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2014/04/20

バラすと見える設計思想

私はカーマニアだと思うが、それ以前にメカマニアなので私の興味は車に限らない、ガキの頃からの動くものは何でもバラして中を見たくなる習性は今も変わらない。子供のころから好奇心が強すぎると、親にいつも叱られていたので、好奇心という言葉はバカと同義語だと、ずっと思っていた。

 

少なくとも、人には言えない恥ずかしい事だと思ってたし、今も心のどこかにそれがあるが、どうも世の中では好奇心は良い事と評価されているようだ。ともあれ、どうやら好奇心は私の本能のようで、いまだに動くものを見るとバラしたくなる。

 

ただ、問題はすげーレベルが低い事。そういう好奇心が世の中の役に立つような大発見に結びつけば、老親も妻も、そして子供も大喜びして皆ハッピーなんだけど・・・。機械いじりをしている私のそばに来ては、いつも愚妻がぼそりと言う「ねえ、壊してるの、直してるの」が、ナイーブな私の心を傷つける。

 

「見りゃわかるだろ、壊してんだよ」と開き直る事にしてるが、実は本人は直してるつもりなのだ。とはいえ、何でもバラすことに特段に反対しないところを見ると、一応実績の評価はされているのだろう。我が家の電化製品その他諸々、日曜大工含めて何でも直したり、造ったりしてきたのでね。

 

愚息は、なんで専門家でもないのに直せるのかと訝しむが、所詮人間が設計して造ったもの、設計者の身になって考えると、どんな機械、電気製品でもだいたいの構造・設計思想が見えてくるのだ。もちろん所詮素人なので高度な技術を要する修理は出来ないが、そういう故障はそんなに多くは無く、大半は素人に直せるレベルなのだ。

 

例えば、長年使ってきた中古コピー機やカラーレーザープリンタは、ジャンク品から移植した部品だらけ、いわばニコイチだ。部品の細かい中身や基盤は全く分からないが、位置関係などから、その機能が推測でき、電子基盤の機能もテスターである程度推測できるのだ。

 

我が家の初代の全自動ドラム式洗濯機が水漏れして動かなくなったときは、中をバラして水流を制御するソレノイドの故障だと直ぐ分ったが、特殊な部品なので、比較的重要な役割をしてなさそうなソレノイドと入れ替えだましだまし使っていた。

 

エアコンがダメになったときは、さすがにコンプレッサーが逝ってしまい修理不能だったので、中古をネットオークションで手に入れ、元の配管を使って設置したら簡単だった。因みに昔引っ越すとき、ダメ元でエアコンを移設したら、ちゃんと次に引っ越すまで動いていた。余談だが、この時冷媒が自動車用と家庭用では違う事も知り意外だった。

 

但し動かないものや分解できないものは、ほとんど修理不能だ。例えばパソコンのモニターやハードディスクの故障はお手上げになる。最初にクラッシュしたハードディスクは、もちろんバラして、へーこんな風になってるんだと眺めていたが、一度バラせば興味なくなるので、以後は単なるゴミでしかない。

 

さて、何が楽しくって、何でもバラすのかと言うと、単純に好奇心からだが、一つは、設計者の思想が垣間見える事。もう一つは基幹となる技術がさほど変化してない事の発見にある。

 

石油瞬間湯沸かし器は、基本構造が高校生の時にバラした実家のボイラーといまだに同じなんでびっくりした。いかにも熱効率の悪そうな熱交換器の構造といい、石油ガス化の基本となるインジェクターなどは同じなのだ。

 

設計者の思想だが、これが実に興味深い。見える所だけつじつまが合えばOKとか、後の部品交換まで考えてあったりとか、設計者の性格や企業の体質が垣間見えるのだ。これが車のドア1枚を見ても良く表れるのだ。

 

ロールスロイスと兄弟車だったころのベントレーのドア内貼りは大昔のままのピンを差し込む式なので簡単に構造が想像でき直ぐに外せるが、元々工作精度が悪い事と熟練工が組み付ける事を前提にして調整しろを多くとっているので、いったん外すと再び元通りに貼り付けることはほとんど不可能に近かった。

 

そして、ウインドウの昇降装置はまるで建設機械のようなチェーンを巻き上げる方式だし、豪華な杢目はべニヤでその下地の構造部材は見えないからか省略されていた。木が構造部材だなんて、馬車ならともかくと、たまげたもんだが、たぶん馬車造りの発想が今も生きているんだろう。

 

これに対して同じ時代のベンツは、まず内貼りが外せない、無理やり剥がしたらバリっと爪が折れ再使用不可能になったが、構造を見れば実に合理的で、ずらす方向が分かれば、まるで手品のようにいとも簡単に脱着できるし、ウッドパネルも金属プレートに接着されて狂いが生じない。ウインドウの昇降も普通のリンク式だ。

 

カミさんが乗ってる古い日産キューブを夏タイヤに交換したら、リアサスの構造に目が釘付けになった。4リンク式のそれは、スプリングとダンパーが別体なのだ。思わず設計者の心使いにニヤリとしてしまった。これなら私のようなサンデーメカニックにも簡単にダンパー交換ができるではないか。

 

見たことも会ったこともない設計者と、時空を超えた心の会話ができるなんていうとポエム過ぎると笑われそうだが、これが機械をバラす密かな楽しみの一つなのだ。

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