓮田市では議員たちが平気で、談合の必要性を公言している。

 

選挙と言う手続きを経て議員になっているわけだから、ある種地域社会の人望を得ていることになるわけだ。そして実際にもそうした議員を選んだ地域社会の住民たちは、談合必要論をそうだそうだとうなづくのであるから、地域社会自体に法を守るなんて概念は端からなく、「皆が」こう考える・行動することが基準となっている。その「皆」とは、自分達に見える範囲の地域社会なのだ。

 

こうした違法行為を正当化する地域社会の人望なんて、あればあるほど悪党の代表という事であり、人望は無い方が善人となる。だから人望なんて価値指標は、実に危ういどころか、真逆な事が多いものだ。

 

かなり以前、ある新興宗教の集まりに行ってみたら、○○先生は素晴らしい!とみな歓喜の涙を流していた。だが、どう見ても、○○先生が具体的にどうスバラシイのかは一切なく、皆が○○先生はスバラシイ!!!と感激しているから、スバラシイのだと言う風にしか見えなかった。

 

揚句には、信仰することで○○先生にお会いすることが出来ましたア!と、歓喜の涙を流すのだ。おいおい、それじゃあ手段が目的化してるじゃないか。

 

つまり、「皆が、○○先生はスバラシイと感激している」部分を取り除くと、何も残らないのだ。それなのに、何故、皆こんなに感動しているのだろうと、不可解だった。

 

ところで、拙ブログ読者の皆様方は、ほとんどが、暴走族とか、いわゆる不良とは無縁の方々ばかりではないだろうか。しかし私は、実のところ若かりし頃落ちこぼれで、毎夜ディスコ(=古い!)で遊び呆け、そうした連中とディープなつき合いをしていたのだ。

 

経験から言えば、彼らは2極化していて、単純に男らしい硬派もいるが、大半は情けないほどに思考力が欠落したバカばっかりだった。どれくらいバカかと言うと、彼らの喜怒哀楽は自分の心の内から湧き出てくるものではなく、オマエこういう時は怒れとか、こういう時は泣け、喜べと、教えられ、外からコントロールされ、その通りに反応するのだ。

 

だからどうでも良いことに本気で怒り、冗談抜きで人さえも殺しかねない。こういうアホどもと付き合ってみて、思い出したのは件の宗教団体だった。なんだ根っこは同じジャン。共通するのは根拠となる「○○だから」の部分が抜けた「みんながこう思う」から「お前も思え」と言う理屈で、それに何の疑いもなく従い、それを自分の感情や考えだと錯覚するのだ。

 

皆が思っても、価値を認めても、それはその皆がそう思うだけで、自分もそう思うほどの価値が有るかどうかは分からないのは、先のスリの人望の例に示した通りだ。ではその皆の規模が、スリ集団とか地域を超えて、国全体になったらどうだろうか。

 

私はやはり同じだと思う。国全体がAさんは素晴らしいと絶賛しようが、Aさんは悪党だとののしろうが、具体的にAさんが何を言い、どう行動しているのかを、自分のアタマで見極める必要がある、そうじゃなかったら、落ちこぼれのアホや、マインドコントロールされた信者と同じではないか。「皆」の規模なんて関係ない。

 

もし「皆が言ってる」から正しいとするならば、いまだに太陽は地球の周りを回ってるし、海の果てに行ったら落っこちてしまうのだ。何故こんな事を書いたかと言えば、今の日本は「皆が言ってる」に騙され過ぎていると思うからだ。

 

TV新聞によって「皆が思っている」が演出され、いとも簡単に信じてしまうが、本当に根拠がある事なのか、人物評も、出来事評価も、よ~く考えなければならないと思う。具体的には、政治家の評価やナショナリズムに関連する問題には特に、冷静な自分の判断が必要だ。こうしたことに、いかにマインドコントロールが多いことかは、冷静に冷めた目で見れば分かるはずなのだ。

 

人物評でいえば、小沢一郎氏への悪評がその最たるものだろう。小沢=悪で凝り固まった人々には何を言っても通じないし、そのマインドコントロールを解くのは容易ではなさそうだ。ナショナリズムに関しては、余り言うと身の危険があるので、止めておくが、言える事は、日本人の心とか、原点なんて話になるとアブナイ、それにちゃんとした根拠があるのか、どうか見極めていただきたいと思う。

本日これにて

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