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2014/03/29

袴田事件は明日の我が身

東京高裁は袴田巌さん(78)の釈放を認めた静岡地裁決定に対する検察側の抗告を棄却したという。再審の結果を待たなければ袴田さんが無罪かどうかは分からないが、少なくとも司直による証拠捏造が明らかになっているのだ。このことは、支援団体が主張しているのではなく司法がそう判断したのだから、それでも抗告をすると言うからには、司法の判断が間違っているという事だろう。ならば、検察側は、棄却されても何故抗告したのか、その判断を誰がしたのかを明らかにしてほしい。

 

これに対して静岡地裁の裁判官の勇気と正義感には脱帽する、実態はともかく、こういう裁判官がいるという事は光明だ、日本の司法も捨てたもんではないなあと思う。おそらく地方の家裁にでも飛ばされてしまうのだろう、この裁判官が悲劇のヒーローとならないよう、我々国民が今後の成り行きに注目していく必要があるだろう。

 

日本は、確かに豊かになって一見自由で安全な国に見えるが、社会主義国家として統制され、今なお官憲の力が絶大であり、権力側にいてもその闇の暴力から逃れられない事は、現厚労大臣村木厚子氏の冤罪事件でも明らかだろう。権力側にいてさえもこういう仕打ちを受けるのだから、誰もが当局を恐れて口をつぐんでしまう、このことは証拠捏造という法治国家の根幹を揺るがす大事件にも拘らず、マスコミはじめ世間がそれほど騒がない事に象徴されている。

 

なによりこれを読んでいるアナタも、心の中では、いい気になってこの人こんなこと書いていて大丈夫かと思っている事だろう。大半の人は、一見平和につつがなく人生を送っているが、心の奥底では警察・検察に目をつけられたらオシマイと思って暮らしているのではと思う。

 

この状態は「死」を考えるに似ている。重病とか、事故にあったりしたら「死」を意識するものの、常には「死」を考えたりはしないし意識もしないが、ぼんやりと誰もがいつかは死ぬと理解している。日本の警察・検察への意識はこういう感じだと思う。

 

普通に暮らしていれば、私たちは刑事事件とは無縁だから、被告になる事は勿論、被害者になる事もイメージし難い。だが私には忘れられない体験があって冤罪を身近に感じたことがある。それは私がまだ若かりし頃の事だった。

 

交差点を一時停止したうえ、左の親子連れが気になったので常よりも徐行して左折し暫く走行した後、バイクに乗ったおまわりさんが左から並走してきて、この先の交番まで来てくれと言う。何だろうと思ってついて行くと、いきなり一時停止違反したからキップを切ると言う。

 

1km以上手前の事らしく、いったい何のことか何処での事かも分からなかったが、逆らえば何時間でもここから出ていけないぞ、ほんの数千円の罰金で済むんだからサインせよと言う。まだ世間知らずだった私は、どうしても約束の時間に行かなければ多くの人に迷惑をかけてしまうのでサインしてしまったが、この状況って、最近よく聞く痴漢冤罪事件の取り調べとそっくりだと思い、悔しい記憶がよみがえってくるのだ。

 

このとき、ああ警察って、罪を平気で捏造するんだと身をもって知らされた。今ならば言い返せる自信があるが当時は、まだ世間知らず故、簡単に彼らの手中に落ちてしまった。ケースは様々だろうが似た体験をした人は少なからずいるのではないだろうか。私の場合は、サインしても罰金数千円程度の他愛ないものだったが、これが殺人事件だったのが袴田巌さんの場合ではないだろうか。

 

受けた被害は天と地、比較にならないほど違うが、冤罪の構図は同じだ。私は15年前に一度だけ駐車違反をしたが、それ以外無事故無違反なので、交通取り締まりとは全く無縁だが、近所の踏切での警察の姑息な取り締まりが却って交通を妨げ危険な状態を創っているのを目にするたび、やっぱり警察は罪を取り締まるのではなく、創るのがショーバイなんだなあと思ってしまう。

 

そしてこうした、警察・検察の批判をネットでした場合、ブログではアクセス数がドーンと増えるが、実名が晒されるフェイスブックでは、ほとんど「いいね」が押されることが無い。全く同じことを書いていても匿名と実名でこうも反応が違うという事は、先に述べたように皆、心の奥底では警察・検察に目をつけられたくないと言う思いがあるからではないか。

 

天下国家を憂いて勇ましい事をフェイスブックに書いている方々を多く目にするが、その割には警察・検察の犯罪には目を向けようとはしない。別にむやみやたらと体制批判・権力批判をせよと言うのではないのだ、秩序ある国家として我々が安心して暮らせる社会を目指すならば、報復を受けそうにない弱い集団や遠い国の悪口を言ったりして溜飲を下げて何になるの?本当に天下国家を考えてるなら、こんな国家の秩序を根底から危うくする警察・検察の犯罪に何故黙っているのか、何故騒がないのか、騒ぐなら今でしょ、と言いたい。

 

同じことはTVのコメンテーター等オピニオンリーダーを自認している方々にも言いたい。袴田事件に対する警察検察の批判がほとんど聞かれないからだ。皆当たり障りない事しか言わない。おそらくあと一週間もすれば、全く報道すらされなくなるだろう。こんなんで、本当にいいのだろうか、明日の我が身とは考えないのだろうか。

 

国民全部が、人より先に警察・検察の批判をしたら目を付けられヤバイという、ドロボーのジレンマ状態に置かれ、口をつぐんでいる。せめて青信号※みんなで渡れば怖くないようにしたいものだ(※注:赤信号ではない)。

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コメント

うまい、座布団いちまい!

投稿: ベンダソン | 2014/04/04 07:54

全面的に御意です。

「ゴメンで済むなら警察いらねー」
警察(検察)は正義の味方と考えているのがフツーですが・・・

「ゴメンで済むから検察いいねー」
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/45846208.html
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/319294031.html

民間人の「矛」はあまりにも脆弱で、強固な正義の味方に「盾」突く事は、あまりにも危険な行為である・・・が「矛盾」の意味。と辞書に載らないかなぁ(苦笑)

投稿: 丸井家輔 | 2014/04/04 03:43

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