光るタモリ
昨日、NHKでは戦後70年を振り返る番組をやっていて、タモリの鋭いコメントがすごく光っていた。一方では堺 雅人のしょうもない発言が人生経験の差を浮き彫りにしていて、ああ役柄と実際の人品は違うのだなあと、当たり前だが思った。気になったタモリの発言は以下の通り。
(タモリ)終戦じゃなくて敗戦だよね。アメリカは日本を負かした敵国なのに、すぐ受け入れてるんだよね。オトナからそういう教育を受けたのかと思ったら映像(当時進駐軍が引揚者の行列を撮影した映像で、自然に引揚者の少年がカメラマンにお辞儀をすると、その後の大人たちも皆お辞儀をして行き過ぎていった映像を指して)の子供は、自発的に自然にお辞儀をしたんだよね。つまり強制されてアメリカを受け入れたんじゃなくて自然なんだ。オトナたちもマッカーサーが帰るときに(親しい)オヤジいみたいに馴染んじゃって手を振ってるんだよね。
(タモリ)前から不思議だったんだけど、その敗戦を日本人はどう受け止めたのか。気になって当時の人に聞いた話なんだけど、敗戦の時、そのあとも皇居前を通っても誰も人がいなかったって言うんだ。皇居前で大勢の人馬泣いていたシーンはやらせなんだね。日本人は淡々と敗戦を受け入れたってことみたいだ。
記憶を頼りに書いてるので正確ではないが、大要こんな感じだ。
曰く「終戦じゃなく敗戦だ」
当たり前と言えば当たり前だが、目からウロコだ。敗戦といったからとて米国を憎めという訳じゃなく、よく言えば日本人の状況適応力、悪く言えば無節操、深読みすれば軍事政権からの開放といった諸々の解釈、問題意識を包含し、これをたった3文字に凝縮したタモリの洞察力・表現力は、コメディアンの範疇を明らかに超えている。
曰く「敗戦の時、そのあとも日皇居前を通っても誰も人がいなかった」
この発言は衝撃的だった。今の今まで、何を言ってるのかよくわからない玉音放送を聴いて、多くの人が皇居前で泣き崩れているシーンを本当だと思っていて、へー当時の人はあの放送を聴いてすぐに敗戦を理解できたんだあ、くやしかっただろうなあと思っていた。
でもよく考えてみたら、放送の内容をすぐ理解できたとしても、あらかじめ放送前から皇居前に行って放送を聞いてなければなければああいうシーンにはならない訳で、今更ながらナルホドと思ったし、後日皇居前を通っても誰も人がいなかった、あれはヤラセとタモリが言っても、NHKは否定しないのは衝撃だった。
けど、それ以上に感心したのは、あれはヤラセだと言うと、右寄りの人は怒り出すだろうと思うので、よく言ったなあと思ったからだ。これも冷静に考えれば、ヤラセであったとしても別に天皇批判でも何でもなく、単に映像がヤラセだったに過ぎないから、タモリはそこまで考えた?なんて思ってしまうのだ。
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コメント
私の両親は、リアルにラジオの前で玉音放送を聞いています。
両親とも、「雑音ばかりで何を言っているかなんて聞き取れなかった」「誰かが戦争が終わったと言ったので、へーと思った」「いま放送してるみたいな音じゃなかった。ガガガガぴーぴーザザーって」
大体当時はアラヒトガミであらせられる陛下の声など、ほぼ側近でもなければしもじもの者は誰も聞いたことなどないですから、それとなく「大切(重要)な放送」と言われても、こどもたちには陛下おん自らの有り難いご発声とか、敗戦(終戦)とか全くわからなかったでしょう。
という話を大学生くんにしてみたら、すごくめずらしがられました。
あの番組は面白かったですね。
間の抜けたコメントですみません。
投稿: はな | 2015/05/11 00:38