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2014/03/09

学術論文的に日常を考えると

イイ歳こいて、私は今某大学院の博士後期課程にいる。仕事をしながらなのでタイヘンと言っちゃタイヘンだけど、自分の専門領域で論文を書くので実はそうでもない(たぶん?)・・・、と言いながら、もう何年もいるので、そろそろ終わりにしなくては。それはさておき・・・、

 

一昨日の夜聞いた講義は、学術論文の書き方に関するもので大変興味深いものだったが(今更?・・・恥)、普段自分が考えている事とも合致することばかりなのでストンと頭の中に入っていった。学術論文と言うと何やらアカデミックな感じがするが、物心ついてから今日まで、身の回りの議論を聞いていていつもイラついていたことを体系的に整理してもらったと言う感じだった。で、早速練習を兼ねてこれを日常に当てはめて考えてみようと思う。

 

今言ったように物心ついてから今日まで、身の回りで起きている議論には常に論点不明なものが多いように思う。意見が対立してる場合は特にそうだ。こうした場合自分の意見に固執している人が多く、答えが先にあって後から理屈をつけているようだ。だからある側面から場当たり的に答えに繋がる理屈をたてるけど、違う側面から見れば全く矛盾してしまう。

 

原発の是非についての議論を見ていると、正にこの典型だと思う。そもそも便宜的に「原発の是非」と言ったが、これでは漠としすぎていて論点が不明だ。何を目的としての議論なのか、その共通の評価の基準となる観点なり目的が明示されなければ議論自体成立しない。

 

例えば、安全性? 日本の経済発展? 隠れた論点では国防?

 

これでもまだ漠としているが、とりあえず論を進めれば、どの論点を取ってみても、価値判断の基準は皆さん共通しているだろう。例えば安全性っていったい何だと言う議論はあるにしても、安全性を確保しなければならないと言う点は万民共通だろう。なので最低限、これくらいは共通の価値観として議論すべきだと思う。当然価値観が共通しないなら共通するところまで掘り下げないと、議論にはならないはず。

 

もし安全性の話をしているのに安全性は不要だと言う人がいれば、その時点で安全性の話を否定しているし、コトバ自体が理解できない人なので相手にする必要もないだろう。念のため少し補足すると、もし原発に関して「安全性」を論点に議論するとしたら、「安全」の定義を明らかにしたうえで、「安全性を確保するためにはどうすべきか、どうあるべきかを議論する事」と言う意味で、これをいちいち言うのは言葉や議論の経済性を損なうから略して言ってるに過ぎないからだ。

 

日本の経済発展?これもしかり、経済を発展させるためにはどうあるべきかが、共通の価値判断なので、経済は発展しなくても良いと言う人は議論の土俵に乗ってないから退場し、別の場所で幸せとは何かと言うような論点を設定すれば良いだろう。

 

国防? これも同じだ。国防は必要と言うのが議論の共通した価値判断なので、国防不要なんて言う人は退場いただき、国防の定義なり明らかにして議論すれば良い。

 

さて、学術の世界ならともかく、日常の生活で、価値指標が完全に一致するまで論点を細分化していくと、なかなか議論が始まらないだろう。そもそも言葉や議論の経済性も損なってしまい、木ばかり見て森を見失いかねないから、大きく全体を俯瞰しながら議論をしなければならない。それゆえ、ある程度大きな括りで論点を定め、意見が対立した時に、何で対立してるのかを細かく検証すれば良いと思う。それをしない、あるいは出来ないなら、独り言の言い合い合戦となり、議論自体全く無駄な時間だ。

 

但し、こうした不毛な議論も傍で聞いてる分には暇つぶしにはなるし、岡目八目で矛盾点に気付いたり、部分的になるほどと思う事もあるだろう。そうした場合、他人の意見の結論を信じるのではなく、結論に至る思考のプロセスを参考にすべきだと思う。

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