冤罪を暴く犯人はヒーローか悪党か
この事件、犯人からの犯行声明が無ければ、冤罪のままだったわけだ。でっち上げの自白に対して、司法当局は「なぜ?」と困惑していると別の記事で読んだが、あきれてものが言えない。
犯罪を取り締まる側が、人を罪に陥れても罪の意識を感じないとは・・・、ならば、これを暴いた犯人はヒーローではないか。犯人の目的が無関係の人を陥れる事ならば、犯行声明を出す必要はない、知らん顔をしていればさらに多くの人を陥れられたからだ。
今のところ冤罪は4人とのことだが、これとてどこまで本当の事か。
これまで自白調書による冤罪疑惑事件が数多く指摘されてきたが、いづれも確実な事実がほとんど証明されてなかった。それは真犯人が名乗り上げる事は無く、ごくまれに後日真犯人が別件で逮捕され自白した場合に限られていたからだ。
ところが今回の事件は、モロに真犯人が本人しか知りえない細部を述べて犯行声明を出しているから、冤罪は疑いの余地は無い。これだけ明白な冤罪で、自白調書で有罪となると、これは、実は大事件なんじゃないか。
だから、杓子定規に真犯人を非難する気にはなれない。小沢事件に関するインチキもウヤムヤになってしまったし、警察・検察のインチキを暴くには、これしか方法が無かったように思う。もちろん全ての警察・検察官がインチキとは思わない。日夜地のにじむ努力をしている人がほとんどかもしれない。
であればなおさらインチキは自らを貶めるから、ここらで自浄作用が働かなければオカシイ。いい加減自白調書を証拠とするは止めたらどうだと思う。
自ら白状したことが証拠となるのは本人が認めたからだろう。自分の意思で自己責任において私がやりましたと言うからだが、当然に自分の意志ではない自白は自白とは言わないはず。なのに、本人がいくら自分の意意思で否定しても、密室で造られた調書の方を証拠としてしまう今の裁判制度はどう考えたってオカシイ。
これでは、裁判が、犯罪を暴き裁く事が目的ではなく、裁判を効率的に「作業」することが目的なんだと言わざるを得ない。
でも、マスコミの取り上げ方を見ていると、こうしたところには何故か論点が行かない。本来ならば、マスコミは自白調書のでっち上げをもっと問題視すべきなんだが、マスコミは警察や検察とケンカしたくないからだう、記者クラブに限らずマスコミと検察・警察権力との癒着構造だ。
だから、この真犯人のやった事は法的には肯定できないけれど、もっと大きく、そもそもの司法制度の在り方を考える観点で見れば、司法の問題点を白日の下に晒したヒーローに見えてしまう。
おそらく判断が分かれるのは、何に焦点を当てるかだろう。冤罪で捕まった人の視点に立てば、そもそも新犯人がこんなことしなければ自分が冤罪になる事もなかっただろうし、法の執行を杓子定規に考える人には何を言って無駄だろう、あるいは警察検察の内部にいて、取り調べる事を業としている人も同じかもしれない。
とは言っても、この真犯人の真の動機はわからないので、愛国無罪などと言う気はないが、もし自白調書偏重による冤罪を暴こう、あるいは改善しようとしたとき、他にどんな方法があるのだろうか。検察・警察はウソをつかない、人を罪に陥れない、との前提に立つ限り、何を言っても無駄だからだ。
要はどこに焦点を当てるかだ。私の視点は、「自白調書による冤罪でっち上げを、どうすれば無くせるか」だ。爆弾を取り除くためスピード違反をし、途中で人とも接触した者にたいして、「爆弾の排除」を見るか見ないかだろう。
本日これにて
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