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2014/05/02

日本国憲法のノーベル平和賞運動騒動に思う

私は憲法9条の改憲論者だ、改憲して堂々と軍備すべきだと思っている。

ところで、その日本国憲法をノーベル平和賞に推薦した主婦が、批判され、中には個人攻撃する向きがある。批判する側は受賞対象が国民であり国民全部がそうは思っていないから反対だと言うのが彼らのロジックだ。だけど、じゃあ受賞対象を誰かに特定したなら、もっと批判されるのは火を見るより明らかだし、そもそもこのロジックは後で述べるが、自己矛盾で論理破綻している。

 

ノーベル平和賞に反対する方々のFBを見ると明らかに右翼系だ。そこで不思議に思うのは、自分がそう思わないから反対と言うなら、英霊の靖国神社合祀に反対するのも認めるのかと言うとまずそれは無い。

 

無宗派の国立追悼施設が必要だと言ったとたん、非国民扱いだし、靖国があるから不要だの一点張りだ。実にご都合主義と言うか、自分だけが正しいと思っているようだ。

 

そもそも平和憲法と言う評価で国民がノーベル平和賞を受賞できたなら、いったい何が問題と言うのだろうか。ひょっとして受賞したら憲法改正出来ないと思っているのではないだろうか。もしそうだとすれば、ずいぶんと短絡的だと思う。

 

仮にノーベル平和賞を受賞し、その理由が憲法9条だとしても、それは平和維持の手法の一つとして戦後から今日まで日本が平和を維持してきた実績が評価された訳であって、憲法9条を改正してはならないという事にはならない。さらに改善して平和をより確実にすることに何の問題があると言うのか、だ。

 

例えば今後も武力行使しないで平和を維持するためには、尖閣問題等を鑑み非武装の限界に来たため、9条を改正し戦争抑止力として軍備すると言うのはアリだと思うし、ノーベル平和賞を受賞した国民がそこまで追い込まれたのかとアピールできるとも思う。

 

どーもFBはじめネットなどの書き込みを見ていると、日本のノーベル平和賞に反対している人々の本音は2つあって、1つは平和を望んではいなくて戦争をしたがっているのではないか、もう1つは、件の主婦に対するヤッカミじゃないのかと思う。

 

あくまで平和を望んでいるなら、ノーベル平和賞受賞を反対する理由は考えにくいし、実際にこれに反対するロジックは先に述べたように、皆が賛成ではないから反対と言うような論点と全く無関係な、どんな場合にでも主張できる理屈だ。

 

だからこのロジックが成り立つならば、受賞に反対するのも、反対に皆が賛成ではないから反対だとなって、自ら主張するロジックによって自分の主張が崩れてしまう。こんなこと言われなくとも分かりそうなもんだが、自分の主張に夢中になって、それに気が付かないところが視野狭窄に陥っているようだ。

 

つまり、ものの見方が非常に狭い。そう考えれば、件の主婦に対するヤッカミもあり得るなあと思う。あの主婦上手いことやりやがって、ヒロインかと、そう考える人がいてもおかしくない気がするし、自分では気が付かないだけで、深層心理ではそういう心理が働いているのではないかと考えると辻褄が合ってくる。

 

なので結論、

戦争をやりたがっているのでは無いならば、日本のノーベル平和賞は結構な事ではないか。その対象が人じゃなければダメと言うなら国民が対象でいいではないか、イヤなら自分が勝手に辞退すればいいので、人を巻き込むなよ。憲法改正したければ、それはそれで改正運動すればいいじゃん、何か問題でも?

 

事実、仮に日本がノーベル平和賞を受賞しても私は改憲論者だし、軍備すべき、さらには核武装も絶対に必要だと思っている。ついでに言うと核の被害を受けた唯一の国家だから核に反対すると言うのは、攻撃してくるよその国家に対しての主張ならわかるが、現実に他国が核武装してるのに、なんで自国の核武装に反対する?

 

核の恐ろしさをどこより知っているがゆえに、戦争抑止力として核武装すると言うなら分かるが。

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コメント

いつも楽しく拝読させていただいてます。

しかし今回は、いつになく、揚げ足とりに近い浅い考察ですね。

彼らが批判する理由は、そうではなくて、(もちろん主婦へのやっかみでもなくて)主婦の側のロジックが我慢できないからでしょう。

日本は、60年以上も平和を維持し、国際社会の平和にも貢献してきた→だからノーベル平和賞に(日本国民を)推薦しよう!だったら、まあ実現性はともかく、そんなに批判されるものではなかったでしょう。

問題は、日本は60年以上も平和を維持してきた→それは日本国憲法のおかげだ→だから憲法をノーベル平和賞に推薦しよう!(受賞者は国民)

といるロジックで主婦が行動している点です。

平和=日本国憲法のおかげ

これは、サヨク、護憲派の基本ロジックです。

賢明な筆者はおわかりのとおり、平和の維持は当然、軍事(防衛)力、経済力、(平和憲法を言い訳に使うことも含む)様々な外交努力の結果達成されるもので、憲法があるから平和が維持できた、などというものではありません。

しかし「憲法をノーベル平和賞に推薦」という発想には、そういう考えは微塵も感じられません。

筆者は、「仮にノーベル平和賞を受賞し、その理由が憲法9条だとしても、・・・憲法9条を改正してはならないという事にはならない。」と言いますが、日本人は(特にサヨクは)そんなにロジカルにものを考えられる人種ではありません。
もし、何かの間違いで受賞した、なんてことになってしまったら、「平和=日本国憲法のおかげ」がノーベル賞で権威付けされ、国際的にも認められる正しいロジックと証明されたといって、改正反対の根拠にすることは間違いありません。
もっとうがった見方をすれば、日本の防衛力強化を快く思わない周辺国が、防衛力弱体化の世論形成のために、ノーベル賞受賞を影で推進する・・・なんてことも考えられないことではありません。

「ノーベル平和賞に推薦」という表層的な事象を批判しているのではなく、その裏にあるサヨク、護憲派のワンパターンなロジックを批判しているのだと解釈します。

しかし、そのため反論が、「受賞対象が国民であり国民全部がそうは思っていないから反対だ」というしかないのであれば、それは確かにお粗末ですが。

蛇足:

日本人に極端な宗教やイデオロギーは根付きません。世界にもまれな世俗的国民だからです。
なので、ウヨク/サヨクの唱える議論は、「日本人はロジックではなく感情に流されやすい国民だ」という前提で、いかに感情に訴えるかの勝負になりがちです。
当然その論は、ロジカルではありえません。
それを取り上げて「ロジカルではない」と馬鹿にするのは、個人の勝手ですが、あまり意味のあることではありません。
本質は違うところにあるからです。

投稿: 都市部無党派層 | 2014/05/12 13:44

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