言ってることもやってることもオカシイ田中大臣
聞いた瞬間、誰もが納得し、モットモだと思う話も、よく考えると、はて?ホンマかいなと思う事がある。例えば田中大臣が問題提起した大学の乱立が大学生の質を下げたという話なんかその典型だ。
聞いた瞬間はそうだなあと思うし、世の評論家諸氏も口をそろえて、田中大臣のやってることはオカシイが言ってることは正しいと言うもんだから、それで、てっきり正しいと思い込んでしまった。
けれどよく考えると、全然話の筋が通ってない。そもそも大学の質ってなんだ?学生の事?それとも大学の事?
もし学生の事なら、仮にA大学(偏差値70)、B大学(偏差値60)C大学(偏差値50)、D大学(偏差値40)の大学があったとして、大学の総数が、偏差値にいったいどう影響するのだろうか。
例えば受験生が100万人の場合と50万人の場合を比べたら、1万人に一人の頭脳は前者の場合100人いるけれど、後者の場合は50人となるから、トップ100人を受け入れるA大学のレベルは、確実に受験生総数の影響を受けるだろう。でもA大学のようなトップレベルの大学の相対評価(ランク)は変わらないから受験生数に影響を受けない。これを受験する側から見れば、大学の総数は何の関係もない。
これ、ランクが下がったB大学も基本的に同じだ、影響があるのは定員割れするようなC大学とかD大学レベルだろう。定員割れして絶対的合格基準を設けなければ、どんなバカでも合格するから、際限なく大学のレベルは下がるだろう。
だがこれは大学のせいではない、入ってくる学生の質の問題だ。ではその学生の質が大学生のレベルを下げていると言えるだろうか。学生の素質をもって大学の質と言うのなら、単に受験生の偏差値を上げれば良いだけのことだから、法律で受験資格試験を定めれば良いだけの事だ。
高校卒業しても、偏差値50以下の学生は受験できなくしてしまえば、絶対に偏差値50以下の学生はいなくなる。その代わり勉強したくても基準以下の学生は門戸を閉じられてしまうが、それでいいのか?だ。いいわけが無い!
だんだんメンドクサクなってきた。要するに門戸を狭めれば少数精鋭になって見た目の偏差値レベルは上がるけれど、勉学の機会を奪われた学生の分だけ国全体の教育水準は間違いなく下がる事は、どなたさんも理解できるだろう。
一方、大学生の質ではなく、大学の質を言うならば、大学を競争させなければ良くならない。受験生よりも大学が少なければどんなにひどい大学にも学生は集まるが、定員割れする状態ならば、ダメな大学は淘汰されるのは当たり前だろう。
結論を言えば、田中大臣が言ってる大学の乱立を押さえるべきとの主張は、単に既存大学の既得権益を守る保護政策に過ぎず、学びたい学生の就学機会を奪うだけじゃないのか?、一見モットモであるかのように評論家が言うもんだから、田中大臣の言ってることは一般論として正しいと思ってしまうが、実は言ってることもやってることも全然筋が通ってないと思う。
本日これにて
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コメント
○ひまじん様、コメント有難うございます。
そうですね、たぶんそうなんだろうと思います。でも、その辺の主婦ならともかく、一国の大臣なんですから、それならそれなりの説明と、そのことに対する真摯な議論に基く政策論が無ければ話になりませんね。
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○はせじん様、コメント有難うございます。
全くその通りです。
That's what I say!
100パーセント同感です。
投稿: ベンダソン | 2012/11/25 09:16
問題は政治家はどう言う考えで行動したのか説明がないことです。行動に多少問題があっても、考え方に問題がなければ良い教訓ともなるでしょう。
ただしこの場合、政治家には説明できるスキルが必要です。ちゃんと議論できるスキルが必要なのです。
残念ですが、選挙になると表面上の政策ばかりで他の党との区別がつきません。
これらを許しているのは国民に選ぶ(評価する)スキルが無いからでしょう。対策は議論する文化を取り入れることしかないと思います。
投稿: はぜじん | 2012/11/24 10:55
大学や大学生の質がどうのこうのではなく、補助金が無駄に使われていると田中大臣は言いたいのではないでしょうか。補助金が無ければ、自治体も大学をわざわざ誘致しないでしょうし、経営の保障も無く市立大学ができることも無いでしょう。
投稿: ひまじん | 2012/11/10 09:15